28話『The Pretender』・上
Windows 10 のアップグレードに手間取ってしまい、投稿が一日ほど遅れました。
今のところ、Windows 10 の使い心地はかなりよくて、オススメです。
イチノセは、《理力のラングレッジ》によって、ゼファーを吹き飛ばし、その倒れた一瞬の隙をついて、逃げ出していた。
(《理力》の魔法陣は、すぐに描けるけど威力は弱い。しかし、ミスリルの短剣がない状態だと、理力くらいしか描ける時間がない。ここは『逃げるに如かず』…)
ゼファーは派手に吹っ飛んだが、実のところ、ほとんどダメージはない。なぜなら、力が一点集中ではなく、面で均等に掛かったからである。
力を込めずともナイフで突き刺せば、怪我をさせることができるが、全身の力をこめても体当たりでは、吹っ飛びはしてもダメージがないのと、同じ理屈である。
(しかし、ここで逃げまわっても、すぐにアゲネの騎士たちに見つかってしまう…。あのゼファーという女魔術師も、後を追ってくるに違いない……。どうする?)
ゼファーを吹き飛ばし、反対方向に逃げ出したイチノセは、ゼファーの視界から逃れるために、角を曲がり、身近にあった扉を開け、入り込んでいる。
正直なところ、あてずっぽうであったが、その部屋は礼拝堂であった。
領主の城館や居館には、このような礼拝堂が必ず設置されていて、城主の家族や家中騎士、召使たちの礼拝や儀式の間となっている。
ここの礼拝堂は、二階までの吹き抜けとなっていた。20人ほどが座れる椅子が並んでおり、上を見ると、高窓のステンドグラスから漏れた光が、礼拝堂を照らしていた。
(二階へ通じる扉と、入ってきた正面の扉、…それに、地下祭室の落とし戸)
さほど時間はないだろう。
イチノセは、手早く魔法陣を描き出した。
***
「やってくれたわ…」
ゼファーは、珍しく焦燥を顔に浮かべながら、独りごちた。
ゼファーは本来、この館の主アゲネを、抱えている秘密もろとも殺すために、ここに侵入している。
その時に偶然、不死の素体…ジーネと出会ったのだった。
予定外ではあったが、こうなれば、ジーネも捕まえておきたい。
実験は成功したらしく、ジーネの人格は失われているらしいが、いくつか気になるところもある。とにかくも、さんざんに調べたい。
とはいえ、こうしている間にも、ゼノミオの軍勢が上陸して、この城館を攻めるだろう。
(ゼノミオがやってくる前に、ジーネを捕まえ、アゲネと家宰を殺す……時間に余裕が全くないわね)
そう思いながらも、すでにゼファーは駆け出している。
イチノセが消えた角を曲がり、あたりを見回すが、その姿は見当たらなかった。
だが、さほど時間は立っていない…。角を曲がってすぐの部屋に逃げ込んだのは間違いだろう。
ゼファーが扉を開けると、そこは礼拝堂であった。ステンドグラスが荘厳な雰囲気を演出している。
獲物はどこか。
探るより前に、扉を閉める音が上から聞こえた。
「二階か!」
ゼファーは階段を駆け上り、扉に手をかけようとしたところで、気づいた。
「なるほど……接触で発動する《炎の罠》ね…。タイミングよく、扉が閉まったと思ったら、罠を仕掛けていたとは……罠にかかればよし、そうでなくとも、罠を解除している間に逃げられるということか…」
ゼファーは、魔法陣に、魔術文字を追記して罠を無効化する。
魔法陣は魔術文字で構成されており、そこには一種の論理性が必要とされる。つまり、論理的に破綻する文字を書き込めば、魔法陣は無力化されるのだ。
「……」
ゼファーは魔法陣を無効化したが、考えこむような表情をみせ、扉をすぐには開けなかった。
***
がこり、と重い音が開いて、落とし戸が開いた。
地下祭室の淀んだ闇が、やにわに切り開かれ、あたりの物の形がはっきりとしだす。
地下祭室とは、すなわち、地下にある墓地のことである。
石造りの棺が、拱廊の合間に安置され、壁には、色あせたフレスコ画が描かれていた。
ゼファーが見下ろすと、わだかまる闇の隅に従卒の帽子があった。
《理力のクォーレル》
光の衝撃が従卒の帽子を打った。
「くだらない詐術はやめなさい。帽子を立てかけて、そこにいるように見せかけるなんて、子供の隠れんぼじゃあるまいし」
はっきりと一方向を見て、言った。
落とし戸が開かれたとはいえ、地下祭室は暗い。それでも、イチノセを見つめて視線をぶらさないのは、《生命の眼》を使っているからだろう。
ゼファーは、地下祭室に降り立つ。
落とし戸からの光が、ゼファーを明らかにしていた。
「けれど、扉の詐術は見事だったわ。一階の扉を開けると同時に、二階の扉が閉まるように《念動》の魔術を設置し、さらに《炎の罠》も仕掛けることで、その魔力振動の不自然さを隠す……」
ゼファーはそう論評しつつも、心中では、また別のことを考えている。
(しかし、詐術以上に見事なのは、魔法陣の構成。《念動》を、あのように使いこなすには、魔法陣の理解が必要不可欠。 ジーネには、魔術は何も教えていない…! つまり、あの魔術の腕は、移植した魂のもの…逃しては禍根を残す…ここで必ず捕まえなければ!)
「けれど、《念動》を使ったということは、そこにいるように、見せかけたかったということ。つまり、真実はその逆! あなたは出て行ったのではなく、隠れていた……そうでしょう?」
「……」
イチノセの返答はない。だが、かまわずに、ゼファーは続けた。
「この地下祭室を出るには、私の居るここから梯子を、昇るしかないわ…。わかるわよね? 私はすでに《マナの反射》を展開している…。もう、あなたに逃げ道はない」
「……私を、どうするつもりなんだ?」
暗がりから声があった。
「あなたは、私の弟子だったのよ。当然、保護するつもり……。
ふふふ……誤解しているようだけれど、私はあなたを傷つけるようなことは、なにもしないわ。その証拠に、私は今まで、あなたに魔術ひとつさえ撃ってはいない。…そうでしょう?」
ゼファーは暗がりに潜むイチノセにむけて、手を広げてみせた。自分が無害だと示すかのように。
「それに、あなたは魔術の腕で、ここまで生き延びてきたらしいけれど……これから、どうするつもり? 『ジーネ』には、故郷もあるし、両親もいるけれど、それは、あなたの故郷ではないし、両親でもないわ…。
寄る辺もなく、友も家族もなく、あなたは何を頼りに、生きていくつもり? ここから逃げられたって、追っ手がかかるのは間違いないのよ?」
「……」
イチノセは、答えられなかった。自分の魔術の腕ならば、この世界を生き延びていくことは可能だろう。そのくらいの自負はある。
しかし、自分は何のために生きるのだろうか。
かつての世界であれば、それなりの夢も希望もあった。育ててくれた義父母に、恩返しもしたかった。
だが、この世界に来て、期せずして師匠イレーネとも別れ、あらゆる絆からも柵からも解放されてみれば、ただただ呆然とするばかりだ。
一瞬、イレーネが助けに来てくれるかもしれないと、脳裏にひらめいたが、イチノセは頭を振って、妄想を振りほどく。
(領主に囚えられたとなれば、師匠も、私を助けようとはしないだろう…。もう縁は切れた。私は天涯孤独の身だ……)
イチノセはそう思ったが、むろん、そのような事は口に出せない。
弱みを見せれば、ゼファーはすかさず、そこを攻め立ててくるだろう。
「ジーネではないから頼る者はないと、言っておきながら、舌の根も乾かぬうちに、ジーネの師匠であるから保護するとは、二枚舌もすぎる。…小娘と侮るなよ!」
「まさか。私の救いの手に、泥が塗られているとでも疑っているの? 大丈夫よ。 ジーネがしてくれたように、身の回りのことや魔術の手伝いをしてくれればいいの。それに、あなたが望むなら、魔術を教えてもいいわ」
あくまでもゼファーは、甘やかな声で呼びかけてくる。
イチノセは、《光明》の魔法陣を組んだ。宙空に明かりが生まれ、イチノセの姿を浮かび上がらせる。
豊かな銀色の髪を、真珠の髪飾りによってまとめ、手には、武器の代わりとして、燭台を持っていた。腰にあるはずの剣は、置いてきてしまっている。
「その問いに答えるなら、この私の姿で十分だろう? ゼファー。お前は、ジーネを殺し、どうやってか、私の魂をジーネの体の中に入れた……。 そういう目に合わされて、なお、お前を信用できるとでも?」
少女の灰色の瞳が爛々と輝き、鋼の刃の如き煌きを発している。
ゼファーの甘やかな声の中に、欺瞞を感じ取ったのだ。
「欺瞞によって、私を謀れると思うな! お前が、『銀色の髪の乙女』を求めたのは、私を保護するためではなく『不死』を得るためだ! お前の真の望みを言え!」
女魔術師は、わずかに驚愕の形に顔を歪めた。『不死』について、私が知っていることに驚いたらしい。
「望み……。『望み』ね…。人は生きていく限り、望みを持つものだと思われているわ…。でも、実はそうじゃない。人は望みを持ちつつも、叶えられないと知れば、望むことすら肯んじなくなる。『望み』ではなく『諦め』が支配する…それがこの世の真実よ」
「……何の話だ?」
イチノセは、剣代わりの燭台を構えた。
従卒の剣は、ミンヘル殿下のところに置いている。ミンヘルの護身のために残しておいたからだが、今となっては心細い。
……ゼファーは少なくとも表面上は、燭台に目もくれていない。
「私の『望み』の話よ。私は、人々の『諦め』を『望み』に変えたい。そして、望みを生み出すために、私は魔術を選んだ…。あなたも、そのための一つよ」
「それが『不死』……?」
「そうよ。人類の夢だわ。人は死の定めから逃れられないと、皆が思っている…あげく、死があるからこそ生が輝くのだと、嘯いてみたりする。
けれど…死を超越できれば、人は知識と経験を高め、より強くなることができるわ。この世の喜びを永遠に感じることができるし、人の命の価値が高まれば、皆は他人の命を大切に想うようになる。それを拒むのは、愚かな道徳にすぎない」
「…そのために、『ジーネ』を犠牲にしたと?」
「…ひとつ、話をしましょうか。哀れな娼婦の話よ。その少女は、食うに困った親の手によって、色街に売られたわ。それでも、その娘は必死に働き、一番の高級娼婦となった。そして、それで稼いだお金を、売られた両親にせっせと送り続けたのよ。……あげく、娼婦は梅毒にかかり、親もとに返されることになった…そして、どうなったと思う?」
沈黙がおりた。
この私に、答えよということなのか。
「……邪険にされた?」
「いいえ。もっと酷い。娼婦が金をせっせと送り続けたおかげで、親も兄弟姉妹も、暮らしぶりが良くなったのに、彼女を家に入れなかったのよ。娼婦という『穢れた仕事』をした人間は、家に入れるにはふさわしくない。梅毒を患った娼婦ならば、なおさらのことだと言って」
イチノセは、この黒髪の魔術師の話に、知らず引きこまれていた。
あるいは、気圧されていたのかもしれない。
「私が許しがたいのは、その運命を娼婦が受け入れてしまったことよ。その娼婦は言っていたわ。『報われるために、したことじゃないから』。しかし、それが『善』だというのなら、私は『善』を憎む」
ゼファーの指に魔術光が灯る。
「この国の人間は、自分を省みること無く、因習と律法の中でのみ生き、その埒外には目をつぶり、口を噤み、関心すら寄せない。
親が子を売るのは、仕方のないこと。子が親に尽くすのは当然のこと。娼婦を卑しむのも道理。
その枠から一歩もはみ出さず、自らを省みることもせず、娘がどれほどの犠牲を払ったのか一顧だにしない。
だからこそ、家族は、ただ、娘を卑しみ蔑むことができた。感謝することも、再会を喜ぶこともせずに。そして、娼婦は、それを仕方のない事として、『諦めた』」
「……」
「私の『望み』はね。娼婦の娘も、娼婦を食い物にしていた家族も、ともに滅ぼすことよ…。そのためには、力と時間が必要なの。すなわち、『不死』が。あなたは、食い物にされる娼婦かしら? 食い物にする家族かしら? それとも……」
言いつつ、ゼファーは魔力を動かした。
《力場の刃》
不可視の刃が、イチノセを切り刻む。
イチノセは飛び退ったが、間に合わなかった。
「あなたを殺すつもりはないわ…。大切な『素体』だからね…。でも、行動不能にはさせてもらう。さぁ、そろそろ決着をつけましょうか?」
イチノセは、奥の闇へと逃れた。
地下祭室には、祭壇もあるが、その主役は石棺である。石造りの棺の影に身を潜める。
(最初に《力場の刃》を使ったのは、血を流させるためか…。血は、まさに『血の気を引かせる』効果がある。自分が攻撃される恐怖を呼び起こし、本能的に、身体をすくませられる…。こいつ…手馴れている……)
靴が石床を叩く。
血痕を追ったのか。あるいは《生命の眼》で見ているのか。ゼファーが、こちらに近づいてきていた。
イチノセは、隠れながら、魔法陣を描いた。
ミスリルの短剣もない現状では、魔法陣を描く速度は、ゼファーに適うべくもない。
イチノセは心を定めると、立ち上がり、ゼファーと対峙した。少女の手元には、《理力》の魔法陣が描かれている。
「ゼファー。私もまた、お前と同じようだ……。望みのためにならば、他人を押しのけてでも、自分の欲を満たそうとする…。私も結局のところ、お前と同類か…」
「それで? 私に捕まってくれるというの?」
「いいや、押しのけてやる! 光の飛沫を受けてみろ、ゼファー!!」
イチノセは《理力のラングレッジ》を発動させた。
ただし。
自分に向かって。
あろうことか、自分の体を吹き飛ばしたのだ。その勢いのまま、ゼファーに向かって、燭台の切っ先を振りかぶる!
「その程度!」
ゼファーは、それを半身になって躱した。同時に、イチノセが体勢を崩したところを狙うべく、死霊術師はマナを励起させる。
地下祭室に大きな音がひびき、イチノセはバランスを崩して、倒れこんでしまった。
だが、いかなることだろうか。
イチノセは、吹き飛ばされた勢いのまま、体を滑らせ、ゼファーから離れていく。
「待て!」「イチノセ!」
二人の声が響いた。
ゼファーと…イレーネだった。
落とし戸から、伸ばされた腕、そして懐かしい師匠の顔が見えた。
「……ッ!!」
イチノセは必死に手を伸ばして、イレーネの腕を掴んだ。そして、一瞬の内に、引き上げられる。
信じられなかった。なぜ、助けに来たのか。どうして、ここが分かったのか。しかし、同時に奇妙な納得もあった。
師匠はいつも、私が大変なときに助けてくれる。
イレーネは、ゼファーに一瞥だけを投げかけ、すぐに落とし戸を閉めた。完全に暗闇に落ちる前に、ゼファーは《光明》の魔術を構築し、あたりを照らす。
そして、一つ息をついて、イチノセのいた場所にしゃがみこんで調べる。
(棺の石蓋に、《念動》をかけて浮かせていたのね……それで、滑るように移動できたというわけか…。 そこまで計算していたとは…見事だわ、『イチノセ』。後、二呼吸もすれば、私も味方を増やせたのに、残念ね…)
見れば、棺から這い出た死体達が、死に装束をつけたまま、ゼファーの周囲に侍り、拝跪していた。
・『救いの手に泥を塗る』
…ある寓話より生まれた成句。
川に落ちた人を助けるふりをして、その手に泥を塗って、手を滑らせ溺れさせた寓話から、表面上は助けるふりをして、じつは陥れようとしていることを指すこの世界での諺。




