29話『竜下の刀礼』・下
PCの復元を行ってみたら、ブラウザが開かなくなって焦りました。システムファイルチェッカーとか、いろいろ試していますが、未だ安定しません。
次回、ひとまず最終回です。
アゲネは歯ぎしりした。
ゼノミオ派の騎士が、こうやすやすと入って来たということは、この城館が、ほとんど敵の手に落ちたということだ。
ゼファーに時間をかけすぎたばかりに、アゲネは、本命たるゼノミオに自由に動ける時間を与えてしまっていた。
あるいは、このゼファーが、囮の役を果たしたのかも知れぬ。
ゼノミオがそれを指示していたのだとすれば、見事な成長ぶりだと認めざるをえない。
「どら息子め…」
アゲネもまた、鞘から剣を抜く。
「ゼノミオ! お前に父が殺せるか? 不心得者が! 増上慢も甚だしいわ!!」
いきりたったアゲネの言葉だったが…。
「ああ。殺す」
ゼノミオの返答は冷淡であった。
「もはや、貴様を殺すことに何の躊躇いもない。人を人とも思わぬ人非人に与える慈悲はない。我が母と妹、吾にした悪行の報いを、我が『大だんびら』によって、受けよ」
言葉は静かであったが、その端々に獰猛が宿っていた。
そして、ゼノミオは静かに剣を構える。
アゲネは口を開いたが、とっさに言葉を返すことが出来なかった。
ゼノミオは畳み掛けた。
「もはや、問答無益。 アゲネよ、剣を構えよ! 決闘だ! 騎士らよ、お前たちが証人だ!」
ゼノミオの胸中には、負けるという考えはない。否、勝ち負けの問題では無いのだ。
「そうせねばならない」という使命感に駆られてのものである。
戦争の中の一片の戦いとするには、アゲネとの間には因縁がありすぎた。名誉と正義の為に、決闘という形式が、どうしても必要だったのだ。
***
騎士の剣は、基本的に両手持ちである。ミスリルで総身を隙無く鎧っているために、わざわざ盾で防御する必要がないからだ。
今、アゲネの武器は、一般的な長剣であり、ゼノミオは、自ら『大だんびら』と呼ぶ幅広の大剣である。
互いに剣を正眼に構える。
騎士同士の戦いは、闘気の乗った重い一撃を、いかに当てるかに尽きる。
冒険者は、騎士の鎧の隙間を狙うこともするが、騎士にとっては、それは恥ずべき事とされた。
騎士の本懐は、重厚な一撃にあった。また、そうでなければ倒せぬ魔物も多いのだ。
ゼノミオは、鍔元の手を支点にしつつ、上段斬りをふるう。
ゼノミオの上段斬りを、同じく上段切りで弾き返し、アゲネは持ち手を返して、裏刃でゼノミオの頭部に斬りつける。
ゼノミオは体を開き、アゲネの裏刃に、『大だんびら』の表刃を当てていなす。
父子は二合、三合と斬りむすびつつ、体を入れ替えていく。
互いに、息をもつかせぬ攻防を繰り返していた。
騎士たちは、謁見の間の壁際に下がり、二人の戦いを見つめている。
決闘、それも父子の決闘である。余人が手を出せぬ凄みがあった。
先程まで、騎士に攻撃されていたゼファーも、一息をつくことが出来た。《不壊の防壁》を解除し、金貨二枚もする『魔力の源』を嚥下して、精神力を回復させる。
ゼファーの見たところ、やはり騎士としての力量は、ゼノミオが上のようだ。
ゼノミオは、攻防一体の斬撃と突きを繰り出しているが、アゲネはもっぱら防戦一方である。
白兵戦には無知であるゼファーが見てもそうなのだから、当人たちにとっては、それは頑然たる事実であるに違いない。
「ぐっ」
金属が当たる硬質な音に混じって、うめき声が聞こえた。
アゲネの顔に、脂汗と冷や汗が流れ落ちていく。剣こそ、取り落とさなかったものの、小手を打たれていた。
痛みをこらえて、アゲネは後ろに飛び退り、謁見の間の一段高くなった場所で、剣を構える。
ミスリルの篭手のおかげで、手首は斬られていない。
だが、長い間、この長剣を握ってはいられぬだろう。
ゼノミオは強敵であった。騎士団長を務めるほどの男であるし、厳しい訓練をずっと自分に課してきただけのことはある。
アゲネは心を決めた。闘気をみなぎらせて、剣を上段に構える。
対するゼノミオは、正眼に構えた。
次の一連の攻撃で、最後の決着がつくであろう。
闘気の充実によって、両者にはそれがわかった。互いに構えたまま、言葉を発することもない。
騎士たちが固唾を呑んで見守る中、飛竜が吠えて静寂を破った。
それが契機となった。
一瞬をついて、ゼノミオが猛然と斬りかかる。
アゲネは一歩下がって、ゼノミオの剣を避けつつ、上段に振りかぶった剣を打ち下ろさんとした。
しかし。
それこそが、ゼノミオの罠だった。
アゲネの闘気を乗せた必殺の一撃は、ゼノミオの剣によって阻まれた。
わざと隙を見せてアゲネの上段斬りを誘い、ゼノミオは身を沈めつつ、剣を切り返したのである。
両者の剣が火花を散らしたとき、アゲネは見た。兜の隙間から、ゼノミオの両眼が殺意に燃えているのを。
アゲネは呻きとともに、ゼノミオの剣を押しのけようと力を込める。
その刃に剣身をすべらせて、ゼノミオは、渾身の突きを放った!
鈍い音とともに、アゲネの長剣が床に投げ出され、彼の喉元が『大だんびら』によって、貫かれる。
血しぶきが、あたりを赤く染める。
アゲネの血が鍔にまで滴ったのち、ゼノミオは体を起こした。そして、剣を振って、アゲネの死体から、『大だんびら』を抜き払う。
かろうじて、体にへばり残っていたアゲネの首が、音を立てて床に落ちる。
アゲネは死んだ。
「オオオオオオオ!」
ゼノミオは吠えた。父を殺し、正義を行った。その渦巻く感情を、雄叫びによって、発散させたのだ。
……騎士クォルバンが頭を垂れ、臣下の礼をとったのが、始まりだった。
ゼノミオ派、アゲネ派を問わず、騎士達が次々と膝をついてゆく。
両派を越えて、アイヴィゴース騎士団は、ゼノミオを主君として戴いたのである。
ゼノミオは、その様子をただ見守った。
騎士達が一様に跪く中で、同じように膝をつきながらも、こちらを見つめる者がひとり居る。
「ゼファー…」
魔術師ゼファー・エンデッドリッチが、ゼノミオを見つめ返した。
「ゼノミオ・アイヴィーゴース騎士伯さま。この城館に、ミンヘル・トロウグリフ殿下が囚われております。お救いあれ」
「……分かった。案内せよ」
謁見の間を出ると、争いは粗方終結していた。
ワイバーンが暴れまわったせいもある。
今は地に寝そべっているが、一度立ち上がれば、城館の二階に達するであろう巨体である。
中庭にて、おとなしくしているのが不気味なほどだ。
しかし、ゼノミオは回廊を歩きながらも、飛竜を気にした様子がない。後ろをついてくる騎士達は、その豪胆さに畏敬の念を覚えている。
***
ミンヘル・トロウグリフは、剣を手に持っていた。
イチノセが、従卒を昏倒させた時に、残していったものである。
抜身の剣を眺めながら、どうしてイチノセがこれを残していったのか、囚われの王子は思いに沈んでいた。
聡いイチノセが、剣を忘れていったとは思えない。
余の護身のために、剣を残していったのか、それとも、道を拓くために残していったのか。
(いや…。この剣の使い道は、余次第ということか…)
刃の煌めきを見つめていると、イチノセの灰色の瞳を思い出す。時々、刃のように鋼色に輝くあの瞳を。
二重の扉を開ける音がして、多数の人間が入ってきた。ゼノミオとゼファー、そして騎士達である。
ゼノミオがまず、平伏して言った。
「はじめて御意を得ます。ミンヘル・トロウグリフ殿下。吾は、ゼノミオ・アイヴィゴースと申す者。殿下を、虜囚の厄難から、お救い申し上げるために参りました」
「そうか」
ミンヘルは、抜身の剣を手にぶら下げたまま、答えた。
「それで、貴公は、余に何を望む?」
「王道楽土を、この国にもたらされますよう」
王族の前だけあって、ゼノミオとしては、言葉多く答える。
ミンヘルは抜身の剣を、再び見つめた。
(イチノセは、余に3つの道があると示した。傀儡の王族として安泰をえること。王族として、力をふるうこと。王族の名を捨てて、逃げ去ること…)
ミンヘルは、半ば導かれるように、剣を握り直した。
その白刃に反射して、一瞬、王家の飛竜の旗が映り込んだ。
そうして王子ミンヘルは、いささか唐突に、奇妙なことを一同に尋ねたのである。
「ワイバーンは、なぜ中庭にいる? そして、なぜ動かぬのだ?」
騎士達は答えられなかったが、一人だけ、うやうやしく頭を下げたものが居る。死霊術師ゼファーであった。
「飛竜は、紋章にも描かれた王家の象徴でございます。殿下を嘉したもうために、神が遣わされたのですわ」
ミンヘルが直言を許すと、ゼファーはそう明言した。
体の細い王子は納得したように、ひとつ頷くと、驚くべきことを言った。
「そうか。では、飛竜のもとに余を案内してくれ」
「わかりました。こちらへ」
ゼファーは即答したが、騎士達はざわめきたった。
確かにワイバーンは王家の象徴である。しかし、あくまで象徴であって、ワイバーン自体は、凶暴な魔物なのだ。
下手に近づいて、ミンヘル殿下が怪我したり、あるいは命を落としたりしては、とんでもないことになる。
実際は、ワイバーンはゼファーによって操られており、何の危険もない。
だが、そうとは夢にも思わぬ騎士達は、ゼファーの自信満々の言葉に不審を覚え、かつ、慌てたのだ。
一人の騎士が前に出て、恐る恐るといった様子で、進言した。
「あのワイバーンが、ミンヘル殿下を嘉したもうこと疑いありませぬ。しかしながら、神のご意志は、人の身には分かりかねるもの。『汝、神を試すなかれ』とも言いますゆえ……」
「神のご意志が分からぬのならば、余が、飛竜のもとに行く事こそ、神の望みしことやも知れぬ」
ミンヘルは剣を鞘に収めつつ、強い調子で騎士達に告げた。
「どちらにせよ、余は行く」
ミンヘル殿下の決意は固かった。騎士達をかき分け、部屋の外に出る。
騎士達は慌てたが、殿下の行く手を阻むことは不遜・不敬にあたる。にわかには、殿下を押しとどめられなかった。
「ゼノミオ様…」
「ならぬ」
なんとか殿下をお止めするようにと、騎士は言おうとしたのだが、ゼノミオは言下に拒絶した。
「真に、神が嘉したもうならば、いささかの危険もない。もし、そうでないならば、吾の行いが間違っていただけのこと。是非もない」
「しかし…」
「くどい」
ゼノミオが厳しい調子で言うと、騎士はそれ以上、何も言えなくなってしまった。
このとき、ミンヘルは、自らの意志で人生を歩むことの是非を、神の審判に委ねようとしていたのである。
飛竜によって、食われるなら、それまでのこと。もし食われぬのならば、自らの意志で生きよう。
王家の象徴たる飛竜が現れたのは、運命が導いたためであるように、ミンヘルには思われたのであった。
ミンヘル殿下が中庭に現れると、飛竜は目を開いて体を起こした。瘴気の如き臭い息が吐き出される。
恐怖の呻きが周囲から漏れた。
だが、ミンヘルは、恐れを知らぬ勇者のごとく、飛竜の前に歩み出た。
すると、どうであろう。
飛竜は頭を下げ、地面につけたのだ。敬うべき王族に対して、礼を尽くすかのごとくに。
ミンヘルが、その鼻先に手をおいても、飛竜は微動だにしなかった。
ゼノミオが呼ばわった。
「見よ! 飛竜はミンヘル・トロウグリフ殿下を嘉したもう!」
一瞬の沈黙の後、大きな歓声が上がった。
獰猛な飛竜が、王子に頭を垂れているのだ。
騎士が、そこに居た誰もが、この叙事詩的な光景に酔いしれた。聖印を握りしめ、祈りを捧げる者までいる。
誰しもが、この光景は歴史に残ると確信した。そして、その中に自らが居ることに、法悦すら感じたのだった。
やがて、歓声がやむと、ミンヘル王子は振り返った。
「ゼノミオよ。卿は、王道楽土を望むといったな。ならば、余に忠誠を誓うか」
「御意」
「そのために王都を攻めることも厭わぬか」
「御意」
ゼノミオは跪き、臣下の礼をとった。ミンヘルは、従卒から奪った抜身の剣を、この大きな男の肩に置く。
「神の名と律法において、汝ゼノミオ・アイヴィゴースを、余ミンヘル・トロウグリフが直臣として叙任する。騎士道を果たせ」
略式の刀礼であった。
ゼノミオは、さらに深く一礼を施した。
……後に、この出来事は『竜下の刀礼』として、吟遊詩人を介して、人々に広まることとなる。
そして、この叙事詩的儀式によって、ゼノミオは、ミンヘル・トロウグリフを直接の主君として戴くことになったのだった。
・決闘について
…決闘は、ある種、神聖視された行為である。その背後には、神は正しき者に勝利を与えるはずだという意識がある。
この時代、神が全てを見、全てを動かしているというのは『常識』であり、それが反映されているのだろう。
また決闘は、単なる私闘ではない。
正義を求めるための戦いであり、神に照覧され、人々に証立ててもらうべき特別な戦いだというのが、この時代における人々の意識であった。