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19話『虚実』・上

「まず、略奪をおやめなさいますよう、申し上げます」


『銀色の髪の乙女』イチノセが、領主アゲネに言った第一声がこれであった。


 諌言かんげんである。

 しかし、イチノセは、アゲネの臣ではない。むしろ、その逆の虜囚の身であった。

 イチノセの両手は縛られ、騎士がイチノセを取り囲んでいる。


「ほう? 止めてもよいが、代わりに何をしてくれるのかな?」


 面白がるように、アゲネは言った。

 イチノセの先入観かもしれないのだが、体を要求しているように聞こえる。


「いえ? 何も。これは懇願こんがんではなく、助言です、アゲネ閣下。この街フンボルトを恒久的に治めたいのならば、略奪は下策。人心を離れさせるだけではなく、経済をも荒廃させるでしょう。それは閣下の目的に適うものではないはず」


 騎士たちが、ざわめいた。

 このような小娘に、ということであろうか。


「しかし、略奪は勝者の当然の権利。主君がそれを止めよとは言えぬだろう?」

「褒章は必要ですが、それは戦に功のある者に行うべきです。

 功なくして褒章をもたらし、罪なき者を罰するのは、亡国の道でしょう。今回の城攻めにおいて最も褒賞を与えられるべきは、門を開けた人間であり、そして今、私を取り囲み、仕事をこなしている騎士たちです。

 彼らに比べ、今略奪をしているのは勝ち馬に乗っただけの人間。中には、フンボルト側の冒険者もいます。褒賞を受ける価値など、ありようはずがありません」


「一理ある。面白い娘だが、お主の本心は異なろう? この街の人々を助けたいと思っているのではないか?」


「さて」

 イチノセは縛られたままで、器用に肩をすくめてみせた。


「アゲネ閣下の裁定にまかせます。なにせ、囚われの身ですので」


 イチノセは「言いたいことを言う」性格なのだが、さりとて、この程度の弁舌が使えないわけでもない。

 娼婦たち……ひいては街の人々を救うのに、これが最善だろうと判断して実行したまでである。

 さらに言えば、アゲネは弁舌によって、現在の地位を築いたと聞いている。なれば逆に、自分に向けられた弁舌も無視できないだろうという計算もあった。


 アゲネは興味深そうに、イチノセを眺めた。


「この娘に湯浴みをさせて、きれいな服も用意してやれ」


 ***


 湯浴みをしながら、イチノセは考えをまとめていた。

 浴槽の周囲には、薄い綿布のカーテンが張られているが、そのすぐ外で、騎士がこちらを監視している。

 意識して、騎士の存在を忘れ去りつつ、侍女にお湯と香油を頼む。


(アゲネは、「ようこそ」と言った。それに自己紹介もした。まるで、初対面のような反応だ……。 記憶のない過去の自分は、てっきり、アゲネの情婦だと思い込んでいたけど、違ったのか? 名前を知られてもいないようだった。でも、どうして初対面の私を探す?)


 なみなみと張られたお湯をすくって、顔を洗う。

 湯浴みに、きれいな服となれば、待ち受けるのは”しとねを共にする”ことであろう。


(なんだか、最近の私はこんな目にあってばかりだ…)


 あの男に貪られる自分を思うと、怖気がする。周囲は、魔術が効きにくいミスリル甲冑の騎士ばかりであって、逃げられそうもない。

 イチノセは、師匠イレーネのことを思い出していた。

 誰かに頼ることなど、今まで無かったのに、師匠が助けに来てくれるのではないかと期待している。


(ありえない…)


 イチノセは頭を振った。我ながら、非現実的な妄想を抱いてしまったようだ。頼れるのは、いつだって自分だけなのに…。


 湯浴みからあがったイチノセは、用意してくれた服に袖を通した。サテン生地の軽やかな薄紅色のドレスで、スカート生地は重ねられて、ふわりと広がっている。

 白貂の毛皮の縁取りがされたケープも用意されていた。


 イチノセは、着飾ることは好きである。その先に待ち受けている事にも関わらず、心が軽くなるのを感じた。

 これで、アクセサリがあれば完璧だと思い、用意してくれた侍女に、髪飾りと首飾りを持ってくるように頼む。

 侍女は、嫌そうな顔をしたが、しかし何も言わずに、退出した。


 イチノセの両腕には、赤い魔法水晶のはめられたブレスレットがある。当然ながらミスリル製であり、マナを励起すると自動的に、脱励起の魔法陣《マナの霧散》が発動する仕組みになっている。


 これが、魔力封じというわけだ。おそらく、かなり高価なものだろう。

 だが、魔力を操作するのに、手を使わなければならないということはない。難しいが、足先でも魔法陣を描くことは出来る。

 効率はかなり落ちるが、やってやれないことはないだろう。逆に、緊急避難には使えないということだが。


 黄金のサークレットと、宝石の連なったネックレスを侍女は、うやうやしく持ってきた。隣に騎士がついて見張っているのは、それだけ高価だということなのだろう。

 イチノセは、それらを無造作に身につけた。

 鏡を見ても、我ながら惚れ惚れするような美しさだ。自惚うぬぼれているのかもしれないが、イチノセにとって、この肉体はつい最近のものである。多少の自惚れは、致し方ないだろう。


 だが、サークレットは気に入らなかった。もっと質素なものを要求する。幾つか見繕ってもらった中で、これはというものを身につけた。

 シンプルな真珠の髪飾りだ。蜘蛛糸に等間隔に真珠が通されたもので、簡素であるのが、逆にイチノセの好みに合っていた。


 ひとつ頷くと、騎士に促され、アゲネのいる部屋へ案内された。


 ***


「素敵なお召し物、ありがとうございます。アゲネ閣下」


 そういって、イチノセは一礼をした。

 ここからが勝負だ。なるべく情報を引き出しつつ、身を守らねばならない。


「失礼ながら、アゲネ閣下とは初対面であるはず。どうして、私を探していたのですか?」


 アゲネは、暖炉の火に照らされ、二人がけのソファに座って、酒を飲んでいた。隣り合う場所に、イチノセを座るよう促す。

 この邸宅は、今日、奪いとったばかりなのに、自宅のようにくつろいでいる。豪気なことだ。

 イチノセがアゲネの隣に座ると、アゲネは、舐めるようにこちらを見ながら、話しだした。


「…よく似合っている。いや、まずは名前を教えてもらおうか。実は、名前を聞いていなかったのでな」

「イチノセと申します。閣下」

「ふむ。異国風の名だな。……先ほどの答えだが、イチノセ女史の師匠に頼まれたのだ。弟子は、銀色の髪を持つため、探してほしいとな」

「師匠に? ……ですが、なぜ名前を知らないのです? 普通、人を探すときは名前を伝えるものでしょう?」

「さて…な。ゼファー殿が言うには、魔術的意味があるらしい。私は、魔術には、さほど詳しくはなくてな。…それより、こちらも聞きたいことがある」


 アゲネは、やや身を乗り出して尋ねた。


「イチノセ女史は、ゼファー殿の弟子とのことだが、『不死イモータル』と『進化アセンション』の御力を宿しているというのは本当か?」

「ああ……。師匠は、そんなことまで、話されたのですか」


 イチノセはすまし顔で語ったが、『不死』や『進化』など、実際何の心当たりもない。すべてハッタリである。

 だが、これで貴重な情報がいくつか手に入った。

 前世の記憶が蘇り、今世の記憶を失ったのは、『不死』や『進化』と何か関係があるらしいこと。

 記憶を失う前の自分には、今の師匠イレーネとは別の、ゼファーという師匠がいたらしいこと。

 そして、そのゼファーから逃げてきたらしいこと。

 この情報を使って、自分が記憶喪失だと悟られぬように、この場を切り抜けねばならない。


「イチノセ女史。ゼファー殿から逃げたということは、何か訳ありなのだろう? 知りたいことを話してくれるならば、私が保護するのもやぶさかではないぞ?」

「……少し、考えさせて貰いたいですね。私にもお酒をもらえますか?」


 イチノセが、こう言ったのは、時間を稼ぐためである。

 あまりに想定外の情報が入ってきたために、さすがに混乱している。今は時間を稼ぎたかった。

 イチノセがアゲネの情婦であるという推測は間違っていたらしく、それだけは、ほっとしたが。


(…それに、アゲネは、こちらが記憶喪失であるとは思っていないせいか、色々、決定的なことを喋った……『不死』と『進化』か)


 アゲネから手渡されたのワインを受け取りながら、イチノセは頭を働かせる。


「おそらく、アゲネ閣下の想像のとおりです。私とゼファー師匠は、『不死』の研究に没頭してきました」


 内心の動揺を悟られぬように、ワインを口に含んで時間を稼ぐ。


「閣下も『不老薬』を服用しておいででしょう? 人間の老いを止める、その薬を調査するところから、師匠の研究は始まったと聞いています……」


 ここまでは、間違いないだろう。不死を研究するならば、最も手近にある『不老薬』から始めるはず。

 問題は、自分の身の安全を確保しつつ、どうやって”それらしい嘘”をつくかだ。


「……やがて私は、奇妙なことに気づきました。ある種の魔術を使う時、私でなければ、失敗するという事例が生じたのです」


「待て」


 アゲネが、イチノセの言葉をさえぎった。射抜くような目で、イチノセを見つめている。


「どうして、そんなにつっかえながら話す? さきほどまでの女史は、立て板に水が流れるように喋っていたのに? ……まさか、適当な作り話でごまかそうとしているのではあるまいな?」


「まさか。ただ、不死を得ようとするは、神を冒涜ぼうとくする振る舞い。 私はただ、神の怒りが恐ろしいだけなのです……ゼファー師匠から、逃げ出したのも、それが一因ですわ。 今でも、お酒の力を借りなくては、震えて声も出せないでしょう」


「なるほど、な」

 一応は、納得したらしい。

 イチノセは続けて話すしかない。わざとらしいかもしれないが、ワインを見つめて、沈黙の間を入れる。


「……魔術を行使する人間に、一定の資格が求められるようでした。私が異国の人間であるためか、不老薬を服してないためか、あるいは純潔であるためか……、もしかするとその全てかもしれません」


「その魔術とは何だ?」


 鋭く、アゲネが問いただした。先程から、面持ちが引き締まっている。疑いを強めているのだろうか。

 イチノセは安心させるように、微笑んで言った。

 さも当然のように振る舞うこと。ハッタリは、それが全てと言っても過言ではない。


「閣下は、その魔術の成果を、眼前にしておいでです」

「というと?」

「私は、齢十五ほどの年齢にしか見えませんでしょう? ですが、私の本当の年齢は、二十五歳です。もちろん『不老薬』を飲んだからといって、この歳で成長が止まる事など無いのは、閣下もご承知でしょう」

「だが口で二十五歳というだけなら、誰でも出来るだろう?」


 イチノセは、笑みを深くした。


「どこの世界に、これほど知識豊かな15歳がいるでしょうか? 閣下が信じようと信じまいと、私は『不死』の魔術を扱える……それが事実です」

「ほう……『不死』の魔術な。 では、イチノセ女史は不死なのか?」

「いえ。不老ではありましょうが、刃を受ければ死ぬでしょう。先程も言いましたが、不死を求めることで神の怒りに触れるのが、私には恐ろしいのです」


 沈黙が降りた。アゲネは、言葉の真偽を確かめるように、じっとイチノセを見つめている。


 その時である。

 控えめなノックとともに、アゲネの部下が扉の向こうから報告してきた。


「お休みのところ失礼します、アゲネ閣下。ゼファー殿が、至急ご報告したいことがあると、やって来まして……」

「そうか。……すぐに行く」

 アゲネはそう言って、立ち上がった。


「イチノセ女史には、別の寝所しんじょを用意させよう。人をやってこさせるから、そこで休んでいてくれ」


 アゲネは、イチノセをそこに残して、扉を開けて出て行った。

 だが、見張りをつけることを、忘れていない。


(抜け目ない……。ハッタリがバレる前に、逃げ出したいけど……)

 イチノセは、気付けのために残ったワインをあおった。


 ***


 アゲネは、イチノセの言葉を信じたわけではなかった。

 多くの人間と渡り合ってきた経験から、イチノセがどこか、嘘をついていると勘づいている。

 そして実のところ、アゲネは言葉の中に、『嘘』を一つ紛れ込ませていた。


(あの少女…、『進化』には、一言も触れなかったな。嘘に気づいていたのか? 別の嘘を紛れ込ませたほうが良かったか……)


『進化』は、とっさに出したアゲネの嘘であった。もし、少女が『進化』について語っていたなら、嘘と断定できたのだが。

 アゲネは、密やかに笑った。


(小娘だてらに、やるものだ。フフ…。どんな嘘をついたのか、あとでじっくり調べてやろう…)


 家宰ミゲイラに後事を頼み、アゲネは、魔術師ゼファーが待機している部屋へと向かった。

・不老薬

 …錬金術士の手による老いを遅らせる魔法薬。満足に服用すれば、老いを遅らせて、120歳くらいまでは寿命を伸ばすことが出来る。

 最初は日を置かずに飲み、徐々に間隔を空けていく服用方法をとる。子供が飲んでも効果はない。

 貴族にとってさえ高級品であり、満足に服用できるのは、貴族の中でも高位に限られる。かつては、高位貴族が死を恐れるあまり、不老薬で身代を傾けるという問題も多く起こった。 

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