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12.5話『戦う理由』・下

次回以降、水曜日と土曜日の週二回更新で頑張ります。


タイトルを考えてくれたリア友T、ありがとう。

 

「いい湯だなーふふふん」


 イチノセは、こっそり《飛翔の翼》を使って、泉の近くにある風呂場を訪れていた。

 師匠が、お風呂に入りたいと思っていたように、弟子のイチノセも埃っぽい『岩塩窟』に、うんざりしていたのである。


 この風呂場は、イレーネの庵の離れにあり、木造だがタールで防水加工がしてある。

 湯船は足が伸ばせる程度には大きい。

 泉の近くに作ったのは、水をいちいち持ち運ぶのが面倒だからだ。


 途中、ゴブリンに襲われたが、イチノセはすでに予期しており、ゴブリンどもを《力場の刃》で斬り倒し、何事もなかったように、お風呂に入ったのであった。

 石鹸で体を洗い、水を拭き取った後、油薬ボディクリームを塗りながら、全身をマッサージしていく。

 胸元の火傷も、ほとんど跡が目立たなくなっていた。


 これらの薬品はイレーネの錬金術の賜物である。

 火傷の薬は、鎧蜘蛛ウンゴリアントの甲殻を酢で溶かしたもので、火傷に塗ることで、皮膚の再生を早くするのだそうだ。

 ボディクリームも、馬の脂を原料にした軟膏であるらしい。


 せっかく美人に転生したのだから、気は抜かないとイチノセは心に誓っている。美貌は、たゆまぬ努力がものをいうのだ。


 着替えを終えて、風呂場の扉を開こうとしたとき、扉が向こうから開いた。


 身構えるイチノセを迎えたのは、しかめ面をした師匠の顔であった。


 ***


「私がどうして、怒っているか分かる?」


 イレーネは開口一番に、こういった。


「お風呂場を勝手に使ったから…」

「違うわ。…先に確認しておくけど、《飛翔の翼》を使って、ここに来たのよね?」

「はい…」

「私が怒っているのは、二つ。《飛翔の翼》は危険な魔術だって伝えたのに、使ったこと。それと、あなたの危機意識の薄さよ」

「……」

「いい? 《飛翔の翼》を確かに教えたけど、本来、あれはもっと熟練した魔術師が行うものなの。魔力操作を失敗すれば、墜落して、潰れたカエルみたいになってたかもしれないのよ。…それに、あなたはアイヴィゴースに狙われていることを忘れてない?」

「あ…」


 イチノセが、声を漏らしたのは、危険を今更に気づいたからではなく、師匠が我が身を心配してくれていると、気づいたからである。

 心配をかけてしまっていたのだ。


「これがアイヴィゴース家の手の者なら、連れ去られていたかもしれないのよ。気づかない内に居なくなられたら、私も、どうすることもできないわ」

「すみません」

「それに、ゴブリンに襲われたようだけど、死体をそのままにしておくべきじゃないでしょう? 血の臭いで、もっと凶暴な魔獣を呼び寄せたかもしれないのに」

「あ…、師匠の服……ゴブリンの死体を埋めてたんです…ね」


 イレーネの服に、土汚れがついている事にイチノセは気づいた。

 本来、自分がすべきことを肩代わりさせてしまったことが、イチノセには恥ずかしい。

 血の臭いが、肉食動物を呼び寄せることは、イチノセも知っていた。だが、知識が実践に結びつかなかったのだ。



「すみません……。迷惑をかけて、ごめんなさい」


 真摯な気持ちで、頭を下げる。


「反省してる?」

「はい」

「もう、危ないことはしないと誓う?」

「……極力しないようにします」


 答えるのに、一瞬の間があった。

 その様子に、イレーネは苦笑しかけ、咳払いで隠そうとして失敗した。

 顔が変な形に歪む。そして自らの失敗に、今度こそ苦笑した。


「まぁ、いいわ。 私も、岩塩窟の皆に黙って、お風呂に入りに来たのだしね」


 そう言って、弟子に鍵を渡す。


「もう遅いし、いおりに戻ってなさい。奥の戸棚の下から二番目に、年代物のワインがあるから、容器に移し替えて(デキャンタージュ)おいて」


 それは、弟子に対して、もう怒っていないという合図と、ささやかな酒宴のお誘いだった。


 ***


 テーブルの上には、各種のチーズと、ビスケット、そして陶器の杯に注がれたワインがある。

 師弟は、ワインを飲みながら、談笑にふけっていた。


 話題は最近仲良くなった冒険者の話、岩塩窟の要塞化、ワインの品評、様々な所に飛び、そのうち、ゴブリンの話に及んだ。


 そこから思考が飛んだのであろう。

 イチノセが「戦うのは、怖くないですか?」と尋ねてきた。


 数秒の時間差を置いて、イレーネは微笑する。


「それを、あなたが言うの? イチノセは、オーガを倒して、ゴブリンも倒したじゃない?」

「ええ、まぁ。ただその…師匠は、どう思っているのかなと思って」

「そうね。私の場合は、慣れかしらね。冒険者として生きていくには、 荒事にぶつかることも多いから。

 鳥をさばいたこともないお嬢様だったのに、慣れれば慣れるものだわ」


 イレーネは軽く笑って、ワインを飲んだ。

 そして、逆にイチノセに聞き返す。


「イチノセはどうなの? 戦うのが怖い?」

「……怖い、のかもしれません」

「なぁに? 自分のことなのに分からないの?」


 からかい混じりにイレーネは尋ねたのだが、イチノセは生真面目な表情になった。

 ワインの赤い照り返しを顔に受けながら、静かに話し始める。


「昔の私は、いつも怒っていました。色んな事が許せなくて、周りに当たり散らしていたんです。そのせいで、大切な人たちを、沢山傷つけてしまいました。

 ……それでも、止められなかった。

 私はまず、自分自身と戦わなければならなかったんです。本当に大切な人を、自分が傷つけないために。

 私がほんとうに怖いのは、戦わないことで、大切なモノを失うこと」


 銀髪の少女は顔を上げた。


「私はいつも、自分にとって何がほんとうに大切なのかを、心に問いかけているんです。その大切なモノ…『心の真実』のためなら、私はどんな相手だろうと戦う。そう決めているんです」

「……」


 人によって、戦いにどう心構えをするかは、様々だ。

 戦わない人間ほど、闘争心は強い。

 勇ましいことを言い、臆病者を蔑む。


 しかし、実際に戦う者は、恐怖心、殺すことへの忌避感、罪悪感、疲労と精神的重圧……その他もろもろを受け止めねばならないのだ。

 戦いについて、どう考え、どう受け止めるか。これは、自分自身で答えを見つけ、納得するしか無い。

 この弟子は、弟子なりに戦う覚悟を、見つけたのだろう。


「乾杯しましょう」


 イレーネは赤ワインの杯を掲げた。

 それは言祝ことほぐべきことだった。


 むやみに戦い、傷つけることを、イレーネはよしとしない。だが、いざという時、大切な何かを護るために行動を起こせないのであれば、それは精神的な意味で奴隷でしかない。

 イレーネもまた、弟子のイチノセを護るために、危険を承知で岩塩窟の軍事顧問を引き受けたのだから。


「ええと、何にですか?」

「あなたの戦う覚悟に。イチノセには、人生を自分の力で切り拓こうとする意志があるわ。そして、それを実行するだけの覚悟もある」


「…いいですね、それ。じゃあ、戦う覚悟に」


 二つの杯は掲げられ、ワインは酔いをもたらし、時は宵を運んでいった。


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