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23話『エンシル城塞への潜入』・下

 

 ゼノミオが兵卒たちにアーリンの許へ案内するように、命じた後のことだ。

 魔術師ゼファーが、傷の治療をしたいと申し出てきた。


「このような時に申し訳ありませんが、どうやら傷を負ったようです」


 抑えた手をどけてみせると、確かに蜘蛛糸のローブに血が滲んでいる。肩から胸元にかけて血痕があり、傷は大きそうだ。


「どこか治療できる場所と、騎士を一人つけては貰えないでしょうか?」

「む…。痛むのか?」


 ゼノミオが、こう聞いたのは、なるべく、固まって行動したかったためであった。

 曲がりなりにも、ここは敵地である。何かの拍子で周囲が皆、敵に回ることも、考えねばならなかった。


「申し訳ありませんが……」


 ゼファーは苦しそうに、謝った。


「そうか…」


 ゼノミオは首肯しゅこうすると、周囲の兵に休める場所を尋ねた。


「は、はい。どうかこちらへ…」


 多少手間取った末に、案内された場所は、小間使い達の宿舎であった。寝台が置いてあり、身を休めることは出来るだろう。


「治療師が必要か?」


 ゼノミオが、声を低くして尋ねたが、ゼファーは首を振った。


「いえ、ここは敵地です。それに私も《治癒の掌》なら、使えますわ。ただ、肌をさらさねばなりませぬゆえ……」

「分かった。騎士を扉の外で見張らせる」

「ありがとうございます……」


 ゼノミオは、騎士を一人選び、誰もこの中に入れぬように命じた。

 騎士は貧乏くじを引かされた格好になったが、腐ることもなく了承した。


 折よく、そこに兵卒が戻ってきて、アーリンの言葉を伝える。


「アーリン副団長は、騎士団長の執務室で出迎えるとのことです。ただ、威儀いぎを整えるため、すこし時間を置いて来て欲しいとのことでした」

「そうか」


 ゼノミオは、アーリンを知っている。ここに至って、無為な時間稼ぎをする男ではない。

 おとなしく時間を置くことにした。


 ゼノミオを取り囲む兵卒達の間に、安堵の空気が流れる。

 かつての味方、しかも、武勇の誉れ高きゼノミオ騎士団長と戦うことは、誰しも避けたかったのだ。


 ***


 話は、少しだけ時間を遡る。


 副団長アーリンが報告を受けた時、彼は倉庫にいて、備蓄を確認していた。

 籠城するにあたってもっとも重要なものの一つが、糧食・矢・武器・資材などの備蓄である。


 そして、備蓄の帳簿を確認するだけでは、数字をごまかして、横流しする人間が出てくる。

 面倒でも、自分自身で見て回る必要があった。


 兵卒からの報告を聞いて、アーリンは密かに息を吐いた。


「そうか。ゼノミオ様が現れたか」


 アーリンの声には、苦悩の響きがある。

 ゼノミオ様の信頼を裏切ってしまったという思いがある。

 むろん、主君であるアゲネ様の命令に従ったゆえの事だが、それでもゼノミオ様には、不忠となじられるかも知れぬ。


「地下倉庫で会うわけにもいかぬだろう。騎士団長の執務室にて応対するゆえ、少し時間を置いてから、執務室へと案内してくれ」


 兵卒に伝えて、自身は執務室へと向かう。


(…だが、考えて見れば、父子の仲をとりもつ好機かも知れぬ。ゼノミオ様とアゲネ様との対立を解消できれば、こんな馬鹿げた戦いはせずに済む)


 アーリンは、そう考えなおして、騎士団長の執務室の扉を開けた。


「ゼファー殿……」


 そこには、一人の女性がいた。紫水晶アメジストの瞳と漆黒しっこくの髪を持つ魔術師、ゼファー・エンデッドリッチである。

 執務室の椅子に座り、書きかけの書簡を手に持っている。アーリンが書いたものだ。


「ああ。入れ違いにならなくて、良かった。お久しぶりです。アーリン殿」

「アゲネ様から、何かのお達しですか」


 そう言いながら、アーリンは、ゼファーの服装が汚れ、ところどころ刃傷で、切れていることに気づいた。常に身だしなみを気にする彼女には珍しいことだ。


「この書きかけの書簡を見るに、あなたは、アゲネ様とゼノミオ様の仲を取り持つおつもりのようですね……。臣下の分を超えた振る舞いとは、お思いになりませんか」


 ゼファーは、アーリンの疑問に答えずに、そう言った。


「父子が骨肉の争いをするほど、世に不幸なことはござらぬ。誰かが諌めねばならぬし、私は、アゲネ様に仕える最古参の騎士であり、また、ゼノミオ様を直接指導した師でもある」

「自分以外に、諌める者が居ないと?」

「そこまでは言わぬが、誰かが破局を止めねばならぬのだ。……ゼファー殿も、どうか、アゲネ様に取りなして欲しい」


 ゼファーは、やや曖昧に頷いた。


「しかし、父子の仲介をしようという貴方が、なぜ、大切な『海泡石のメダイ』をゼノミオ様に返したのです? あれは袂別けつべつの証ではなかったのですか?」


 答えたアーリンの言葉は、苦しげだった。


「ああでもしなければ……ゼノミオ様に刃を向けるなど、出来そうもなかったゆえ。そこまで、自分を追い込まなければ、主君の命を果たせなかった」


「なるほど。私は学者気質でして、どうも、細かいところが気になるのです。知ってすっきりしました」

「……そういえば、どうして、護符のことを……?」

「むろん、ゼノミオ様から聞いたのです」


 そう言って、ゼファーは手を伸ばした。


「私も、父子の仲を修復するべく、活動してきたのですよ。詳しい話をする前に、手をとってくれますか。ちょっと血を失って、気分が悪いもので」


 アーリンが何気なく、ゼファーの手をとった時、魔術光が閃いた。


 アーリンの体に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちる。ゼファーは、掌に握ったタリスマンを、これみよがしにアーリンに見せた。


「《昏睡の掌》のタリスマンです。……かつて、魔法具屋で見つけたものですが、面倒なことに、触れなければ使えないんですよね」

「か、奸婦め…」

「これは驚いた。まだ、喋れるとは。…ですが、あなたには、死んでもらわなければなりません。私がアゲネと通じていることを暴露されては、困るのですよ」

「な、なにを、たくらん…で……」

「アイヴィゴース家を乗っ取るつもりです。ゼノミオを使って。そして、王都に攻め上るつもりです。女王になるのも……いいかもしれませんね」


 そういって、ゼファーは声を立てずに笑った。


「そんな大それた事が、できるものか…!」

「おっと。アーリン殿の考えは分かりますよ。こうやって時間を稼いで、酩酊を覚ましたところで、私に一太刀、浴びせるつもりでしょう? 先程から、右手がぴくぴくと動いていますゆえ」


 ゼファーは、アーリンの剣の柄を握り、鞘から引き抜いた。

 その剣を握ったまま、もう一方の手に、《昏睡の掌》のアミュレットを握りこんで、アーリンに触れた。


「今度こそ、昏睡したようですね」


 《念動》によって、アーリンを騎士団長の椅子に座らせる。


「さっき、大それた事と言いましたが、そんなこと、百年も前からやってきたのです。今さら大逆など、痛痒すら感じませんよ」


 ***



「そろそろ良いだろう」


 騎士たちの怪我の応急処置を終え、十分に時間をおいてから、ゼノミオ一行は執務室へと向かった。

 騎士団長ゼノミオが使っていた部屋であり、案内など必要ないのだが、アーリン側を下手に刺激することがないように、監視を兼ねた案内を数名の兵士に頼んでいる。


 執務室は、エンシル城塞の本丸三階にある。

 その両隣には、副団長アーリンの執務室と侍従の部屋があり、謁見の間、食堂や寝室など、騎士団長の生活スペースが、この階には集約されている。


「ゼノミオ様をお連れしました」


 案内役の兵士が、扉の前でアーリン副団長に告げる。だが、応答はなかった。

 ゼノミオが、騎士団長の執務室に入ろうとしたが、鍵がかけられている。


 先導してきた兵士に尋ねるも、間違いなく、騎士団長の執務室で待っていると言われたという。

 試しにアーリンの部屋を見てみるも、もぬけの殻である。


「どういうことだ? なぜ、執務室で待つと言いながら、鍵をかけている?」

「まさか、何か罠に嵌めようというのでは……」

「アーリンは、そのような卑怯な振る舞いをする人ではない。…もしや!!」


 ゼノミオは、嫌な予感がした。背筋に冷たいものが走る。


「侍従はどこにいる!?」

「それが…アーリン様に従わなかったために、任を解かれて、牢に繋がれております」


 ゼノミオがこう尋ねたのは、侍従のみが唯一、鍵を管理していたからである。


「クソッ!」


 荒々しく吐き捨てると、ゼノミオは『大だんびら』で、接合部を切り飛ばし、体当たりで強引に扉を開けた。


 果たして、そこにあったのは、血まみれになったアーリンの死体であった。

 部屋には鮮血が飛び散り、アーリンだったものは、両手で剣を掴み、喉元を突き刺している。


 ゼノミオは、その剛毅な肉体をよろめかせた。


「まさか、自刎じふん……」


 誰かがそう呟くのが聞こえた。

 騎士の一人が、書斎机の上から一枚の紙を取り上げた。騎士が目を走らせると、ゼノミオに手渡す。


「騎士団長。こちらを、お読みください。どうやら、これはアーリン様の遺書ではないかと…」


 その紙には、ゼノミオに宛てた言葉が書き連ねてあった。孝心を大事にし、どうか父親と和解してほしいという内容である。

 ゼノミオは呻いた。


「誰かに、殺されたという可能性はないのか……?」


 ゼノミオがそう言ったのは、自殺などという罪悪を、アーリンが犯したと信じたくなかったからであった。自殺は教会の律法では、大きな罪となる。


「残念ながら……」


 騎士の一人が、なんとはなしに、声を潜めていった。


「鍵が掛けられていましたし、それに、遺書もあります。その可能性は、かなり低いかと……」

「…………そうか」


 ゼノミオは長い沈黙を経て、自我を回復させた。


 大股にアーリンに歩み寄り、その瞳を閉じさせる。

 そして、アーリンの喉元に突き刺さっていた剣を取り、遺体から引き抜いた。


「すまない……アーリン」


 ゼノミオは、聖印を結び、死者の冥福を祈った。

 そして、ゼノミオを見つめる騎士と兵卒に向き直る。


「諸君。アーリン副団長は、私との決闘フェーデに破れ、名誉の戦死を遂げた」


 騎士団長は死を悼むように、一瞬目を閉じた。


「アーリン副団長は、決闘フェーデに勝ったものが、この騎士団のすべてを得ると約束した。それに相違ないな?」


 騎士と兵卒は、慄然りつぜんとした。

 このゼノミオの言葉は、すなわち、アーリンは自殺をしたのではなく、”決闘フェーデの末、戦死した”と嘘をつけと言っているのである。


(……自殺したということになれば、騎士にとり、これほど不名誉なことはない。律法に反する大罪だ。しかし、決闘の末の死とすれば、名誉の戦死となる…!)


(それだけじゃない。ただ一人アーリンの死という最小の犠牲で、この戦いは終わらせることが出来る)


 知らず、騎士たちは、頭を下げていた。


 誰一人として、ゼノミオの言葉に異を唱えるものは現れなかった。



決闘フェーデ

 …王国の慣習においては、決闘は、個人間の契約と解されている。

 決闘者同士が、あらかじめ勝者が何を得、敗者が何を失うかを決め、それを名誉をかけて履行するのである。

 当然ながら、決闘の末、命を失うことは多い。

 その場合は、見届け人が代行者として、それを履行する。このことから、見届け人は、地位・権力のある人物や複数人であることが多い。


 物語上では、副団長アーリンの死は自殺ではなく、決闘によるものだとして、ゼノミオは、アーリンの名誉を守ったのである。

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