12話『エンシル城塞の騎士団』・上
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土地の者が呼び習わす『エンシル騎士団』は通称であって、正式名称ではない。
正式には、「アイヴィゴース騎士団エンシル支団」である。
だが、騎士団長のゼノミオ・アイヴィゴースも、エンシル騎士団と呼ぶのを好んでいた。
ゼノミオにとって、アイヴィゴースとは父の系譜を表す記号である。当然、父を嫌い抜いているゼノミオが、その名前を好くはずもない。
およそ1万5000人が詰めるエンシルは、もはや城塞都市を呼ぶのがふさわしいだろう。
内1600名の騎士には侍従や従騎士、使用人も付随するし、常駐する兵士を世話する召使や女中などの下働きも必要である。
また、将兵を客とする商人たちも、集まってくる。
城塞都市エンシルの周囲には城壁が張り巡らされている。
城壁は歪な星形をしており、その鋭角と鈍角には、尖塔が立ち並んでいる。
石とモルタルで作られた城壁が星形をしているのは、その飛び出した城壁の上から、魔術や弓矢などによって十字投射を行うためである。
また、尖塔は、望楼としての役目も担っていた。
この時代の城塞は、多かれ少なかれ、このエンシル城塞と似たような構造を保っている。
そのエンシル騎士団であるが、領民からの評判は、すこぶる良かった。
騎士団長であるゼノミオは、俗悪な父に反発し、公正明大たらんとして、騎士道を奉じていたからだ。
度々遠征を行っては、モンスターや賊を狩り、日々訓練に明け暮れる騎士団に、領民の中には「天下に名高い公爵三騎士団も、かようにはいくまい」と、拝む者さえ現れるほどであった。
騎士は、名誉を重んずるとされる。
この時代においても、それは間違っては居ない。だが、それは結局のところ、外聞を恐れるというだけのことであった。
むしろ、内実がごろつきと変わることがなかったがゆえに、理想として、騎士道という言葉が盛んに喧伝されたという事情がある。
騎士道は、あくまで理想であって、決して現実ではなかったのだ。
全身鎧を着こみ、面頬を下ろせば、傍目には誰か分からなくなる。そして、ミスリルの鎧を着こめば、およそ倒されることはない。この時代、騎士は最強であった。
年若い騎士は、その全能感に酔って、遊び半分に領民を襲撃することさえあったのだ。
むろん、これは教会の律法が戒めるところではあるし、王命として、度々、諌める布告も出されている。しかし、布告が度々出されているということ自体が、騎士の身勝手な襲撃が頻繁にあったことを示していた。
このような逸話がある。
まだ、アイヴィゴース家が、中央半島南部に転封されたばかりの頃、膨れ上がった騎士団を、ゼノミオは統御しきれていなかった。
ゼノミオが、一人で街を歩いていた時のことである。
そこにゼノミオがいるとは、知らなかったのであろう。馬蹄を轟かせて、全身鎧を着込んだ騎士が三人、市場を荒らそうと突撃してきたのだ。
それを座視するゼノミオではなかった。鎧をつけていない平服姿でありながら、騎馬の目の前に飛び出したのである。
並々の度胸ではない。
馬というのは、急に飛び出してきたものには、過敏に反応する。
苦しげな嘶きを発して、騎士を乗せた馬はつんのめり、前足を折った。
後続の騎士たちも、突然のことに馬を上手く制御することが出来ぬ。
ゼノミオは、一言の弁明も許さなかった。
たまらず転げ落ちた騎士に、護身用の細剣を鎧の隙間から突き刺し、絶命させた。
さらには、無言のまま、後続の騎士の一人を馬ごと投げ飛ばす。
一瞬の早業である。闘気法を能くするゼノミオなればこその、芸当であった。
「うう…」
馬と一緒に投げ飛ばされた騎士は、ひどく背中を打って、にわかには動くことは出来ぬ。
ゼノミオは細剣の切っ先で、兜の面頬をあげて顔の確認を取りつつ、剣先を突きつけた。
その間に、残された最後の騎士は馬を返して逃げ去ったが、命日を幾日か先に伸ばしただけに過ぎなかった。
ゼノミオは捕らえた騎士から、最後の騎士の名前を聞き出すと、すぐに、その領地に向かい、匿おうとする家族の目の前で、その騎士を斬り殺したのである。
一方で、ゼノミオが細剣を突きつけた騎士だけは、生き残ることが出来た。
とはいえ、騎士身分は剥奪され、社会的には抹殺されたも同然である。後に、修道士として、遠くの修道院に押し込められたという。
ゼノミオにとっての考えはこうである。
先頭を走っていた騎士は首謀者ゆえ、死刑がふさわしく、逃げ出した騎士は、仲間を見捨てたとして、やはり死刑がふさわしい。
だが、捕らえた騎士は、首謀者でも逃亡者でもないゆえに、騎士身分剥奪だけで済ませたのだ。
ゼノミオなりのバランス感覚であった。
しかし、それで納得がいかないのは、殺された者の家族である。騎士というのは、貴族の子弟であったり、有力者の子供であることが多い。
当然、縁者から非難の声が殺到した。
しかし、ゼノミオは動じる素振りもなく、むしろ恫喝した。
「吾は、単に市場を襲った野盗共を退治したに過ぎぬ。もし、野盗ではなく、騎士の仕業とすれば、騎士団長として、より重い処罰を科さねばならんのだぞ!」
これは、騎士の親族も連座させるという意味の脅しである。
非難の声は小さくなったものの、絶えることはなかったが、ゼノミオは意に介さなかった。
ともかく、このような断固とした処置を重ねることによって、ゼノミオは畏れられ、この時代では稀な、規律正しい騎士団を作りあげることに、成功したのであった。
***
楽しげに笑う声が、聞こえてきていた。
ゼノミオの妹、フェデリの笑い声だった。久しく無かったことである。
フェデリは、父アゲネに襲われようとしたところを、ゼノミオが助け出し、保護したという経緯がある。
その頃より、フェデリが笑うことは、滅多になくなってしまっていたのだ。
場所は、露台であろうか。
久しく聞かれなかったフェデリの笑い声に、ゼノミオは喜ばしく思いながら、バルコニーへと赴いた。
はたして、バルコニーには、フェデリともう一人が、談笑していた。
ゼノミオは、その女に見覚えが合った。黒髪を複雑に結い上げた髪型に、深く輝く紫紺の瞳を持つ女だ。
(たしか……、城館で、あのアゲネの側に侍っていた女だ)
何者かはわからぬが、父と呼ぶのも腹立たしい、あのアゲネの手の者であることは間違いがない。
警戒心も露わに睨みつけたが、女は平然と受け流したどころか、微笑みかけすらした。
ゼノミオは、その巨大な体格も相まって、醸し出す雰囲気に『威』がある。妹でさえ、ときどき怖がるほどなのだ。
それを平然と受け流すとは……実力に自信があるのか、それとも鈍感なだけなのか。
だが、その思考を深めるより前に、最愛のフェデリから声が挙がった。
「お兄さま。紹介いたしますわ。こちら、ゼファー・エンデッドリッチさま、旅の魔術師なんですって」
妹は楽しそうに、黒髪の女を紹介した。
ゼファーと名乗る魔術師は、優雅に立ち上がり、一礼した。
「魔術師ゼファー・エンデッドリッチです。ゼノミオ・アイヴィゴース様のご芳名は、方々で伺っておりますわ」
「そうか」
そう短く、ゼノミオは言った。
本来であれば、何をしに来たのかと、一喝してやりたいところだ。この女は、アゲネの関係者であろう。
だが、それを問い質せば、アゲネのことにも言及せざるを得なくなる。妹に、父の話は聞かせたくなかった。
ゼファーは、それを見透かしたように、唇を笑みの形に変えた。
それもまた、ゼノミオは気に食わない。
「…フェデリ。すまぬが、この魔術師殿と少し話したいことがある。少々、席を外してもらえぬか」
なるべく、平静な声を出す。
「まぁ。でも、今日の正餐を一緒に食べる約束を、ゼファーさまとしておりますの。できれば、それまでにお願いしますね」
そう言い置いて、フェデリは去っていった。
そのフェデリが座っていた椅子に、ゼノミオは、荒々しく腰を下ろした。
「可愛らしい方ですね、フェデリ嬢は。 久方ぶりに、楽しい時間を過ごせましたわ」
「…で」
ゼノミオの返答は短い。
「ゼノミオ様も、真の騎士ともっぱらの噂ですわ。領民たちも、とても感謝しているとか」
「ゼファーとか、言ったか」
「ええ」
「吾は、アゲネの城館でお前を見ている。どうせ、アゲネの手の者だろう? 何をしに来た?」
「まぁ」
ゼファーは、目を見開き、驚いた様子を見せると、口に袖を当てて笑った。
「アゲネさまの城館に滞在はいたしましたけれど、別に手の者ではございません。
私は旅の魔術師として、しばらく逗留していたにすぎません。ここに来たのも、アゲネさまから、お話を伺ったからですわ」
「信じられんな」
「…とおっしゃられても。困りますわ」
「まぁ、いい。特に用がないのなら、さっさと出て行くがいい」
「まぁ」
ゼファーはもう一度、笑みを浮かべた。
「そうやって、フェデリ嬢を閉じ込めておきたいんですね」
「何だと!」
「アゲネ様が話されておりましたよ。フェデリ嬢を、籠の中の鳥を愛でるように、砦から出そうともしないと」
「…あの男がそんなことを言ったのか」
「さて。私も同じように思いましたわ。
見れば、この騎士団は男ばかり。その中で女性一人となれば、不如意なこともございましょうし、ご友人もいないとなれば、寂しいでしょう?」
「……女の使用人をつけている」
「これは、異なこと。使用人では友人にはなれぬでしょうに。
私は先程まで、フェデリ嬢と、お話しておりましたが、やはり寂しいと、私と話せて楽しいと、言ってくださいましたよ」
「かといって、お前を逗留させねばならぬ理由はあるまい」
「いいえ。それは違います」
ゼファーは、じっとゼノミオを見つめて、言った。
「あなたは、フェデリ嬢を愛しているにもかかわらず、今まで、彼女が何を欲しているのかも分からなかった。
そして、フェデリ嬢も、ご遠慮なされたのでしょう、何も要望を言わなかった。違いますか?」
ゼファーの紫紺の瞳が、紫水晶のように怪しく輝いている。
「だというのに、自分がやりたいようにやるというのでは、単に、自分のわがままを、妹に押し付けているだけでは御座いませんか。それは愛ではなく、我欲でしかありません」
この自称・旅の魔術師は、ゼノミオに向かって、はっきりと言ってのけた。
ゼノミオは呻いた。何とかせねばならないとは思っていたが、たしかに遅きに失したかもしれぬ。
「だが、お前は、信用ならない」
ゼノミオは歯を食いしばって、唸るように言った。どうにも信用出来ない匂いが、この女魔術師からするのだ。
「いいえ。それも違いますわ」
ゼファーは両手を広げて、言った。
「なぜなら、私は、アゲネ様が知っていて、ゼノミオ様が知らない『秘密』を知っているからです。…例えば」
ゼファーは注目を集めるように、一拍置いて、言った。
「『副団長の一人が、あなたを裏切ろうとしている』というのは?」
さらりと、茶飲み話のように言ってのけて、ゼファーはお茶を飲む。
「私の言葉を『嘘』と決めつけて、何の対策も取らない? いいえ。あなたは、私を信用して、話を聞かなければならない…そうでしょう?」
ゼファーの笑みは、いっそ凄惨なものだった。
・スティレット
…別名、鎧通し。先端が尖った刺殺剣。
甲冑の隙間を狙って、突き刺すことを目的とした剣である。作中のように、護身用として持ち歩くことも多かった。




