幕間『騎士二人』・上
騎士団についての設定を、小話にいたしました。
期間限定の公開にするかもしれません。
雨上がりの空が、雲間から太陽の光を投げかけている。
家々から、人々がぞろぞろと這い出してくる。雨が止めば人通りも多くなる。人通りが多くなれば客も増える。それを見越して露店を出すためだ。
自治都市フェレチは、どの貴族の領地にも属していない。
公的には王室の直轄地となっているが、税金を要求される以外の干渉を受けることはなく、全てが有力者たちの合議によって運営されている。
独立自治の都市であり、自由さと猥雑さがごちゃまぜになった空気は、旅人を惹きつけるものらしい。
フェレチが別名『旅人の街』と呼ばれるゆえんである。
自由騎士となったジーフリクもまた、雨上がりの肌寒いフェレチの空気を楽しんでいる。
市場通りの両脇には露店が並び、賑わいがうるさいほどだ。
ジーフリクは慣れたものだが、彼の従者テオ・ヴリルワーズは榛色の目を輝かせて、興味深げに出店を眺めている。
(……無理も無いか。私もこのくらいの齢には、市場のガラクタが宝物に見えたからな)
このテオはいまだ少年と呼ばれる歳でありながら、従騎士の地位を捨てて、自由騎士ジーフリクに付き従ってくれている。
その忠節をねぎらってやろう、ジーフリクはそう思って従者に声をかけた。
「テオ。なにか欲しかったら買ってやるぞ? さいわい、懐が温かいしな」
「……いえ、結構です。まだ旅路の途中ですし、何が起こるか分かりません。無駄な出費は控えなくては……」
テオは未練を断ち切るように、露店の商品から目線を引き剥がした。
ジーフリクは重々しく頷いてみせた。
「確かに。何が起こるかわからぬのが、旅路の常。明日は野盗に襲われ、一文無しになるやもしれん。むしろ、金があるうちに使っておくのが賢者の道じゃないか?」
「なんということを! それは下愚の道です! ちゃんと計画を立ててですね……」
(…やれやれ)
従者がくだくだしく説教を始めたので、ジーフリクは慨嘆した。
テオは、この歳にしては剣の腕もよく、いろいろ気も回るのだが、どうにも真面目過ぎて冗談を言っても杓子定規に返されてしまうところがある。
もっとも最近では、こういう生真面目さを可愛らしく思い始めてもいる。
長引きそうだと思いながら、ジーフリクがつと視線を外した時だった。
街並みを眺めていた視線が、一点に定まる。
「尻だ」
「は……?」
「見ろ、テオ。窓から女の尻が見えるぞ」
「そんな戯れ言で私が騙されるとでも思って………………ありますね……」
裏通りの二階の窓から、女性が後ろ向きに身を乗り出していた。ちょうど臀部がはみ出している格好だ。
しかも、どうやら何か怒鳴り合っている様子である。
「妙齢の美女が危機に瀕しているとなれば、捨てては置けんな。テオ、助けに行くぞ」
「あ…はい。でもどうして、妙齢の美女だと分かったんです?」
「なに、簡単なことだ。このジーフリクに助け出されるのだから、美女でなければ困る。それだけのことよ」
「……はぁ」
呆れを溜息でごまかしながら、テオはジーフリクに従った。
騎士の主従は、野次馬根性と義侠心に突き動かされて、女の尻へと駆け寄った。それぞれがどれだけの割合だったのかは推して知れるであろう。
「俺の言うことが聞けねぇってのか!?」
「ああ、そうさ! そんなナリで凄んでみせたって、何にも怖くないね!!」
近づくにつれて、怒声の内容が聞き取れるようになった。どうやら、痴話喧嘩のようだ。
「さんざん良い暮らしをさせてやった恩を忘れやがって!」
「こんないい女を抱かせてやったのに、その恩を忘れてるんじゃないよ!!」
「てめぇ!!」
ドタドタと走る音、物を投げつける音が聞こえ、「死んじまいな! バーカ!!」という女の声とともに、窓から尻だけ出していた女が、後ろ向きに飛び出した。
「あぁっ!」
テオが叫ぶ。受け止めるには、距離が遠すぎる。
――そのまま落ちるかに見えたその時だった。
「……っと、大丈夫ですか? ご婦人」
駆け寄った男が、やさしく彼女を受け止めていた。 黒髪茶眼の優男で、全身に甲冑をまとっている。
テオは一瞬で、彼が何者かを知った。街中であってさえ重い鎧を着込んでいる人間は、一種類しかいない。鎧という財産を安全に保管する伝手がない人間……すなわち、自由騎士である。
「やぁ、ご同業。卿もなかなか、物好きとみえる」
ジーフリクは笑って話しかけた。妙齢の美女を腕に抱けなかったことを、多少残念がっているようでもあった。
「ちょっと! 抱き止めてもらってる身で悪いけどね、美男のお二人さん。さっさとここから離れたほうがいいんじゃないかい?」
ドタドタと荒々しい足音が聞こえる。男が追ってきているらしい。自由騎士二人と、従者は、美女の言われるがまま、その場を逃げ出した。
***
旅人が疲れを癒やす酒場で、ご馳走を並べて美女は言った。
「今日はあたしの奢りだよ! じゃんじゃん飲んどくれ!」
ひょんな事から知り合った女の名は、エレスティンという。肉感的な美女で、かつては酒場などで旅人相手の踊り子をしていたらしい。
見初められて男の情婦となったが、その変態ぶりに嫌気が差して逃げ出してきたのだと笑いながら語った。
あけすけな身の上話だったが、語り口が面白く、麦酒をうまく薦めてくるので、自由騎士の二人はおおいに気分が良くなっていた。
一人、従者のテオだけは乳清を啜りつつ、半眼で眺めていたのだが。
「それにしても良い男だねぇ、ウリエン。顔がいいだけじゃあ無く、心根も清い」
「いえ、自分は……」
「あたしを受け止めてくれたことも嬉しいけど、なにより私が先に落としていた荷物を守ってくれてたんだろ?」
エレスティンは笑いながら、自由騎士ウリエンの杯にエールを注ぎ、肉付きの良い肢体をすり寄せた。
テオは様子を見守りながら、意外な思いを禁じ得なかった。
主騎士ジーフリクが袖にされているのが、まず珍しい。
ジーフリクは涼やかな美貌を持ち、口説きもうまい。テオの記憶にある限り、女性に困ることはまるで無かった。
それに、エレスティンの好みも意外である。このような女性は“頼りがいのある男性”を好むのだと、テオは思い込んでいた。
自由騎士ウリエンは真面目そうな風貌の優男で、有能そうではあるものの、”頼りがいがある”ようには、とても見えない。
(あるいは……)
あてつけることで、ジーフリク様の気を引かれるつもりなのかもしれない。踊り子をしていたのだから、その辺りの手管は確かなものだろう。従者はそうも思う。
「ところで、ウリエン卿はどうして、自由騎士になられたのだ?」
当のジーフリクは気にする素振りもなく、会話を楽しんでいる。その泰然ぶりをテオは密かに誇りに思っていた。
「よくある話ですよ。貴族とはいえ、自分は貧乏な家の六男でしたから……。あとは、天の導きというやつでしょうか」
「しかし家中騎士であれば、部屋住まいとはいえ、それなりに安楽に暮らせただろう? ……いやなに、俺も散々に悩んだからな。他の者がどうだったか聞いてみたいのさ」
「ちょっと。男二人で分かりあってないで、あたしにも分かるように話しておくれよ」
横から、拗ねたようにエレスティンが口を出した。その様子に、ジーフリクは笑みを零した。話しぶりに妙な愛嬌があるのだ。さすがに元”売れっ子の踊り子”というだけはある。
「よし、我が従者テオよ。復習も兼ねて、エレスティンに騎士について教えてやってくれ」
***
「私たち貴族の家に生まれたものは、成人すると士爵位を与えられます。なので、貴族ならば皆、騎士であると言っても良いでしょう」
一介の踊り子には、貴族の風習など縁遠いものだろう。テオは記憶を掘り起こして、もっとも基本的なことから話し始めた。
「騎士の責務は、魔物から民草を守ることですが、その道は大きく分かれます。一つは爵位を守るために貴族の家に残る『家中騎士』。もう一つは、騎士団へ加入し、魔物を積極的に討伐する『正騎士』です。
一般的に騎士といえば、『正騎士』を指します。討伐祭でも活躍するので、目にする機会も多いのではないでしょうか」
手元の乳清を飲んで、喉を湿らせる。
「貴族の子供は年齢が10歳になると、騎士団に預けられます。従卒として、礼儀作法を学び、武術の訓練をしながら、馬の世話や雑用を行います。
15歳頃になると私のように従騎士となり、実際に戦場に出るようになります。武より文が得意であれば、教会に入り聖職者としての道を選ぶこともありえますね。
そして、20歳頃には叙任式を行い、正式に騎士として認められることになります。このとき、騎士団の長である騎士伯に叙任されれば『正騎士』、爵位を持つ家の当主に叙任されれば『家中騎士』となります」
「ふーん」
テオの説明は熱心だったが、元踊り子のエレスティンは興味なさげに相槌を打つのみだ。
「ウリエンやジーフリクは『自由騎士』なんでしょ? よく聞くけど『自由騎士』ってのは何なのさ」
「一言で言いますなら、あぶれ者ですね」
ウリエンが説明を引き継いだ。
「長男は家を継げますので安泰です。次男も騎士団や教会に入って栄達を目論むことが出来ます。しかし六男にもなると、それも望めないのです」
「どうして?」
「騎士団に騎士として入団するためには、自前でミスリルの甲冑を用意しなくてはなりません。いかに武勇があっても六男では、実家もお金を出せなかったのです。
騎士団に入りさえすれば、武勲次第で領地を増やしたり、新たに家を興すこともできるのですが……」
酒が入っているせいか、話がずれてきた。牛の内臓煮込みを口に運んで、ウリエンは酔いを覚ます。
「……私は、飼い殺しになるくらいならと、鋼鉄の全身甲冑を纏って家を飛び出したのです。傭兵として活躍すれば騎士団長の目に留まるかもしれませんし、あるいは他家の令嬢と結婚して、その家を継げるかもしれない……。どの自由騎士も考えていることは、そんなところですよね、ジーフリク卿」
「……まぁ、そうだな。稀に、窮屈な貴族社会に嫌気が差した者もいると思うが」
「ふーん。つまり、窮屈な家が嫌になって飛び出したのが『自由騎士』か……あたしと大して変わらないねぇ……」
「……そうかもしれません」
ウリエンは密かに苦笑した。エレスティンの発言は、この時代にあっては際どいものだ。けれども、あっけらかんと言うので、ついこちらも聞き流してしまう。
「そんなに騎士団がいいものかしらねぇ? 飼い殺しが嫌で家を飛び出したんだろ? なのに、騎士団に飼われなくたっていいじゃないのさ」
エレスティンはそんなことを言う。
「あたしも家が嫌になって飛び出してね。つらい目にもあったけど、『漂泊の一族』に加わってからは結構楽しんで生きているよ。ウリエンはどうだい? 楽しく生きていけてるかい?」
本当に、心配そうに見つめてくるのだから、ウリエンは困ってしまう。
「困難なことも多いですけど、妻に出会ってからは……」
「妻!? 奥さんがいるってのかい?」
「ええ。私には過ぎた女性ですが、運良く愛を受け入れてくれました」
そう語るウリエンは、はにかみながらも嬉しそうだ。
エレスティンはぐるりと目を回した。
「あぁー……もう、帰る場所があるってのかい。それじゃあ、仕方ないねぇ……。実を言うと、一緒に『漂泊の一族』に入らないかって誘いたかったんだけどね…」
『漂泊の一族』とは、この国に古くから存在する流浪の民族である。その起源は誰も知らず、当の『漂泊の一族』でさえ知らないと言われている。
彼らは行き場を無くした人を迎え入れ、一族に加える風習を持つ。おそらくエレスティンも迎え入れられ、踊り子の技をそこで学んだのだろう。
「あんたとなら、いい夢見れそうだったんだけどね。愛してるってんなら仕方ない」
エレスティンが名残惜しそうに、嘆いたときだった。横合いからドスを効かせた声が投げつけられる。
「仕方ないってんなら、俺の愛情も分かってくれるよな!」
荒々しく足音を響かせて、酒場の円卓に男が近づいてくる。笑い合っていた酔客たちが、剣呑な様子に黙りこんだ。
「なんて悪女だ…。こんなひ弱そうな男をくわえ込むなんてなぁ?」
髭面のむくつけき男だった。盛り上がった筋肉を誇示するように開いた胸元が、カタギの人間ではないことを思わせる。元踊り子の情夫だろう。
「ひ弱そうとは、よく言ってくれたな」「ご婦人に無礼な振る舞いはよせ」
自由騎士二人が、エレスティンを庇うように立ち上がった。
テオも静かに立ち上がっている。その威に、むくつけき男は一歩たじろいだが、すぐに威勢のいい声を上げる。
「おいおい、何を吹きこまれたんか知らんが、あんたら騙されているぜ。
エレスティンは男を誘惑し、嘘をつき、惚れさせて操るような女だ。だが俺は、それでもこいつを愛してるんでね。渡してもらおうか?」
「でまかせを言うんじゃないよ! この変態野郎!! そんなにおっぱいが好きなら、あんたの母ちゃんに頼むんだね!」
「てめぇ!!」
男は激昂したが、自由騎士二人に阻まれた。なおも威勢よく、男は言い募った。
「自由騎士だからってビビると思ったら、大間違いだぞ! 俺は、素手で騎士をのしてやったこともあるんだ!」
「御託はいいから、かかってきたらどうだ? それとも吠えるだけがとりえの番犬なのか?」
「……………クソッ!」
男は、苛立たしげに舌を鳴らすと、酒場から立ち去っていった。
「ありがとね。ウリエンにジーフリク。あいつは蛇みたいにしつこいんで助かったよ」
「とりあえずは、これで大丈夫でしょう。しかし、エレスティン女史。これから頼る者はいるのですか?」
そう尋ねられて、エレスティンは肩をすくめた。
「さっきも言ったろ。『漂泊の一族』に戻るさ。ちょうど一族がフェレチに寄ってるしね。本当なら、ウリエンにも一緒に来てもらいたかったんだけど」
男が立ち去るやいなや、酒場はすぐに賑わいを取り戻した。
旅人の酒場には、荒くれ者も集まる。この程度のことは日常茶飯事なのだろう。
……このときは、そう思っていた。
実は『下』をまだ書いていません……。次回更新は18日を予定しています。




