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15話『飛竜の影』・下

 髪粉によって、イチノセの髪は、鮮やかな銀色から、どこにでもある栗色へと変わった。

「月光の色から樹皮の色に変わったわね」とは、イレーネの評である。


 空が朝焼けに染まる頃、イレーネとイチノセは、岩塩窟を出発した。

 つまり、夜が明けないうちから、髪粉を塗っていたわけで、イチノセがささやかな不満を言ったのも、眠気が遠因にあるのだろう。


 《飛翔の翼》を使って、森を飛んで行く。

 イレーネの勧めに従い、30分ごとに休憩を入れつつ、進んでいく。本来ならば、まだまだ練習をさせる必要がある時機である。


(……イチノセの魔術の上達には、驚かされる)


 イレーネはそう思う。たしかにコツを掴むのが、上手い人間はいる。だが、イチノセはその中でも、ずば抜けている。


 《飛翔の翼》は、魔術師の実力を見極めるのに、最適と言われている。


 マナを励起するための『精神力』、魔力を操作するための『集中力』、そして、魔法陣を構築するための『知性』。

 この3つが魔術師に必要な資質と言われており、《飛翔の翼》は、この3つを高いバランスで備えて無ければ出来ない魔術なのである。

 さらに長期的には、魔力を管理する力も求められる。


 だが、イチノセは、これら魔術師の資質全てを高いレベルで備えていた。

 《飛翔の翼》を使いこなすのは、誰にでも出来ることではないのに、ほとんど危なげなく、飛翔しているのがその証拠だ。

 どういう人生を歩んできたのか疑問に思うが、イレーネは本人から、その話を聞いたことはなかった。


 魔術師の師弟は、港湾都市フンボルトまで、《飛翔の翼》で一気に飛んで行くつもりであったが、そのはるか手前で、大地に降り立たなければならなかった。

 師弟が降り立った場所に、大きな影がさす。

 飛竜ワイバーンが、大空を飛んでいたのだ。


飛竜ワイバーンがいるんじゃ、空を飛んで行くのは危険すぎるわ」

「ワイバーンなんてのも、いるんですね、この世界…」


 イチノセが見上げる先に、遠く、皮膜を広げた翼竜もどきが、空を滑空している。


あの世(フィユスール)にはいないの?」

「いませんでした。というか、前の世界フィユスールには、オーガも、コボルトも、耳長狼も、いませんでしたよ」

「ふーん…」


 興味なさそうに、イレーネは頷く。

 そして、ふと気づいたように、イチノセに問いかけた。


「あなたの、その全身覆ったゴーストみたいな扮装は、フィユスールの伝統衣装だったりするの?」


 イチノセは、今も、全身を白いシーツで覆った奇矯ききょうな格好をしている。


「え? あ、いや。私のは、単に紫外線よけです。私も、ちゃんとした外套コートとフードを着たいですから。むしろ、フンボルトの街で、服とか買いたいですね。いつまでも、師匠のお下がりでは、なんですし」


 イチノセは、今まで、師匠の古着のローブやブリトーを貰って、着ていた状態なのだ。ようやく、自分の身頃にあった服が買えるのが、嬉しい。

 シーツで作った外套も、悪い意味で目立ちすぎる。


「それもいいけれど…。ちゃんと冒険者としての装備を先に買いなさいよ。命あっての物種なんだから」


 飛竜が、またも影を落として行った。


「ともあれ、飛竜がいるときに、空を飛ぶのは自殺行為よ。ここからは、徒歩かちで行くしかないわね」

「飛竜って、そんなに強いんですか?」

「空を飛ぶ中じゃ、最強の魔物よ。並みの《飛翔の翼》じゃ、逃げても追いつかれるし、確実に討伐するには、熟練以上の魔術師やら、騎士やらが50人は必要だわね」

「そんなに?」

「なにせ空を飛ぶからね。それに、蝉噪ハウリング息吹ブレスが恐ろしいのよ…」

蝉噪ハウリング息吹ブレス?」

「なんて言ったらいいのかしら…その人にしか聞こえない不快な音を出して、相手を気絶させるのよ。飛竜はそうやって、獲物を捕らえるらしいわ」

「へー」


 弟子の呑気のんきな返事に、イレーネは不安を覚えた。不必要に怖がることはないが、あまりにも泰然たいぜんとしすぎてる。ここは釘を挿しておくべきだろう。


「いい? イチノセ、戦おうとしないでよ。飛竜が近づいてきたら、森や屋根のある場所に、つまり、飛竜が追ってこれない場所に逃げて」


 イチノセは、上空の飛竜を見上げながら、尋ねた。


「あの飛竜、こっちに襲ってきそうですか?」

「うーん、どうかしら。別の獲物を見つけてくれるように願うのみね」


 師弟は、街道ではなく、森の近くを歩いていく。

 飛竜に襲われてもすぐに森に逃げ出せるようにするためだ。


 しばらくは、そうして歩いていたのだが、不意に、イレーネが森から離れていった。

 そして、イチノセに問いかけてくる。


「そういえば、最近、魔術の技量を見てないけれど、どんな魔術ができるようになったの?」


「とりあえず、矢を飛ばす魔術は、たいてい出来ます。《理力》《雷霆》《火炎》《氷結》は出来ます。それに《力場》で刃を作ったりとか。

 あとは、《生命の眼》《魔力の眼》《飛翔の翼》《念動》《加重》《光明》に、《昏睡の掌》や《平静の掌》くらいですかね。

 《烈風》も一応、研究してますけど、《風巻く繭》以外、いまいち使いどころが無いですね」


「うん。魔術教練でも熱心だったものね。あれ、退屈だったんじゃないかなと思ってたんだけど」

「退屈でしたけど、実際、反復練習は重要ですからね。特に研究じゃなく、実践で使おうとすると」

「うんうん。よく分かっているようで、安心ね」


 そういって、イレーネは弟子の頭を撫でると、ミスリルの細剣を抜き放った。


「じゃあ、実際にどう戦うのか、お手本を見せましょうか? ほら。小鬼ゴブリンの略奪団が来たわよ。自分なら、どういう動きをするか考えながら、見てなさい」


 イチノセが目を凝らすと、森の木々の陰から、ゴブリンの集団が様子をうかがっているのがわかった。

 どうやら、師匠はだいぶ前から気づいていたらしい。

 それで豪胆にも、私の魔術の技量を聞いたのだろう。


 数は…魔狼ワーグに乗ったゴブリン・ライダー4匹と、ホブゴブリン一匹だ。

 気づかれたと知ったゴブリンどもが、奇声をあげながら、襲い掛かってくる!


「まず、敵を確認すること。ゴブリンは弱いけれど、魔狼ワーグに乗ったゴブリン・ライダーは手強いわ! その素早さが信条よ。そして、魔術を使うものも居る!」


(私なら、まず、足を奪う)


「《煌めく迷霧》、そして、《追尾する炎のクォーラル》!」


(…目を奪った!)


 一瞬のうちに、あたりが、白く輝く霧に包まれる。

 続いて発射された炎の弾丸が、魔狼ワーグを燃やした。


 イチノセは、魔狼の素早さを脅威と見て、それに対処する方法を考えていたが、師匠イレーネは、むしろ相手の弱点をついていた。


 考えてみれば視界を奪うのは、暴徒鎮圧にも有効な手段である。さらに言えば、戦闘において、敵の弱点を突くのは常道だった。


 残りのゴブリン・ライダーが急迫する。


 《炎のクォーラル》


 さらに、もう一匹のワーグが魔術の炎に貫かれ、大怪我を負った。騎乗していたゴブリンも放り出される。


 すでに、師匠もイチノセも、《生命の眼》を使っている。

 こちらからは、ゴブリンの生命の輝きを見ることができるが、ゴブリンどもは、《煌めく迷霧》の眩しさに目をやられ、ほとんど何も見ることが出来ない。


 だが、襲歩ギャロップで走る馬が、急に止まることが出来ないように、全速力で走る魔狼ワーグも止まることは出来ない。

 二匹のゴブリン・ライダーは、輝く霧で目が見えないにもかかわらず、手に持った棍棒で、やたらに殴りかかった。


 破れかぶれの攻撃になど、当たるイレーネではない。


 体を開いて、打撃をかわすと同時に、細剣を水平にひらめかせて、ゴブリン・ライダーの喉元を切り裂く。


(あっ!)


 イチノセが気づいた時には、すでにイレーネは、もう一方の手で魔法陣を構築し終わっていた。

 《炎のクォーラル》が、最後のゴブリン・ライダーを燃やし尽くす。


 生き残った魔狼二匹は、どこかへ走り去っていった。

 魔狼ワーグから放り出されたゴブリン達や、ホブゴブリンも、すでに、師弟の魔術の餌食となっている。


 ここまで、1分と、かかっていない。


 達人魔術師にして、音に聞こえし『霧の魔女』イレーネの面目躍如めんもくやくじょであった。


「と、こんな感じね」


 激しい戦闘をこなした後にもかかわらず、イレーネは、なんでもない事のように、さらりと言った。息も乱れていない。

 続いて、イレーネは、《力場の刃》で、ゴブリンの首を刎ねていく。


「こうして、ちゃんとトドメを指すことも忘れないで。思わぬ逆襲をされることがあるわ」

「す、すごいです。師匠!」


「これでも、達人魔術師だからね。 このくらいは出来るわよ」

 すこしだけ照れたように、肩をすくめてイレーネは言った。


「それと、後ろの警戒も怠らないようにね。この辺りで隠れられる場所がほとんど無かったから、一方向だけの監視で良かったけど、敵も頭をつかうわ。挟み撃ちは、ありがちだけど、それだけ効果的な戦術よ」


「なんだか、魔法陣が一瞬で出来たように思うんですけど。そういう魔法具なんですか?」

「ええ。ミスリルの篭手に、魔法陣を刻んだ魔法水晶を嵌め込んでいるの。構築の手間がほとんど必要なくて、素早く打てるから、接近戦には有用ね」


 イレーネはローブの袖を、まくりあげて見せた。銀灰色に輝く篭手の甲に、赤い魔法水晶が嵌められている。


「そういうのを、『岩塩窟』の傭兵たちに貸したらどうでしょう? 一々、魔法陣を描かなくていいなら、覚える手間も省けるし、連射できるようになると思うんですけど」

「そうねぇ。岩塩窟が王都くらいに、お金持ちなら出来るわね。このミスリルの篭手、金貨180枚はするわよ」

「金貨180枚!?」


 つい、ノリで驚いたが、イチノセは、それがどれくらい高価か知らなかった。


「あー…と、師匠。実は、私、この世界のお金初めてで」

「うん?」

「金貨180枚って、どのくらい高価なんでしょう?」


 師匠が呆けたように、口を開けた。

 幸いに、飛竜の影は遠くなっていた。

・魔法水晶

 …魔法陣を刻み、そこに魔力を流すことで、一瞬にして魔法陣を構築できる特殊な宝石。

 複雑な魔法陣を刻むことで、複雑な魔術を一瞬のうちに行えるようになる。

 また、あえて簡単な魔法陣を刻むことで、後から追記できるようにし、汎用性を高める用法もある。

 ちなみに、とんでもなく高価であり、イレーネの篭手の価値の9割は、魔法水晶がついていることによる。

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