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25話『脱出と侵入と』・上

「それは…神に祈りを捧げているのかい?」


 ミンヘルは寝台から起きだすと、傍らのプラチナ・ブロンドの少女にそう呼びかけた。

 イチノセは床に座り込み、なにやら瞑想しているように見える。


「いや……。ちょっと違う…かな。これは、結跏趺座けっかふざと言って、私が以前いたところでは、精神集中を行うときの姿勢なんだ。効果があるかわからないけど…やって見る価値はあると思ってね」

「精神を集中させるって? 何のために?」


「これを見て」


 イチノセが両手を上げると、ブレスレットが光った。

 《マナの霧散》の魔法陣が浮かび上がり、魔力を拡散させて消える。


「これは『魔力封じのブレスレット』らしい…。マナが励起されると、このブレスレッドに魔力が流れ、魔力を打ち消す魔法陣が流される仕組みみたいだね」


 イチノセは軽く腕を振って、ブレスレットを揺らした。


「魔力は『精神の昂ぶり』で生まれ、『精神の集中』によって魔力は操作される。今、こうやって座禅を組んでいるのは、魔力を高める訓練と、魔力を操作して、ブレスレットに流れないようにするための訓練」


 座禅を解いて、イチノセは立ち上がった。


「ここから逃げるんなら、どういう手をとるにせよ、魔術は役に立つからね」

「逃げる…? ここから脱獄する気なのか?」


 ミンヘルは驚いた。この少女は、どうして捕らえられたのかも分からないが、この貴人用の牢から脱出しようというのだ。


「ここで三週間ほどを、ミンヘル殿下と過ごして、信頼できると確信できたから言うのだけど…その通り。私は、ここを抜け出す」


「そんな。騎士たちがいるんだぞ! 屋敷の中でも甲冑で身を守っている。魔術の効かないミスリルの甲冑でだ! 逃げられるわけがない!」


 イチノセは、肩をすくめた。


「かもね。……でも、それも自分の命。どう使おうと自分の勝手だろう?」

「勝手じゃない! 君が死んだら、悲しむ者がいるはずだ! イチノセにだって両親がいるはずだろう?」

「この世界には居ない。……いや、居るかもしれないのか。それに師匠も悲しんでくれる…かな」

「それなら、やめよう。ここから逃げ出すなんて自殺行為だ」

「人なんて、簡単に死ぬものだよ」


 イチノセは、息づいてから、話し始めた。


「……少し、昔話をすると、私の産みの両親はひどい人間でね。よくある話だけど、酒を飲んで暴力をふるう父親に、子育てらしいことは何もしない母親の許で、私は生き延びていた。私は、6歳の時に保護されたけれど、そうでなければ死んでただろうね」


「……」ミンヘルは二の句を継げなかった。


「そして、発見された時、私は助かったけど、当時4歳の弟は死んでいた。同じ境遇で、同じ食べ物を分けあって暮らしていたのに、弟だけが死んだんだ。弟は…、幼く、体が小さかったから……耐えられなかった」


 イチノセの言葉に涙声が混じった。もう過去のことだと、吹っ切ったと、思っていたのだが。


「私が生き、弟が死んだのは、紙一重の差だった。昨日生きたように、明日も生きられるわけじゃないんだ。

 ほんのちょっとの生まれの早さで、人の生死は決まる。

 ……私は、人生が儚いことを知っている。だからこそ、自分のちっぽけな人生に悔いを残したくないんだ」


 それこそが、イチノセにとって、ただ一つ守り通してきた人生哲学であった。


「ここで、自分に利用価値がなくなるまで、生き延びる? それは自分の『心の真実』に反する行いだ。

 この私を、思い通りにできると思う奴が居るというなら。 命を賭けてでも、反逆する! それこそが、私が真に望む『心の真実』!…だから」


 イチノセは、宣言した。


「私は、ここから脱出する(・・・・)!」


「……」

 ミンヘルは、言葉が出なかった。何と言っていいのか、分からなかった。

 かえりみれば、境遇を嘆くばかりで、自分から何かをしようと考えたことすら無かった。

 王族であるミンヘルには、何かを欲しいと思うに、全てが与えられてきた。誰かに何かを望まれることがあっても、自分から何かをしたいと思うこと自体が稀だったのだ。


 アゲネは、ミンヘルを監禁していたが、それが無かったとしても、自分からアゲネの許から離れようとは思わなかったに違いない。

 ミンヘルは、それ(・・)を、理解してしまっていた。


「に、逃げ出す算段は付いているのか? それなら……」


(余を連れて行ってくれないか…)と、ミンヘルは言いたかった。

 だが、言えなかった。自分が本当に『逃げたいのか』、それすらも分からなかった。


「もう、準備は整っているんだ。それに、さっきから、自分のものではない魔力の振動ヴァイブレーションを感じてる。おそらく、外では何かが起こっている。混乱に乗じて、逃げ出す好機だろう……それと」


 イチノセは、王子を見据えた。


「思うに、ミンヘル殿下には3つの道があると、私は思う」

「……」

「一つは、このまま王家トロウグリフの名を持ったまま、ここに留まること。もう一つは、王家の権威を駆使して、自分で道を切り拓くこと。そして、最後の一つは、王族の名を捨てて、自分と一緒に逃げること」


 力強い言葉だった。

 ミンヘルは、プラチナ・ブロンドの少女を仰ぎみた。


「焦らせるつもりはないけど、たぶん今回が最初で最後の好機だと思う。どれを選んだっていい。ミンヘル殿下はどうする?」

「余は……」


 そう言ったきり、ミンヘルに言葉は出なかった。

 高貴な身分に生まれたがゆえに、欲する前に与えられてきたがゆえに、自分から何かを選ぶということが出来なかった。


「…選べない……。余は、どれを選べばいいのかすら、わからないんだ……。イチノセは……、どうしたら良いと…思う?」


 イチノセは、自分の胸を押さえて答える。


「自分の心に聞いてみて。それで、『もし、これを選んだ結果、死んでしまっても悔いはない』と思えたなら、その道を選べばいい。私は、そうしてきた」


 ミンヘルは長い間、黙ったままだった。

 その姿を、イチノセは、ただ静かに見つめていた。


「む、無理だ。どう考えたって、逃げられるはずがない! 二重の扉の外には騎士が見張っている。うまく逃げおおせたとしたって、その後どうやって生きていけばいいのか! 無理だよ。無理に決まっている……」


「もし、王族の名を捨てるのなら、それなりの保護をするつもりだったけど……。いや、ミンヘル殿下がそう思うんなら、それでいいんだ。私の意見を押し付けるつもりはないよ」


 イチノセは、ただ静かな口調でそう告げた。


「さてと…」

 朝食に出されたホイップバターを、イチノセは手にとった。

 ミンヘルが不思議そうに見ていると、おもむろに、バターを両腕に塗りたくり始める。

 突然の奇行にミンヘルは呆気にとられ、声も出ない。


「素直に手錠型にしておけばいいのに、小洒落たブレスレットなんかにするから…小柄な私なら、こうやって…滑りを良くすれば……」


 小さな掛け声とともに、『魔力封じのブレスレット』が手首から抜け落ちた。

 落ちたブレスレットを、革紐に通して懐に入れる。そして、真珠の髪飾りで、髪の毛をまとめた。


「あ…。それと、私が逃げ出したことは言わないで欲しい。少しでも見つかる時間を伸ばしたいからね。あと、一つ謝っておくね。実はミンヘル殿下を、ダシ(・・)に使っていたんだ」


「どういうことだ?」とミンヘルが問う前に、従卒が扉を開けた。

 朝食の食器を下げに来たのだ。

 そして、イチノセは、従卒の名を知っていた。


「エヴェル!!」


 食器を片付けようとする従卒に抱きつく。そして、抱きついたまま、こういった。


「もう、私、無理です。ミンヘル殿下の好色な目には耐えられません。私を奴隷のように扱うんです。騎士エヴェル! どうか、当主様に取りなしていただけませんか?」


 ミンヘルは、2つのものを見た。

 一つは、従卒であるエヴェルの、抱きつかれてとろけたような顔。そして、もう一つは、従卒の見えない角度で、イチノセが描いていた魔法陣である。


 《昏睡の掌》


 魔術光が従卒を貫き、力なく体が崩れ落ちた。

 ミンヘルが声も出せずにいるうちに、イチノセは手早く、従卒の服を脱がせにかかっている。


「おそらく私やミンヘル殿下が、ここに囚われていることを、なるべく秘密にしておきたかったのだろうけれど、食事係の従卒は、このエヴェルだけだった」


 イチノセが服を脱がせながら、そんなことをいう。


「で、彼に会う度に、彼に耳打ちをしたり、手を触ったりして、その気がありそうに見せた。ついでに、ミンヘル殿下が、下卑た目で見ていると書いた秘密の手紙を渡して、この少年の正義感も煽った」


 そして、自分の服を脱ぎ、従卒の服装を身につける。

 ミンヘルは、慌てて後ろを向いて、見ないようにした。


「ま、私が言うのも何だけど、十代半ばの少年って、初心うぶだからね。簡単に利用させてもらったよ…この策は二度目だけど、使い勝手がいいね」


 いっそ、朗らかにイチノセは言ってのけた。銀色の髪はまとめられて、真珠の髪飾りによって、留められている。その上から、イチノセは従卒の帽子をかぶった。


「彼…エヴェルは、死んだのかい?」

「さすがに、罪もない人間を殺せるほど、私は極悪人じゃないかなぁ。昏倒しているだけ……と、後で、この子を寝台に寝かせてあげてくれる? ぐっすり眠れるように」


 イチノセは、そう言って向きなおると、不意にミンヘルを抱きしめた。

 男女の抱擁ではなく、ともに三週間を過ごした仲間に、別れを告げるための抱擁だった。


「ありがとう…紳士的に振る舞ってくれて。寝台を持ち回りで使わせてくれて。大切に扱ってくれて。端々にミンヘル殿下の、やさしい心遣いを感じられたよ……」


 ミンヘルは突然のことに、声も出せずにいる。

 すっかり従卒の恰好をしたイチノセは、鍵を使って、鉄格子の扉を開き、食器を載せた盆を脇において、木製の扉をノックした。

 それが、扉の外の騎士が扉を開ける合図なのだ。


 イチノセは、帽子の下で視線を動かし、人数を確認する。騎士が二人。

 服装が同じだと言っても、背は、従卒エヴェルのほうが、若干高い。

 不審に思われないように、何度も練習したエヴェルの歩き方で、食器を運ぶ。


 後ろから、金属音がした。

 ミンヘル殿下が、鉄格子に体をぶつけたのだ。監視役の騎士が、揃ってミンヘルを見る。

「いいかげんにしろ! 余は、ミンヘル・トロウグリフだぞ!! 王族なんだ! ここから出せ! 余をいつまで閉じ込めておくつもりだ!」

 ミンヘルが、喚いている。


(注意を引いてくれたのか……ありがとう…ミンヘル殿下)


 ミンヘルの協力に感謝しながら、イチノセは、足早にそこを立ち去った。


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