20話『剣の道』・下
パースシー副団長が捨てた野営陣地に到着すると、ゼノミオはそこを再利用することに決め、周囲への斥候、輜重隊による野営の準備、見張りなどの指令を次々と発した。
(それにしても…テーシュ・パースシーめ、何を考えている)
これが、パースシーの独断専行であるならば、問題は簡単だ。追いついた後で、パースシーが無断で騎士団を動かしたことを責め、降格処分にでもすれば良い。
だが、もし、これが、父アゲネに唆されたものだとしたら、厄介なことになる。
この騎士団の長はゼノミオであるが、騎士団自体は、主家であるアイヴィゴース騎士伯家に仕えている。
アイヴィゴース家の当主は、あの忌まわしい父親アゲネであるから、パースシー副団長が、「アゲネ様から主命を受けた」と言われれば、ゼノミオとしては、責めるべき大義名分を失ってしまう。
そして今、ゼノミオは、旅の魔術師ゼファーの言葉が気にかかっていた。
あの女は誰とまでは、はっきり分かっていなかったが、副団長が裏切ることは知っていた。
(アゲネが副団長を唆そうとしているのを、あのゼファーは聞いたのではないか)
ゼノミオはそう思い、ゼファーを放逐せずに留め置くべきだったかと、やや後悔した。
しかし、まさにこの時刻、ゼファーは《飛翔の翼》でもって先回りし、アゲネ本人に会っていたのだ。
ゼノミオは、ゼファーを食い詰め者の魔術師風情としか、思っていなかった。
掌の上で、いいように転がされていることに、ゼノミオは未だ気づいていない。
***
放った斥候が戻ってきたのは、日が昇りつつある時刻であった。
息も絶え絶えに、ゼノミオの御前にまろび出て、斥候は言上する。
「港湾都市フンボルトに、アイヴィゴース騎士団の軍旗と、さ、三頭飛竜の旗が、掲げられております! フンボルトは、パースシーにより制圧された由!!」
「それは本当か!!」
「信じられぬ。あと一日の距離まで迫っていたというのに…」
側近が騒ぎ始めた。都市の城壁の中にこもられては、騎士の機動力を行かせようはずもない。
これほど速く攻城戦に勝利するとは、側近たちやゼノミオにとってすら、想像の外にあった。
だが、本当に信じれらない報告は、このすぐ後にやってきていた。
報告してきたのは、側近の一人である。あまりに信じられぬ事であるため、顔が強張っている。
側近は、ゼノミオに人払いを願い、周りに誰も居ないことを確認してから、それでも声を潜めて報告した。
「あ、アーリン殿が謀反だと……」
「はい。報告してきた男は、アーリン様の従卒であるらしく、これを……」
そういって、手のひらを開いて見せたのは、一片の護符であった。護符は、聖句を刻んだ海泡石のメダイで、細かな彫刻が施されている。
ゼノミオが若いころ、師父であるアーリンに贈ったものに相違ない。
「師父……」
ゼノミオは目をつぶった。これは間違いなく、袂別の意思表示であろう。
ゼノミオは愕然とするしか無い。嘘だと断じたかったが、手の中にある護符が、真実を雄弁に語っている。
ゼノミオは、目を開いた。護符には、「委ねられし使命に堪えよ」と書かれていた。
「師父アーリンは……、常々、こう言っていた。『使命に堪えよ』と」
「はぁ……」
側近は、目をしばたたかせた。何の話だろうか。
「この護符に書かれている聖句だ。聖騎士が、神によって授けられた使命をこなせずに、投げ出そうとしたときに、神の声を聞いた。それが、この言葉だ」
「……」
「この言葉は、どんな困難が待ち受けていようとも、やり通すことの大事さを説いたものだ。……分からぬか」
「何を、でしょうか」
側近は、自分が無能と思われるのではないかと恐れながら、そう問うた。
「これは…アーリンからのメッセージだ。吾との袂別と、翻意せずに、最後までやり通すという意味の意思表示だ」
「それでは、本当にアーリン副団長は……」
「ああ。間違いあるまい。この護符を持ってきたという従卒を連れてきてくれ。吾自身が尋問する。それと…、このことは、しばらくは他言無用だ。良いな」
「…御意」
側近は礼を施して、辞去した。
ゼノミオは、椅子に深く腰掛けて、あらためて護符を見やった。
(あの魔術師…ゼファーの言葉は本当だったのか……。そして、全ての裏に、父アゲネがいることも、はっきりしたな……)
そうでなければ、主君であるアゲネに強要されなければ、師父アーリンが吾に反旗を翻すはずがない。
パースシー副団長の独断専行も、アゲネの計略のうちだろう。
パースシーの軍勢を追って、根拠地を離れたところで、そことの繋がりを断つ。
ゼノミオの一党は、補給も受けられないままに、孤立するしかない。
「『城下の盟』の反対というところか……」
ゼノミオは虚を突かれたのである。実の子に、ここまでの計略をかけるアゲネは置くとしても、最も信頼していたアーリンにまで、裏切られるとは思わなかった。
おそらくアゲネは、アイヴィゴース騎士団の主君として、ゼノミオの解任を通告するであろう。
孤立した状態で、そのような事になれば、ゼノミオにつき従う騎士たちは動揺し、抜け出るものも多くなるに違いない。
より恐ろしいのは、残った騎士たちの中に、隙を見てゼノミオの寝首を掻こうとする人間がいるかもしれないことである。
騎士団内部が疑心暗鬼で埋まってしまえば、もはや組織として効果的に動くことはできなくなる。
補給を絶たれ、孤立し、名分も失い、組織内部も疑心で満たされるとなれば、行く先は滅亡しか無い。
ゼノミオは怒りを覚え、凝然として、手中の護符を見つめ続けていた。
***
翌日、ゼノミオは僅かな供回りを連れて、港湾都市フンボルトの近くまで馬を走らせた。
斥候の言葉だけではなく、自分の目で確認をしておきたかったのである。あのアゲネの牙城を。
フンボルトを囲む尖塔の群に、アイヴィゴース騎士団の軍旗と、王家の旗が確かに、はためいている。
昨日の今日であるから、城門は閉ざされ、人の行き来はない。
弓矢の届かぬ間合いで、馬を歩かせながら、ゼノミオは押し黙っている。
側近たちは、ゼノミオが黙っていることに、言い知れぬ恐ろしさを覚えた。ゼノミオは、黙っている時にこそ、緊張感が漂う。
今にも飛びかかりそうな猛獣を、思い起こされるのだ。
やがて、ゼノミオは口を開いた。
「来たな。破滅の先触れか、それとも救い主か」
ゼノミオの視線の先には、一個の騎影があった。近づいてくるに従い、その姿が鮮明となる。妙齢の女性であった。
密かにゼノミオが予感したとおり、彼女は、魔術師ゼファーであった。艶やかな黒髪をまとめ、旅装の拵えである。
ゼファーは、指呼の距離まで馬を進めると、そこで止まった。
無言のままに一礼し、こちらを見つめてくる。
しばらく、互いに黙ったままだった。
「ゼファーよ。知っているのか」
ゼノミオが、短く問うた。
判然としない問いであったが、魔術師は、答えてみせた。
「ええ。アーリン殿が裏切ったことも、エンシル城塞にフェデリ様が囚われていることも。そして……」
魔術師ゼファーは、聳え立つ城壁を見やって言う。
「パースシー副団長の軍勢の中に、アイヴィゴース家当主のアゲネさまがおられることも、私は知っておりますわ」
***
二騎が、フンボルト城壁の外を逍遥していた。
矢の届かぬ間合いとはいえ、敵地であるには違いないのに、二人に怯えはない。大柄な男と、美しい婦人であった。
ゼノミオは、ゼファーの言を入れて、人払いをしたのである。
「私もフェデリの友人です。このような仕儀になったのを残念に思いますわ」
「お前は、何を知っている?」
「ゼノミオ様は、いつも直裁的ですね」
ゼファーは、微笑みを返した。
「ほとんどは、ゼノミオ様も知ってらっしゃると思いますわ。アゲネ様が、パースシー副団長を用いられ、フンボルトを陥落されました。アーリン副団長もまた、防備を固めておいでです。
……すべて、当主であるアゲネ様が、仕組まれたこと。…ひとえに、ゼノミオ様を抹殺するためです」
「…そうか」
「ゼノミオ様。あなたは騎士道を歩まれているお方。咎があったわけではございません。『騎士道とは剣の道』。剣に善悪はなく、主君にこそ、咎があるのです」
「お前が、アゲネを誹謗するのか」
「ゼファーですわ、ゼノミオ様。それに、私はアゲネの手の者ではございません。私は、私の目的があります。ゆえにこそ、アーリンの叛意をお伝えしました」
「お前の…ゼファーの望みは何だ?」
「その前に、ゼノミオ様にお聞きしたく存じます。アーリン並びに、アゲネを討つ気概はありますか?」
「む……」
ゼノミオは押し黙った。
事ここに至っては、父であるアゲネを斬るしかない。だが、それは道義に反する行為だった。世間が黙っていないであろうし、なにより、騎士道を奉じるゼノミオには、できそうもないことだ。たとえ、憎い父親といえども『大だんびら』を抜くのは躊躇わざるをえない。
ましてや、師父アーリンに刃を向けることなど、出来ぬ。
「出来ぬ、ようですね」
「アーリンは、我が師父。私を育て導き、騎士道を教えてくれた恩人。たとえ、叛かれたとて、刃を向けるとは……」
「ゼノミオ様!」
はじめて、ゼファーは大声を上げた。ゼノミオは驚いて、ゼファーを見やった。これほど、声に威を込めることが出来るとは。
太陽が丘にかかり、馬に乗ったゼファーの影が長くこちらまで伸びている。
「あなたはフェデリ嬢を守られど、孤独のうちに止めておかれた。アーリンの叛意を知りながら、信じまいとした。そして、今アゲネが悪逆の徒であると明らかになりながら、放置している!」
普段の物柔らかな様子に戻って、ゼファーは続けた。
「むろん、分かります。道義に外れた父親を討てぬのは、それこそが、まさに道義に反するからでしょう? それは騎士として、圧倒的に正しい。騎士は自らの力を、欲のために使ってはなりません」
ゼノミオ自身、何度も自問してきたことだった。主君殺し、親殺しは、大罪である。だが、アゲネは、己の娘フェデリに襲いかかろうとした極悪人でもあるのだ。
フェデリが捕らえられ、自分は孤立し、アゲネばかりがこの世の春を謳歌している。
騎士道が、ゼノミオを救った。だが、同じ騎士道が悪を裁けずにいる。
嘆きとも、絶望ともつかぬ声がゼノミオから迸り出た。
「では、どうすればいいというのか! 騎士道が間違っていたとでも言うのか!」
「いいえ。咎ありしは、あなたの父親アゲネ唯一人。あなたに間違いがあるとすれば、アゲネを主君とした一事のみ。そうではありませんか」
「しかし……」
「騎士道で裁けぬ悪を裁くは、主君の役目。あなたに必要なのは、父を弑せよと命ずることの出来る主君です」
「主君だと……」
ゼノミオはうめいた。確かに、自分は主君を持ったことはない。父親が名義上の主君であったが、ゼノミオは父を主君と思ったことはなかった。
「まさか……ゼファー…殿……」
黒髪の魔女ゼファーは誘うように、ゼノミオに向けて手を伸ばした。
「私の目的は、この地に王道楽土をもたらすこと。そのために、裁けぬ巨悪を裁く『剣』を、私は欲しいのです……すなわち、あなたの忠誠を」
西に位置するゼファーに、太陽がかかる。逆光となったゼファーの表情は読めぬ。
だが、ゼノミオにとって、その姿は光背を背負っているように見えた。
ゼノミオは、手をとった。
奇妙な予感に包まれたまま、彼は、新たな主君の手をとって、その手の甲に口づけを落としたのである。
・城下の盟
…『城下の盟』とは、居城を包囲されて、降伏勧告を受け入れざるをえない状態のこと。
物語上では、ゼノミオはエンシル城塞から切り離されてしまい、居城に戻れなくなっている。城を包囲される窮状ではなく、城に戻れない窮状であるため、城下の盟の反対であると、ゼノミオは評した。
なお、このような故事成語やことわざは、物語世界にある似た意味の言葉を翻訳した結果のもの。
ただし、主人公のイチノセは、この世界の故事成語を知らないため、物語上でも、言葉通りに表現される。
その一例が、武具店での『命は買えるときに買っておけ』という会話。意味としては『転ばぬ先の杖』に近い。




