2話『銀色の髪の乙女』
見事なプラチナ・ブロンドを掻きあげて、少女が目を覚ましたのは、気を失ってから一日後の昼すぎであった。
「ココハドコダ・・・」
自分の声に違和感を感じるし、ひどく体が熱い。状況をはっきりさせようと、銀髪の少女はあたりを見回した。
いわゆるログハウスのようだ。ベッドのそばには窓があり、その向こうには森が広がっている。
どこかの山荘といった趣きだった。そういえば、山荘があるらしき場所まで行こうとしていたのだと思い出す。どうやら、うまく、辿り着いたようだ。
たしか、金髪の女性に助けられたような気がする。
(しかし…、本当に助かったのか?)
じっくりと見てみると、奇妙なことが多すぎた。今寝ているベッドもわらを詰めて、上にシーツを被せてあるようだし、棚の上にも、壁にも、写真は一枚もない。用途の分からない道具らしきものもいくつかある。
電化製品らしきものは一つとしてなく、コンセントも見当たらなかった。
そもそも、足を怪我していたはずだ。なのに、病院にいないということ自体がおかしなことだ。
(変なカルト教団にでも捕まったんだろうか……それとも、おかしいのは自分のほう?)
気づいたら、何かから逃げるように森のなかを走っていて、追われていたのは、三流ホラーに出てくるような足の早いゾンビ。気絶する前に見たのは、火の玉としか言いようがない何かと、光る奇妙な紋様。
自分の頭がおかしくなったと言われても、納得してしまいそうだ。
(これは…よくないな)
めまいを感じて、少女は起き上がった体を、もう一度倒した。
ふわりと、髪の毛が宙を舞って、少女の動きに追従する。
少女はプラチナの髪を一房拾い上げた。
(いつのまにか、髪の毛がこんなに伸びているし、白髪になっている…。とんでもない恐怖にあった人間は髪が白くなるというけど、物理的にはありえない話のはず……)
疲労と熱のせいだろう。これ以上、思考を深めることは出来ず、少女は意識を薄れさせた。
***
どのくらい経っただろうか。
額に乗せられた手のひらの、ひんやりとした感触で、少女は目を覚ました。
いつの間にか眠ってしまったらしい。
ミルクティーのような色合いの髪を持つ淑女が、こちらを心配そうに見つめている。年の頃は、20代半ばくらいだろうか。
「タスケテクレテ、アリガトウ……」
言ってしまってから、赤面した。よく見なくとも彼女は明らかに、日本人の風貌ではない。
「Thank you for saving me」
英語で言い直したが、女性は怪訝な顔をした。心配半分、不審半分の表情で問いかけてくる。
「ノンリィ・フ・エステス・エクイィト?(体の調子はどう?)」
(英語じゃないや……。いや、どういうわけか、言葉の意味がわかる……)
「アルスラ・ミ。グラ・ター・クィプレム。(ありがとう。大丈夫です、とりあえずは)」
いくつか言葉をかわしたが、少なくとも日常会話に困らない程度には、言葉がわかるようだった。
起き上がろうとすると、彼女に制止された。
「無理はしなくていいわ。とにかく、今は休んでいなさい。お粥を作ってあるから、一緒に食べましょう。 詳しい話は腹ごしらえしてからね」
「はい。ありがとうございます…」
彼女は鉄鍋から木の器に、おかゆを二膳よそって、その一つを少女に渡してくる。
少女は、一匙、また一匙と、お粥を口に運んでいった。
すくなくとも一両日ほどは、食事を取っていなかったのだ。あっという間に、鍋一杯を食べきってしまった。
銀髪の少女が、ようやく人心地ついたころを見計らって、ミルクティー色の髪の女性は話しかけた。
「食欲が旺盛なようで、安心したわ。……それで、あなたに何があったの?」
「実のところ、よく分からないんです。気がついたら森に居たので、人のいる場所を目指して歩いてきたんですけど」
「ここを目指してきたの? でも、なぜ、ここに人がいるとわかったのかしら? 自分で言うのもなんだけど、私の庵は人が住むような場所には、建てられていないと思うのだけれど?」
少女は軽く笑って、上を指さした。
「簡単です。 炊煙らしき煙が上がっていましたから。 それから聞かれる前に話しますけど、多くの炊煙を上げている村らしき場所よりも、こちらを選んだのは、責任を分散させないためです」
「責任を分散?」
「えーと。例えば数百人が往来する道端で人が倒れても、皆、もっとふさわしい誰かが助けるだろうと思って、積極的には助けないでしょう?
だけど、自分一人しか居ない場所で、誰かが倒れたのなら、きっと、その人は助けようとするはずです。その人だけの責任になりますからね」
無邪気に説明した後、少々まずいと思ったのだろうか。
少女は、こう付け足した。
「まぁ、小狡い発想かもしれませんが、私も生死の境にいたものですから」
(思ったよりも、この娘、聡いわ…)
確かに小狡い発想かもしれない。だが冒険者として、死にそうな目にあったこともあるイレーネには、理解できる発想だ。
「なるほどね。でも気づいたら、森に居たというのは? 誰かから逃げ出してきたの? それとも、事情を聞かれたくないためのただの方便?」
「 …『何か』から、逃げ出していたような気がします。ただ……」
そこで少女は言葉を切った。言葉を探しているというよりは、当惑しているようにイレーネには思われた。
「どうやら記憶が混乱しているみたいで、うまく思い出せません。……もう少し、休ませてくれませんか? そうすれば思い出せるかも……」
そういって、少女は体を布団の中に潜り込ませてしまった。
イレーネとしても、怪我人に無理をさせたくはなかった。この少女に触れた時の体の熱さを思い出したこともある。
怪我による発熱だ。しばらくは安静にしておくべきだろう。
それでもひとつ、聞いておくべきことがあった。
「…分かったわ。でも、一つだけ聞かせて。 私の名前はイレーネ・シャーリリオ。あなたの名前は?」
単純な質問だったが、少女の返答は、はなはだ的を得ないものだった。
「…姓はイチノセ…。名前はその…秘密です。自分でも、あまり好きじゃない名前なので……」
***
イチノセは、名前を聞かれるのが嫌いだった。後にアメリカに渡ったのも、変な名前だと分からない場所に行きたかったからだ。
それほど、ひどい名前だった。
両親の理性と羞恥心を疑いたくなるほどの。
そして、生みの親は、実際にろくでもなかったのだ。
育児放棄に、暴力行為も頻繁だった。六歳のときに保護されなければ、おそらく死んでしまったに違いない。
イチノセは六歳から九歳まで、養護施設…言い換えれば、孤児院で過ごした。職員は、普通に接してくれたとは思う。
だが、イチノセの方は荒れた。憤りのままに暴れ、喧嘩を何度もした。幾度、処罰を受けたか分からない。
その境遇が変わったのは、9歳の時であった。
義理の両親に引き取られたのだ。
境遇の変化は、心境の変化ももたらした。彼女は義理の両親に引き取られて、そこで初めて愛を知ることになったのだ。
(たしか、あれは……)
親子として仲を深めるために、遊園地に連れられたときのことだった。無鉄砲で無謀であった私は、怖い人達に暴言を吐いたらしい。
気がつけば、ごろつきに囲まれていた。
なおも、減らず口をたたいていた私に対して、ごろつきが腕を振り上げた時、そこに義理の母親が割って入ってきて、謝りながら私の腕を掴み、そそくさと連れ出してくれたのだ。
いかにも品の良い、おとなしそうな女性であったから、私は驚いた。どうして、危険を冒してまで助けたのか。
「愛しているからに決まってるでしょう!」
新たに母親となった彼女は、目を吊り上げて、そう言ったのだった。
私は困惑した。見れば、腕にあざが出来ていた。自分を助けるために怪我までしたのだ。
……その日から、イチノセは、暴れられなくなった。何かが、イチノセを押しとどめた。
その後、彼女は義理の両親のもとで、すくすくと育ち、大学では社会学を専攻し、アメリカの大学院にまで進んだ。
そして……、思い出せる限りでは、25歳。日本に里帰りするというところで、気がつくと、森の中にいたのだ。
しかも、どうやら少女になってしまったというわけだ。髪の色も違うし、掌も記憶より小さい。
夢ではないことは、森の中を一日中駆けずり回ったおかげで、さすがに分かる。もしや、いわゆる『転生』というやつなのだろうか。
(狂ったか、転生か、あり得そうなものとしては、この2つか)
狂った場合については考えない。考えても仕方のないことだ。
転生ということならば、何かのショックによって前世の記憶が思い出されるという話を聞いたことがある。
それこそ前世では、鼻で笑い飛ばすヨタ話に過ぎなかったのだが……。
そして、このイレーネの山荘。どうして、人里離れた場所に住んでいるのか、電化製品が周囲にないのはなぜか……。
イレーネが戻ってきた時、イチノセが要求したのは、鏡だった。
自分が転生したというのなら、それはそれで顔を確認したく思ったのである。
そして、鏡を見て、絶句した。
真ん中で分けられた髪は、一本一本が銀糸のごとく煌き、流れている。その間にある顔は、殻をむいた茹で卵のように、白くなめらかで、シミひとつさえない。灰色の瞳に、柳眉も相まって、幻想的な美しさがそこにあった。
「綺麗……」
思わず、そうつぶやいた。
イレーネは苦笑しつつ、からかい混じりに返す。
「自分で、そういうこと言っちゃうの?」
「いえ、自分のことであって、自分でないというか…。それより、イレーネさんは、アーミッシュだったりしますか?」
「アーミッシュ? いいえ? 少なくとも、聞いたことはないわ。でも…そうね。錬金術士ではあるわ」
錬金術士。イチノセにとって、それは物語の中の存在だ。「まさか」と「やはり」の気持ちが鬩いでいる。
「私が、ゾンビに襲われた時にしてたアレも、錬金術という奴ですか?」
「あれは、魔術ね。 錬金術は、道具や薬を作るものだから」
少女は頭を抱えた。先ほどから、イレーネは訝しむばかりだ。
「…なにか、一つ、魔術を見せてもらえませんか?」
イレーネはお安い御用とばかりに、魔法陣を描く。
《念動》
宙にお皿が浮かんでいた。
「…空飛ぶ円盤……」
この子は、時々変なことを呟くわね、と魔女は思った。
「あぁ…ええと…状況を理解しました。自分はどうやら、異世界から転生してきたみたいです。魔法があるし、かわいい女の子になってるし、ゾンビに襲われるし、狂ってしまったのでなければ、それしか考えられない…!」
イレーネは呆れた。
「あのね。事情を話したくないなら、話さなくてもいいって言ったじゃない。あの世からの転生なんて、あるわけないでしょ。お伽話や神話じゃあるまいし」
「メルヘンやファンタジーの住人に言われた……」
そして、この言葉は、異世界転生が少なくとも一般的ではないということを、示していた。
(両親に恩返しも出来ないままか……)
戻れる見込みはないと、イチノセは結論づけざるを得なかった。
「あの、信じてもらえないのかもしれないですけど、本当のことなんです。自分の世界では、魔術なんてものはなかったし、”電化製品”が全くないのも考えられないことなので……」
(うーん……)
全くのお笑い草ではあるが、イレーネは少し、信じてしまいそうになる自分を見出した。
この世界に、そもそも異世界という発想はない。銀髪の少女は、違う世界という意味で、フィユスールという言葉を使ったが、本来の意味は、『この世』に対する『あの世』である。
つまり、あの世から蘇った少女だと、イチノセは自称したのだった。
そして、この世界の伝承では、あの世とは月の世界であった。
伝承によれば、月の世界では、地上の人間が生きていく内に失ったものが、全て保管されていると言われている。
そして、死後、罪の重みに引かれない善人の霊魂は、月へと至るとそれらをすべて取り戻す。
すなわち、傷病は癒え、体は若さを取り戻し、忘れてしまった過去や賢明さを思い出すという。そうやって、欠けたることなき全き人間となって、月の都で幸福に暮らすのだ。
要するに、月の民は、完全な美貌と知性と肉体を持っているのである。
むろん、月の伝承は、俗人の信仰するところであって、イレーネのような知識人がまともに取り合うことはない。
しかし…。
改めて、少女をみる。
見事なプラチナ・ブロンドの髪は、まさに月の光を写しとったような色合いをしているし、白磁の人形のように整った顔も、この世のものとは思われぬ美しさである。
まるで月人のごとき美貌ではないか。
妙な説得力を感じるのは、イレーネが女性好きであるからだろうか。少女が可憐すぎるせいだろうか。
「……まぁ、そういう事にしておくわ。名前や事情が話せないなら、無理に聞き出そうとは思わないし」
「まぁ、信じられないですよね。…でも、どちらにしても、この世界の記憶はまるでないんです。なぜだか、言葉は話せますけど」
「はいはい。それでこれから、どうするつもりなの?」
「私も木の股から生まれたわけではないでしょうし、縁戚がいるのであれば、頼りたいのですけれど……」
「記憶が無いから、頼ることも出来ない?」
「…はい」
少女は、背筋を伸ばし、頭を下げた。異世界といえども、こういったジェスチャーに変わりはないはずだ。
「どうか、側においてくれませんか? 身の回りのお世話をしますから」
「それは、私の弟子になるってことなの?」
「そうです。できれば、魔術も使ってみたいし……」
「だめよ」
「え?」
「あの世からやってきたなんて自称する、あからさまに怪しい人間を側において置けると思う? 私の魔術や錬金術を盗もうとして、潜り込んだかも知れないのに?」
少女は、両手の指を合わせて、一瞬考え込んだ。ここで放り出されては、生きていく道がない。
「そういうことならば、身の回りの世話だけ、させてください。ただ、《念動》の魔術だけは教えてくれませんか?
さきほど、イレーネさんは、《念動》の魔術を簡単に見せてくれました。つまり、さほど高度でもなく、隠す必要もない魔術でしょう。
私は足を怪我していて動けませんが、遠くのものを引き寄せたり出来るなら、イレーネさんの手をわずらわせる事は少なくなると思います」
「……。まぁ、そうね。とりあえず、怪我が良くなるまでは置いておいてあげるから、安心しなさい。魔術も《念動》くらいなら、教えてあげるわ」
こうして少女イチノセは、魔女イレーネの世話になる約束を、取り付けたのだった。
***
さて、魔女イレーネの客となって、さほど日にちが立っていないある日、イチノセは次のように尋ねた。
「この世界の、最速の移動手段と、食料生産従事者の割合と、一般市民の教育制度を教えて下さい」
魔女は面くらったようだ。
「どうして、そんなことを訊くの?」
「これは私の持論でもあるんですが、人間社会の文明度を知るためには、この3つが指標として有効なんです」
イチノセは、指を一つ一つ折りながら説明した。
「最速の移動手段は、流通を表します。流通は経済規模に直結しますし、技術の発展とも大いに関係があります。食料生産は、人口規模に直結します。そして人口は経済規模と専門職の数に影響を及ぼします。一般市民の教育制度が整備されているほど、文明度が高いのは、自明の理です」
「へぇ。面白いわね」
イレーネは、興味をもったらしい。
「もう少し、詳しく教えてもらおうかしら。流通が経済規模に直結するのはどうして?」
「えぇと…。物の流通が良いということは、それだけ、特定のコミュニティで生産すべき商品が少なくなります。たとえば…」
イチノセは、そういって木のコップと、皿を並べた。
「コップが岩塩が取れる場所だとします。皿は綿花が取れる場所だとします。この二つに交流が全くなければ、岩塩の土地で綿布が欲しければ、塩害のある土地で、綿花を育てなければなりません」
そして、皿を指さして、続けた。
「一方、綿花を育てている土地でも、塩が手に入らずに難儀するでしょう。しかし、交流があれば…」
皿とコップを近づける。そして、交互に動かしながら、説明する。
「両方に交流があれば、互いに得意なことに力を注げばいい……。岩塩が採れる土地は岩塩を作り、綿花に適した土地で綿花を作り、互いに交換すればいいんです。つまり、労働力を効率的に使うということになります」
「なるほど…」
「これは、同じ労働力でも、全体の生産が増えるということです。生産力が、経済力に大きく関係しているのは、分かるでしょう? 移動のしやすさは、交流を生み、交易を育て、結果として、全体の生産が増えるということになります」
イレーネは、唸った。
このような考えは、今まで聞いたこともない。
宮廷が抱える御用学者でも、このような理論を聞けるかどうか分からなかった。いったい、この少女は何者なのだろうか?
***
ちなみに、イチノセが聞き出したところでは……。
最速の移動手段は、街道を四頭立ての馬車で行くことであるらしい(ただし、優れた魔術師ならば《飛翔の翼》を使うことで、もっと早く移動できるそうだ)。
一般市民は、田舎の場合、ほとんど両親から教えてもらう知識以上のことは教わらない。しかし、都市の住人ならば、教会が開く日曜学校や、冒険者の私塾で学ぶことが出来るという。識字率は押しなべて半分ほどのようだ。
食料生産の従事者の割合は、詳しいことは分からなかったが、およそ九割が農民であるとのことだった。
イチノセは他にも詳しい話を聞き、おおよそ「中世に近い近世、あるいは近世に近づいた中世」程度の文明度であると認識した。
近代以前であるのは間違いない。
一方で……。
魔女イレーネは、異世界転生というのは信じないまでも、イチノセが事情ありの人間であることを、信じるようになった。
少なくとも、普通の少女とは呼べないほどの学識と美貌をイチノセは、持っていた。
・アーミッシュ
…アメリカに居住し、移民当時の自給自足の生活を続けている集団。彼らが、文明から背を向け、禁欲的な生活を行うのは、キリスト教の信仰に従うためであるという。
イチノセが、イレーネをアーミッシュだと思ったのは、現代社会で、電化製品を使わない人間がいるとすれば、アーミッシュくらいしか思いつかなかったからである。