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12.5話『戦う理由』・上

次回は、9日土曜日に、更新します。

「水が足りないそうよ」


 城代騎士ヘスメン・サルザーリテとの会合から戻ったイレーネは、不機嫌そうに、寝椅子カウチに腰を下ろした。

 その様子を心配そうに、イチノセは見つめている。


「井戸水は飲むには適さなくて、飲用水はほとんど、雨水に頼ってたんですって。

 水がなければ、これ以上冒険者を集めても、干上がってしまうだけ。

 資料もあるし、溜め池の視察もしたから、これ以上文句をつけることも、出来やしない。…イチノセは、どう思う?」


 曖昧な問いかけであったが、イチノセは少し考えただけで、イレーネの懸念を察した。


「……水不足を口実にして、ヘスメン卿が、雇い入れた冒険者の数を減らそうとしていると?」

「可能性としてね。

 資料は立派に出来ていたけど、本当に水不足なのかは、ヘスメンにしか分からないわ」


 イレーネは、ヘスメン卿が冒険者を減らすために、水不足を報告してきたのではないかと疑っているのだ。


 去年の降水量がこのくらいで、冒険者一人当たりに、このくらいの飲用水が必要だから…などと書類つきで示されては、反論はしにくい。

 数字を操作された書類ではないかと、イレーネは推測しているが、証拠もないのに、味方を疑うことも出来ない。


 ヘスメン卿は、有能だった。

 騎士としての戦いの技量は、他に劣るようだが、統括者としての才能は、衆に秀でている。

 理にかなった水不足の書類を、作成したこともそうだ。

 理知的なイレーネとしては、その背後の思惑を感じつつも、首肯せざるを得ない。

 また、リェンホーの一件に見られるように、指導者に不可欠な自己演出の能力を持っている。


 考えてみれば、『岩塩窟』は、サルザーリテ領にとって生命線である。なるべく有能な人間を、城代に選ぶのは当然であった。

 とはいうものの、このような事態には、腹立たしくもなる。


「だいたい、200人の数字だって、達人魔術師である私を、計算に入れた上での最低限の数なのよ? これ以上減らされたら、溜まったものじゃないわ」


「何人減らされそうなんですか?」


「とりあえずは、200人のままで様子を見るらしいわ。

 糧食の値段が上がっている冒険者ギルドの調査報告を提示して、アイヴィゴース騎士団が戦争準備をしている可能性を示唆したからね」


(…なんだ)

 イチノセは笑った。

 師匠もただでは転ばず、一矢報いたということらしい。


「それじゃあ、それで、いいんじゃないですか?」

「今のところはね。でも、敵の姿が見えないのに、備えとしてタダ飯ぐらいの傭兵を雇い続けるのは、確固たる信念があっても難しいわ。私だって逆の立場なら、そうしたいもの」

「ふむ……」


 イチノセは考えこむ様子を見せた。

 このとき、イチノセが考えていたのは、三十年戦争当時のドイツ諸都市が、常備軍を置かずに傭兵に頼っていたことだったが、口に出したのは、もう少し建設的な事柄だった。


「二つほど、異世界フィユスール知識で、思いつくことがあります。蒸留器とタジン鍋です」

「タジン鍋? どんなもの?」

「はい。陶器製の鍋で、扁平な底部と円錐状の蓋があるものです。調理の際に、少ない水分で調理できます。 水蒸気として蒸発したものを蓋が冷却して水に戻すという仕組みで……」


 原理を説明し、イレーネも納得したが、実際に使うのは難しいと思われた。

 なにより、今から特殊な形状の鍋を発注する時間はない。

 だが、イレーネは、別の方法を思いつくことが出来た。


「それなら、『冒険者の鍋』でも代用できそうね。要するに、水分を逃さなければいいのだから、密封できる『冒険者の鍋』なら、水分は逃げにくいわ」


 冒険者の鍋とは、鉄製の鍋で、蓋がへこんだ形をしているものだ。

 野営中に、蓋をフライパンのように使ったり、蓋の上に炭を置くことで両面から熱することが出来る。

 蓋がしっかりと合わさり、水蒸気がもれない構造になっているため、水をムダにすることはないだろう。

 ここに来ている冒険者に協力を頼めば、数を集めるのも難しくない。


「それに…蒸留器を使うというのは、悪く無いわね。蒸留器なら、私の庵にあるし……ありがとう。イチノセ。今日はもう、休んでていいわよ」


 いくつか思案を巡らして、イレーネは城代騎士ヘスメンの許へと取って返した。


 ***


「なるほど……さすがにイレーネさまの弟子。才媛ですな」


 一連の話を聞き終えたヘスメン卿は、イチノセを高く評価した。

 イレーネは水不足を解消するために、冒険者の鍋を集めること、蒸留器を使うことを提案し、それが弟子の献策であると伝えたのである。


「そう思われますか?」

「ええ。リェンホーの一件も、途中からですが見ておりました。あの年頃で、あれほど堂々と出来るのは、生半のことではありませんし、魔術の腕も有能であると聞いておりますよ」

「ありがとうございます」


 弟子を褒められて、喜ばぬ師匠はいない。

 イレーネは顔をほころばせたが、次の一言で、その表情をこわばらせることになった。


「ただ…『高く伸びた木は、風に折られる』とも言います。あのまま、成長していってもらいたいものですな」


 イレーネは、思わずヘスメン卿を見つめたが、別に皮肉を言ったわけではなく、単に心配してみせただけらしい。


(『大木は風に折らる』か…)


 これは、高い木はそれだけ風当たりも強くなり、風によって折られやすくなるという意味のことわざである。

 イチノセに聞けば『出る杭は打たれる』ということわざを、引き合いに出したことだろう。


 イチノセは、確かに大木であった。

 師匠の欲目を抜きにしても、魔術の腕は、すでに冒険者としてやっていけるほどだし、知識も妙に豊富だ。

 度胸もある。なにせ、あの厳つい男リェンホーにさえも、堂々たる態度だったのだから。

 あの小柄な姿で、よくやるものだと思う。


 だが、このような態度は、人々の妬みを買う。

 嫉妬とはっきり呼べるようなものでなくても、周りから気に入らぬ奴、分を弁えぬ奴と思われ、貶められることは十分にありえるだろう。

 イチノセは見目麗しい少女であるが、このような場合には、逆に嫉妬の原因となるだろう。

 今は、有名な『霧の魔女』イレーネの弟子ということで、その立場が防波堤の役割をしているが、そうでなかったら、どうなることか。


 同じ階級にいる者が抜け駆けをすることを、望まぬ気持ちは、人間の心理として誰にでも存在する。

 嫉妬による足の引っ張り合いは、封建制度の心理的立脚地の一つである。

 封建社会とは、出自による抜け駆けを是とし、実力による抜け駆けを否とする世界なのだ。

 実力あるイチノセもまた、嫉妬を買いやすいのである。


 しかし、イレーネは自分の可愛らしい弟子を思うたびに、むしろ、ほほえましい気持ちになる。

「嫌いなものを嫌いと言い、好きなものを好きと言う」性格は、元から美しいイチノセに生気と覇気を与え、内面からも輝かせていた。

 そのような態度こそが他人の嫉視しっしを買うのだが、イレーネは、そのようなイチノセを小気味よいと感じる。


 イレーネは都市貴族として生まれ、大学で魔術を学び、冒険者に落ちた人間だ。

 酸いも甘いも噛み分け、世の仕組みもしがらみも、全て知った気でいた。

 この世界に息が詰まった気分で、『魔女の庵』にいたのだ。


 だが、イチノセは、この決まりきった世界に、新風を吹き込んでくれる。

 小気味よい感動を与えてくれる。

 イレーネは、しばしば立場を忘れ、装わない自然体の自分を発見していた。


「ともかく、まずは『冒険者の鍋』の徴発と、……あとは蒸留器ですな。残念ながら、蒸留器というものを寡聞かぶんにして存じませんので……」


 統括者ヘスメンの声で、イレーネは思考の海から、現実へと引き戻された。疲れているのか、別の事柄に意識を飛ばしていたようだ。


「それでは、《飛翔の翼》を使って、蒸留器を持ってきますわ。さほどの大きさではありませんが、それでも水不足の足しにはなるでしょうから」


 イレーネはそう提案した。

 ヘスメンも「頼みます」と了承した。


 その後、いくつか細々とした相談をしてから、イレーネは、城代騎士ヘスメンの執務室を退出した。


(フフ…)


 イレーネは、扉を閉めるとほくそ笑んだ。

 先述したように岩塩窟は、水をじゃぶじゃぶ使えるような状態ではない。

『岩塩窟』にいる女性冒険者も、体を濡らした布で、拭くぐらいしかできていない。


(けど……、蒸留器を持ち帰るときに…ついでに、お風呂に入ったって問題ない、わよね…)


 《飛翔の翼》で空を飛んで、『魔女の庵』に戻れば、綺麗な泉もあるし、近くに風呂桶も置いてある。久しぶりに、お風呂に入ることが出来そうだった。


 まだまだ日は長いとはいえ、夕闇が迫っている。

 十分な注意をしながらイレーネは、魔女の庵へと空を飛んだ。


 ***


 イレーネは、自らの棲家『魔女の庵』の山嶺へ降り立つと同時に、自らの細剣を抜き放った。

 血臭が漂っていたからである。


(賊か、騎士団か…?)


 そう思っていたのだが、森のなかで血を流して倒れていたのは、小鬼ゴブリンであった。類人猿をより醜悪にしたようなゴブリンの死体が、首元を切られて、泡だった血を流している。

 死体が痙攣していることから、さほど時間が経ってはいないようだ。


(……)


 綺麗に分かれた切り口は、明らかに人間の刃物によるものだ。

 アイヴィゴース騎士団の斥候が訪れたのだろうか?

 こちらも斥候を放ってはいるが、行き違いや見落としというのも、十分に考えられる。


 警戒を強めて、周囲を見やる。

 これが罠という可能性も、微小ながら、ありえるだろう。あるいは逃げ出したほうが利口かも知れない。

 だが、まずは死体を近くで確認したかった。追跡者トレーサーとは比べるべくもないが、状況をはっきりさせたい。


 そう思い、足を死体へと向けたところで、イレーネは緊張の糸を切ってしまった。

 風に流れて、鼻歌が聞こえてきたのである。

 聞いたことのない節回しは、我が弟子イチノセのものに間違いなかった。

・冒険者の鍋

 …鉄製の深鍋で、これひとつで、煮る、炊く、焼く、蒸すなどの調理が行える。蓋が凹型をしており、蓋を閉めることで密封することができ、圧力鍋のようにも使うことが出来る。

 冒険者のパーティならば、一人は持ち運んでいるのが普通である。


 モデルは、ダッチオーブン。アメリカ開拓時代にオランダ人が持ち込んだという説がある鍋。

 『冒険者の鍋』はダッチオーブンに比較して、持ち運びに便利なように、多少薄い作りになっているという裏設定がある。

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