22話『岩塩窟の攻防戦』・下
岩塩窟は、アイヴィゴースの三度の波状攻撃に耐えた。鉤爪を斬り、矢を防いだ。
アイヴィゴース側にとっても、ここが正念場である。兵数も多く、簡単に勝てるはずの戦で、これほど苦戦すること自体、想定外だったのだ。
(…こちら側でも、決死隊が見つかったことが見て取れた。もはや、同じ手は二度と使えん。となれば、敵が混乱し、二派に分かれている今こそが、最後の攻め時! ここで勝負を決めてくれる!!)
ヤゴンはそう思い、攻撃を激しくするように指令を出している。
防柵を突破し、中に入り込むのも時間の問題に思えた。
「鬨の声をあげよ!」
ヤゴンの後ろから、女の声が響いた。鋭く強い声だ。
騎士団に女はいない。ヤゴンが「何者か」と誰何の声を上げるより前に、喊声が辺りに響いた!
後方に下がっていた兵士たちが、思わず後ろを見る。
闇に紛れながらも、そこかしこに、チラチラと光るものが見える。
「魔術光だ! 伏兵が後ろにいるぞ!」
何者かが警告の声を上げた。だが、遅すぎた。一瞬の間もおかずに、雷撃と火炎の爆発が起こる。
兵の肉が焼けただれ、轟音が耳を叩く。加えて炎の矢が降りかかった。
炎によって、辺りが明るくなる。
兵士たちは、炎の向こうに、兵の一団を見た。その一団が、喊声をあげて迫り来つつある。
「突撃!!」
「俺の名は、『天下無双の槌使い』リェンホー!! 死にてぇ奴から、かかってきやがれ!!」
大音声に叫び回りながら、リェンホーが、縦横無尽に鎚矛を振るう。一撃ごとに、敵の脳天がかち割られ、あるいは、体に大きな穴を開けて、敵が絶命する。
時を同じくして岩塩窟の門も開かれ、冒険者達が大挙して、アイヴィゴースを攻めた。
今度は、アイヴィゴース騎士団が、前後に挟まれる形となった。
後方に下がった兵士達の中には、座り込んでいるものも多かった。それに加えて、炎と雷の爆発である。完全に飲まれ、迎撃の態勢を取ることも出来ない。
50の兵士たちに、700の本隊が、次々と打ち倒されていった。
千人兵長である騎士ヤゴンも、また自ら剣をとって、闘わなければならなかった。炎の矢によって、薄暗く照らされた場所で、剣戟の火花が散る。
ヤゴンは、迫り来る敗北の予感に歯噛みしながらも、剣を振るい、活路を見出そうとしている。
そこへ立ちふさがった男がいた。兜を着けていてもわかる髭面の持ち主だった。
「名のある騎士だな! 貴様!! この『天下無双の槌使い』の栄誉の糧となれぃ!」
その言葉と同時に、巨大な鎚矛が振るわれた。
危ういところで、その打撃を躱したヤゴンは、言い放った。
「下賤の者に、この騎士ヤゴンが破れるものか! 貴様こそ、我が剣の錆にしてくれるわ!」
ヤゴンの鋭い剣勢を、リェンホーは鎚矛の柄で受け止めると、その勢いのままに、鎚矛を横に振るう。
「遅いわ!」
重量武器の弱点は、その振りの遅さにある。ヤゴンは、後ろに小さく跳んで、鎚矛を躱した。少し遅れて、風圧が顔に当たる。
だが、リェンホーの攻撃はそれで終わりではなかった。
右から左へと振るわれた鎚矛は、勢いをそのままに回転させ、後ろへと回った。
リェンホーは遠心力を利用し、体ごと回転させて、鎚矛の軌道を上に方向転換すると、そのままヤゴン目掛けて、跳躍する。
振り回されることによって加速した鎚矛は、さらに跳躍によって勢いと重さを増し、ヤゴンの脳天へと、唸りを上げて振り下ろされた。
とっさのことにヤゴンは剣を構えたが、重量武器を支えられる筈もない。自らの剣が兜にあたり、鎚矛は剣ごと、兜を押しつぶした。
リェンホーは喚くように、言い放った。
「騎士ヤゴンを、『天下無双の槌使い』リェンホーが、討ち取ったり!!」
「うわあぁ!」
ヤゴンが打ち倒されたことが、波紋のように広がると、騎士達も兵士達も、意味をなさぬ喚き声をあげて、我先にと逃げ出していく。
戦いの帰趨はこれで、決まった。
***
一晩開けた頃には、岩塩窟では、残敵掃討を終わらせている。
イレーネもまた、自らの魔術の才を存分に発揮した。戦いにおいて、敵を哀れに思う気持ちもあるが、今回の場合、非はどう見ても、あちらにある。感傷もほどほどに止めておいた。
なにより、魔術とは、精神力によって行使するものである。達人の域にあるイレーネであっても、夜を徹して魔術を使い続けては、精神が摩滅する寸前であった。
後事を、アマロ・ヴォーンに頼み、ベッドへと倒れこむ。とにかくも、この戦いは終わった。
***
騎士団と岩塩窟の戦いは、岩塩窟の勝利に終わった。
岩塩窟の死者は23名であり、それに数倍する怪我人がいる。その一方で、アイヴィゴース騎士団の死者は、253名であり、その中に騎士32名もいる。
そして、リェンホーが打ち倒した騎士の数は、この隊を指揮していたヤゴンを含め、11名にのぼる。
かつてリェンホーは、一ダースの騎士だろうと倒してみせると、豪語したことがあった。今回の働きは、まさに、その言葉を立証したと言えよう。
誰が見ても、第一の戦功である。
リェンホーは一代限りではあるが、騎士に叙勲され、岩塩窟の守備隊長に任じられた。
声望を高めたのは、リェンホー一人ではない。岩塩窟の城代騎士であるヘスメン・サルザーリテも、この困難な包囲戦を制したことで、大いに名声を広めることになった。
そのヘスメン卿は、大量に抱え込んだ捕虜の処遇や、騎士たちの身代金の算出に忙しいようである。
そして教練長であり、事実上の軍師であったイレーネもまた、名声を得た。加えて、あらたに金貨200枚を、謝礼金として手に入れている。
さらに、サルザーリテ家の専属魔術師の地位を打診されたが、これは丁重に謝辞していた。
イレーネ曰く「私も、シャーリリオ男爵家の端くれですので。その身で、臣従するとなれば、色々都合がわるいというものでしょう」とのことであった。
これは本心であるが、理由の全てではなかった。
というのも、戦いが終わった翌日、レイミアが耳長狼ルーシェンと共に現れ、驚くべき報告をしたのである。
イレーネの弟子イチノセが、アゲネに囚われているというのである。
「本当なの?」
「はい。間違いなく、イチノセちゃんは、アゲネに囚われているみたいです」
そういって、レイミアは、事の次第を話した。
港湾都市フンボルトに上がる煙を見たレイミアが、近寄って確認したところ、すでにフンボルトには、アイヴィゴース家の旗が掲げられていた。
レイミアはそのことを、イレーネに知らせようとしたが、すでに岩塩窟は包囲され、入り込む隙間もない。ルーシェンも、岩塩窟に留め置かれたままである。
矢文を飛ばしても良かったが、その前に詳しい調査をと思い立ち、港湾都市フンボルトに舞い戻った。
アイヴィゴース騎士団に襲われている中でのフンボルト陥落の知らせは、士気を下げるだろうと勘案したからでもある。
数日後、レイミアが到着した時には、フンボルトは城門を開けていた。
この時、すでにゼノミオの一派は、フンボルトを離れている。
レイミアは旅の冒険者のふりをして、都市の中に入り込み、冒険者ギルドに顔を出した。
そこで、アイヴィゴースの従騎士と思われる者が、イチノセのことについて、根掘り葉掘り訊き回っているのに、出くわしたのである。
イチノセという名は、ここらでは珍しい名前だ。レイミアは、すぐに、それが『霧の魔女』イレーネの弟子であることに気がついた。
イチノセが姓であること、名前を秘密にしていること、二十五歳であると自称していることなど、ギルド員は奇妙なことばかり喋っていたが、従騎士はそれに頷いて聴取をするばかりである。
(なんで、イチノセちゃんの情報を集めているんだろう? 別に有名人でもないのに)
レイミアは疑問に思ったが、これは重要な事に違いないと直感した。
それからレイミアは、独自に情報を集め、足取りを追った。
まず、イチノセが、娼婦たちを守っていたことが、明らかになった。
ラヴェルヌ達、娼婦はこの時代では珍しいことに、略奪を避ける事ができていた。
だが、イチノセはアイヴィゴースの追跡者に捕らえられ、騎士に周囲を固められて、接収された元ウェークトン邸に連行されたことを、調べあげたのである。
「ただ、どこに囚われているかは、はっきりと分からなかったんです。 けど、どーも、王子様も囚われているみたいでー」
「どういうこと?」
「フンボルトの城壁に、王族の紋章旗も掲げられていたんでけど。その城館の下働きに聞いた話だと、どうやら、貴人用の牢に王子らしき人が捕らえられているって噂なんですよー」
この下働きには、大いに銀貨を握らせてやっていた。かつて、イレーネが与えた金貨30枚から出されたものである。
「うーん。けれど、それって居たとしても、ウェークトン家の人間じゃないかしら。ただの噂でしょう? 火のないところにも、煙は立つものよ」
「まぁ、噂ではあるんですけどー。でも、当主以外は船に乗って逃げ出したって話ですし、下働きの人も、ウェークトン家の人は見ていないそうですよ?」
***
レイミアを下がらせた後、イレーネは深い溜息をついた。
予想もしていなかったとは、言えない。だが、大丈夫だろうという楽観があった。
イチノセの性格もそうだが、魔術師としての能力も、熟練の域に入っているといって良い。
シジル(魔術文字)の理解、精神力の強さ、集中力、どれをとっても、手練と言えた。
(なのに、捕まったなんて!)
腹立ちまぎれに、イレーネは身につけていた篭手を投げつけた。
存外に大きな音が出て、篭手が床に落ちる。
イチノセは間違いなく、アゲネに抱かれているのだろう。
それを思うと、たまらぬ気持ちに、イレーネはなった。
イチノセが、この世の記憶を失っていると言っていたが、その間はまずアゲネの情婦であっただろうと、イレーネは思っている。
今思えば、最初にイチノセを救った時、彼女は乞食のような扮装をしていた。
最初は、劇団員かと思ったが、そうではない。
アゲネが、自分の情婦に乞食の扮装をさせていたのだろう。そういう戯れを、男は好むものらしい。
イチノセは、愛がわからない、信じ切れないといった。それもまた、情婦である身の上から、無意識に出た言葉ではなかったか。
イレーネは寝台に寝転がって、宙空を睨んだ。
本来、これ以上、イチノセに関わる必要はないはずだった。
弟子にはしたが、かといって、どこまでも面倒を見なければならない訳でもない。
考えようによれば、イチノセは元の鞘に収まったのであり、冒険者などをするよりも、貴族の情婦として暮らしたほうが安逸かもしれない。
それに、ここでイチノセを奪回しても、なんら得になるわけでもない。むしろ、アイヴィゴース家に恨まれるだけ、損である。
(……今更ね)
イレーネは、苦笑した。
いかに反対理由を並べても、イチノセを助けるという結論は変わりそうになかった。
そもそも、岩塩窟でイレーネは思いっきり、アイヴィゴース騎士団に敵対してしまっている。イチノセ自身も、情婦になるなど「まっぴらごめんだ」と言っていたではないか。
いつの間にか、イチノセの存在が、自分の中で大きくなっていたらしい。
危険は大きい。
岩塩窟で、包囲戦を戦うことの比ではないだろう。
自分一人の力で、アイヴィゴース騎士団の屯するフンボルトの、更に中枢に侵入し、弟子を救い出した上で、逃げ出さなければならないのだ。
(それでも、私は、イチノセを救い出す)
密やかに決意を込めて、イレーネは頷いた。