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23話『エンシル城塞への潜入』・上

 夕暮れが、赤黒く染まっていた。

 それが自分の行末ゆくすえを暗示するかのように、副団長アーリンには思われる。


 ただの馬飼いから、騎士に取り立てられて、もう四十年になろうか。

 憧れの正騎士になることができ、家族を養うことが出来たうえに、主君の息子ゼノミオを預かり、立派な騎士に育て上げることが出来たのだ。


 もし半年前に、死ぬことができていたなら、アーリンは、自らの人生を最高だと評していたことだろう。

 だが、現在、アーリンは、予想だにしない不幸の中にいる。


 主君アゲネが、実の息子ゼノミオを、殺そうとしているのだ。

 主君アゲネの命によれば、騎士団長ゼノミオが戻れぬよう、城塞都市エンシルの門を閉ざし、防備を固めよという。


 主君の命令に従うことは、手塩にかけた弟子を殺すことであり、同時に主君の息子を殺すことでもある。

 といって主君の命に反すれば、自分を引き立ててくれた恩を忘れる行為である上に、なにより忠誠の誓いに反することになる。


 父アゲネと子ゼノミオの折り合いが悪いことは、知っていた。

 だが、これほどまでに決定的にこじれていたとは、アーリンには想像の埒外らちがいであった。

 アーリンは、父子が決定的に決裂した事件を知らずにいる。


(どうにかして、仲違いをいさめなければ……)


 そう思いながらも、今は主君の命に従い、防備を固めねばならなかった。

 もうすでに、ゼノミオ騎士団長が麾下千六百の騎士たちとともに、野戦陣地の構築を始めている。


 アーリンは、兵士たちに軽挙妄動けいきょもうどうをせぬように厳命し、夜間巡回を通常の倍にした。さらに、兵士に休む間を与えぬように指令を出し続けた。

 昨日までの上官を敵に回すことで、動揺が兵卒たちに広まっているのを、アーリンは、察知していたからである。


 動揺が混乱や恐怖に変わらないように、アーリンは考える暇を無くそうとしたのだった。

 このようにして、アーリンは膠着状態を作りだし、その間に、書状を送るなどして、父子の間を取り持とうと考えていた。


 ***


「さすがは、アーリン。兵卒たちが皆、機敏に動いておる。見事な防備態勢だ」

 エンシル城塞の見張りを眺め渡して、ゼノミオはそう感想を述べた。

 その言葉に、いささかの皮肉もない。素直な感嘆である。


 ゼノミオは、そもそも、エンシル城塞を攻めるつもりはなかった。

 城攻めは兵数が多く、補給もしっかりしている時でなければ、成功はおぼつかない。こちらは、孤立した1600人の騎士のみである。現在はなんとか備蓄があるものの、糧食にも限りがある。

「戦いようがない」というのが、ゼノミオの判断だった。


「では、どうなさるの?」


 そう聞いたのは、ゼノミオが忠誠と献身の誓いを立てた魔術師ゼファーである。

 ゼファーに誓いを立てたあとも、表面上、ゼノミオとゼファーの様子に変わったところはない。

 誓いは、秘密裏に行われたものであることが、その一因である。未だ公的には、ゼノミオはアゲネの臣下のままであった。


「一応、野戦陣地は作らせているが、向こうの攻撃に備えてのものだ。…エンシルの城塞を、今の形に作り上げたのは、吾とアーリンだ……どこに抜け道があるのか、全て頭に入っている」


 城塞の全てというわけではないが、ほとんどの城には、逃亡のための抜け道があらかじめ設計され、作られている。

 また、その多くは、統一帝国時代に作られた上下水道の再利用であった。


「私が、少数の手勢を率いて、エンシル城塞内部に侵入する。それがもっとも良いだろう」

「ゼノミオ様ご自身で? 危険ではありませんか?」

「戦いに行くのではない。アーリンと直接、話し合うためにいくのだ」


 アゲネの命を受けている以上、アーリンは人目のある場所では、会話すら拒むだろう。

 だが直接会えば、アーリンは対話を拒みはしないとゼノミオは見込んでいた。


「わかりました…。私も同行いたします」

「……危険だぞ」


 ゼファーは笑みをこぼした。


「先程と仰っていることが、反対ですよ。それに、私は達人魔術師です。万能の魔術を使えば、何かと役立ちますゆえ」

「そうか。……では、頼む」


 ゼノミオの言葉は短いが、これで気を使っているつもりなのである。

 忠誠を誓った主君でもあり、女性でもあるゼファーに対して、どう接して良いのか、ゼノミオには分かりかねるところがあった。


 ***


 エンシル城塞の地下には、統一帝国時代に作られた上下水道が、幾本も走っている。

 その中には、時の経過とともに、廃棄された上下水道もあり、それをゼノミオは、抜け道として再利用していた。


 抜け道と言っても、一本道ではない。さまざまに枝分かれするため、およそ迷路のようになっており、しかも、闇に覆われているので、よほど慣れているものでなければ、確実に迷ってしまう。

 その上、このような湿気の多い場所では、粘体生物スライムなどの魔物が湧く。

 侵入者よけのために、ある種の仕掛けや罠が施されていることもあり、間違った道を進めば、罠によって絶命することもある。


 むろん、ゼノミオは、抜け道を作った当人であるから、順路がどこか分かっている。

 潜入部隊として組織した十人の手練の騎士と共に、ゼノミオとゼファーは、罠にかかることも迷うこともなく、抜け道を通り抜けることが出来た。


 途中、スライムに出くわすことがあったが、ゼファーの《氷結のクォーラル》により、何の危険もなく撃ち倒していく。


 長く、くねった道を抜けて、広い場所に出た。昔にワインセラーとして使われていた場所で、ここからエンシル城塞の本丸の地下倉庫に通じている。


「そろそろ、終点だ。気を引き締めていこう」


 そう、ゼノミオが言った瞬間だった。

 不意に、冷たい風が、あたりを撫でる。

 ぞくりと嫌な予感を覚えながら、側近は、ゼノミオに訊いた。


「ゼ、ゼノミオ様。風が吹いてますが……出口が近いのですか?」

「近いが……風が入ってくる距離ではない…! 円陣を組め。何かがいるぞ!」


 慌てて、円陣を組んだが、誰もいない。

 奇妙な、男とも女ともつかぬ、すすり泣くような風の音が聞こえるだけだ。


「…誰も、居ないじゃないか。ただの風だ。それが、ちょっぴり泣く声に聞こえるだけ……うわっ!」

「おい、どうした」

「な、殴られました。ゼノミオ様。誰も居ないはずなのに……」


 そう言い終わる前に、別の騎士が打撃を受ける。


「あ、辺りには誰も居ないのに…、声だけが聞こえる! 攻撃だけされている!!」

「落ち着け、恐慌を起こすな。敵の正体を見極めるんだ」


 そういったゼノミオの背中に衝撃があった。

 円陣を組んでいた後ろの騎士が、殴り飛ばされたのだ。たまらずゼノミオも、たたらを踏んだ。


「ゼノミオ様!」


 そう声を上げたのは、ゼファーである。


「大丈夫だ! しかし、姿が見えないのはどういうことだ。ゴーストでも現れたというのか?」


 息を整えつつ立ち上がり、油断なく、辺りを探る。


「いいえ。敵の正体が、今わかりました。ゴーストではない!」


 《光明》


 魔術師ゼファーが光明を、宙空に浮かべる。眩しいほどの光が、あたりが満ちた。


 ……そこには、騎士たち以外の姿はなかった。


「や、やはり見えないぞ。て、敵はどこに居るんだ!?」

「床を見てください! 私達以外の影が、そこかしこにあります!」

「シャドウか!」


 シャドウとは、幽霊とも、魔法生物とも、判然としない正体不明の魔物の一種である。

 特筆すべきは、どんな光を当てようとも、影しか見えないということである。影のモンスターではない。影を攻撃しても効果はないのだ。

 姿形は見えないが、実体は確かにある魔物であり、影から推測して、実体のある場所に攻撃を当てなければ、倒すことが出来ない。

 そのような特異なモンスターであった。


「なんて数だ。すっかり囲まれているぞ」

「だが、敵の正体は分かった。後は、斬り払うだけだ!」


 ゼノミオが、愛剣『大だんびら』を抜き放つ。白刃を一閃させると、手応えがあり、影がひとつ、薄れ消えていく。


「我が騎士たちよ。影を見て、その元を斬れ!」


 見えない敵に剣を振るのは、騎士たちも慣れぬ行為であった。影しか見えない敵では、当然太刀筋も、殆どわからない。

 《光明》に合わせて揺れる影が、いっそう不気味さを感じさせる。

 剣を持つシャドウに斬りつけられると、見た目には、いきなり切込みが入って、血が吹き出すように見える。

 防ぎようのない攻撃のために、ミスリルの鎧を着込んだ騎士たちも、徐々にダメージを負いつつあった。


 影は一様ではなく、小さな子供らしき影、男らしき影、女らしき影……どうやら、シャドウにも、老若男女の別があるらしい。

 シャドウにも家族がいるのだろうか。ゼノミオが、そんなことを考えた時、遠くから、小さな悲鳴があがった。

 見ると、小間使いの少年だった。少年は顔を真っ青にして、それでも勤めを果たそうと思ったのだろう。かすれた声で叫んだ。


「て、敵襲! 地下倉庫に、ゼノミオ様がいるぞーぉ」


 叫びながら、少年は逃げ出した。ここは隠された場所のはずだが、少年は持ち前の好奇心で、ここを見つけたのだろう。あるいは、戦いの喧騒けんそうが、少年を呼び寄せたのかも知れぬ。


 見つかったからには、ここに長居する訳にはいかない。そして、退くわけにもいかなかった。

 退けば、密かにアーリンに会いに行くことなど、もはや望めぬ。直接対話を行うためには、ここは進むしか無かった。

 ゼノミオはそう悟ると、心を決めた。


「皆、吾から離れよ!」


 そう叫ぶや否や、ゼノミオは『大だんびら』を腰溜めに構え、敵中へと突進する。そして、その勢いのまま、自分の体を軸に、大剣を一回転させた。

 尋常の技ではない。

 闘気法の一つ、回転斬りの奥義である。瞬く間に、周囲の影が薄れ、消えていった。


 こうして開いた包囲の一角を、さらに斬り広げるべく、ゼノミオは命じた。

突撃チャージ!」


 単純明快な命令は、直ちに実行された。ゼノミオの後を追って、騎士たちが、なりふり構わず進む。

 秘密の扉を開いて、地下倉庫に立った。

 しかし、遅かった。すでに兵卒が、地下倉庫に集まっていた。


 ゼノミオの一行を見て、兵卒たちにどよめきが起こる。

 今は敵に回ったとはいえ、ゼノミオは、彼らのかつての上官である。誰も、剣を抜こうとはしなかった。

 ゼノミオは、彼らを眺め渡した。


「我が兵卒たちよ」


 ゼノミオは、厳かにそう呼びかけた。言ってみれば、ゼノミオは、アーリンと仲直りをするために、はるばる抜け道を通ってここに来たのである。

 かつての、そして将来、仲間になるであろう兵卒を、手に掛けるつもりはなかった。それが、この言葉に現れている。


「我が兵卒たちよ。見事な働きぶりだ。騎士団長として、諸君らの働きを誇りに思う」


 兵卒達は、じっと聞き入っている。


「諸君らが、副団長アーリンの命に服しただけだということは、吾も知っている。罪には問わぬ。だが、吾が来たからには、我が命に従え」


 ゼノミオの言葉には、人をひれ伏させる『威』があった。静かな声にもかかわらず、固唾を呑んで、兵卒達は、ゼノミオの命令を待った。


「副団長アーリンの許へ案内せよ」


 命令は直ちに実行された。

・統一帝国時代の上水道

 …統一帝国は、この王国ができる以前に世界の半分を支配していたと言われる巨大な多民族国家だった。

 帝国はおよそ七百年前に、内乱やモンスターの侵入によって崩壊したが、その遺構はそこかしこに残っている。

 エンシル城塞にある上下水道も、その一つである。

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