9話『岩塩窟』
「…見事に、持ち去られたわね」
イレーネは嘆息していった。
遺体からは、剣を含め、金目のものや、身分を表しそうなものは、すべて持ち去られていた。
いや、そもそも山賊に見せかけるために冒険者を雇ったのだから、身分を明かされそうなものは、最初から持ってなかったのかもしれないが。
「こうなると、『岩塩窟』を説得することが、難しくなりそうね…憂鬱だわ」
「そう悲観しなくても。 少なくとも、山賊の死体がありますから、危険だということは伝わると思いますよ」
イチノセは道すがら、ジーフリクが岩塩窟を襲うつもりであったのを聞いている。オーガや十人以上の山賊を揃えていた理由がわかり、イチノセは頷いたものだ。
「そうそう簡単には行かないわ。ああいう連中は、頑なものだしね。こちらの言葉に耳を貸そうともしないかもしれない」
「まさか、そんなこと」
イチノセは笑ったが、それが掛け値なしに真実だということを、思い知らされることとなった。
***
「何をしに来た。まじない師。お前がどんなペテンを企てようとも、我々に通用するとは思わないことだな」
岩塩窟の守兵は、最初から居丈高だった。
あらかじめ、師匠から話を聞いてなければ、過去に遺恨があったのかと疑いたくなるほどの口ぶりである。
イレーネは、気にする素振りもなく、門を守る守兵に話しかけた。
「私は、山嶺に庵を結んでいる、元冒険者にして達人魔術師の『霧の魔女』イレーネというわ。ここを山賊が狙っているという情報があるの。責任者と話をさせてちょうだい」
「お前のような輩は何人も見てきたし、その手口も知っている。お前達は、そうやって、口々に不安を煽り立てて、自分を護衛として雇ってもらおうとする」
守兵は槍を握りなおして、続けた。
「だが、幾年たっても、山賊は襲ってくることなど無く、それどころか、隙あらば我々の財産を奪おうとする始末だ。お前の話を信じる者は、ここにはおらん。どこか他所に行って、哀れな被害者を見つけるがいい」
「いいえ、私は、居もしない山賊をだしに、護衛の仕事にありつくつもりもないし、何か褒美をもらおうとも思わないわ。よく聞きなさい。山賊がいるという証拠に、ここから半日ほど山を登れば、山賊の根城と死体が見つかるはずよ。それに貴方には話せない重大な情報もあるわ」
「ハッ! 山賊の死体があるなら、山賊に備える必要はないだろう。それに重大な情報を握っているなどと、見えすいた嘘を」
「あなたがそう思いたいなら、それでも良いでしょう。けれど後で、上官から叱られるのはあなたよ」
イレーネが冷然とうそぶくと、守兵はたじろいだ様子で、態度をやや軟化させた。だが、それでも通そうとはしない。
「お前の熱心な弁舌は大したものだ。そこまでいうのなら、私もあえて、騙されてやってもいい。だが、それには理性を騙せるだけものが必要だ」
イチノセには、とっさには意味が分からなかったが、要するに、上官に話を通すのに、賄賂が必要だといっているのだ。
(…なるほど、こういうことか)
イチノセは、内心で苛立ちを覚えた。
かつては、確かに、詐欺まがいの輩がいたのであろう。
だが、病気に罹らなかったたからといって、予防をしないというのは愚者の振る舞いである。ましてや、職務を行うのに賄賂を要求するとは。
「師匠、こんな奴に話を通す必要があるんですか?」
そう口を挟んだ。
すでに、守兵は食いつき、自分が手にする賄賂について思いを巡らせている。そう見越しての発言だった。
「そうね。わざわざ、助けになる情報を持ってきたのに、門前払いにされちゃあね」
ちらりと、守兵を見た。
表情が固まっていて、動揺しているのが見て取れる。
「そもそも、私達には関わり合いのないことだものね。イチノセ、どうしましょうか」
半ば本気である。
イレーネにとって、これは純粋な善意だった。
アイヴィゴース家は、この岩塩窟をそうそう諦めはしないだろう。となれば、確実に戦闘になるし、被害も大きくなるだろう。
ましてや、イレーネの想像通りならば、むしろ、逃げ出す算段を始めたほうが、良いのかもしれないのだ。
善意はあれど、底抜けの慈善家というわけでもない。警告だけして帰ろうかとも、イレーネは思っている。
「待て」
慌てたのであろう、守兵が口を出してきた。
「私とて、職務を疎かにしたいわけではない。ただ…、信じるための証拠が必要なのだ」
(それを集めるのも、あなたの職務じゃないの?)
そうイレーネは思ったが、口には出さなかった。代わりに、こう言った。
「では、こうしたら、いかがでしょう。私達は、ここの責任者に、会いに行きます。その間、あなたは山賊の根城を確かめに行くというのは?
むろん、山賊は死んでいますので、その証拠に遺品を持ち帰るのは、まったく職務に適った行いかと」
これは、山賊の死体から金品を剥ぎ取り、自分の懐に入れろという意味である。
守兵も、そのメッセージに気づいたようだ。
そそくさと仲間に、上官への引き継ぎを頼み、自分は喜び勇んで、山賊の根城があるという場所へ登っていった。
イチノセが、そっとイレーネに耳打ちした。
「師匠、あそこの山賊に、もう金品は全然残ってなかったんじゃ?」
「ええ。まったく、無報酬でも職務に励むなんて、素晴らしい守兵さんよね、彼は」
魔術師とその弟子は、笑った。
***
岩塩窟は、その名の通り、岩塩が採掘できる洞窟がある村だ。
険しい山肌にへばり付くように、建物があり、通りがある。塩を含んだ土が植物によくないせいか、目につく植物はひょろりと細いものばかりだ。
この村のほとんどの住人は岩塩掘りで、通りを歩いている人々も、屈強な男ばかりである。
この男たちの何割かは冒険者で、割のいい仕事が無い日は、ここで日銭を稼いでいるという。
「ここは、代々サルザーリテ家が領有しているわ。かれの領地は、水気の多い沼地がほとんどだから、ここでの税収は重要なはずよ」
責任者に待たされている間、イチノセは、イレーネから、この土地について教えてもらっていた。
暇つぶしを兼ねてはいるが、この世界で生きていくのなら、情勢を知ることは必要だろう。
なお、すでに一時間ほど待たされている。
イレーネによれば、こうすることで権威を印象づけるためであるらしい。
姑息な、とイチノセは思ったが、守兵の居丈高な態度や、職務の怠慢さから見て、これが岩塩窟での標準なのかもしれない。
だからといって、畏れ敬う気になれるはずもなかったが。
そうこうしているうちに、秘書らしき男が扉を開け、その後から壮年の男性が現れた。白髪の混じり始めた髪を綺麗に撫でつけ、金房をつけた、どっしりと重そうな毛織物のガウンを着ている。
「私が、ここの城代騎士をしていますヘスメン・サルザーリテです。どうぞ、よろしくお願い致します」
壮年の男は礼儀を保って挨拶した。
美しい女性二人とみて、このようにしたのかもしれない。
「初めましてヘスメン卿。私はイレーネ・シャーリリオ。達人魔術師です。こちらは、私の弟子で、イチノセといいます」
「イチノセです。よろしくお願いします」
「『シャーリリオ』…? 『鉄車商会』のシャーリリオ家ですか?」
「ええ、まぁ…今は自立していまして、商会とは何の関わりもない身ですけれど」
ヘスメンの顔つきが、緊張を帯びたものに変わった。
シャーリリオ家は、商会を取りしきる一族というだけではなく、貴族の爵位を持っている。
無下にはできないと感じたのだろう。
「そうですか。いや、鉄車商会とは距離が離れていることもあって、取引したことはございませんが、なかなかに景気がいいとか。あやかりたいものですな」
「ありがとうございます。しかしながら、今日の要件は、鉄車商会とは別のことですわ。卿の岩塩の事業に、暗雲が立ち込めつつあることを、伝えに来たのです」
「暗雲ですと?」
ヘスメンは、いささか気分を害したように、眉をひそめた。
「ええ。私の弟子イチノセが、先日山賊に襲われまして。そのときに、山賊の話している内容を聞いたのですわ。山賊と侮らずに、弟子の話を聞いてあげてください」
イレーネの言葉を受けて、イチノセは話し始めた。
山賊に囚われたこと。そして、囚われた中で、首謀者らしき人間がジーフリク・アイヴィゴースと名乗ったこと。オーガと山賊を使って、この岩塩窟を襲撃し、皆殺しにするつもりであること。
そして、救助という名目で、アイヴィゴース家の騎士団が乗り込み、実効支配をするつもりであることを、こっそり聞いたとイチノセは話した。
むろん、これは真実そのままというわけではない。
真実を話せば、イレーネの情報提供者たるラヴェルヌについても、話さざるを得なくなり、甚だまずい。
なので、多少の脚色を施して、弟子が全ての内情を聞いたことにしたのだ。
ヘスメンは、黙りこんでしまった。
ことの重大さに気づいたのだろう。ヘスメンの所属するサルザーリテ家と、襲撃側のアイヴィゴース家には、力の差が歴然とある。単純に領有する土地の広さで換算しても、1対20ほどの開きがあるのだ。
今までであれば、王家などが、領主間の戦争を厳しく統御してきたが、領主連合派が実権を握ってからは、そのような働きは全く期待できなくなっている。
教会に仲介を頼みたくても、この岩塩の事業は、教会から睨まれている。仲介を頼みようがなかった。
「し、しかし、その山賊共から、どうやって弟子が逃げ出したのです?」
イチノセが答えた。
「魔術によってです。私を魔術師とは思っていなかったようで、楽に山賊を倒せました。残念ながら、騎士ジーフリクは逃がしてしまいましたが」
「何と、お若いのに、大したものだ」
ヘスメンはそう言いながら、汗を拭った。
「勝手とは思いましたが、守兵の一人に、山賊の根城を確認してくるように頼みましたわ。日が落ちるまでには帰ってくると思います」
イレーネは、若干の茶目っ気をこめて、そう付け加えたのだった。
・サルザーリテ家
…男爵家。中央半島の中程に位置する封土を持つ。岩塩が特産品だが、他に、綿花の栽培も行っている。
この国では、貴族が商売という“卑俗な行為”に手を出すべきではないという考えが主流であるが、男爵家などの低い爵位では、それでは財政が立ちゆかなくなることも多く、このように事業を行う貴族もまま存在する。
ヘスメン・サルザーリテは、密かにシャーリリオ家に、好感と親近感を持っているが、これは、シャーリリオ家が、同じように貴族でありながら商会を率いているからである。