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30話『月明かりの下で』・下

 月明かりが森を照らしていた。

 梟の鳴き声が、木の枝がこすれ合う響きが、虫の音が、あたりから響いてくる。

 ミーシャス・ジーネ・イチノセがいた前世では、夜は静かなものだったが、この世界では、夜は音とともにある。月明かりの中とはいえ、深い闇の奥から聞こえる音は、ミーシャにとって、異世界を実感させるものであった。


「そろそろ、カーテンを閉めて。ミーシャ」

「あ、はい。師匠」


 ミーシャは、『魔女の庵』の窓のカーテンを閉める。


「窓に高価なガラスまで使って作った庵だったんだけど、もうしばらくは、帰ってこれないわね……」


 師匠イレーネは、暖炉に薪をくべながら、言った。

 水晶の原石にかけられた《光明》が、『魔女の庵』の内部を照らしている。明日になれば、荷物をまとめて、出ていかなければならない。

 『銀色の髪の乙女』であるミーシャが、ゼファーに狙われているためだ。

 実際に対峙した以上、追及の手は激しくなるに違いない。


 ミーシャは、部屋を見渡した。

 薬箪笥や大竈、ガラス製のフラスコや、乳鉢、蒸留器。錬金術士らしい品々が、部屋を埋めている。


「こういう錬金術の道具って、持っていけないんですよね…」

「さすがに嵩張るからね。地下の隠し倉庫にも空きがないし…鍵はかけていくけれどね」


 暖炉の火が、弱いような気がした。


「どうして、私を助けてくれたんですか?」

「ん?」

「ゼファーに追われているのは、私だけのはずです。師匠は私を放り出してしまえば、この庵から逃げ出さなくても済んだはずです。合理的に考えれば、私を見捨てたほうが……」

「そこまで!」


 イレーネは、弟子の言葉を遮った。


「いい? ミーシャ。 私はあなたを助けるって決めたのよ。弟子が師匠に、くだくだしく言うものじゃないわ」

「……はい」


 さすがに、師匠の心遣いが分からないわけではない。ミーシャは、素直に頷いた。

 イレーネは、暖炉の火を見つめて、遠い過去のことを思い出しているようだった。


「それにね。ミーシャと出会わなかったら、私は今でも、この庵で変わり映えのない日常を過ごしていたに違いないわ…。あなたが見抜いたように、私がここに住んでいたのは、失恋の痛みを消すためだったの」


 ミーシャは、イレーネの横顔を見つめた。どこか寂しげだった。


「この世の中は、私の有り様を、認めてくれなかった。正しい正しくないじゃなくね。『だったら、もういい』って思って、この庵に引きこもったの…それが始まり」


 暖炉の薪が爆ぜる。


「そして…あなたと出会った。あの世から来たなんて、世迷い言を聞かされて。あの時は、狂人を拾ったのかと思ったわ」

「狂人…」

「でも、あなたは、学識もあるし、まともだった」


 そう言って、ミーシャに笑いかける。


「あなたは…突拍子もない事を言うこともあるけれど、どんなことでも、ありのままに受け入れる心を持っているわ。娼婦に対しても、私が女性好きだと話した時も、あなたは変わらなかった。そんなミーシャと過ごして、私は何かを装うこと無く、私自身でいられたの。だから、私は庵を出ることを決めた」


 火掻き棒で、暖炉の薪をかき回しながら、イレーネは言う。


「今思えば、この庵は揺籃ゆりかごだったんだわ。私がありのままの自分で、生きていけるようになるまでの。イチノセと過ごした日々は…、新しい風を私に運んでくれたのよ。新しく一歩を踏みだせたのは、イチノセがいてくれたおかげね」


 そういって、イレーネは朗らかに笑った。

 薪が爆ぜて、火が強まる。

 暖炉が温かく、我が身を包み込んでくれていた。


 心が柔らかく溶け出して、ミーシャは、一つの想いを胸に抱く。

 それに名前をつけることは、今はできなかった。初めての感情であったから。


 けれど、師匠の言葉は確実に、ミーシャの心を軽くしてくれた。


 イレーネ師匠は、いつも私を助けてくれた。最初の時も、山賊に襲われた時も、アゲネに囚われた時でさえ。

 足の手当てをしてくれて、胸の火傷を癒してくれて、体の切り傷を治してくれている。その掌が温かかったことを覚えている。

 なにより、名前をくれた。育ての親でさえ与えてくれなかったものを。


 これからも、ゼファーに追われるだろう。師匠まで巻き込んでしまうだろう。

 けれど、私は、イレーネ師匠と一緒にいたい。

 そして、ミーシャス・ジーネ・イチノセは、その想いを大事にしていきたいと思ったのだった。


「師匠…。ミスリルの短剣をくれた時のこと、覚えていますか?」

「失くしたことを気にしているんなら、別にいいわよ。捕まえられていたんだから、仕方ないし」

「いえ、そうじゃなくて、私が一人前になったら、秘密を話してくれるって言ってくれましたよね」

「ああ…」


 そういえば、そのようなこともあった。

 イレーネは女性が好きであることを、その当時、秘密にしていたのだった。


「私は、今でも、イレーネ師匠の弟子でいたいと思っています。迷惑かもしれませんけど…」


 万感の思いが込められた言葉だった。


「ありがとう、ミーシャ」


 師匠の、イレーネの言葉は短かったが、やさしく、温かかった。いつものように。

 これにて、『ストレンジャー・プログレス』第一章は、完結となります。

 ご愛読いただき、ありがとうございました。

 一旦、完結をつけさせてもらって、第二章は2―3ヶ月後を予定しています。


 完結記念に、評価と感想を募集しています!

 作者への祝儀と、ご記念にぜひ!!

 (特に、もっと増やして欲しいところを教えていただけると、第二章に反映できます!)


 ↓の欄から、評価や感想を行えます。 よろしくお願いします!


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