28話『The Pretender』・下
投稿が2日ほど遅れました。申し訳ございません。
友人が急に遊びに来たので執筆の時間が取れなかったこと、またパソコンが頻繁に再起動を繰り返すようになって、安定しなかったことが原因です。
次回投稿は、9月3日木曜日を予定してます。ただ、パソコンの調子によっては、遅れるかもしれません……。
「師匠! それにルーシェン! どうしてここに!?」
引き上げられたイチノセは、信じられない思いで師匠を見つめた。
戦争中の、しかも敵陣の奥深くにまで助けにきてくれるなど、誰が予測できるだろうか。
「ルーシェンの散歩に来たのよ。イチノセを助けたのは”ついで”ね」
事も無げに言ってのけて、いたずらっぽくイレーネは笑う。
「と、冗談を言っている場合じゃないわね。私も、見つかったら大変なことになるわ。とっとと逃げるわよ」
「わかりました。でも、その前に《加重》の魔術を。あいつ…ゼファーは、凄腕の魔術師らしいから、時間稼ぎに」
「分かったわ」
《巨人の怠惰な錘》の魔方陣が構築され、落とし戸の上蓋に重みがかかった。これで、あの達人魔術師といえども、すぐには開けられないだろう。
そして、イチノセを助け出した以上、ここにぐずぐずと居座る意味はない。
「ついてきて」
イチノセを促して、イレーネは駆け出していった。
その後ろ姿を追いかけながら、イチノセは一つの思いを胸に抱く。
(普通なら……、きっと私は見捨てられてた。領主の館の奥深くに閉じ込められ、周囲を騎士に取り囲まれ、戦争の真っ最中で……。助けない理由はいくらでも思いついたはず……それなのに)
(師匠は…イレーネは、助けに来てくれた)
思えば、私がイレーネを師匠と仰いだのは、打算でしか無かった。
師弟関係を結ぶことで、身寄りのないこの世界で生きるよすがを持ちたい。それだけだった。
けれど師匠は……いつでも、さりげなく私を助けてくれる。
一度は突っぱねられたけど、魔術の弟子にしてくれた。岩塩窟でも密かに私を庇ってくれていた。
そして今回も、そうだ。
(どうして助けてくれたのか訊いた時、師匠は冗談ではぐらかした。それは……きっと、恩に着せたくないから)
ようやく師匠の人となりを識れたように、イチノセは思う。
(上っ面だけの優しさじゃ、こんなことは出来ない。恩に着せるためでもない。……誰かのために力を尽くせる……本当の精神の強さが師匠にはあるんだ……)
胸中があたたかいもので満たされるのを、イチノセは確かに感じた。
通用口を抜けると、太陽の光が眼を刺した。
青空が見える屋外の物陰に移動して、イレーネはルーシェンを左手に、弟子を右手に抱えて、《飛翔の翼》で空へと飛び上がる。
「騎士が私達に気づかなかったみたいだけれど、どうしてです?」
飛行が安定した頃を見計らって、イチノセは尋ねた。
「《盲点》の魔術よ。一人一人に直接触れて、魔術を掛けなければならないんだけど、相手に不審に思われないようにすることができるの」
「それ知ってたら、もっと簡単に脱出できたのになぁ…。それじゃ、ルーシェンを連れてきたのは?」
「イチノセの匂いを追うためよ。牢の場所を探すつもりでしかなかったから、正直、これほど役に立つとは思わなかった。……まさか、すでに牢を抜け出しているとはね。予想してなかったわよ」
「あー。あれから色々あって…」
「ま、それは、おいおい話してもらうわ。…さすがに、一匹と一人を抱えてたら、長くは飛べないからね。一気に飛ばして、城壁を越えるわよ」
飛翔の翼を力強く羽ばたかせて、イレーネは飛ぶ。
眼下では軍勢が、激しく闘う姿が見える。港から侵入を許してしまったらしい。互いに争うのに忙しいのか、天空にいる私たちには、誰も注意を払っていないようだ。
二人と一匹は、一気に上昇し、そして滑空する。しばらく一行は無言だったが、ふとイレーネが口を開いた。
「ねぇ、イチノセ。私は、あなたに、話しておくべきことがあるの」
イレーネの腕の中で、イチノセが身じろぎした。
「私ね…。ちょっと人とは違う恋愛感情があって…」
「うん」
「ありていに言うと、私は女の子が好きなの」
意外とすんなり言葉が出せたと、イレーネは思う。
「そうなんですか」
「なんだか、淡白ね」
「そんなことないですよ。ちょっと、想像していただけです。アゲネに肌を触られることを想像したら、鳥肌が立ったけど…。師匠になら、触られても別に、悪い気はしないなって思って」
「それって…。いや、誤解しているかもしれないけれど……、あなたの事が好きってわけじゃあないのよ。私はもう、恋愛をするつもりはないし…」
「…あぁ」
イチノセは、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「でも、そういう前振りで、愛の告白をされるのかと…や。なんというか……思い上がってたみたい…です」
顔が熱くなるのがわかった。
ジーフリクに、リェンホーに、アゲネ、それに山賊もそうだろうか。自分を求めてきた人間が、この数ヶ月でぽこぽこ出て来たせいで、自分がモテると思い上がっていたらしい。
それはそうと、イチノセには閃くことがあった。
「そっか、それで失恋して、師匠は『魔女の庵』に引きこもってたんですね」
「…あなたは、本当に、時々、無駄に聡いわね」
しばらく滑空した後、イレーネ達は、フンボルトの街の近くにある森と平原の境目に降り立った。
「ここなら、視界も開けているし、いざとなれば森に逃げ込めるでしょう。それに、ルーシェンもあたりを警戒してくれるわ」
イレーネがそう説明をした。
日は中天を過ぎている。
雲がゆったりと流れ、秋の心地よい風が、身を撫でる。なだらかな起伏に合わせて、コスモスの花畑が広がり、風に揺れて波打っている。木々が黄色く、あるいは赤く紅葉していた。
世界は美しかった。
戦争が起きているというのに、あるいは、それにも関わらず。
イレーネに言われて、イチノセは従卒の軍装を脱ぐ。
《力場の刃》によって、つけられた切り傷を癒やすためだ。イレーネが手早く消毒し、薬をつけ、《治癒の掌》を当てる。
イチノセは、どこか放心したように、その光景を見つめていた。明るく烟るイレーネの金髪が揺れている。
この一日に限っても、事が多すぎ、緊張を強いられ続けていた。今、ようやく、安心できる場所に戻れた気がする。
「ねぇ、師匠」
腕の治療をしてくれているイレーネに、イチノセは呼びかけた。
「師匠と一緒じゃない間に、いろんなことがありましたよ」
「そう…」
「この世界での、私の名前は『ジーネ』なんだそうです。悪い魔術師に、何かをされたらしくて、ジーネの記憶が無いのは、そのせいなんです。私が狙われていたのは情婦としてではなく、魔術師ゼファーにとって、『不死』のために必要なんだそうです。異世界の私が、ジーネの身体を乗っ取ったのか、あるいは融合したのか…」
言葉が堰を切ったように、溢れ出していた。
抑えてきた感情が、緊張が解けたことで一気に噴き出したのだ。
「…ちょっと待って、イチノセ。……辛いの?」
「そう…ですね。『辛かった』です。今は大丈夫。あと1時間もしたら、元に戻りますから…」
安心させるためだろう、イチノセは無理に作った笑顔を見せた。
「……あのね」
イチノセの手をとって、イレーネは真剣な眼差しで、彼女の灰色の瞳を覗きこんだ。
「辛いのなら、私を頼ってくれていいのよ、イチノセ。あなたは私の弟子なんだから」
言ってしまってから、イレーネは後悔する。なにせ、女性が好きだと公言したばかりなのだ。
他意はないのだが、これも違う意味に捉えられるかもしれない。
……だが、それは杞憂であったらしい。イチノセは、今度は、自然な微笑みを浮かべてくれた。
そして、イチノセもまた、自分の手をイレーネの手に重ねる。
「秘密を話してくれて、ありがとう。師匠。…信用してくれて嬉しかった。それに、助けてくれたことも、頼っていいと言ってくれたことも、今までのことも全部、全部……本当に…ありがとう……」
そして、銀髪の少女は意を決して、切り出した。
「頼ってもいいなら、ひとつだけ、お願いしてもいいですか…?」
「なぁに?」
「名前、つけてくれませんか? あの…ジーネという名前は、ゼファーにバレてるし…、早晩イチノセという苗字も、分かってしまうでしょうし…」
心臓が高鳴るのが、分かった。
イチノセにとって、”名前”は特別な意味を持つものなのだ。
多くのものを与えてくれた義父母が、唯一くれなかったもの。
「本当は……師匠に名前をつけて欲しいだけなんです。私…イチノセを育ててくれた両親は、姓はくれたんですけど、名前は変えさせてくれませんでした。それに、ジーネという名前は、『私』になる前のものですし…。だから、私だけの名前を、つけてくれたら、嬉しい…ん…ですけど……」
声は、だんだんと小さくなっていった。
イレーネが言う。
「まぁ、そうね…。師匠が、弟子に苗字を与えることはよくあるし、名前を授けてもいいわ。だけど…条件があるの」
「なんですか?」
「あなたの名前よ。恥ずかしいとか言って、まだ教えてくれてないじゃない。……それを教えて。その名前と引き換えでいいわ」
「あ…、じゃあ、耳打ちで」
「どうして、そんなに恥ずかしがるの…?」
苦笑している師匠に、イチノセは頬を赤らめながら、自分の名前を耳元でささやいた。
聞きなれない名前だし、どういう意味で恥ずかしいのかよく分からない。
そうイレーネが言うと、「まぁ、そうなんですけど…」とイチノセは口ごもった。
治療を一通り終わらせた後で…イレーネは、ひとつ咳払いをして、言った。
「あなたの名前…ずっと考えていたんだけれど、月の光のように輝く銀色の髪があるし、あの世から来たなんて言っているし……、『銀色の月明かり』を意味する『ミーシャス』がいいと思うわ。ミーシャス・ジーネ・イチノセ。どう?」
「ミーシャス・ジーネ・イチノセ…」
イチノセは、自分の名前を口の中で唱えてみた。
まるで新品の服に初めて袖を通した時のような、心躍る響きがあった。
「いいです、とても。これからは、ミーシャスと呼んでください」
「そうね。他の名前がバレているなら、危険だしね…。それと、愛称は"ミーシャ”よ。だから、私もミーシャと呼ぶわ。それでいい?」
「ええ。もちろんです」
ミーシャは笑った。
「じゃあ、イチノセ…じゃなくて、ミーシャ。レイミアとアマロを迎えに行きましょうか」
・魔術の威力について
…魔術の威力は、基本的に魔力に依存する。魔力を多くつぎ込むほど、同じ魔術でも強力なものになり得る。
その魔力を生み出すのは、精神の強さである。
何かに立ち向かい、成し遂げようとする強い意志が魔力を生むのだ。逃げ出そうとする臆病な心では、魔力は生まれない。
優れた魔術師は、皆、精神の強さを継続して持ち続ける資質を有している。




