17話『戦争の足音』・上
どうも体調が思わしくなくて、今回、ちゃんと推敲できてるか不安です……。
階下が、にわかに慌ただしくなっていた。
このときフレイクギル親方は、階下の喧騒には気づいていたが、気には留めていない。
『霧の魔女』の弟子イチノセと面談をしていたからだ。
「なんだか、階下が騒がしいみたいですけど」
「なに、心配ない。うちの部下は、大抵のことは自分でなんとかでき…」
「お、親方! 大変です!!」
親方が言い終わらないうちに、オーバリッセと呼ばれていた女性のギルド員が、二階へと駆け上がってきた。
「……ク」
あまりのタイミングの良さに、イチノセは忍び笑いを漏らしてしまったが、次の言葉に、おなじく度肝を抜かれることとなる。
「軍勢が……バジリスクの戦旗を持った軍勢がこちらに向かってきています!」
「バジリスクの戦旗だと! アイヴィゴース騎士団の戦旗ではないか!」
***
冒険者ギルドは、一挙に、慌ただしい空間となっていた。
旅人の一人が、こちらに向かってくる軍勢を確認したのだ。
王国400年の歴史にあって、久しくなかった『戦争』が起こるかもしれない。
領主センシロ・ウェークトンにも情報が届いたはずだ。もうすぐ、領主の使いがここにくるだろう。
戦時や、魔物討伐に冒険者が傭兵として雇われるのは、この時代の常であった。
イチノセは、顔を引き締めている。
突然、階下が騒がしくなったと思ったら、戦争の報せである。
とうぜん、面談どころではなく、ギルドの長であるフレイクギル親方は、一階に降りていってしまった。
もし、冒険者登録が済まされたとギルド長が判断すれば、戦いに向かう義務が生まれてしまう。
この可憐な少女の冒険者登録がされているかどうかは、難しいところだった。
(……逃げた方がいいかな)
そうイチノセが思案していると、不意に肩に触れる感触があった。振り向くと、師匠であるイレーネが安心させるように、微笑んでいた。
「大丈夫よ。いざとなれば、私が守るから」
「師匠……」
(イレーネは、いつも私を大事に思ってくれている……)
それが、イチノセには、心苦しい。
もし師匠が、俗悪な人間で、自分を小間使いのように扱ってくれるのであれば、むしろ気が楽だった。結局、利害で弟子にしただけだとわかるから。
それならば、こちらも利用することに、躊躇いはなかったのに。
「ウェークトン家の使いだ!」
冒険者の一人が、そう囁くのが聞こえた。
身なりの立派な一人の青年が、馬を降り冒険者ギルドへと入ってきた。これが領主の軍使であろう。紋章を縫いつけた外套を羽織っている。
そして、フレイクギル親方に、布告の紙を広げて宣言する。
「フンボルトの冒険者ギルドに告ぐ。約定により、ギルドに所属する冒険者を、戦時招集する!」
その後も、続けて話していたようだったが、イチノセには聞こえなかった。師匠に手を引かれて、冒険者ギルドを後にしたからである。
あの場所にずっと居れば、厄介なことになる。それはイチノセにも分かるのだが、一つ疑問があった。
「師匠は、岩塩窟のように、フンボルトに協力しないんですか?」
「そうね……」
イレーネにしてみれば、現状では、『協力する』とも『協力しない』とも言い難いものがある。
それを弟子に聞かせることで、自身の考えをまとめることにした。
「フンボルトに義理はないわ。私は、もう冒険者ではないし、この街に暮らしているわけでもないしね。ただ、ここには友だちがいるのよ」
「……」
「それと、『岩塩窟』の方も気がかりだわ。アイヴィゴース家の軍だとしたら、おそらく、あそこにも軍勢が向かっているはず」
「…あそこには、切り札が、一枚ありますね」
イチノセが言ったのは、アイヴィゴース家の三男ジーフリクのことである。捕らえている三男を、表に出せば、少なくとも戦いは中断せざるをえないだろう。
それと分かったのだろう。イレーネも頷いた。
「そうね。おそらく、この軍勢は『あれ』を知らない。うまく使えば、勝ち目はあるわ……。ともかく、友達のところへ向かって、この事を知らせるわ。その上で、今後どうするか決めましょう」
イレーネとイチノセは、繁華街を一本外れたところの通りに入った。息を押し殺したような静けさが漂っている。
もうすでに、戦争が起きつつあることを、感じているのだろうか。
イレーネは娼婦の家の扉を叩いた。
しばらくして、つややかな長い髪を垂らした女性が扉を開いた。イレーネは、体を滑り込ませて、屋内に入った。イチノセもそれに続く。
「どうされましたの? それに、この方は?」
娼婦は困惑気味に尋ねた。ラヴェルヌの記憶にあるかぎり、イレーネが、このように慌てて家に入ることなど無かったはずだ。
イレーネの言葉は端的だった。
「アイヴィゴースの軍勢が、迫ってきているわ。この娘は、弟子のイチノセよ」
ラヴェルヌの行動は素早かった。弟子に、簡潔に自己紹介をすませると、すぐに家を出て行った。これは、他の娼婦たちに情報を伝えに行ったのだ。
フンボルトの娼婦たちは、横の連携ができている。
「…彼女は?」
「仲間のところへ行ったわ。 ラヴェルヌは、高級娼婦なの」
軽く、そのように言った。イチノセならば、さほど気にしないと思ったからだ。
「そう」
想像通り、イチノセは気にした様子もなく、頷いた。
実のところ、他に気がかりなことがあるのだ。受けるべくもないものを、自分が当然のように受けているという罪悪感を、イチノセは持て余していた。
「師匠、もし、アイヴィゴース家の軍なら、『私』を狙ってきた可能性もありますよね」
それは、いつもと違う、くぐもった声だった。
イレーネは、やや虚を突かれた。
「え、ええ。そうね…。でも、主目的はあなたじゃ無いわよ。一人の人間を捕まえるだけに、軍勢を動かす意味は無いわ」
「それでも、リスクはあるはずです。どうして、私を側においておくんですか?」
「あなたは弟子だもの。そういうのを受け入れると、決めたのよ」
「私は、師匠の愛情を受けるに値しない人間なんです!」
たまりかねたように、イチノセは叫んだ。息が詰まる。だが、これは言わなければならないことなのだ。
「どういうことなの?」
冷ややかにも聞こえる声音で、師匠は尋ねた。
***
冒険者オルタモルが、港湾都市フンボルトに訪れたのは、全くの偶然だった。
だからこそ、イチノセを見たときには、仰天したのである。
(あ、あの女……オーガを操った『銀髪の乙女』! 髪の色こそ違うが、間違いない!)
オルタモルは、秋風が涼しい中にあって、冷や汗をかいている。
彼は以前、オーガに襲われ、命からがら逃げ出している。その時のことを思い出していたのだ。
『銀髪の乙女』がオーガを操っていたと、オルタモルは思い込んでいた。
件の少女といえば、魔術師風の女性と連れ立って歩いている。
このようにしてみると、目を引く美人姉妹にしか見えない。とても、オーガを操る、恐ろしい魔術師には見えなかった。
この時、隣を歩いていたのは、『霧の魔女』イレーネだったが、オルタモルはその顔を知らない。
オルタモルの冒険者歴は短く、ここ五年ほどは、イレーネは冒険者として活躍していなかったせいもある。
(よく見りゃ、ただのガキじゃねぇか。 あん時は逃げちまったが……へっ、とっ捕まえて、アイヴィゴースの旦那に引き渡してやる)
意趣返しに、そう考えたものの、街中で襲うわけにもいかないし、オーガに襲われた恐怖が、まだ、べったりと背中に貼り付いている。
(まずは、あいつの宿を確かめた後で、人を集めてやろう)
冷や汗を抑えつつ、そう考える。
この時、オルタモルは、実際にイチノセを襲うかどうかは、思慮の外にある。
小悪党の考えそうなことで、もし隙が多ければやっつけてやろうと、そう思っただけである。
冒険者崩れのオルタモルの思考は万事、「うまくいきそうなら、やってみる」という単純さに支配されていた。
オルタモルは、市場の軒先にどっさりと座って、宙空を見るともなしに見た。垢じみた風体のオルタモルが、こうすると、乞食一歩手前の無頼にしか見えない。
いや、実際、そのものであったから、誰もが見ぬふりをしたし、海千山千のイレーネも、視線を一瞬走らせただけで気付かなかった。
こうして、オルタモルが見たところ、少女と魔術師風の女は、冒険者ギルドへと入っていった。
なるほど、冒険者かと、彼は心に頷いた。
少女と、魔術師風の女とは、とても仲が良いように思われた。よく見ると、姉妹というには、顔形が似ていない。師弟というには、互いに馴れ馴れしすぎる。
おそらくは、パーティを組んだ仲間同士なのだろう。死線をくぐり抜けた戦友ならば、あり得ないことではない。
(しかし…、冒険者となると、手を出しにくい…な)
オルタモルは、そう思った。
危険を共にする冒険者には、仁義というものがある。
もし、同じ職である冒険者を襲ったとすれば、自分は、冒険者仲間から信用されなくなる。
小悪党であるオルタモルは、「見つからなければ良い」とも考えたが、結局のところ、自分一人で、あの少女と対峙する勇気はない。
となれば、人手を集めなければならず、当然、冒険者を集めることになるだろう。
しかし、あれほど、人目を引く美貌の少女だ。
この街では、有名に違いない。
つまり、冒険者を襲うつもりであることを、冒険者に知られてしまうことになり、甚だ不味い。
オルタモルは、ひとつ大きなあくびをすると、せむしのように背を丸めて、その場を去った。
小悪党オルタモルは、諦めたのだ。
それきり、『銀髪の乙女』のことなど思い出すこともないだろうと、このときは思っていた。
・軍使
…領主や貴族の使いとして、伝令や布告を行う者。儀礼に造詣が深く、外交的知識のある騎士から選出される。




