30話『月明かりの下で』・上
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
最終回です。
ゼノミオが、父殺しを行って半日も過ぎていない頃である。
ジーフリク・アイヴィゴースは、三人の騎士とともに、城館の謁見の間に居た。旅装も解いていない。
謁見の間の上階からは、月の光が差し込んでいる。
いまだ、戦闘のあとが残り、血がべっとりと床を汚していた。さすがにアゲネの死体は運びだされてはいたが。
「親父殿…」
謁見の椅子に振りかかる血を見ながら、ジーフリクは独りごちた。
父親を尋ねてきてみれば、兄であるゼノミオが、父であるアゲネを殺していたのである。
付き従う騎士達も、その心中を案じるあまりに声をかけられず、ジーフリクの背中を眺めるばかりであった。
「久しぶりだな。ジーフリク」
そこに、後ろから声がかける者がいた。
ジーフリクが振りむいた先に居たのは、アイヴィゴース家当主となったゼノミオであった。
「長兄…」
「ブラス卿より、ここだと聞いたのだが、どうした? 火も灯さずにいるとは」
あくまでも自然体で、話しかけてくる。
悪びれもしていない。
対するジーフリクも静かだった。
「親父殿を殺したのか」
「ああ」
「なぜだ?」
ゼノミオはちらりと付き添いの騎士達を見た。
いずれも眼光に鋭い光がある。
「悪逆の輩ゆえにだ」
「……だいたいのところは、案内してくれた騎士より聞いている。長兄が、裏切られたことも。裏切られたから殺したのか」
「違うな」
ゼノミオは否定した。
「裏切られなかったとしても、吾はアゲネを誅殺しただろう。言うなれば、騎士道ゆえに。悪を断罪する剣たらんとするがゆえに、弑さねばならなかった」
「そのわりには…罪悪感を感じていないように見えるな、長兄」
「吾は今、正義の旗のたもとにいて、正しいことをしている。そう感じられるからだ。……ひとつ話をしよう。お前が生まれた時の話だ」
***
ゼノミオは静かに語った。
「お前が生まれた時、アゲネはお前の母親を、馬小屋に閉じ込めていたのだ。乱痴気騒ぎをするのに、産気づいた母の声がうるさいと言ってな。
もし、当時の家宰が取り計らってくれなくば、吾が立ち会うことも、助産婦が助けてくれることもなく、母は、一人きりで、ジーフリクを産まねばならなかっただろう……」
「……」
「これが、アゲネの正体だ。そして、今、吾を裏切り、ミンヘル殿下を監禁して、この国を必求壟断せんとした。ゆえに殺した」
ジーフリクは、ここで始めて、自らの出生の話を聞いたのである。
生母が、産褥熱で亡くなったと聞いてはいたが、そのような劣悪な扱いを受けていたとは、思いもよらぬことであった。
大きな息を吐きだして、顔をひと撫でする。
まとまらぬ心情は一旦、脇へと置いておく。今のジーフリクには、なお言わねばならぬことがある。
「…そう…か。で、アゲネに付き従った者を、どう処遇するつもりだ」
「吾に忠誠を誓うのならば、罪には問わぬ。待遇も変えぬ。罪はアゲネ一人にのみある」
ゼノミオは断言した。
ジーフリクは頷いて、騎士を呼び戻した。内々の話をするために、座を外してもらっていたのだ。
ジーフリクは、付き従う三名の騎士を示した。
「この三名は、もともとアゲネから俸禄を得ていた騎士たちだ。彼らもまた、以前と同じく遇してもらえるか、長兄」
「むろん」
「待ってください」
声を上げたのは、ジーフリクに付き従っていた三騎士のうち、最も年若い一人、従騎士テオ・ヴリルワーズであった。
「ジーフリク様はどうなさるのですか」
テオは気づいていたのだ。先程の言葉の中には、ジーフリク自身の行く末が含まれていないことに。
テオには、彼は答えなかった。
「ゼノミオ兄。家族の時間は終わった。私はゼノミオを兄としては敬えそうにない。俺も変わったが、長兄もどこか変わってしまった。ここからは、私は自分の道を探すとしよう……。ゼノミオ兄も自分の道を貫けばいい…」
「行くあてはあるのか?」
「ない。冒険者稼業でもするさ」
飄々(ひょうひょう)とジーフリクはそう答えて、外へと歩き去ろうとした。
そこへ、ゼノミオは片手を伸ばして制止する。
「待て。これを持っていくがいい」
ゼノミオは、もう一方の手で、佩いていた剣を剣帯ごと取り外すと、ジーフリクに放り渡した。
「これは、アイヴィゴース家の宝剣…」
「銘は『白貂の刃』を意味する『フー・フェイセス』だ。ジーフリク、お前にくれてやる。アイヴィゴース家当主となったゆえ、身に帯びていたが、吾には『大だんびら』があるゆえな」
「すまない。ありがたく貰っておく」
ジーフリクは、殊勝な言葉使いとは裏腹に、にやりと笑って家宝の剣を受け取った。
従騎士のテオは、その笑顔を見て不吉な予感を覚えた。あとで売り飛ばすつもりではないかと疑ってしまうような、実に人が悪い笑みに見えたからだ。
***
「しかし、テオ。お前までついて来ずともよかったのに」
ジーフリクは、いささか呆れた様子で、傍らの従騎士をみやった。
フンボルトを出て、南へ向かう街道の道中である。幕下に入ることを拒否したジーフリクが、いつまでもゼノミオの元にいるのは危険が大きすぎた。
「今更、別の騎士を主と仰ぐのも、面倒ですし。それに、あのままゼノミオ様の幕下に入ったところで、厚く遇されるとは思えません」
「……それでも、私についていくよりは、マシと思うがなぁ」
「なんなんですか。衣食住と名誉を投げうってまで、ついていくというのに、今ひとつ歓迎されてないように感じるのですが」
「いや、まぁ、お前、口うるさいしなぁ」
「当然のことを、申し上げているまでです!」
テオは、憤慨を隠さず叫んでしまった。
ジーフリクが片手を上げて制する。
「大声を出すな。夜の街道で、剽盗どもに獲物が居るぞと、触れ回ることもあるまい」
主騎士に窘められて、テオは赤面した。たしかに、夜の街道で大声を出すものではなかった。
気を取り直して、問いかける。
「これから、どうなさるおつもりですか? もし、よければ、ヴリルワーズ家に、逗留されても構いませんが」
「いや、テルモットの実家に戻る」
「家を捨てたのでは無かったのですか!?」
「うむ。ま…捨てたことになるのかな。だが、考えてもみろ。アイヴィゴース家に仕えて二十六年になるんだぞ」
「ははぁ。それでは、別離の挨拶に参られるのですか?」
ジーフリクは肩を揺らして笑った。
「まさか。テルモットには、家族の一人としておらんよ。…つまりな。二十六年分の俸給を貰いに行くのさ。…こいつでな」
ジーフリクは、『白貂の刃』を掲げてみせた。
テオは、意味が分かりかねるといった面持ちで、しばらく、伝家の宝剣を見つめていたが、やがて気がついた。
息を呑んで、恐る恐る問いかける。
「ま、まさか、その宝剣を証にすることで、アイヴィゴース家の金庫を開けさせるつもりでは?」
「その通り。 家士か、召使頭にでも見せて、ゼノミオの命だと言えば、いくらでも、金貨を吐き出してくれるだろうよ」
「な、なんてことを…! ゼノミオ様は、そんなつもりで家宝を手渡したのではありませんよ!!」
「……そういうところが、口うるさいんだよなぁ…」
そういって、ジーフリクは馬を速歩で駆けさせた。従騎士テオは、慌てて追いかける。
「『そういうところが』では、ありません。騎士の道徳を忘れては、自由騎士とも言えませんよ!」
月明かりの照らす街道を、自由騎士となったジーフリクとテオが走り去っていく。
傍目に見ても、うるさい主従であった。
***
その一方で、城館に残ったゼノミオは、未だ眠ること無く、執務室でゼファーの報告を聞いている。
「…というわけで、兵士三千人の輸送代として、ヌアルドヴ家から金貨7300枚の費用を請求されてます。次に…」
魔術師ゼファー・エンデッドリッチは、ゼノミオによって、騎士団付きの専属魔術師に任じられている。
加えて、ミンヘル殿下の亡命宮廷の宮宰と、アイヴィゴース家の家宰を兼任することが内定していた。
これは、家宰ミゲイラが死んだためでもあるが、ゼファーの手腕が並外れていたことも大きい。
ヌアルドヴ家と接触を測り、協力を取り付け、軍船を用意することができたのは、ゼファーの功績であった。
もたついていれば、アゲネに手の内を読まれて、海からの急襲に備えられていたのは疑いなく、戦いは長引いたに違いない。
ゼファーは、この『フンボルト内乱』において、単身潜入し、軍船を焼くという大功を果たしたが、戦う前の時点でも、大いに活躍をしていたのだ。
それが、宮宰という官職を得ることにつながったのである。
浮かれ騒ぐ声が、風に乗って聞こえてきた。
一兵士にとっては戦いが勝って、万事めでたしとなったであろうが、ゼノミオにとっては、むしろ、これからが本番である。
すでにして、兵士たちの略奪を抑えるための仕事をこなしてきたばかりであった。フンボルトの支配権を確立するためには、戦後処理こそが大切であることをゼノミオは知っていた。
やるべきことは、多い。
宮廷を開き、騎士の処遇や報奨金を決め、周辺の領主に書簡を送り、戦費を確保し……戦後処理の細々としたことは、側近や廷臣に任せることになるが、最終的な裁決は、ゼノミオが下さねばならない。
城付き僧侶や治療師による治療の手配、戦費の概算、報奨金の分配、糧秣の確認、死者の埋葬、アゲネに与した騎士達の処遇など、様々なことを、ゼファーと相談しあって、決定していく。
報告、相談、決裁が一段落し、二人は、緑茶を飲んで一休みすることになった。
灯火の下で、緑茶の湯気が揺れて、影を落としている。
ゼノミオは緑茶を飲んで、一息つくと、ゼファーに話しかけた。
「ゼファー殿、感謝する」
「どうなされたのです? 突然」
ゼファーは艶やかに笑って問うた。
「単身、港湾を焼き討ちしたこともそうだが……、本来予定にないはずの城館に居たことだ」
「それは……」
「慮ってくれたのだろう? 吾に、父殺しをさせぬために」
「さて…どうでしょうか」
ゼファーは明言を避けたが、ゼノミオは、かすかに笑みを浮かべて続けた。
「だが、我が手で決着をつけられてよかったと、今は思っている。そうでなくば、無念が残ったであろう…」
「それは、重畳でした。……アゲネは、私を裏切り者と呼びましたけど、それは良いのですか?」
「今更、虚言には踊らされぬよ」
ゼノミオは断言した。
「ゼファー殿に会い、父を殺し、ミンヘル殿下を救い出したのは全て、この国を救うために、神が思し召したことだ。天の配剤というものであろう」
ゼファーに会ったのは、神意によるもので、疑うものはないとゼノミオは言明したのである。
これを受けて、最も訊きたかったことを、ゼファーは尋ねた。
「それで、ゼノミオ様は、王都に攻め上るのですね?」
「ああ」
ゼノミオは、力強く答えた。迷いは一欠片も見つけることが出来ない。
ゼファーは優雅に笑う。心からの笑いだった。
(ゼノミオは…、飛竜の下で刀礼を受けたことで、自らを神の使者と任じたようね……。フフ…偶然だけれども…喜ばしいことになった)
神に命じられたと信ずる者ほど、無茶をして顧みぬ者も居ない。
自分の行いは神に許されていると思うからこそ、どんな悪辣なことも出来るのである。
もともと飛竜は、ゼファーが呼び寄せたものだ。
それを、この騎士は愚かにも、神の御業だとみなしたのだ。
今後、ゼファーの見えざる糸によって、いかようにもゼノミオを操ることが出来るだろう。
(…他人が、自らの掌の上で踊る心地よさよ。……このゼノミオを使って、王都を陥落せしめ、廟所にある遺物を、そして『銀色の髪の乙女』を手に入れれば…私の望みは叶う…)
内心に全く違うものを抱えながら、騎士団長と死霊術師の夜は更けていった。




