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15話『飛竜の影』・上

 秋空は晴れ渡り、朝焼けが目に眩しい。昨日は少々夜更かししたが、それによって、朝寝を決め込むゼノミオではない。


 寝間着から平服に着替えると、剣帯を身につけ、ゼファーの部屋へと向かった。

 むろん、問いただすためだ。

 ゼファーは「裏切り者がいる」と騎士団長であるゼノミオに告げたのだが、その裏切り者が誰かについては、のらりくらりとかわし、答えようとしないのである。

 また、妹のフェデリと仲が良いようで、それが魔術師ゼファーを放逐ほうちくしにくい理由の一つでもあった。


 ゼファーの部屋へと向かう。あらぬ疑いをかけられぬよう、女性の使用人を伴ってのことだ。

 通常、女性の部屋に、独身の男が入ることは望ましくないこととされる。

 だが、ゼノミオは行動の人である。裏切り者のことで悩み、逡巡しゅんじゅんすることよりも、事実をつまびらかにしたいという思いがまさったのだ。


 扉をノックしようとした所で、扉が開き、ゼファーが現れる。

 早朝だというのに、すでに服装を整えていた。


 部屋に入らずとも済んだゼノミオは、女中を下がらせると、ゼファーに問いただした。

「それで、誰なのだ?」

 ゼノミオの言葉は、常に短く、直裁的である。


「……裏切り者のことですね。ここでは詳しい話も出来ません。私の部屋へ参りませんか?」

「いや。ここでいい」

「…そうですか。裏切り者の名前をここで告げても、当てずっぽうだと思われるのが関の山。私としては、順を追って詳しい話をしたかったのですが……」

 薄く、目を伏せて言った。

「裏切り者は……アーリン副団長ですわ」


「アーリンだと!? ばかを言うな!!」

 ゼノミオは大喝した。


「アーリンは、吾が師父と仰ぐ存在。二十年以上も、吾は彼の薫陶を受けてきたのだ。アーリンが、そのような真似をするはずがない!!」

「だから、申しましたのに。詳しい話を聞かねば、わかるまいと」

「抜かせ!」


 思わず柄頭に触れた、その時であった。急使が、ゼノミオに走り寄ってきた。

 息も絶え絶えで、明らかに変事が起こったのだと分かる。

 ゼノミオが怒気を吹き上げているというのに、気にせず駆け寄ってくるのだ。余程のことが起きたのであろう。


「何事だ!」


 未だ、冷めやらぬ感情のまま、声を張り上げると、急使は萎縮いしゅくしたようだったが、それでもなお、息せき切って声を上げた。


「パースシー副団長が、軍勢を引き連れて、北へと侵攻しつつあります!」

「なんだと?」


 パースシーは残虐残忍な性格で、ゼファーから裏切り者の話を聞かされた時、もっとも怪しいと、当たりをつけた人間である。


(やはり、そうか)


 ゼノミオには、そういう思いがあった。

 それはそれとして、様々に訊かなければならぬ。


 急使に事情を話させる。


 パースシーは、大規模な魔物狩りをすると伝えて、騎士たちに準備をさせたばかりか、兵卒たちも集めてこさせた。

 兵卒達の多くは戦闘を専門にするものではない。その供給源は冒険者であったり、あるいは農民であったりする。

 ゆえに、農繁期である秋に兵卒を募集するなど、通常では、考えられぬことであった。


 騎士たちも奇妙だと思いはしたが、パースシーがアゲネ・アイヴィゴースの主命であると言明したからには、唯々諾々(いいだくだく)として従うしかなかった。

 昨今、ワイバーンが飛び回っていて、騎士たちが危機感を感じていたことも、一つにはあげられるだろう。


 そして出発当日、予定の方向と違う方向に進軍するのに、騎士は気づいた。


 騎士はいぶかしみ、傍らの従騎士に、ゼノミオ様に急ぎ、このことを伝えるよう頼んだというわけだった。


「ふむ…」

 ゼノミオは、この従騎士の話を静かに聞いていた。これでは、結局、「北」という以外、どこに向かったのかわからないではないか。


 北には、魔物が潜むような森などはない。むろん、小鬼ゴブリンのような輩は街道にゴロゴロいるものだが、そのために、さほど大きな軍勢を動かす必要はない。

 やはり、北への侵攻としか思えなかった。


 ゼノミオの頭のなかでは、魔術師ゼファーの事はすでに消え去っている。


 すぐに、騎士たちを招集し、騎馬のみにて先行することとした。ゼノミオはこうした操兵をよく行う。

 騎士団は、とかく身内で固まりやすい。何某なにがし家の騎士と従騎士、それに追随する歩兵や従卒。そのように、集まって行軍するし、戦闘もする。だが、これでは、せっかくの馬の機動力が削がれてしまう。

 ゼノミオはそれを嫌い、騎士だけでの行軍を行い、歩兵は後から来るようにと指令してきたのだ。


 とはいえ、パースシーの軍勢は、騎士がおよそ1000人。その他に、5000人ほどの兵卒がいるという。

 そこにゼノミオの騎士1500人が向かっても、兵数は単純にみて、6000対1500である。勝てようはずがない。


 だがゼノミオは、くことを決心した。

 アーリンに、歩兵たちを取りまとめ、すぐに後を追うように頼む。

 次の日の昼に、騎士たちの行軍準備は出来上がっていた。これは、この時代にあっては異例の早さであった。

 ゼノミオが騎士団長として、非凡であることが分かる。


 号令をかけ、出発する間際になって、ゼノミオは、一つやるべきことを思い出した。

 魔術師ゼファーを呼び出させると、間髪入れずに言った。

「吾がこのエンシル城塞に戻ってくる前に、この城塞から去れ。さすれば、とがめはせん」

 そうして、ゼファーの答を聞かずに、身をひるがえした。軍勢を率いるためである。

 ペテン師に割く時間は、もう無かった。


 すでに軽装備の斥候を放っている。報告は途上で聞くことになるだろう。

 パースシーが、6000の軍勢を引き連れてどこに行くのか。今はまだ、知る者は少ない。


 ***


 秋が近づいている。

 岩塩窟にいると、周りが荒れ地なこともあって、さほど秋を感じ取ることは出来ない。だが、『魔女の庵』に行けば、紅葉があちこちに見られるし、果樹園に行けば、ブドウやオリーブが実をつけている。

 なにより、風に涼しさが混ざるのが、このあたりの初秋の特色であった。


 魔術師の師弟であるイレーネとイチノセは、久しぶりに、『魔女の庵』へと戻ってきている。


『魔女の庵』には、錬金術士が本職であるイレーネにとって、さまざまなハーブや材料が置いてある。

 ここに戻ったのは、都市フンボルトに買い物に行く前に、イチノセの目立つ銀色の髪を染めるためであった。

 どうやら、アイヴィゴース家の当主は、イチノセを情婦として囲いたいらしい。だが、過去がどうであれ、イチノセは情婦などまっぴらゴメンだった。

 なので、髪を染めて、身元をわかりにくくしようというのである。


 イレーネが取り出してきたのは、髪粉であった。

 これは、小麦粉に色を付けて、澱粉で固めたスティック状のもので、これを髪に塗りつけることで、一時的に髪を染める事ができる。

 この時代においては、一般的な髪染め用品であった。


 イチノセは、詳しいことはイレーネにまかせて、自分はのんびりするつもりだったのだが、そうもいかないらしい。


「じゃあ、私が、イチノセの髪を染めている間、これを粉にしておいて」


 渡されたのは、布袋いっぱいの貝殻だった。


「こんなにたくさん、何を作るんですか?」

「漆喰を作るのよ。貝殻を粉にして、熱を加えて、水を入れれば、漆喰になるの。しばらく家を空けるだろうから、地下倉庫の壁を塗りなおしておかないとね」

「漆喰って貝殻からできるんですね。でも、ここに地下倉庫があったとは知りませんでした」

「今だから、話すのよ。地下倉庫には結構、貴重なものもたくさんあるからね。もし、モンスターや盗賊が踏み込んできても、見つけられないように隠してあるの。っと、こっちの準備はできたわ」


「この棒で、袋の中をくんですね。楽できると思ったのに……」

「やるべき事があるときは、ちゃっちゃとやるの。後回しにするだけ、後々面倒になっていくものよ。ま、そんなに細かくしなくていいわ。後で、挽臼で細かい粉にしていくから」


 イチノセが、座って貝殻を潰していく間に、イレーネは後ろに回って、銀色の長い髪をいてから、水で湿らせる。

 こうしないと、色のりが悪くなるのだ。


「この世界に来て、というか、気がついてから、初めて会った人が師匠で良かったです」

「ん? 突然どうしたの?」

「感謝を言いたくて。最近忙しくて、こういう時間を持てなかったですから。でも、本当に、イレーネ師匠に会えてよかったです」

「そう…ありがとう。ちょっと照れるわ」


「…どうして、そんなに優しくできるんですか」

「私の弟子だもの。面倒を見るのは当たり前よ」

「……もし、私が、師匠の立場だったら、見ず知らずの、異世界から来たなんて胡散臭い奴を、弟子にする自信がありません。きっと捨て置くんじゃないでしょうか。…私、薄情なやつなんです」

「そうかしらね。イチノセは案外、情に厚いと思うわよ」


 イチノセは、寂しそうに微笑んだ。

 前世でもよく言われたことだった。普通の人にとっては、『愛』は当たり前にあるもので、失うことなど想像できないのだ。


「それにね、イチノセ。私だって、初めは、あなたを弟子にするつもりなんて無かったわ。ただ…日々を一緒に過ごして、魔術に打ち込むあなたを見て、私の弟子にした時のことを想像して……、しっくり来たから、弟子にしたのよ」


 イレーネは、銀色の髪の一房ごとに、髪粉を丹念に塗りつけながら、そう答えた。


「……今は、貰ってばっかりですけど、いつか『恩返し』させてください」


 真心を込めて、イチノセはそう言った。


「ええ。楽しみにしているわ」

 何気ないイレーネの返答だったが、心が軽くなるのを、少女は感じた。


・髪粉

 …小麦粉に色を付けたもの。髪の毛に色を付けるのに使う。

 実際に、近世ヨーロッパでも使われていた。粉を専用の器具で髪に吹きつけて、色を変えていたという。

 作中にあるのは、その小麦粉を澱粉で棒状に固めたものである。

 こちらは、ヘアチョークが直接のモデル。

 粉状のものや、糊状のものなども設定上では存在する。

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