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16話『港湾都市フンボルト』・下

 イチノセは、フレイクギルとともに階段を登り、一室へと案内された。


 応接室や面接室という雰囲気ではない。おそらく、ギルド長の執務室というところだろう。

 フレイクギルは、イチノセに椅子を勧める。


「緑茶があるが、飲むかい?」

「頂きます」


 フレイクギルは、傍らの部下に緑茶を頼むと、自分も椅子に座り直した。

 この銀髪の少女は、縮こまるでもなく、かといって虚勢を張るでもなく、ごく自然に椅子に腰掛けている。


「イチノセといったね。君に姓はないのかね?」

「あぁ…。イチノセが姓なんです。名前は色々ありまして」


 そういえば、冒険者登録には、フルネームを書かねばならないのだろうか。イチノセは、そんなことを思ったが、そこを突っ込んで聞くつもりは、フレイクギルには無いようだった。

 フレイクギル親方は緑茶をすすると、おもむろに話し始めた。


「私は、孤児の生まれだ。頼るものなど何もなかった。ただ、幸い、私は頑健だったし、荒事に向いていたから、冒険者として、いっぱしになれた。そのおかげで、先代の親方にも気に入られてね。今では、私がギルドの親方だ」


 親方は両手を広げて、誇らしげに言った。


「ここに至るまでに、相当な苦労をしたし、いろんな冒険者を見てきた。だから、気になる……どうして、君なんだ?」

「何です?」


「新米冒険者に、熟練した冒険者をつけて、冒険者全体の能力向上をはかるのも、ギルドの親方としての勤めだ。

 だから、達人魔術師のイレーネ殿にも、弟子を作ってもらおうとした。だが、どんな優秀な人間を勧めても、答はノーだった。

 イレーネ殿は、以前、『弟子を取るつもりはない』とまで言ったのだ。だが、そこに君という弟子ができた」


(そこが、フレイクギルの”屈託”か)

 内心でイチノセは溜息をついた。


「聞く所によると、君は文字も、読めないそうじゃないか…しかも、時々、おかしなことを言う。どうみても15歳程度なのに、25歳と言ったり、自分の名前を姓だと言い張ったり……。正直な所、君がイレーネ殿の弟子に相応しいとは思えない」


「そうですか」

 イチノセは微笑んで、緑茶を飲んだ。前世の記憶にある緑茶と同じ味がした。


「ですが、相応しいかどうかは所詮、イレーネ師匠にしか、分からないことでは無いですか? その件については、私を含め、外野が言っても仕方がない…そう思いますが」

「かもしれん。だが、君自身はどう思う? どうして、君は、イレーネ殿の弟子になれたんだと思う? そして、高名なイレーネ殿の弟子に相応しいと、どうして思える?」


 イチノセは、少しだけ身じろぎをして、目の前の緑茶を見つめた。


「……人々はみな、より幸福に生きていきたいと望んでいます。私だけでなく、イレーネ師匠も、他のどんな人間であっても。だからこそ人は、幸福を求め、戦い、努力していく。

 私が、イレーネ師匠の『弟子になった』のも、そして、イレーネ師匠が、私を『弟子にした』のも、その努力の成果です。そして、弟子で在り続けられるとしたら、それもまた、努力の結果でしょう」


 少々、迂遠うえんな言い方になってしまった。

 要点だけを話すことにする。


「要するに、私が弟子に相応しいかは、私の現在の能力ではなく、師事した後の能力によって、測られるべきだと私は思いますよ」


 一息に言ってから、イチノセは乾いた喉を緑茶で潤した。


「…それは、つまり、これからの自分の努力を見てくれ、と、そういうことか?」

「そう受け取ってもらっても、構いません」

「…いっぱしの学者のような口を利く」


 フレイクギル親方は、苦々しく言った後で、やや鼻白んだように言葉を付け加えた。


「君のような、賢しらぶった話し方をする法学者に、私は依頼で会ったことがある。……文字も読めないような田舎出の少女が、とても言えるような言葉じゃあないな。……君はいったい、何者なんだ?」

「さて……この国へ来る前は、一応、学者見習い(大学院生)ということになってましたが」


「……異国人だったのか? それなりの知識と経験はあるのだな」


 イチノセが外国出身の少女であり、学識はあるが、この国の文字は、まだ覚えきれていないのだ、そうフレイクギルは判断した。

 異国人を異世界人と変えれば、おおむね間違ってはいない。


「いえ」


 イチノセは、微笑みを貼り付けたまま、短く謝辞を返した。

 その後の、フレイクギル親方との面談はスムーズだった。だが、イチノセには、ひとつの負い目が芽生えつつある。


(……私は、イレーネ師匠の弟子にふさわしくないかもしれない)


 先程はごまかしたが、確かに、私には欠けている部分がある。師匠は、私の本性を知っても、弟子にし続けるだろうか。

 イチノセの頭蓋の奥で、重低音のように、その疑問が響き続けていた。


 階下が、騒がしくなっていくことにも気づかぬまま。


 ***


 繁華街の外れに、友人のラヴェルヌの家はある。

 ラヴェルヌは最高級とはいえないまでも、ほどほどに高級な娼婦で、暮らしぶりも豊かだった。


 今日、イレーネはラヴェルヌに会うつもりは無かった。

 だが思いがけず、フレイクギル親方が杓子定規に規律を求めたので、しばらく暇になってしまったのだ。


(イチノセは、色々聞かれるでしょうね…)


 親方は、面談にかこつけて、イチノセが何者か問いただすつもりだろう。冒険者登録は時間が掛かるものだが、別の思惑が追加されるとなれば、さらに時間がかかることになる。

 とはいえ、自分の弟子ながら、少女とは思えぬほど、あの娘は聡い。下手を打つことはないだろう。


 ともかく、その空いた時間に、友人のラヴェルヌに会いに行き、ジーフリクを捕らえたことなどの顛末てんまつを伝えておこうと思ったのである。

 ノックをすると、娼婦ラヴェルヌがにこやかに、出迎えてくれた。

 お茶とお菓子で談笑をしながら、情報交換をするのが二人の常である。今日もイレーネは、リコッタチーズのケーキを買ってきていた。


「…というわけで、ラヴェルヌの情報のお陰で、騎士ジーフリクを捕らえることが出来たわ。ありがとう」

「お役に立てて光栄ですわ。こちらも、塩などを買い集めてましたけれど、『霧の魔女』イレーネさまが、岩塩窟についたということであれば、無駄になってしまいそうですね」

「私がついたからといって、負けないとは限らないわよ。でも、ジーフリクを手に入れたからには、とりあえずは大丈夫かしらね」


 岩塩窟にアイヴィゴース家の手勢が攻めてきても、アイヴィゴース当主の三男坊であるジーフリクを陣頭に出せば、手出しはできないだろう。

 岩塩窟での仕事も、終わりが見えたと言っていい。


 やがて、話はイレーネの弟子イチノセのことに及んだ。


「そうですか…。『銀色の髪の乙女』が、イレーネさまの弟子に…。縁とは異なるもの、ですわね」

「そうね…。本当は、弟子にするつもりはなかったんだけれど」

「優秀なのですか?」

「確かに優秀だわ。魔術の覚えも早いし、機転も利く。それに……」


 そこで言葉を止めて、イレーネは遠い目をした。


「あの娘は、どこか別の国から来たような新鮮な物の見方や、考え方をするの。そういうところが、良かったのかもしれないわ」

「それほどまでに、気に入ってらっしゃるのですね。イチノセさまのことを」

「まぁ、そうね」


 そう言って、魔女は肩をすくめた。


「そのせいで色々、背負い込まなくてはいけなくなったけど…」

「あぁ…」


 ラヴェルヌは、『銀色の髪の乙女』が、アイヴィゴース家に追われていることを思い出した。たしか、当主が情婦にしようと付け狙っているのだったか。


「アイヴィゴース家に追われているんでしたね…」

「それもあるけれど……、他にも、私のことで色々と、ね。言うべきかどうか悩むことがあるのよ」


 少しの間を置いて、ラヴェルヌは言った。


「私は、話してみてもいいかと思いますわ。秘密は案外、思っているほどには、重大でないものですよ」


 イレーネはすぐには答えなかった。自分の心の中を整理するようである。


「別に、語らずにいたところで、なにか問題があるわけではないわ……。ただ、ちょっと騙している気がする、というだけにすぎないのよ…」


 ラヴェルヌは、やはり少しの間を置いた。

 そして、むしろ、なんでもないことのように言った。


「それは、イレーネさまが女性を愛していらっしゃるという事でしょうか?」

「ッ!! どうして、それを?」

「人を見る商売ですもの。そのくらいは分かりますわ」


 そういって、娼婦は微笑む。


「イレーネさまの話題の選び方や仕草、その他にも色々。世の中には、私を求める女性もいらっしゃるのですよ」

 それに、以前、私を抱きしめられましたし、と娼婦は付け加えた。


「なるほど。餅は餅屋…ね。わかってしまって当然ね」


 そう言いながらも、ラヴェルヌが平然としていることに、イレーネは安心した。受け入れてもらえるとは思っていたが、それでも心配なものだ。


「私は、話してみても良いかと思いますわ」


 お茶を注ぎながら、ラヴェルヌはもう一度、同じことを言った。


「イチノセさまに、そのことを、お話したいのでしょう?」

「話したい、というよりは、話すべきかもしれない、かしらね」


 イレーネは、そういって机を指で弾いた。


「私が、中央半島に来ることになったのは、以前、弟子と『そういう関係』になったからなの。私は、彼女と心が通じあっていると思っていたわ。でも、そうじゃなかった」


 イレーネは静かに話し始めた。


 イレーネが、はじめて弟子をとったのは、熟練魔術師として、王都で、そこそこ名が売れ始めた時だった。

 弟子は、すごい美人というわけではなかったが、屈託なく笑う、元気で明るい少女だった。

 彼女は、新人冒険者で、魔術師になりたがっていた。親方に紹介され、紆余曲折があったものの、彼女を弟子として迎え入れることにした。


 弟子を教え導いていくうちに、イレーネは、いつしか明るい弟子に惹かれている自分に気づいた。


 ……そして、弟子もその想いに答えてくれたと、信じたのだ。


「でも、弟子が独り立ちできるようになると、私の目の前から居なくなったわ。そして、探し出してみると、弟子の隣には、男が居た。そして、こう言ったの。『もう付きまとわないでくれ』って」

「それは……」


 ラヴェルヌは、絶句した。目の前の彼女にとって、大変な衝撃だったろう。


「言われたわ。『もう、師弟の関係にはないのだから、命令される謂れはない』みたいなことをね。私は、決して強要したつもりはなかった。けれど、弟子は、師匠の言うことに逆らってはならない……。そういう風潮があるのも事実だわ。あの子は、命令、と、受け取った、かもしれない」


 ラヴェルヌは、イレーネの手に、自らの手を重ねた。

 彼女がうつむいていた顔をあげるのを確かめてから、ラヴェルヌは言った。


「私は、その場所にいませんでしたから、その是非はわかりませんわ。けれども、イレーネさまは悔やんでいらっしゃいます」


 じっとイレーネを見つめて、ラヴェルヌは続けた。


「だからこそ、新しくとった弟子に悩むのでしょう?」


 ラヴェルヌは、安心させるように優しく微笑んだ。


「もし、イチノセさまに、お話する時に、誰かにそばに居てほしいと思いましたら、ぜひ、私の家をお使いください。私の家はいつでも、誰が来ても、くつろげるように整えてありますから」

・緑茶

 …この世界においては、東方王国リュキアからの輸入品であり、紅茶に比べて高価である。

 フレイクギル親方は、高価なお茶を出すことによって、イチノセを萎縮させようとしたのだが、この世界の常識のないイチノセには通じなかった。

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