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27話『城館にて』・下

 その頃、イチノセは、従卒の帽子の中に、目立つプラチナ・ブロンドの髪を隠し、出口を求めて、玄関前の広間に辿りついていた。

 しかし、正面玄関から逃げ出すことは、諦めるしかないだろう。


 というのも、アゲネがその広間に陣取って、軍使に指令を出したり、報告を聞いたりしているのだ。

 しかも、どうやら侍衛の騎士たちを集めて、バリケードを設置しようとしているようなのである。

 騎士たちの会話を盗み聞いたところによると、港の船が焼かれ、そこからゼノミオの軍勢が来襲しつつあるということだ。


 アゲネは落ち着いた声音で、積極的には戦わず、守りに徹し、ここまでゼノミオを案内せよと命じている。


(…どういうことだろう? 降伏するのか? ……まぁ、私には関係のないことか)


 今は、逃げ去る方法を考えなければならない。ここは無理でも、勝手口や裏口がどこかにあるだろう。

 通りがかったように見せかけて、足早に歩き、反対側の扉を開けて、広間から離れる。


(多少、目立っても、《飛翔の翼》で空を飛んで逃げるべきか……)


 そのように考えながら、廊下を歩いていると、呼び止める声があった。

 女性の涼やかな声であった。


「そこの従卒。家宰を呼んできてもらえる?」


 背後から聞こえたその声は…決して気味の悪いしゃがれ声でも、いきりたった怒号でもなかった。

 単に、呼び止めた。ただ、それだけの声だった。

 それなのに、イチノセの肌は粟立ち、じっとりと嫌な汗が滲み出ていく。


(……私は、この女を知っている! 聞き覚えはないが、自分の『魂』が、この女を覚えている!)


 魂による直観があった。

 この『師匠』と、私の間にはおぞましい過去がある。

 師匠とは、『霧の魔女』イレーネのことではない。アゲネより言われた、記憶に無い『過去の師匠』のことである。


 瞬間、イチノセの心に去来したのは、逃げ出すことであった。

 恐怖のままに、逃げ出せれば、どれほど楽だったろうか。


(だが、逃げ出すことはできない! 逃げ出せば、それは『恐怖』に屈したことになる! そうなれば、死ぬまで後悔する……)


 イチノセは、ゆっくり振り返り、言った。


「お前は…何者なんだ…? 私の……?」


 振り返ってみたものは、黒髪を複雑に結い上げ、灰色のローブをまとった女性であった。

 その女性は、一瞬驚いたように目を見張ったが、すぐに笑いかけた。

 あまりにも、作り物めいた笑顔であった。


「ああ、そんなところにいたの。私の可愛い弟子…どうしたの……何をそんなに怯えているの?」


 まるで、怖い夢を見た子供をあやすかのように、やさしげな声で、黒髪の魔術師は言った。


「大丈夫よ……、大丈夫…。アゲネに捕まって、怖い思いをしたのね。私が守ってあげるわ…いらっしゃい……」


 黒髪の魔術師が、一歩、こちらへと近づく。

 イチノセは、大きく後ろに飛び退すさった。理屈ではなく、魂が、警鐘をうるさいほどに鳴らしている。


「……」

「…悪いけど、アンタを信用出来ない! 《理力のクォーレル》!」


 光の矢が、黒髪の女に当たる刹那、女は腕を振るって、その矢を打ち払った。ミスリルの篭手により、魔術が掻き消されたのだ。


「魔術を覚えたのね。でも、威力も速度も、足りないわ。もっと強い魔力を、あなたは持っているはずよ…それとも恐怖しているのかしら?」


(確かに弱い…。魔力は、成し遂げようとする意志の力によって生まれるもの…恐怖や逃げる気持ちでは、魔力は生み出せない。…私は、無意識に恐怖しているのか…?)


 イチノセは、さらに距離をとった。恐怖心によるのか、それとも魔法陣を描けるだけの時間を稼ぐためか、自分でも判別できなかった。


「お前は、やはり私の師匠なんかじゃあないな…。もっとも単純な《理力のクォーレル》すら、教えていないなど、ありえない…。直感したとおり、お前とは、おぞましい因縁があるらしい……」


 黒髪の魔術師は、笑みを深くした。


「フフ…。あなたは、戸惑ったのではないかしら…? 自分のものではない体、なぜここにいるのか、理解できない抜け落ちた記憶…。もしかしたら、自分のものではない記憶に、悩まされたかもしれないわね」

「お前は…いったい…?」

「私は、ゼファー・エンデッドリッチ。そして、『ジーネ』、これが、あなたの名前よ。どう? これを聞いても、何も思い出せないかしら」


 イチノセは絶句した。ジーネはイチノセの名前ではない。しかし、初めて聞いたのにもかかわらず、どこか深い馴染みのある名前だった。


「その様子だと、知らないはずなのに、なぜか聞き覚えがある…というところかしら」

「私に…いや、『ジーネ』に何をしたんだ?」

「そんなことは、どうでもいいわ」


 黒髪の女魔術師ゼファーはピシャリと撥ねつけた。


「重要なのは、私があなたを、助けてあげられるということよ。私についてきなさい。そうすれば、そんな従卒の格好をしなくても、ここから逃してあげられるし、邪魔な、あなたのものではない記憶を、消してあげることも出来るわ…」


「…私は、お前のことは何一つ記憶に無い。だが、その口ぶりからすると、私にずいぶんと、酷いことをしたようだ。なにより、『魂』が、お前に怖気おぞけを感じている!」

「あなたには何も悪い事はしていないわ。むしろ、死んだあなたの魂を、蘇らせたのよ?」

「裏返せば、『ジーネ』には、酷いことをしたということだろう! 年端もいかぬ少女に、残酷なことをした人間が、今度はしないと誓ったとて信用できるものか!」


 激するイチノセに対し、黒髪の魔術師はどこまでも冷静だった。


「では、どうするの? その貧弱な魔術で、達人魔術師の私と戦う? それに、私が大声を上げれば、騎士や兵士が殺到するわ。 あなたは、私に頼るしか道はないのよ」


(それしか道がないだって…!)


 恐怖の波が引いていくのが分かった。

 自分でも驚くほど、怒りが心を焦がしていく。

 誰かに思い通りにされることは、イチノセにとって、もっとも許せないことだった。


「道がないかどうかは、私が決める!」


 イチノセは言いつつ、魔力を高め、素早く《理力のクォーレル》を放った。

 しかし、ミスリルの篭手で弾かれてしまう。


「無駄よ! その程度の魔術、何度やろうと通用しない」

「それはどうかな!」


 イチノセは、《理力》の魔法陣を描いた。しかし、今度は、矢を飛ばす魔法陣ではない。


 《理力のラングレッジ》


 放射状に、理力のエネルギーが飛散(・・)する。

 矢ではなく、飛散。

 魔法陣から円錐状に放たれた理力が、ゼファーに襲いかかる。点ではなく、面での攻撃は、篭手では防ぎきれない。

 為す術もなく、ゼファーは吹っ飛んだ。


「これが戦闘開始の合図だ……ゼファー!」


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