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25話『脱出と侵入と』・下

「本当に大丈夫なのか?」

 ゼノミオが、ゼファーに声をかけた。

 ゼファーは、黒髪を複雑に結い上げ、灰色に染めた蜘蛛糸のローブを着込んでいる。


「心配には及びませんわ。私が、あなたに並び立てるほどの魔術師であることを証明いたします」


 ゼノミオに笑いかけてから、散歩でもするような足取りで、フンボルトの城門へと歩いて行った。


 港湾都市フンボルトは、交易によって成り立つ街である。

 常ならば、フンボルトの城門は、朝日が登る頃には開けられ、その門を多くの旅人や行商人が、通り抜けているはずである。

 しかし、騎士団に包囲された今、城門は固く閉ざされていた。鉄で補強された門は堂々たる威容で、人を遠ざけている。


 ゼファーが近づくと、出窓から、誰何すいかの声があがった。戦時にあっては、門扉の上にある出窓に、門番が詰め、来訪者を追い払うのだ。


「何者だ! 親不孝者のゼノミオの使者か?」


 ゼファーは声をはりあげた。そうでなければ、遠くの門番には聞こえない。


「私は、旅の魔術師ゼファー・エンデッドリッチと申します! 門番殿、どうか、中に入れていただきたく存じます!」


 門番は、ゼファーのことを知らなかった。


「駄目だ。見ての通り、フンボルトは戦時である。いかなる者も通すなとの城主様のお達しだ。まだ、朝も早い。どこか別の場所に行け!」

「それは残念です」


 ゼファーは呟くと、まるで遠くの門番に握手を求めるかのように、優美に、腕を伸ばした。


 《抱擁する猛炎のラプチャー》


 門番が気づいた時には、燃えさかる炎が、眼前に迫っていた。


「うわあぁぁぁ」

 門番は、たまらず悲鳴を上げ、それが彼の命取りとなった。開けた口の中に、火炎が躍り込み、門番を内部から焼きつくす。


 敵の反応は激烈だった。


「敵襲!」

 フンボルト兵が、叫ぶ。

 一拍置いて、矢が、魔術が、ゼファーに撃ち込まれる。なすすべもなく、ゼファーは多数の矢と魔術に貫かれ、崩れ落ちた。


 兵士たちは歓声を上げる。

 緒戦に、ゼノミオの手の者を血祭りにあげたのだ。幸先がいいと、誰もが思ったことだろう。

「馬鹿な奴」とあざけるものもいた。


 これが、契機となった。ゼノミオ率いるアイヴィゴース騎士団が、アゲネ率いるアイヴィゴース騎士団に、襲いかかったのだ。

 投石機が石を吐き出し、弓兵達によって、無数の矢が降りそそぐ。魔術の炎が、門扉を叩く。


「無茶なことを……まさか、あそこまでするとは」


 ゼノミオが、独りごちた。

 側近の一人ブラスが、そのゼノミオをかした。


「ゼノミオ騎士団長、そろそろ……」

「分かった。ここは、ブラスに任す。死ぬなよ」


 ***


 戦闘開始の報は、アゲネを驚かせた。


「なんだと? ゼノミオめ、なぜ今戦う!?」

「おそらくは、事をいたのでは、ありませんか」


 報告を持ってきた家宰は、そう言ったが、アゲネに一蹴された。


「馬鹿な。今、ゼノミオが焦る必要など、どこにもない。まだ、陣を構えたばかりで、投石機や破城槌、攻城塔の準備も、十分ではなかろう。今は、包囲して私を釘付けにするのが、最良であるはず」

「当主様が逃げられると思ったのではありませぬか。その前に決着をつけようとしたのでは…?」


 家宰は、以前、フンボルトの港から軍勢を引き連れて逃げるというアゲネの腹案を聞いている。

 ゼノミオは、それを恐れたのではないかというのが、家宰の推測であった。


 しかし、未だ6000人の兵を乗せるだけの軍船は完成していない。兵士だけならともかく、騎士の乗る軍馬を収容するのが難しいのだ。

 専用の騎馬輸送船を作らねばならない。


「軍勢を引き連れなければ、再起することは出来ぬ。ここで私一人が逃げたとて無意味だ。だが……」


 半ば独り言のように、アゲネは呟いた。


「ゼノミオは、軍船が揃っていないことを知らず、逃げられるのを恐れて、力押しで早急に事を決しようとしたか……あるいは、奴め、自分の手で、このアゲネの首を刎ね飛ばさねば、気がすまんのかもな」

「アゲネ様……」

「ミゲイラ。お前は家宰として、よくやってくれているな」

「は、はい。ありがとうございます」


 ねぎらいの言葉に、ミゲイラは喜色を浮かべた。


「ゼノミオは、敵味方を峻別しゅんべつする男だ。ここまで私に尽くしてくれたお前は、ゼノミオに敵だと思われているだろう。この窮地を解決せねば、私もろとも、お前も破滅だな」


 一瞬の内に、家宰ミゲイラの顔が、喜色から憂色に変化する。

 その変化を楽しみつつ、アゲネは、いたわるように家宰へ声をかける。


「なに、私に従っていれば、どうということはない。安心して職務に励め」

「…はい」

「それで、包囲している軍勢はどれほどだ?」

「およそ、一万余です。掲げられた軍旗の数を見ても、そのくらいかと」

「ふむ…」


 ミゲイラにとって恐ろしいのは、海上を封鎖されることである。海上を封鎖されれば、補給ができなくなるばかりではない。いざという時、脱出できなくなる。


 ゼノミオが持つ兵力は、一万五千ほどであろう。その内、いくらかはゼノミオの根拠地であるエンシル城塞に防備として、置かなければならない。

 包囲している軍勢が一万余ということであれば、ゼノミオに余剰兵力はないとみてよい。


(ゼノミオに、海上封鎖をするだけの兵力はないだろう。しかし、あやつも、海が重要であることに気づいているはず……)


 このとき、アゲネに雷霆が走った。


「パースシーを呼べ! …いや、急使を立てよ!」

「と、突然どうなされたのですか、アゲネ様」

「私がゼノミオならば、間者に船を焼かせる! いいから、急使を呼べ!」


(…用意の整っておらぬ内に攻撃をかけたのは、陽動だったのか! 間に合え…!)


 ***


 急使の報を受けた時、パースシーは、城門の上で迎撃の指揮を取っていた。


「港へ行けと? 今まさに、城壁に攻撃を受けているのだぞ?」

「は、それが、城壁の攻撃は囮で、ゼノミオの狙いは船を焼くことにあるとの当主様のお考えにございます」


 パースシーは黙考したが、すぐに顔を上げた。


「分かった。どちらにせよ、港の防備は固めねばならん。遊撃隊を率いて向かおう」


 パースシーに限ったことではないが、指揮官は、すぐに動かせる遊撃隊を手元に持っている事が多い。

 野戦にせよ、籠城にせよ、兵の足りないところに、すばやく兵士を送り込むためだ。

 パースシーは、およそ100名の遊撃隊を率いて、港へと向かう。

 だが、事はパースシーが思っているよりも、急を要していた。

 駆けつける途上、煙が上がり、軍船の幾つかが、すでに炎に焼かれているのが見えたのだ。


「者ども! 不埒な間者を殺せ! 首一つにつき、金貨20枚をくれてやるぞ!」


 パースシーが発破をかけると、配下の兵士たちは喊声をあげながら、いっそう素早く駆けていく。

 その効果もあって、間者をすぐに発見することが出来た。


「船の上に居るぞ! 赤毛の奴が火を着けている!」

「金貨20枚だ!」


 兵士は、むしろ狗盗のごとき形相になって、赤毛の冒険者風の女を追った。

 剣を抜き放ち、船の上にあがりこんで、切りつけようとする。

 …だが。


「ぐ……」


 赤毛の女が手を振ると、そのたびに、兵士たちが肩の付け根を抑えてうずくまる。鎧の隙間を的確に狙ったつぶてであった。

 兵士に食い込んだ礫は、鋭く肉に食い込んでいて、容易には取れそうにない。


 赤毛の女は、兵士たちが怯んだ隙に、助走をつけ、係留していた隣の船へと飛び移る。

 驚くほどに軽捷な動きであった。

 大人四人分の背丈ほどの距離を、一気に飛び越えたのである。


 革鎧しか着ていないとはいえ、相当な身のこなしであった。金属鎧を着こむ兵士には到底、真似が出来ぬ。


「馬鹿が! 矢を射かけろ!」


 パースシーが、自ら弓弦を引きながら、そう命令する。

 矢が雨となって、赤毛の女に振りかかった。赤毛の女は、すばやくそれを察知すると、船室の中へ逃げ込む。


「愚か者め! 中に入れば、どこにも逃げられまい! 袋の鼠よ!」

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