21話『囚われの君』・下
岩塩窟への攻撃は、翌日以降も続いた。
イレーネは引き続き、戦いを指揮している。
本来ならば、城代騎士であるヘスメン卿が指揮をとるのだが、彼は、戦闘に長けているわけでも、軍略に通じているわけでもなかった。
一方で、経営や監督者としての能力はあり、それを見込まれて岩塩窟を任されていたのだろう。
思えば、ヘスメン卿は、城代騎士ではなく統括者と名乗ることが多かった。
そのヘスメン卿であるが、頻繁に前面に出て、兵士たちを鼓舞してくれる役割を果たしてくれているので、イレーネに否やはない。
イレーネは先日と同じく、物見櫓に登って、大規模魔術を放っている。広範囲に攻撃できる魔術ゆえ、広い視野を確保するのが重要なのだ。
しかし戦う内に、イレーネは首を傾げるようになった。
「攻撃は激しいけれど、どこか、単調だわ……。まるで落とすという気概が感じられない」
疑問に思ったイレーネは、食堂で同席したリェンホーに話を聞いてみた。直接刃を交える距離で、どう見えたかを聞いてみたかったのである。
「あいつら、いっちょ前に、兵糧攻めをやろうってつもりだろうな。こっちの備えに恐れをなして、飢えさせようって魂胆よ!」
リェンホーは、厳つい声で言った。
「確かに、そうかもね……」
リェンホーは無学ではあるが、歴戦の勇士だけあって、このような時の勘は優れたものがある。
「防備は万全、糧食の備蓄も十分だけれど、兵糧攻めとなれば、水の備蓄が心配だわ……岩塩窟は山地だから、水は雨水に頼っているしね」
「あと、夜襲もないとは言えねぇ。あいつら、昼間にばっかり攻めやがる。こっちがダレてきたところで、夜に奇襲をかけるつもりかもな」
「なるほど。さすがに戦闘教練長、すばらしい観察眼ね」
そう言って褒めると、リェンホーは「よせやい」とだけ言って黙った。厳つい男だが、褒め言葉には弱い。
その後も、相談を重ねていったが、リェンホーはふと、イチノセについて尋ねてきた。
「そういや、『霧の魔女』さまの弟子は、どうしたんで?」
「イチノセね……。フンボルトでも、戦争があったのは知ってるわよね。そこで、はぐれた、ということになるのかしらね」
「そりゃあ……心配だ」
リェンホーは、気の毒そうに言った。
たしかに、イチノセのことは心配である。
だが、イチノセの実力は、もはや新人魔術師の域ではない。暴徒を抑えこむくらいは、難なく出来るだろう。
イチノセに頼んだのは、あくまで都市包囲下における治安悪化の対処である。
まさか城壁が破られた後も、略奪者を相手取って戦うとは、イレーネは想定していなかった。
ましてや、イチノセが、アゲネに囚われているとは思いもよらない。
「まぁ、大丈夫でしょう。イチノセは、なかなかに優秀な魔術師よ。自分の身を守ることくらい出来るわ」
『命あっての物種』は、冒険者にとっての基本中の基本だ。逃げるなり、隠れるなりするくらいの才覚は、自分の弟子に期待してもいいはずである。
心配しつつも、イレーネは楽観視していた。
***
イレーネに心配されていたイチノセは、しかし、暖衣飽食の限りを尽くしていた。
「あぁ…自分が駄目になっていくのが分かる…」
窓のそばのソファに寝転がって、雲が流れていくのを見ながら、イチノセは呟いた。
「監禁されていては、やることがないものな」と苦笑しながら、ミンヘルは、傍らに転がった本を拾い上げた。
「うん。寝正月を続けてて、罪悪感が高まっていく気分だよ……って言っても分からないか」
大あくびをさすがに隠しながら、イチノセは起き上がった。
それに合わせて、さらりと銀髪が流れる。
『銀色の髪の乙女』であることを隠すために、髪粉で栗色の髪に染めていたのだが、髪の毛を洗った際に色が抜け落ちてしまっている。
従卒に言付ければ、髪の毛を洗うためのお湯を始めとして、大概のものは持ってきてもらえた。
何もしなくても、食事は運ばれてくるし、部屋から出られないことを除けば、ホテル暮らしをしているようなものだ。
「この本は気に入らなかったかい?」
「まぁね…。ちょっと趣味が合わないかな…」
ミンヘルが拾い上げた本は、当世流行の物語本とのことだが、主人公が間抜けすぎたり、展開がご都合主義だったり、超展開だったりで、少なくとも、まともに楽しめる出来ではなかった。
「でも、ありがとう。ミンヘル殿下のおかげで、だいぶ文字が読みこなせるようになったよ」
イチノセは、ミンヘル殿下が暇な時に、文字の読み書きを教えてもらっている。
この物語本は、その教材であった。
暇を見つけて、コツコツと努力したかいあって、物語本くらいなら、時間をかければ、読みこなせるようになっている。
「どういたしまして」とミンヘルが返す。
つくづく、いい人だと思う。
これが、王族の気品というものなのだろうか。
年若い男女が一室に入るというのに、欲情をにじませることすらせず、決して怒ったりせず、実に紳士的なのだ。
実のところ、王族と知ってからは、言葉遣いを改めたりもしたのだが、「最初みたいに普通に話してくれ。敬語で話されると慇懃無礼な周囲の連中を思い出して、胸糞が悪くなる」とまで言われたため、素の口調で話している。
ミンヘルも次第に打ち解けたのか、口調が砕けてきていた。
「ところで」とミンヘルは切り出した。
「もう一週間以上になるね」
「なにが?」
「イチノセが、ここに”入居”してからさ。どうして、”入居”するはめになったのか、そろそろ教えてもらえないか?」
「うぅーん。なんというか、自分でもよく分からないんだよね…」
「それは教えたくないってことかい?」
「うん。それもある」
そう言って、イチノセは、椅子に座り直した。
「実を言うとね。ミンヘル殿下が、間者ではないかと疑ってたんだ。王族というのも自称にすぎないし、こんなところに閉じ込められたら、色々話をするでしょ? そこで世間話に混じって、情報収集をするつもりなのかって」
そう、イチノセが言うと、ミンヘルが笑い出した。
初めにあった時より、ずいぶんと明るくなったものだとイチノセは思う。ミンヘルの笑った顔が、イチノセは嫌いではない。
「いや、余も、似たようなことを考えていた。見目麗しい女性をあてがって、余を腑抜けにさせるつもりなのかとね。そのようなこと無意味に決まっているのだが…」
「確かに。ミンヘル殿下は素晴らしい紳士だね。寝床を譲ってくれたし、不埒な真似をすることもないし……その、ムラムラすることはないの?」
「いや、まぁ……」
あまりに直接的な良いように、ミンヘルは口ごもった。
この時代の価値観からして、若い娘がそのような直截な言い方をするなど、考えられぬことだった。
「もっと、遠回しな言葉を使うべきじゃないかな。イチノセは、うら若い女性なのだから」
「異国人に、遠回しな言葉を使えと言われても、困るよ」
「む……。そうかもしれないが…」
イチノセは、この国風の名前ではない。ミンヘル殿下は、それで異国人だと思ったようで、イチノセはそれを否定していなかった。また、あながち間違いでもない。
「まぁ、よいか。 それじゃあ、何も教えられないか?」
「んー。教えられることだけ言うと……、私は、魔術的な目的のために、探されていたらしい。それが私自身なのか、私が持つ情報なのかは、ちょっと分からないけどね」
「ふむ」
「あと、私を求めている人は、少なくとも二人居て、互いに表面上は協力関係にあるけど、実はその内の一人は、出し抜こうとしている。そして、出し抜こうとしている一人は、私から情報を引き出そうと企んでいる。あ、ちなみに、その一人が、アゲネね」
「アゲネ? …そうか」
ミンヘルは、納得するかのように頷いたが、ふと顔を上げた。
「けど、それなら、なぜアゲネはイチノセを尋問しないんだ?」
「それは、確かに、自分も疑問だったけど……理由が分かった気がするよ」
そういって、イチノセは、チェストから宝石のついた首飾りを取り出した。
「投獄された時に持ってた首飾りだけど、これ私のものじゃないんだ。普通こういう高価なものは貸したとしても、あとで取り返すでしょ? それが一週間経っても取り返しに来ないということは……」
ちょっと間を開けて、効果を狙う。
「まず、間違いなく、アゲネは、それどころではないということ。私の魔術的価値とやらは重大過ぎて、多くの人にはバラせない。だから、尋問もアゲネがやらなければならない。そして、この場所には、王子様もいる。ますます適当な人に任せる訳にはいかない」
「なるほど」
「つまり、私達は、アゲネの忙殺バロメーターというところじゃないかな? 私達にかまってられないほどの難事が、アゲネに降りかかっているんだと思うよ」
ミンヘルは笑った。
「そう思うと、籠の鳥のごとく監禁されていても、気分良くいられそうだ」
***
実際、イチノセが看破したように、アゲネは忙殺されていた。
この時のアゲネの戦略は三つの支柱に拠っている。
一つ目は、港湾都市フンボルトを恒久的に支配するための施策である。
腹立たしいことに、ウェークトン家が、主だった侍臣や親族を船に乗せて逃げ出したために、フンボルトの財政、税政全体の把握に時間がかかっている。
手勢を侵入させ、当主を討ち取ることはできたが、親族にまでは手が回らなかったのだ。
二つ目は、岩塩窟の攻略である。
これは、岩塩窟自体が目的ではない。岩塩窟を制圧した後、教会に寄進することと引き換えに、フンボルトの支配権を保証してもらうことが目的である。
すでに枢機卿とも話をつけていた。
当初、ジーフリクに工作を頼んだが、失敗に終わっている。あろうことか、岩塩窟に囚われてしまっていた。
サルザーリテ家領主との身代金交渉を手早くまとめて、ジーフリクを救い出し、それと同時に、岩塩窟を襲うように騎士ヤゴンに指示している。
これは、結果待ちだ。
最後は、意のままにならぬ息子、ゼノミオの抹殺である。
ゼノミオの抹殺は時間をかけて行うつもりであった。
本拠地はアーリンによって奪取されており、騎士団に帰る場所はない。
やがて麾下1600人の騎士の糊口をしのぐために、ゼノミオは、略奪をするしかなくなるだろう。
そうすれば、ゼノミオの声望は地に落ちる。のみならず、満足に食事も取れない騎士達が不満を募らせるのは必定である。
すでに、騎士伯の権限によって、ゼノミオ騎士団長の解任を通告している。
次いで、ゼノミオが解任を肯んじない場合には、討伐せよとの命令も下している。ゼノミオ麾下の騎士から裏切り者が出るのも、時間の問題だ。
むろん、アゲネ麾下、パースシーの指揮する騎士団6000名を編成して、いくらかを討伐に向かわせることも計画していた。
何より、フンボルトを占領して一週間ほどしか経っていないのだ。アゲネ自身が決済せねばならぬ事柄は、果てがないとすら思える。些事とは思っていないが、イチノセを尋問することは、どうしても後回しになってしまう。
そのイチノセが、ミンヘル殿下と同じ牢に入れられたのは、さほど、はっきりとした意図があるわけではない。
単純に、貴人用の牢が足りなかったというのが理由だ。
先だってのフンボルト戦で、騎士階級の捕虜を多く得ており、彼らを城館の牢獄に入れていたが、まさか、そこに『銀色の髪の乙女』を入れるわけにもいかなかった。
『銀色の髪の乙女』イチノセは、『不死』を得るために必要な存在である。万が一にも、問題があってはならない。
さりとて、普通の一室に監禁するというのも難しいところだ。牢番を置かざるを得ず、いかにも目立つ。
ゼファーなどに『銀色の髪の乙女』を隠匿していることが、分かってしまうかも知れぬ。
『銀色の髪の乙女』イチノセは、秘中の秘であるから、同じく秘中の秘であるミンヘル王子と一緒に監禁することで、人手と秘密を守る労力を節約したのであった。
ミンヘル殿下が、イチノセを襲う心配はまず無かった。というのも、かつてミンヘルを懐柔しようと、美女を送り込んだことがあったのだが、ただの一人にも手を付けなかったからである。
ミンヘルは不能だというのが、アゲネの見立てであった。
そして、これは珍しいことではない。
貴族の血を守らんとして、近親交配を繰り返した結果、遺伝的に問題のある子供が生まれるというのは、よくあったことなのだ。
特に血統の純潔性を保とうとする”高貴”な人間ほど、その傾向が強い。
王族ともなれば、問題があるのは、大いに予想されることであった。
そもそも、現在の女王インヴェニュートは、公にはされていないが、知恵遅れなのである。
王家の輝かしい血統とされるものは、いまや濁り、腐り果てていた。
そして。
あと一週間もすれば、事態解決の目処が立つ。そうなれば、ようやく『銀色の髪の乙女』の尋問にかかれるだろう。
アゲネの前途は、洋々として広がっている。




