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20話『剣の道』・上

百人以上の方に、お気に入り登録して頂けました。

また、感想ならびに評価も、作者の大きな励みになっています。


応援してくださっている読者の皆さんのおかげで、ここまで書き続けてこれました。

ありがとうございます!

 イチノセの目が覚めたのは、次の日の朝であった。

 通常通り寝てしまったことになる。さすがに忸怩じくじとしながらも、体を起こすと、寝台ベッドに寄りかかるようにして、ミンヘル殿下が休んでいた。


(……なにも、しなかったのか。この世界にも、紳士はいるんだな)


 イチノセが眠ったのは、薬にあらがいがたかったからだが、一方でミンヘル殿下のひ弱そうな外見を見て、安心したからでもある。

 いざというときは首飾りを手に巻きつけて、殴りつけようと考えていたのだが、その必要はなかったようだ。


「…ミンヘル殿下」

 イチノセは、ミンヘルの肩を揺すった。


「…ああ。イチノセ殿。ちゃんと休めたかな?」

「おかげさまで。それより、殿下は休めなかったでしょうに」

「なに、この部屋に閉じ込められては、寝ることくらいしか出来なかった。一日休まなかったからといって、どうということもない」


 寝台ベッドは一つしか無かったのに、それをイチノセに使わせてくれたのだ。

 それと知ったイチノセは、感謝の言葉を述べた。

 嵌めこみガラスの窓から、太陽の光が差し込んでいる。昨日は薄暗くて分からなかったが、壁には、大きな旗が飾られていた。

 三首みつくびを持つ飛竜ワイバーンの意匠である。


「それは、王族の紋章旗さ」

「これが…」と、イチノセは返したものの、初めて見るもので、特に感慨はない。

「3つの頭は、建国に力を尽くした三人の人間を表している。騎士、魔術師、そして聖者。体が一つなのは、一心同体を表しているんだそうだ」

「上部の丸いのは、王権を示しているの?」

「ああ。神授された王権の象徴であると同時に、神の威光を示しているらしい」

「しかし、三人が同列に並ぶなんて、珍しいな…」

「どうして、そう思う?」


「同等の権力者が三人いるなら、派閥も3つに分かれてしまうのが、人間社会の常だからね。それぞれが別の組織に属しているなら、なおさらね」

「イチノセは、異国人だから分からないか。騎士と魔術師は結婚したんだ。王と王妃になったんだよ。それに聖職者は、妻帯さいたいを禁じられているから、男女間でのゴタゴタもなかった」

「なるほどね」

「ただ、確かに王家と教会は、対立しがちではあるね……。その点では、一心同体にはなれなかったのかもしれない」


 よくある話だ。世俗と、教権が対立する話など、歴史を紐解けば枚挙にいとまがない。


「その血が巡り巡って、ミンヘル殿下に流れているわけか。歴史を感じるね」

「でも、誇りある王家の血筋も、もう途絶えようとしている」

 顔を曇らせて、ミンヘルは深刻そうに言った。


「その辺の話は、ぜひ聞いておきたかった。どうして、王族ともあろうものが、この部屋に閉じ込められることになったんだ?」

「そうだな……」


「待って」

 イチノセは、人差し指を立てた。「静かに」という合図のつもりだったが、ミンヘルに通じたかは分からない。


「人が来たみたいだね……。念のため、私は隠れていよう」


 イチノセが家具の後ろに隠れると、金属製の扉が開かれた。従卒らしき一人の少年が、食事を運んできたのだ。

 この部屋の扉は二重構造になっており、外に待機している衛兵が木製の扉を施錠してから、従卒が鍵を使って、鉄格子の扉を開ける。

 もし、従卒を襲っても、鉄格子の扉の鍵は手に入るが、外の木製の扉の鍵は手に入らない。

 逃亡を防ぐための二重扉だった。


 食事を運んできた従卒は、ちらりと王子であるミンヘルを見たが、何も言わず、食事を置いて出て行った。


「食事は二人前あるみたいだね…。手違い、というわけではなさそうだ」


 家具の裏に隠れていたイチノセが言う。たとえ牢獄とはいえ、若い男女を二人一緒にさせるのに、なにか意味があるのだろうか。「間違いを起こさせる」のだとしても、その意味がわからない。

 あるいは単純に、貴人用の牢が一つしか無いからかもしれない。思い返せば、岩塩窟の屋敷でも、貴人牢は一つしか無かった。


 食事は、カリカリに焼いたベーコンとスクランブルエッグ、トーストしたパンに、ホイップしたバター。ヨーグルトと果物だった。これにコーヒーがついていたら完璧だとイチノセは思うのだが、残念なことに、この世界ではコーヒーは一般的ではなかった。代わりに、紅茶が湯気を立てている。


 ミンヘルは椅子を引いて、イチノセを座らせた。そして、自らも椅子に座ると手を組んで、食前の祈りを行う。イチノセは、黙っていた。

 そういえば、リオン達がいた村でも同じことをやっていたが、冒険者たちや、イレーネ師匠はしていなかった気がする。


「どうして、アイヴィゴースに囚われることになったか、だったね」


 食事をしながら、ミンヘルは話しだした。


「異国人の君に話すのだったら、ネイリークレット二世が暗殺されたことから話すのがいいと思う。先王陛下は、跡目を定めずに崩御ほうぎょなされたために、王の子どもたちが互いに、争い始めたんだ」


「それは政治上で? それとも、実際に戦争を起こしたの?」


 このような時でも、イチノセの食欲は旺盛だった。

 焼きたてのパンに載せられたバターが、熱で透明になるのを待ってからかじりついた。もう、これだけで美味しい。


あれ(・・)を政治と呼ぶならだけど、二人が暗殺で死んだよ。そして、残った二人が戦争で争った。それでも決着がつかずに、互いに王冠を自ら戴いて、王を自称した」


 一方のミンヘル殿下は、さほど食が進まないようだ。

 ミンヘルは嘆息して言った。


「でも、それも長くは続かなかった。双頭騎士団が支持していた王子の方が、優勢だったんだけど、突然”病死”してしまって、大混乱に陥ったんだ。王都周辺を支配していた王女側は、もう大喜びだった」

「しかし…と続きそうだね」

「ああ。しかし(・・・)、王女も同じ疫病で”病死”してしまったんだ。余は、今でも、本当に病死だったのか疑わしく思っている。アイヴィゴース家は、そのころ王女派だったから、なにか裏で糸を引いていたかもしれない」


 イチノセは、二枚目のパンに手を伸ばした。ベーコンとスクランブルエッグをのせて食べる。

 柔らかなスクランブルエッグと、カリカリのベーコンの食感が美味しい。


「で、結局、王都周辺にいた王女派の貴族たちは、インヴェニュートを王位につけた。でもインヴェニュートは、当時7歳の女の子でしか無かった。明らかに傀儡かいらいにするための王位だったんだ。それが、今でも専横をほしいままにしている『領主連合派』さ。貴族たちの衆愚で、王国が運営されているんだ」


「ふむ」

 果物は、洋梨や林檎が中心だった。どちらも旬の果物で、新鮮である。ヨーグルトをかけて食べるのも、美味しそうだ。


「余は、インヴェニュートより年上だったから、『領主連合派』は、誰かが余を担ぐと恐れたのだろう。毒を盛られ、暗殺者を送られたよ。側近の一人で、余の家庭教師でもあったエオロ先生に、アイヴィゴース家を頼るように、勧められた」

「でも、なぜ、アイヴィゴースに? アイヴィゴース家も、『領主連合派』だったって聞いたけど?」

「ああ。当時、アイヴィゴースは、うまく立ちまわって、中央半島の南部を手に入れた。騎士団のおまけつきでね」


 ミンヘルは自嘲するように笑った。


「ただ、その時は、封土を辺境に移したものだから、『領主連合派』との権力争いから脱落したと見なされていた。貴族ならだれでも、王都で権勢を振るいたいものだからね」


 イチノセは、紅茶を飲んだ。香り高い。


「アイヴィゴース家は、権力の中枢から離れていて、王室に二心があるとは思えなかったし、身を守るための騎士団も持っていた。理想的な相手に思えたんだよ」


「なるほどね」

 三枚目のパンに手を伸ばしながら、イチノセがそう言うと、ミンヘル殿下は、笑いをこらえて言った。


「君は、実に、美味しそうに食べるね」

「まぁね」

 ホイップされたバターを、パンに塗りつけながら、イチノセは答えた。


「私の義父が言っていたよ。美味しくご飯が食べられる間は、人生どうとでもなるってね。ミンヘル殿下は、食は細いほうなの?」


 ミンヘルは、パンを一枚に、果物を少ししか食べていない。後は紅茶を飲むばかりだった。


「こんな所に閉じ込められては、ね。明日をも知れぬ身に、食欲がわくはずもないさ」

「そうなんだ。じゃあ、ミンヘル殿下の分のバターとベーコン貰っていいかな? 自分のが無くなっちゃってね」


 ***


 土煙を上げて、馬群が疾駆しっくする。

 そのどれもが鍛えられた軍馬であった。かの馬たちは、威風堂々たる騎士を乗せて、港湾都市フンボルトへと向かっていた。


「野営の跡を見つけました。やはり、港湾都市フンボルトへと向かっているようです」


 合流した斥候の報告を、馬上でゼノミオは聞いていた。

 ゼノミオは、1600の騎士のみを従えて、パースシーの6000の軍勢を追っている。


「そうか。では、その野営陣地まで馬を走らせた後で、休ませよう。おぬしは、よくやってくれた」


 ゼノミオは、斥候の労をねぎらって下がらせようとしたが、斥候はためらいがちに、問いかけてきた。


「あの…野営陣地の規模から見ても、パースシー副団長の軍勢は、こちらの四倍はあるかと……」

「不安か」

「あ、いえ、そのような…」

「大丈夫だ。後からアーリンが、歩兵を取りまとめて追ってくる。それに、パースシーとは、話し合いで済むやも知れぬ。そうならずとも、直接対決をするつもりはない」


 ゼノミオは、斥候の不安を拭い去るように、柔らかな口調を心がけている。


「パースシーの軍勢に、1600名もの騎士が貼り付けば、奴がどう望もうと、どこかを襲撃することなどできなくなる。考えてもみよ。1600名の騎士を背後にして、どこかを攻めることもできまい。逆に、パースシーが戦いを挑もうとも、騎馬のみなら逃げるのも容易だ」


 本当なら、一兵卒や、役職を持たぬ騎士に、くどくど説明することはない。

 『分からずとも、このお人に従っておれば、戦いは勝てる』と、彼らに思わせることこそが、重要だからだ。

 また、そうでなければ苦境に陥った時、兵の士気を保つことは出来ない。


 だが一方で、ゼノミオは、不安がる部下が説明を求めた時に、それを与える労をいとうことはなかった。

 軍略を理解できぬと決め付けるのではなく、理をいてみて、見込みがあるかどうかを試すのである。


「なるほど…。パースシー殿の軍勢がどこかを攻めるとなれば、後背にせまることで戦をとどめ、こちらに向かってくるとなれば、距離を取って相手にせぬと……」

「その通りだ。…おぬしの名を聞いておこう」

「ヘジューティ・ブラスにござる」


 そして、これ以降、斥候を務めていたブラス卿は、ゼノミオの側近として知られるようになる。

・嵌めこみガラスの窓について

 …この王国ミノシアのガラス製造技術は、さほど高くない。瓶底のような厚く掌大のガラスを、つなぎ合わせる『嵌め込みガラスの窓』が一般的である。

 現代のような板ガラスの窓は、東方王国リュキアや、東方海洋商国アク・テティスの輸入に頼らねばならない。

 なお、史実の中世ヨーロッパの城にはガラス窓は無かったと、誤解されることが多いが、ステンドグラスに代表されるように、ガラスの製造技術はすでに存在していたし、実際に城にガラスが嵌め込まれていた例もある。

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