29話『竜下の刀礼』・上
次回投稿は、9月5日を予定しています。
玄関前広間は、張り詰めた喧騒の只中にあった。
城壁は未だ堅牢であり、破られていないものの、ゼノミオの軍勢が港から侵入してきており、いつ、この城館に押し寄せるやも分からぬ。
今、広間の中央で指揮をとるアゲネの周囲には、忠誠厚い騎士ばかりが集まっていたが、その彼らの間には、どこか悲壮な諦観が漂っている。
アゲネにとって、この事態は不本意の極みであった。
覇道によって、中央半島を併呑し、王都に攻め上るはずが、その一歩目で挫折しつつある。
計算違いは、幾つもあった。
第一に、ゼノミオを罷免して丸裸にするつもりが、果たせなかったこと。
第二に、ゼノミオが自分に、公然と叛逆したこと。
第三に、おそらくヌアルドヴ家が、ゼノミオに全面協力し、軍船までも提供したこと。
その結果として、現在、攻め取ったはずの港湾都市フンボルトに閉じ込められ、陸と海から包囲攻撃を受けている。
(結局、我が息子ゼノミオが、すべての計算違いの元なのだ)
アゲネは、そう思わざるを得ぬ。
ゼノミオが騎士団を鍛え上げたからこそ、フンボルトを短期間で制圧できたが、それ以外は、すべてゼノミオが邪魔をしていた。
(親子ゆえ、手心を加えたのが良くなかった。あの軍勢は、ゼノミオ一人に従っているに過ぎぬ。ゼノミオさえ殺せば、あの軍勢は瓦解するだろう…)
今や、アゲネは、自らの長男であるゼノミオをいかに抹殺するかにのみ、心を砕いている。
だが、そこにあるのは怒りでも、屈辱でもなかった。
アゲネにあるのは強烈な目的意識のみである。
アゲネは、もともと外交によって栄達した人間である。感情や欲望によって、事を判断する愚かさをよく知っている。
アゲネが相手を、思う様に動かせたのも、相手の感情や希望的観測を煽って、そそのかしたからに他ならない。
フィクサーを自ら任ずるアゲネが、操った人間と同じ轍を踏むことはない。
それゆえ、魔術師ゼファー・エンデッドリッチが広間に現れ、面会を申し入れた時も、判断を曇らせることはなかった。
彼女はこう言ったのである。
「ゼノミオを打ち倒す秘策がございます」
続けて、ゼファーは、人払いをした上での話し合いを求めた。
「ここで話せぬことなのか。ゼファー殿」
「秘策ゆえ。余人に話しては、何かと憚られましょうに」
すなわち、公然と口には出せぬことを行うということであろう。
アゲネは、一瞬のうちに判断し、家宰であるミゲイラに目配せをした。
「あいわかった。ついてきてくれ」
***
「ところで」
アゲネは、魔術師ゼファーを案内する途上で立ち止まり、ゼファーに話しかけた。
「ゼファー女史が、私のところへ身を寄せたそもそもの件だが……」
「はい」
「『不死』について、これ以上隠すのはやめてもらいたい。魔術については門外漢なれど、空手形を信じて、金を出すわけにもいかぬのでな」
ゼファーは薄く笑った。
「そうですね。不死の素体たる『銀色の髪の乙女』が手に入ったからには、お話せねばなりませんね」
「知っていたのか?」
「私は、なんでも知っていますよ」
「ミンヘル殿下と同じ牢に入れ、見張りも限らせていたのだが、そうやって守ろうとした秘密も、ゼファー女史には、お見通しだったというわけか」
「ご心配なさらず。この事態が終われば、すべて説明させて頂きますわ」
「楽しみにしていよう」
そう言うと、アゲネは再び歩き始めた。
ゼファーは、心のうちで嘲笑した。もはや、アゲネに『不死』は必要なくなるだろう。
我が魔術で、命を奪うがゆえに。
人間の運命を、我が手に握っていると確信するとき、ゼファーは、いつも心に喜びを感じる。
それは、生死に限ったことではない。
種々様々な策を凝らして、ゼノミオの忠誠を手にした時も、ゼファーは内心に愉悦を感じていたし、父子に骨肉の争いをさせるように、仕向けられたことにも、昏い悦楽を感じていた。
他者の運命を操作し、支配することこそが、ゼファーにとって力を実感する無上の娯楽であったのだ。
アゲネが扉を開け、案内された部屋には、すでに家宰が居た。
普段から、謁見室として作られた部屋らしく、柱が規則正しく並び、壁にはタペストリーや紋章が飾られている。
家宰が頷く。
アゲネが振り返って、言った。
「それで、ゼファー殿。 ゼノミオを倒す秘策があるとのことだが、どうされるつもりなのだ?」
「『暗殺』です」
その言葉にアゲネは失望した表情を見せた。
「暗殺だと? 今更ではないか。密書にて、隙あらばゼノミオを暗殺せよと、すでに命じていたはず」
「いいえ。私が殺すのは…」
退出しようとしていた家宰ミゲイラの首が飛んだ。
血しぶきが舞い、首が落ちる。
「領主アゲネ閣下。あなたですわ」
***
一瞬のことだった。
家宰の首が飛んだ瞬間、アゲネは本能によってか、両腕で、顔を守っていた。
それと同時に、両腕に衝撃が走る。
おそらくは、《力場の刃》であろう。
ゼファーは不可視の刃にて、家宰とアゲネの首を一度に刎ねるつもりであったのだ。
戦時である。アゲネもまた兜こそかぶっていないが、ミスリルの鎧を全身にまとっていた。
それが、アゲネの命を救った。
ミスリルは魔法をいなし、損傷を半無効化する。
必殺の不可視の刃は、アゲネの体には傷一つ、つけることはなかった。
「出合え!」
アゲネは、鋭く叫ぶ。
いかな大声とはいえ、壁を隔てては、助けはそうそう来ぬはずであった。
だが、ゼファーの予想に反して、壁のタペストリーが翻され、中から騎士の一団が、完全武装して現れた。
十人はいるであろう。
その半数がアゲネの四方を固め、残りの半数がゼファーに剣を向けた。
「不肖の息子のために用意した仕掛けだが、そうそうに役立ってくれたな! ゼファー! 貴様が寝返る可能性を考えずにいたと思ったか! 雌狐め! やれ!!」
形勢を逆転させたアゲネは、感情にまかせて号令した。
無数にも思える剣が、ゼファーに向かう。
一瞬にして、苦境に立たされたゼファーは、なりふりを構っていられなかった。魔法具から、魔法陣が光る。
《不壊の防壁》
物理攻撃の一切を排除する無敵の結界が、騎士たちの剣を弾く。
「《不壊の防壁》か。第七位階の魔術を使えるほどの凄腕とは思わなかったぞ」
意外と言うべきか、アゲネは魔術に造詣が深いことを示した。また、これは、講釈を述べるだけの余裕ができたことも意味している。
(…不味い)
反面、ゼファーには、余裕が無い。
《不壊の防壁》は、物理攻撃を一切通さないが、魔力の消費が激しい。達人魔術師たるゼファーも、長時間の維持はできぬ。
先だって、精神力を回復する魔法薬を飲んではいるものの、騎士に取り囲まれた現状では、死罪を待つ囚人以外の何者でもない。
ゼファーは、屈辱に顔をしかめた。
(《不壊の防壁》は、物理攻撃は通さないが、魔術は通す。……隙を突いて、《力場の刃》で、アゲネの首を落とす。それしかない…!)
それは、まさに一縷の望みでしかなかった。
アゲネは顔を晒しているとはいえ、周囲を騎士に守らせている。
さらには、《力場の刃》は、術者にとっても不可視の刃であるため、あまり遠くの的に当てることはできない。
そして、アゲネは魔術について無知でないことを示した。こちらに不用意に近づくことはないであろう。
(こんなところで…!)
内心の焦りに身を焦がされながら、ゼファーは、すくめていた体を傲然と起こした。
そして、斬りつける騎士たちを睥睨する。
騎士たちは、魔法の防壁に弾かれるのも構わず、剣を振るい続けている。
ゼファーにとって、世界は軽蔑すべきものである。たとえ、苦境におちいったとて、意に反して、低く見られるのは我慢がならなかった。
才色を兼備する神霊のごとき自分が、このようなところで死ぬはずもない。
「歴々の騎士たちが、無様にも、無益なことをしているとは思いませぬか、アゲネ卿」
ゼファーはそう切り出した。
「そうは思わぬ。《不壊の防壁》とて、斬りつけられればそれを補うために、魔力を使うであろう? お前の心が折れるまで、我らは何度も斬りつけるぞ」
アゲネは動揺した様子もない。
「私を、並の魔術師と勘違いしているようで」
ゼファーは冷笑していった。半分は虚勢である。
「それに、アゲネ様。騎士に守られなければ、私と相対することも出来ぬというのは、アイヴィゴース家の当主として、あまりに情けなくはございませんか」
「わかりやすい讒言を吐くな。お前がどうあがこうとも、事態は覆せぬ。おとなしく死ね」
「事態が覆せぬのは、アゲネ様でございましょうに。今や、実の息子によって、フンボルトに押し込められ、故国テルモットにも戻れぬ有り様。それどころか、海からの奇襲により、アゲネ様を殺そうとするゼノミオ様が、迫っておりますよ」
ゼファーは素早く、自分を囲む騎士たちを眺めた。
面頬が降り、表情はわからないが、動揺した様子はないようだった。
(さすがに、近侍の騎士ともなれば、忠誠心に厚い)
「それがどうした。勝つ算段はすでに整えておるわ」
「しかし、義はありませぬ。 流浪の王子を監禁し、それをもって覇を唱えんとするアゲネは、逆賊でしょう」
ゼファーは矢継ぎ早に、言葉を発した。ともかくも、彼ら騎士達に聞かせねばならない。
「私が、ただ一人で、アゲネを誅しようとするは、まさに我欲をもって、ミンヘル殿下を籠絡せんとする『君側の奸』を止めんがため。騎士のお歴々にも、申し上げます。果たして、全てを知って、アゲネに忠誠を誓っておいでか!」
ゼファーの言葉は熱を帯びはじめた。
そして、現在のところ、ミンヘル殿下を知っているのは、ごく少数に留まっていた。
アゲネが公表しなかったのは、王都に居る領主連合派とも、二つの騎士団を抱える公爵領とも、現段階では事を荒立てたくなかったからである。
ゆえにこそ、王家の三頭飛竜の旗を掲げるだけに留めていたのだ。
ゼファーはそこをついたのである。
そして、確かに、騎士の剣は動きを鈍らせた。
近侍の騎士たちは、主君に選ばれたのだという強烈な特権意識がある。また、その特権意識があるからこそ、強い忠誠心をもっているのである。
なのに今、流浪の魔術師ですらも知っていることを、自分たちが知らされていないとはどういうことか。
その動揺が、騎士をして、剣を鈍らせたのであった。
「アゲネは逆賊なり! いつまで、嘘を突き通すつもりか? ミンヘル・トロウグリフ殿下を監禁していることを!!」
ゼファーは決めつけた。
こうまで言われては、アゲネも反論せざるを得ない。
「ミンヘル殿下を保護しているのは、確かだ。殿下は微妙な立場ゆえに、隠していただけのこと。我欲によってではない。惑わされるな!」
「いいえ! このフンボルトを包囲される苦境に陥っていることこそが、アゲネが公正無私ならざる証! それこそ、天の罰なり! 神のご意志は、王家を蔑ろ(ないがし)ろにせんとするアゲネを許さず!! 見よ、そして聞け!」
甲冑の群に守られてのアゲネの発言に対し、一人で力強く立つゼファーの言葉は、人を惹きつけるものがあった。
そして、そればかりではない。
「クギャアアアアア!」
ゼファーの言葉が終わると同時に、怪鳥音とでもいうべき、奇怪な鳴き声がしたのである。
「飛竜だ!」
騎士の一人が叫んだ。鳴き声は、ワイバーンのものだった。
そして、ゼファーの声は、いよいよ力強く騎士たちに響いた。
「このワイバーンこそが、証なり! 神が、王家の象徴たるワイバーンを遣わしたのだ。 今こそ、神に帰依せよ!! 神に仇なす者を討て!」
この時代、この国において、神の存在は信じるものではない。
神は信仰ではなく、常識であったのだ。神こそが、全てを形作り、全てを動かしていたのである。
それを疑うことすら、ほとんどの者はしない。騎士も含めて。
現代の常識では考えられぬほどに、この時代の人間は、迷信深かった。
そして、飛竜は王旗にもある『王家の象徴』である。
身分制の社会においては、「分を知る」事こそが最上級の美徳とされる。下克上こそ、忌むべきものであった。
すなわちゼファーは、下克上という大罪を犯すアゲネに、神の裁きがあると、言ったのだ。
これこそが、ゼファーの切り札であった。
ゼファーは、密かに持っていたワイバーンを操る術を、ここで使ったのである。
「……!」
動揺が、騎士の間に走った。
騎士だからこそ、神の裁きは恐ろしい。
ワイバーンの怪鳥音の後には、戦闘音が聞こえる。ワイバーンと外の騎士たちが戦っているのだろう。
アゲネが号令する。
「フーザ卿! 様子を見てこい!」
フーザと呼ばれた騎士が、アゲネの元を離れ、扉へ向かった。
直後、アゲネは声を張り上げた。騎士たちの動揺を沈めねばならぬ。
「騎士貴顕に告ぐ! この魔術師が正しいかどうか、フーザ卿に確認に行かせた。それまでは自らの勤めを果たせ!!」
「それには及ばん」
低い声が、扉から聞こえた。
騎士フーザが後退りする。
現れたのは、背が高く、肩は幅広く、がっちりと太い騎士であった。
幅広の大剣を持ち、兜にはバジリスクの飾りがある。ミスリルの大鎧には、アザミとバジリスクの紋章がある外套を羽織っている。
ゼノミオ・アイヴィゴースであった。
ゼノミオは、ちらりと騎士に取り囲まれたゼファーを見た。
「女一人に、騎士4人を囲ませるか。貴様らしい下衆ぶりだな。アゲネ」
「ほざけ。戦場に男女の区別があるか! ましてや裏切り者を殺すのに、手段は選ばん」
「裏切り者だと…?」
「知らなかったろう? この魔術師ゼファーは私に、協力していたのだよ。この女に何を吹きこまれたのかわからんが……お前も、また裏切られるぞ」
ゼファーは沈黙を保ち、ただ微笑みを浮かべるのみであった。
「そうか」
ゼノミオは『大だんびら』を抜き放った。
そして、ゼファーをちらりと見ただけで、再びアゲネに目を移す。
「それが真実だとて、ゼファーは、貴様の姦邪と悪行に愛想が尽きたに過ぎぬ。語るべきなにものも無い」
ゼノミオに遅れて、彼の味方の騎士たちが入ってきていた。




