13話『捕獲』・上
女性冒険者アマロット・ヴォーンは、自分の赤茶けた髪の毛を掻きむしった。
「なんで、発動しないの? 《力場》のシジルに、《投射》と《刃》を合わせればいいんじゃないの?」
「んーと。単純に、《力場》の魔術文字の書き方が間違ってるね。ここ、一本の線で書いてたけど、実際は二重線なんだ。
それと《刃》の魔術文字も、これは省略記法だね。《火炎》や《氷結》なら、省略記法が使えるけど、《力場》には使えないよ。…それに……」
銀髪の少女イチノセが、宙空に描かれた魔法陣を見ながら、棒で間違いを指摘していく。
「そんないっぱい言わないでよ…覚えらんない…」
頭をゆらゆらと揺らして、アマロはうめいた。それに合わせるように、魔法陣の光も、薄れていく。
(……詰め込み過ぎたかな?)
アマロの肩のあたりで切り揃えた髪が、頭の動きに追従して揺れていた。
ちょっとした縁で、アマロと仲良くなったイチノセは、文字を教えてもらうことと引き換えに、暇な時に彼女に魔術を教えている。
彼女の名前はアマロットが正式な名らしいが、愛称で呼ぶほうが普通らしく、イチノセもアマロと呼んでいる。
「私、魔術教練で、いくつか攻撃魔術をだせるようになったんだけどなぁ」
「それって、魔法陣を丸暗記して、あとはひたすら反復練習でしょ。それじゃあ、応用は効かないよ」
「それは、そうだろうけど…」
「んー。あと、魔力振動は感じ取れてる? 魔力を生み出すときに感じる、心の震えみたいなものだけど……」
「…たぶん、分かるわ」
「その感覚を念頭に置いて、練習するといいよ。魔力がちょっと弱いみたいだから。魔力を操作するときも、魔力振動の気配が重要になってくるし……。あとは、魔法陣の論理性を理解できれば、アマロは、ひとかどの魔術師になれるよ」
「さすがに、『霧の魔女』のお弟子様は、すごいのね…」
どうやら、アマロは、自分が出来ないのではなく、弟子が出来過ぎるということに決めたようだった。
イチノセにとっては、簡単な部類の問題だったのだが…。
基本的な《理力のクォーラル》を色々変化させていくほうが、良かったのかもしれない。
私が良い教師でないのか、あるいはアマロが良い生徒でないのか。これは、なかなかに考えてみる価値のある疑問かもしれない。
戯れにイチノセが、そんなことを考えていると、一匹の獣が目に入った。
練兵場に寄り添うようにそびえる絶壁を、僅かな足場を捉えて、軽々と降りてくる。
うさぎのように耳が長いが、全体の印象は犬や狐のようだ。
「あれは?」
イチノセは驚いて、アマロに問いかけた。
獣が侵入しようとしているのに、だれも気に留めようとしないのだ。
「ああ。あれは、ルーシェンよ。レイミア のペットの耳長狼ね。たぶん、何か報告を持ってきたんだと思う」
「レイミアって?」
「んー…。変な娘、かしら。女冒険者で『赤毛の狩人』って二つ名を使ってるわ。明るくて元気なんだけど、屋根のあるところより、森のほうが好きな変人ね」
「へー」
「だから、ルーシェンのことは気にしなくてもいいわよ。下手したら、飼い主のレイミアより、頭がいい耳長狼だから」
「なんだか散々な言われ様だね」
ひどい言いぐさだが、けなしているのではなく、面白がる雰囲気がある。遠慮なく、何でも言い合える友達なのだろう。
そのような事を話している間にも、険しい崖を軽々と降りてきた耳長狼は、トコトコと、我が物顔で岩塩窟の城館に歩いていく。
引き寄せられるように、イチノセも、後をつけていった。
耳長狼のルーシェンは、器用に門扉を開けて、ヘスメン卿の屋敷の中に入っていった。よくあることなのか、守兵もちらりと見ただけだ。
「…で、どうしてイチノセは、ルーシェンを追っかけているの?」
「や、なんか近くで見ると、モフモフしてるから…ちょっと撫でさせてほしいなぁって思って」
「モフモフ?」
アマロとイチノセが話している間に、耳長狼は、イレーネが執務室として使っている部屋へと辿りついた。
イチノセは、扉を開けてやった。当然とでも言うように、ルーシェンは扉の中に入っていく。
軍事顧問のイレーネは、その時ちょうど、いくつかの書簡を読んでいる最中であった。
最初にイチノセに、そして、ルーシェンとアマロに気づく。
「とうとう、来たのね」
そう言いながら、ルーシェンの首輪に結わえ付けられていた手紙を開いて、目を走らせる。
イレーネは、干し肉を耳長狼ルーシェンに与えて、褒めてやった。
そして、しばらく考え込んでいた様子だったが、アマロを見ると
「…と、ごめんなさい。弟子のイチノセに話があるの」
と退室を促した。
「は、はい、失礼しました」
いささか緊張した面持ちでアマロと、続いてルーシェンが退出する。
イチノセは名残惜しそうに、ふさふさした耳長狼の後ろ姿を見ていたが、思いがけないイレーネの言葉に、驚くことになった。
「ジーフリクが現れたわ」
「あのジーフリクですか? 私を探して?」
「たぶん、そうでしょう。 詳しいことは分からないけど、ほとんど単騎で、リオン達のいる村に向かっているみたいよ」
「ふむ…」
「だから、私はジーフリクを捕まえに行ってこようと思うのだけれど、来る? 大丈夫、あなたに指一本触れさせないわ」
「大丈夫なんですか?」
心配そうにイチノセは尋ねたが、師匠は、安心させるように笑って言った。
「確かに騎士は『最強』よ。でも、私は達人魔術師のイレーネ・シャーリリオよ。単騎の騎士くらい、いくらでも無力化する方法はあるわ」
「じゃあ、行きます!」
イチノセが元気よく言うと、イレーネは頷いて、思い出したように付け加えた。
「あぁ、《飛翔の翼》を使うから、そのつもりでね」
「う、一応、まっすぐに飛べるようにはなりましたけど……」
「十分、十分。じゃ、行きましょうか?」
***
まだ、イチノセは《飛翔の翼》の操作には、慣れていない。
少しずつ様子を見ながら、進んでいった。
それでも、ほぼ直線距離で進めるのだ。リオンの住む村に到着するのに、2時間ほどしか掛からなかった。
「ところで、リオンの村でレイミアと待ち合わせしているんですか?」
「え? してないわよ」
「じゃあ、どうやって落ち合うんです?」
「そうか。まだ説明してなかったわね。《生命の眼》という魔術を使うの。これは、生命の力を見えるようにするものよ」
そういって、魔法陣を描き出す。ゆっくり描いたのは、イチノセに手本を見せるためだ。
「これで、生命の輝きを見ることができるけど……代わりに、細かなところは分からなくなるわ。そこが注意点ね」
「なるほど」
さっそく、イチノセは、その魔法陣を構築してみた。
…世界がほの暗くなり、隣にいる師匠イレーネの姿が、赤や橙の斑点の集合体として見える。
「…って、これ、サーモグラフィーだ!」
「サーモ…何?」
「や、前いた世界で、似たようなのがあって」
「そりゃあ、似たような魔術ぐらいあるでしょ。第一位階の魔術だし。それより、森のなかに人型の生命がいないか探して? あと、ジーフリクが乗ってきたはずの馬もね」
《生命の眼》を使いながら、気付かれないよう慎重に、森のなかを進んでいく。レイミアの報告の通り、開けた所に泉があり、そこに三人の人間と二匹の馬がいるのを発見した。
とすれば少し離れた所に、レイミアがいるに違いない。探してみると…
(なるほど、『赤毛の狩人』の二つ名そのままだ…)
そこにいたのは、赤い髪を白い細帯で、粗くターバンのようにまとめている女性だった。
すらりとした体躯を、フード付きのケープと革鎧で包んでいる。背中には弓を背負い、まさに、狩人らしい格好だった。
この人が、レイミアらしい。
「ありがとう、レイミア。ルーシェンが知らせてくれたわ」
「わ、『霧の魔女』さま。もぅ、 驚かせないでくださいよー」
「ごめんね。 それで、ジーフリクは?」
「えっと……あそこですねぇ。泉で休憩しているところです」
《生命の眼》を解除した状態で、あらためて確認する。
泉の近くで、ジーフリクと、従者風の少年が、座り込んで話をしている。また、少し離れた所に、身なりのみすぼらしい男もいた。
「あそこで、札鎧を着込んでいるのが、ジーフリクの従騎士じゃないでしょーか。あと、村人風の恰好をしているのは、たぶん、無関係の案内人じゃないかなぁーと」
ジーフリクは、重い甲冑を脱ぎ、鎧下姿である。さすがに騎士なだけはあり、引き締まった体をしているようだ。
「あの騎士が鎧を脱ぎ始めたから、しばらく休憩するんだって思って、ルーシェンを向かわせたんですけど、大丈夫でしたぁ?」
「ええ。しかも、まだ鎧を脱いだままね。僥倖だわ」
「何が幸運なんですか?」
イチノセが訊いた。
「鎧着てたら、魔術も矢も当たらないじゃない。 今なら、一気に遠方から攻撃できるわ」
「え? 鎧で、魔術を防げるんですか? 《炎のクォーラル》とかなら、少なくとも、熱でダメージ与えられそうですけど」
「鋼なら、そうね。でも、あの鎧はミスリル製よ。あれだと魔力が散らされて、魔術の効果が激減してしまうの」
(んー? 要するにミスリルは、アース線のような働きをするってこと? ミスリルの短剣も、魔力を通しやすかったし……)
イチノセのいた前世では、ミスリルという金属は存在しない。
そういうものかと納得した。
『赤毛の狩人』レイミアが、彼らの方向から目を離さず、口を挟んだ。
「でも、あの従者、《魔力の眼》を使ってるみたいですよ? あんまり近づいたり、魔力を高めすぎるとバレますねー。私の弓なら、きっちり首元に当てられちゃいますけど?」
「ここまで結構な距離があるけど、できるの?」
イチノセが見たところ、50メートルほどは離れていそうだ。魔術を飛ばしても、追尾するものでなければ、当たりそうにない。
「えっと、まぁ。風もさほど吹いてませんし」
「すごいわね。 …でも、今回はあの騎士を捕らえたいから、ここは私がやるわ」
イレーネがそう言うと、イチノセに耳打ちした。
頷くと、イレーネは狩人レイミアを連れて、静かに移動し始める。
イチノセの手元には、渡された砂時計がある。三回ひっくり返すだけの時間がたてば、マナを励起して、魔術を撃つように言われていた。
《連射する理力のクォーラル》
時間が来たと同時に、素早さ重視で簡単な魔法陣を構築する。
ジーフリクの従騎士が、何かを叫んでいる。気づいたようだが、これは陽動である。気付かれることが重要なのだ。
イチノセは、気にせず、光り輝く理力の矢をばらまく。
理力の矢は威力は低いが、簡単に描け、魔力消費も少ない。鎮圧用の魔術の代表格である。
位置を悟らせないよう、移動しつつ理力の矢を撃ち込んでいく。
すでに、従者もジーフリクも岩陰に隠れている。さすがに素早い反応で、一発も当てることが出来なかった。
案内人らしき村人は、憐れにも、うずくまって動けないでいる。
そのとき、森の反対側から、魔力光が光ったのが見えた。
師匠がなんらかの魔術を放ったらしい。師匠と『赤毛の狩人』が、何食わぬ様子で出てきて、岩陰の方へと歩いていく。
そして、しばらくすると、こちらに手を振った。
イチノセも、森の陰から出て、師匠たちの元へと走り寄った。
「今、《昏睡》と《金縛り》に、《衰弱》の魔術をかけたし、レイミアが縛ってくれたから、大丈夫よ」
魔女はイチノセにそう呼びかけると、案内人らしき村人に向き直った。
「それで、あなたは、彼らを案内するのに、いくら貰ったの?」
村人は、歯の根も合わぬ様子である。盗賊か何かだと思ったのだろう、答えようにも答えられぬ様子であった。
「大丈夫。私達は冒険者よ。あなたを取って食いやしないから、安心しなさい。 それで、いくら貰ったの?」
「は、白銅貨二枚でさぁ。た、たったそれだけしか貰ってないんで……」
「そう」
イレーネは頷くと、銀貨を一枚取り出し、案内人の男に渡した。
「じゃあ、それをあげるわ。だから、あなたは家に帰って、それでエールでも飲んで、ベッドでぐっすり寝なさい。そして、今日のことは忘れること。いい?」
「へ、へぇ。お、奥方様」
男は、銀貨を握り締めると、一目散に駆け出していった。
・ミスリル
…銀灰色に輝く魔法金属。鉄より軽く、錆びず、なにより強い。
さらに、魔力が流れやすく、魔力親和性が高い金属である。
それゆえに魔術を当てても、魔術構成が壊れてしまうため、魔術の威力は大きく損なわれてしまう。
騎士は、このミスリルの鎧をつけることで、物理的にも、魔術的にも、無敵となる。
騎士が『最強』と言われるゆえんは、このミスリルにある。
一方で、少量を用いれば(ミスリルのダガーなど)、魔力を操作しやすくなるため、魔術師にも有用な金属である。




