14話『問答』・上
次回は、ゼノミオ側の話になります。
アイヴィゴース家の家中騎士ジーフリクと従騎士テオを、『岩塩窟』に連れて帰ると、統括者ヘスメン・サルザーリテは、飛び上がらんばかりに驚いた。
ジーフリクを知っている者に面通しをさせ、尋問を手早く終わらせたヘスメンは、感激してイレーネに言った。
「ま、まさか、アイヴィゴース家の三男坊を捕まえてこられるとは、思いもよりませんでした。これで、有利に交渉を運べるでしょう。なんと、お礼を言ったらいいのか……どうか、褒賞金、いや謝礼金を受け取ってくださいませぬか」
『霧の魔女』という二つ名を持つイレーネは、無償の協力者として、『岩塩窟』の側に立っている。
無償で働く理由はいくつかあるが、大きな理由は、金銭をもらうことで雇用関係が生まれるのを避けるためであった。
雇用関係が生まれれば、自由な行動が阻害される。それを恐れてのことである。
ゆえに、上位から下位への『褒章』という形であれば、イレーネは受け取らなかったであろう。
だが、対等な立場での『謝礼金』ということであれば、問題はない。
「ヘスメン卿のお心尽くしということであれば、遠慮なく頂きますわ」
こうして、手に入れた金貨200枚のうち、金貨40枚をイレーネは、『赤毛の狩人』レイミアと、忠実な耳長狼のルーシェンに、協力してくれた礼として渡すことにした。
レイミアに30枚、耳長狼のルーシェンに10枚の内訳である。
レイミアは感激して、何度もお礼を言った。金貨40枚といえば、庶民が二年は優に遊んで暮らせる金額である。
一方で、弟子であるイチノセ自身も、金貨30枚をもらったが、この世界にきて、ほとんど初めての貨幣である。高そうだなとは思ったものの、お礼にレイミアほどの熱はこめられなかった。
「ありがとうございます。…でも、師匠は、今回は無償で働くといってませんでしたか? どうして、お金を受け取られたんですか?」
「ヘスメン卿は、交渉にもよるけど、ジーフリクの身代金で金貨600枚は手に入るはずよ。ここで受け取っておかなかったら、逆にヘスメン卿の面目がつぶれるのよ」
ジーフリクを捕まえたのは、それだけの大功であるし、それに対してなんらの利得も与えないとなれば、ヘスメン卿は吝嗇という悪評をもつことになってしまう。
ヘスメン卿としては、ここで鷹揚なところを見せねばならないのである。
「だから、これを辞退するのは、互いのためにならないのよ」
「なるほど…」
そして、やや真剣な顔になって続ける。
「今回は幸運だったけど、冒険者は、日銭を稼ぐだけでは、大成できないわ。こういう機会を捉えられるよう、日頃から入念に準備しておくことが必要なのよ」
「そう…ですね」
真面目な顔になって頷くイチノセに、イレーネは笑いかけた。
「それで、この"お小遣い"を何に使うつもりなの?」
「んー…。やっぱり服を買いたいかなぁ。いつまでも師匠のお下がりだと、サイズも合わないし、可愛い服も着たいですし……」
「じゃあ、明日…は無理ね。5日後に、街に行きましょうか」
「え? でも……あ、そうか、首謀者の息子のジーフリクを捕らえたから、あとは交渉でなんとかなるのか」
「そういうこと。交渉がこじれるかもしれないけど、もう、ここでの仕事もほとんど終わりだからね」
***
街に行くと決まったとはいえ、イチノセには特に準備することもない。
《飛翔の翼》の魔術があるので、無理をすれば、フンボルトの街へ日帰り旅行もできるのである。せいぜい、数少ない身の回りの品を確認する程度である。
手持ち無沙汰になったイチノセは、ジーフリクに会いに行くことにした。
ジーフリクは、かつてイチノセが言った地下牢にではなく、貴賓用の牢獄に入れられていた。そのような物があるのかと、イチノセは驚いたが、この国の多少大きな邸宅には、必ずあるらしい。
アイヴィゴース家の三男ともなれば、普通の囚人と同じ待遇は出来ないということか。
そのまま行こうとして、守兵に止められる事態もあったが、ヘスメン卿の許しを得て、入ることが出来た。
ジーフリクと、その従騎士テオは、簡素だがよく整えられた部屋に閉じ込められていた。
閉じ込められていると言っても、窓が小さく、ドアが開かないところを除けば、ほとんど普通の生活ができるようになっている。
かなり広いようだが、ここに十数人が詰められることもあるがゆえの広さらしい。
面会用の部屋もあり、そこは鉄格子で仕切られていた。守兵も立ち会っている。
ジーフリクは、特に気負った様子もなく、イチノセと相対した。
「なかなか、快適そうで良かったじゃないか」
「まぁな。イチノセのような佳人が隣に居て、うるさい従騎士が居なければ、完璧なんだが、この世になかなか完璧ということはないからな。清貧もたまにはいいだろう」
不敵、というのだろうか。捕囚の身になったことを、少なくとも表面上は嘆いてもいないようだ。
イチノセは苦笑した。
「それで、ここには何の用なんだ?」
ジーフリクが問う。
「この前、私とじっくり話したいというような事を、言っていたじゃないか? 私も時間がとれたから、こうしてきたのだけど、邪魔だったかな?」
「いいや? まぁ、手持ち無沙汰だったんだ。ちょうどいいさ」
そこで、会話が途切れた。
再び、口を開いたのは、イチノセからだった。
「ジーフリクは、私のどこを気に入ったんだ?」
あまりにも単刀直入すぎる質問だとは思ったが、言ってしまった。
「全てさ、と色街の女どもには言うが……。そうだな。『自由』だ」
「自由?」
「ああ」
ジーフリクは頬杖をついて、目の前の美しい銀髪をした娘を見た。麗しい乙女だ。だが、そこだけに惹かれたのではない、そうジーフリクは思う。
「俺は、今まで、自分の『好き』に生きてきた……。気が向けば馬を駆り、あるいは、色街の女にちょっかいをかけ、喧嘩をし、酒を飲んで暮らしてきた。それが俺の人生だった。……だが、お前さんと出会ってから、それらが急につまらなく思えてな」
「……」
「……それが何かは分からなかったから、お前さんに会いに行き、結局捕まったわけだが」
ジーフリクは笑いを閃かせたが、そのまま続けた。
「この感情に名前をつけるなら、『憧憬』だろう。俺は、お前のように生きたいと思ってしまった。
イチノセ、お前は、美しく、気高い。
死地に飛び込むことも厭わず、だからといって、死にに行くわけではなく、活路を見出す。
けっして油断せず、自らの運命を最後まで諦めない。
イチノセの外見は可憐な美しさだが、内面にあるのは、野生の美しさだ。どんなときにも、生命の輝きを失わない美しさがある」
「う……」
イチノセは困惑した。
これは、本当に、愛の告白というやつではないのか。
しかも、かなり情熱的な。
「お前の生き様が、俺の心に、火をつけた。
俺は『自由』に生きてきたつもりだったが、それは結局のところ、『檻の中の自由』だったのだ。
貴族の三男坊としての檻の中での自由。跡継ぎの予備としての飼い殺しの自由。ちょうど、今の俺のようにな。
俺はその中で『酔う』ことで、檻の存在を忘れてきた。だが、お前という生き方を知り、自分を取り巻く檻を知った今、人生がつまらなくなるのも、当然だと言えようさ」
「ジーフリク……。カッコイイことをいうじゃないか……」
「ここに俺の剣があれば、イチノセに捧げたいところだが、あいにく帯剣は許されて無くてね」
そういって、ジーフリクは肩をすくめた。
不意に、イチノセは真剣な表情になった。
「ジーフリク。剣を捧げるのは、他の誰かのためではなく、自分のためにしてくれ。
誰かから押し付けられた役割ではなく、他人に何かを委ねるのでもなく、自分が、本当に正しいと信じるもののために。
自分の正義、自分の考え、自分の望みのために。
私は、そうして、自らの『心の真実』に従って生きてきた。だから、ジーフリクも、そうあってほしいと思う」
イチノセは、自分の想いを晒した。これは、ジーフリクの告白に、心動かされたからである。
世の中の人間たちは、レッテルを貼るのが好きだ。
イチノセもまた、多くのレッテルを貼られてきた。虐待された子供、孤児、養子、不良、そして天才。人々は、レッテルを貼り、そして、そうであるように演技することを求めてくる。
イチノセの人生は、そのレッテルを剥がす所から始まったのだ。
自分は違う。私は私だ。そんなレッテルではない。
そして、それがイチノセの生き方となった。自分の『心の真実』に従うことが。
「自分のために、か」
イチノセの言葉は、ジーフリクにも届いた。
泰平の世が400年続いたこの時代にあって、人々の生活・思想は道徳にがんじがらめになっていた。
人々に道徳によって与えられた役割を生き、道徳から外れることを恐れ、また外れた者を忌避した。
比較的自由な冒険者が、蔑まれることが多かったのも、これゆえにである。
今まで、誰も、そんなことは言わなかったし、考えたこともなかった。この不真面目なジーフリクでさえ、貴族の三男坊という役割を疑ったこともなかったのだ。
イチノセの言葉は、ジーフリクに新鮮な感動を与えたのだ。
「やはり、イチノセは美しいな」
「ありがとう。まぁ、私の言葉を聞こうとしなくても良いよ。ジーフリクの好きにすればいい」
そう言って、イチノセは席を立った。もう語るべきこともない。
「『好き』にか」
イチノセが去った扉を眺めながら、ジーフリクは呟いた。
ジーフリクの中で、何かが芽生えつつあった。それが何かはジーフリク自身にも分からなかったが、けして悪い気持ちのしない何かだった。
***
(は、はずかしい……)
イチノセは、扉を閉めると、そこに座り込んでしまった。元々白い肌が耳まで赤くなっている。
べんべんと、名調子で語ってしまったことが、急に恥ずかしくなったのだ。
(嘘はいってないけど、変にカッコつけてしまった気がする……)
気を取り直して、部屋に戻ろうとしたところで、運が悪いことに、レイミアとアマロに出会ってしまった。
ヘスメン卿に呼ばれた帰りらしい。
「おやぁ。イチノセちゃん、どうしたんですかー? そんなにアカくなって」
「ちょっと、レイミア。失礼でしょう」
「具合が悪かったりしたら、そっちのほうが問題だよぉ。……でも、そうじゃないみたいだねー」
レイミアは、イチノセの出てきた扉を見た。
他の冒険者達には明らかにされていないが、レイミアはジーフリクを捕まえた経緯から、ここに捕まっているのが、彼だと知っていた。
アマロが訝しげに問う。
「どういうことなの?」
「いやぁ、大声では話せないけどねぇ…」
そういって、レイミアはこっそりとアマロに耳打ちした。
「…敵国の騎士さんが捕まっていて、このイチノセちゃんは、その人に恋しているみたいなんだよー」
「えぇ?」
「しかも、騎士さんの方も一目惚れなんだって」
「それって、禁断の恋!?」
「違うから! そんなんじゃないから!」
イチノセは、大声で叫んでしまい、守兵に睨まれた。
そそくさと三人は、その場を離れる。
「捕まったのも、イチノセさんに会いたくて、来たんだってぇ」
「あってるけど、違う。細部がぜんぜん違うから」
「うわぁ。情熱的ね。捕まってでも逢いたいだなんて」
「話を聞けぇ!」
またしてもイチノセは叫んでしまった。
「ごめん、ごめん。だって、イチノセちゃん、こんなに可愛いのに、浮いた話ひとつなかったから」
「そんな簡単に、浮いた話があるわけないでしょうが」
「でもぉ。じゃあ、どうして、あそこで赤くなってたの?」
レイミアが核心をついてきた。
「そ、それは、ちょっと恥ずかしいことを、言ったかなって思って…」
「睦言!?」
「違う!」
イチノセは、今度は興奮のために真っ赤になって否定した。
どうあっても、色恋沙汰に結び付けたがるのは、何なのだろうか。年頃の娘だからと言うつもりか。
イチノセも年頃の娘のはずだが、その感性はさっぱりわからない。
これ以上、説明しても理解してもらえないと悟ったイチノセは、二人に口止めをして、部屋へと戻った。逃げ帰ったともいう。
しかし、その様子が、まるきり恋する乙女に見えたらしく、二人は色々、想像をたくましくしながら、噂しあうのだった。
・貴賓牢
…貴人を閉じ込めておくための牢獄。
主に、捕虜のうち、貴族や、騎士身分を囚えておくためのものである。領主の城館などには、たいてい存在する。
この国ミノシアは、400年の平和を誇るが、その間、戦争や動乱がまったく無かったわけではない。このような牢獄は、一定の需要があった。