18話『This is war』・上
パースシーは、6000兵の軍勢を率いて、港湾都市フンボルトに向かう途上に居た。開けた丘に陣を構えている。
「領主閣下。あと数刻でフンボルトに到着致します」
パースシーが言上した相手は、騎士団の主家であるアイヴィゴース騎士伯家の当主アゲネであった。
「ふむ。よくやってくれた、パースシー卿。して、首尾は整っているか」
「すでに、手の者がフンボルトに侵入しておりますれば。……これを」
パースシーは、自分の持つ指揮杖を両手に持ち、アゲネに捧げ渡そうとした。
指揮杖を渡すことは、指揮権を託すことを意味する。主君に対してへつらってみせたのだ。
「いや、これはパースシー卿の手柄。たとえ、主君としても受け取れぬよ」
だが、アゲネは指揮杖を押し戻した。
パースシーは押し問答で時を浪費することなく、短く謝意を表して、馬に飛び乗る。
指揮杖を振り上げて、麾下の騎士団に号令を出す。
「今、アゲネ閣下より号令が下された! フンボルトを劫略する時が来たのだ! アイヴィゴースの勇者たちよ、進撃せよ!」
気炎をあげて、6000人の騎士団が征く。
アゲネは、馬を御しながら、遠くに見ゆる都市フンボルトを見つめた。アゲネは外交によって、現在の地位を得た。
そして、これからは覇道によって、新たな王朝を作りあげる。それこそが、アゲネ一代の野望であった。
時によろめきながらも、王国が保ってきた400年の泰平は、この時をもって破られる。
「フンボルト内乱」の、これが始まりであった。
***
港湾都市フンボルトは、後手にまわったといって良い。
まずもって、軍勢が近づいていることを察知できなかった。さらには、食料・水・資材などの備蓄が十分では無かった。
とはいえ、古式に則れば、宣戦布告の書状を携えた軍使を派遣するのが当然の作法であった。
そうであればこそ、後世に大義名分を主張できるのである。
宣戦布告をしないというのは、この時代、およそ考えられぬことであったのだ。
「何を考えているのか!」
港湾都市フンボルトの城壁の上に登ったセンシロ・ウェークトン子爵は、目視できるほどに近づいた軍旗を見て、憤った。
宣戦の布告もせずに戦うことも、道義に反することではある。だが、そればかりではなかった。
軍勢は、アイヴィゴース騎士団の軍旗の他に、王族のみが許される三頭飛竜の軍旗を掲げているのだ。
「王族の旗を掲げて、大義名分を嘯くつもりか! 小賢しいぞ、アゲネ・アイヴィゴース! 貴様の腐った性根に鉄槌を食らわしてくれるわ!」
こめかみに血管を浮き上がらせながら、センシロ子爵は、剣を抜き放った。
振り返れば、眼下の城門前広場には、数多くの騎士たちが自分の言葉を待っている。
子爵の手勢は400人しかいないが、冒険者や民兵を集めれば、さらに2000人は集まるだろう。
城壁の上から、センシロ子爵は大音声で、集まった兵たちに呼びかけた。
「騎士諸君! 今、我々は、アゲネに攻撃されつつある。 アゲネはよく回る舌で、今の地位をかすめ取った変節漢だ。しかし、王都の官僚どもに通じる舌も、戦いの場では何の役にも立たぬことを、示してや…!」
異様な音がして、センシロの演説は途絶した。
遠目からは、センシロの舌が、長く伸びているかに見えた。だが、そうではなかった。
矢が、口中に突き刺さったのだ。
騎士たちが「あっ」と思う間もなく、ぐらりと体が傾ぎ、センシロ子爵は城壁から落下した。
ドンと乾いた音がして、フンボルトの領主は脳髄を垂れ流した。
騎士たちが息を呑んだ、その瞬間。
城壁の外から鬨の声があがった。
一拍置いて、広間に落下音が響く。
物見の櫓から、広場に油樽が投げ込まれたのだ。
「油だ! 燃やされるぞ!」
騎士の一人が悲鳴を上げる。そして、その予言はすぐさま的中した。物見の櫓から、火矢が射掛けられたのだ。
火矢が射ち込まれ、油に火がつき、瞬く間に広場は炎の海と化す。
「うわあぁぁぁ」
騎士は主君を失い、炎に巻かれ、もはや戦うどころではない。
事の急変に、誰一人として対処し得ぬまま、悲鳴をあげて逃げ惑うしか無かった。
城門は、この隙に、すでに開かれてしまっている。
馬蹄が大地を揺らし、アイヴィゴースの騎士が一斉に雪崩れ込んでくる。
戦いらしい戦いもないまま、フンボルトは陥落した。
***
「……これが、戦争か!」
イチノセは呻いた。
逃げようとした中年女性が、首元を斬られ血を吹き上げる。幼子が血を流し、死んだ父親に泣き縋っている。
老人を斬り飛ばして、兵士がその財布を奪う。
年若い娘が、泣きながら略奪者に抵抗し、そして殴られ気絶させられる。
そこらじゅうから、悲鳴と慟哭、そして略奪者の喚声が聞こえていた。
人間のもっとも悪辣な獣性が、解き放たれていた。これが戦争だった。
街に火が放たれ、夕闇は炎で塗りつぶされている。
イチノセは、歓楽街の外れ、娼婦たちが避難している妓楼の屋根に佇んでいた。
《風巻く繭》を纏っている。
髪粉で染めた焦げ茶色の髪をなびかせて、イチノセは、ただ一人の姿を探していた。
「師匠…!」
少女の師匠であるイレーネが、すでに『岩塩窟』に向かっているのか、それとも、まだフンボルトにいるのか判然としない。
もし、フンボルトにいるのなら、この略奪の嵐にさらされていることになる。
師匠ならば、難を逃れているとは思うのだが……。
《貫く理力のクォーラル》
冒険者風の男を、撃った。男は昏倒して、その場に倒れこむ。
イチノセは、もはや躊躇うことなく、妓楼に近づく者を撃っている。
冒険者は、個人主義である。誰かのため、あるいは国のために戦うという矜持はない。自分の命と、与えられる給金のために生きる。
つまり、規律のない傭兵なのだ。
それゆえに、勝てないと思った時には簡単に逃げるし、また、たやすく略奪者へと変貌するのだ。
すでに何人もの冒険者たちが、略奪者となって妓楼へと入り込んでいた。
(冒険者は当てにならないな…)
イチノセは、そう思わざるをえない。結局のところ、冒険者とは無頼であり、恃むに足る存在ではないのであろう。
フンボルトの城門はすでに突破され、組織的な抵抗は無いようだった。
イチノセに戦争の経験はないが、それでもこれが『負け』であることは分かる。
(しかし、いつまで略奪は続くのだろう?)
イチノセには、それが気がかりである。
今はなんとか水際で止めているが、いずれ持ちこたえられなくなるだろう。
2つの妓楼に約200人の娼婦が詰め込まれているのに対し、こちらはイチノセと、女性冒険者が8人である。
しかも、自分以外に、魔術師は居なかった。
守りきれるとは言いがたかった。
だが、イチノセの頭には逃げ出すという選択肢はない。このようなとき、イチノセは、己の『心の真実』を探し求める。
自分が本当に望んでいることはなにか。
(彼女たちを、この残虐の渦から救い、師匠を待つ)
それこそが、イチノセが真に望むことだった。イチノセは、そう決めると、心を、その一点に集中させ、もはや迷うことはなかった。
この天性の集中力、あるいは割り切りが、イチノセの強みであったろう。
数人の略奪者がイチノセに撃たれ、動けずに呻いている。その惨状が、次の略奪者の足を止めればよい。イチノセはそう願った。
……動きがあったのは、夜半である。
このとき、イチノセは屋根に座り、弓の得意な冒険者一人を傍らにおいて、油断なくあたりを見回していた。
《生命の目》を用いているため、暗闇で見えないということはない。
波が引いたように、略奪者が現れなくなった。
暗い夜だから、現れなくなったのだろうか。にわかに判断はできないが、イチノセは奇妙に感じた。
傍らの冒険者も、矢を番えた状態で、周囲を監視している。平穏が一時間ほど続いただろうか。
「来たか…!」
イチノセの《生命の目》に、生命の光点が周りを囲んでいるのが見えた。素人目にも分かる組織的な動きだ。
「略奪者が、あのように組織だって動くものだろうか?」
「さぁ…?」
イチノセは、傍らの冒険者に問いかけたが、返答はまったく頼りない。
近づいた者を、弓矢で射るように頼んでから、イチノセは立ち上がった。
《追尾する理力のクォーラル》
光の矢が、生命反応にぶつかる。だが、倒れなかった。
簡易な《飛翔の翼》を構築し、その場を離れてから、おなじく《理力のクォーラル》を撃ちこむ。
(倒れない…? 魔術の使いすぎで威力が落ちたのでなければ…相手は騎士?)
騎士は、ミスリルの鎧を身にまとうため、魔術の効果が減衰してしまうのだ。
《理力のクォーラル》を隣り合う三人に、連続して撃つ。しかし、よろめく者すら無かった。
(やはり騎士…、組織的行動……)
煙突の影に隠れ、イチノセは思案した。略奪者がふっと来なくなったのも、関係しているのだろうか。
思わず、下唇を噛んでしまう。かなり不味いことになった。だが、奴らは、何を目的としているのか。
(まずい!)
イチノセは、《生命の目》を解除し、《生命と魔力の目》の魔法陣を構築した。
騎士は、身にまとうミスリルの鎧により、魔術を用いることは出来ないし、重い甲冑のせいで、敏捷な動きも苦手だ。
(つまり騎士は、逃げ隠れる魔術師を追うには、もっとも不向きな兵種! とすれば、騎士は囮! 本命は魔術師か!)
イチノセの排除を目的としているのなら、騎士ではなく、魔術師によって行われるに違いない!
・指揮杖
…騎士団の中で、一軍を預かる者が持つ権威の表章物。
兵馬の権の象徴であり、例えば、騎士団長が軍勢を離れるときには、副団長に指揮杖を、貸し渡すことがある。
これによって副団長は、騎士団長の権限を一時的に行使することができるようになるのだ。
なお、これは、あくまで騎士団内部のものであり、騎士伯自身が持つことはない。
この国の騎士伯は、あくまで、戦いの全体的な方向性を決めるだけであり、戦術や戦闘など、実務的方面は、騎士団長以下の職分であるのが伝統である。
不完全ながらも、シビリアン・コントロールができていると言えるかもしれない。
作中において、パースシー副団長が指揮杖を渡してみせたのは、実際の戦闘指揮を委ねるという意味合いがあった。
そうすることで、フンボルト陥落の戦功をアゲネに帰そうとしたのである。
そして、アゲネが指揮杖を断ったのは、それが自分の虚栄心を満たすものでしか無かったからである。
アゲネは外交によって、騎士団を持つまでに至ったが、それだけに虚栄心を煽ることはあっても、虚栄心に踊らされることはなかった。




