8話『村の歓待』
早めに投稿しました。しばらく伏線張りが続くのです……。
「イチノセ……」
プラチナ・ブロンドの髪が、月光を反射している。イレーネは、落ちかかった髪を払って、少女の頬をなでた。
「んっ…」
少女は目を覚ました。そして、たちまちに状況を理解した。自分は助かったのだ。
「…迎えに来てくれたんです、か?」
「何があったの? それより、早く逃げ出すわよ」
そういって、イレーネはイチノセの腕を掴んで、立たせようとしてくる。
「わ、ちょ、ちょっと待って」
「静かに! 山賊が気づく前に逃げるわよ」
声を潜めてイレーネが言うと、イチノセは、橋の方を指さした。
「や。大丈夫です。山賊は粗方、倒しましたし、それに追ってこれないように、橋を落としておきましたから」
見れば、確かに、吊り橋の綱が切られて、落とされているのがわかった。
驚きの目で、イチノセを見つめる。
イチノセは、なんでもない事のように笑って言った。
「ミスリルの短剣って、切れ味いいですね。簡単に切れましたよ」
「それじゃあ、本当に? 本当に、山賊を倒したの?」
「信じられないかもしれないけど、本当ですよ。山賊は多分、数人逃しましたけど、オーガはきっちり仕留めました。明日…いや、一眠りしてから、渓谷の底を見にいきましょう。オーガの死体があるはずですから」
まだ、睡魔が漂っているのを、イチノセは感じていた。
「……本当みたいね。でも、無茶しすぎよ」
「ありがとうございます…でも、どうして、ここに来たんですか?」
「どうしてって…」
「山賊が居るって知っていたのに、危険を冒してまで、わざわざ探しに来るなんて……あのまま、捨て置いても良かったはずです」
「あなたの事が、心配だったからに決まっているでしょうに!」
憤慨して、イレーネは言った。
イチノセは、驚いたように灰色の目を見開いて、彼女を見た。イレーネの茶色い瞳が、こちらをじっと見つめて返してくる。
イチノセは目を伏せて「…ありがとう」と、ポツリと言った。
「……」
イレーネは、少女の所作を怪しく思ったが、結局は何も言わず、立ち上がった。
山賊の心配がないとはいえ、夜の森は野生動物や魔物の危険がある。ここはまず、村に戻ることを優先しよう。
イレーネは、イチノセを抱きかかえた。
「わぁっ」
「こら、暴れるんじゃないの」
「や、大丈夫、自分で歩けますよ」
「あなた、きっと魔力疲れで、気を失ったんでしょう? そんな状態で、無理するんじゃないの」
***
『霧の魔女』が、イチノセを連れて村へ戻ると、村は沸き立った。
イレーネが出かけてから、さほどの時間も立っていないのに、囚われたイチノセを救い出したのだ。
弟子のイチノセによって山賊と、ついでにオーガが掃討されたことを、イレーネが宣言すると、さらに、大きな歓声が上がる。
「『霧の魔女』万歳! イチノセ万歳!」
「村を救ってくれた者達のために、感謝の宴を開きます! ブタを屠って、酒樽を開けて、大いに食べ、大いに飲み、楽しみましょう!」
あれよあれよという間に、村長が音頭を取って、魔術師と弟子を主役にした宴が開かれることとなった。
宴は盛り上がった。
魔女と、その弟子は、上座に座らされ歓待を受けた。
実のところ、弟子であるイチノセは魔力疲れもあって、横になりたかったのだが、イレーネの「これは村人が日常に戻るために、大切な儀式なんだから、付き合ってあげて」との言葉を容れて、おとなしく座っている。
確かに、非日常を終わらせるのに、祝祭は一つの区切りとなるだろう。
村長の褒めそやす声に、適当に相槌を打っていると、村長の娘リオンが、恐る恐るといった様子で近づいてきた。
リオンは言いにくそうに、栗毛の三つ編みを触っていたが、イチノセが促すと、意を決して、話しかけてきた。
「イチノセちゃん、ごめんなさい。…あの、逃げたりして…」
「ああ…」
イチノセが山賊に捉えられたとき、リオンだけが見逃されたことが、気になっていたらしい。
イチノセは、安心させるように、笑顔を作ってみせた。
「気に病むことなんて無いよ。 結局、お互いに何もなかったしね。 むしろ、リオンが逃げてくれてよかったよ」
実際、これは本心だった。
もし、リオンと一緒に連れてかれていたら、イチノセにはリオンという人質が出来たことになる。逃げ出すのは、さらに困難になっていただろう。
あのとき、あっさりとリオンを逃したのは、イチノセにとって、かなり意外なことだったのだ。
(無関係の人間を巻き込みたくなかったのだろうか……あのジーフリクは)
イチノセは、そんな風にも思う。
思い返してみれば、ジーフリクは、イチノセを襲おうとする山賊共を押しとどめようとしていた。
かといって、ジーフリクが『実はいい人』などと思うほど、イチノセは呑気ではない。
不良が犬を拾っていようと、不良は不良であるし、多少の「仁義」を見せたところで、ジーフリクはジーフリク。非道な敵であることに変わりはない。
なにより、自分の体をまさぐってきたのだ。
せめて一発、蹴りをいれてやらなければ、気が済まない。
「気にしなくていいよ。おいしい秘密を教えてくれたしね」
なおも、かしこまるリオンの杯に、イチノセは飲み物を注いだ。例の離れでこっそり飲んだ、甘い麦汁だ。
「今度は飲みすぎないでね」という言葉にリオンは笑った。
***
宴もたけなわであったが、イチノセは一つ奇妙なことに気づいた。
上座に座っているイレーネや自分に、村長親子以外、誰も話しかけてこないのである。
ある種、そういうものかとも思ったが、腑に落ちず、自らの師匠に確かめてみる。
「なんだか、私達に村長の家族以外、誰も話しかけてこないんですけど、そういうものなんですか?」
「あぁ…。なんといっていいのかしらね。彼らは私達が怖いのよ」
「怖い? 一体どうしてです?」
「彼らにすると、山賊を倒したのはあなたでしょう? それなら、あなたは恐ろしい山賊よりも、さらに恐ろしいってことになる」
「そんな! 私は別に村人を害する気なんてありませんよ」
イチノセは憤慨したが、イレーネは、意に介さなかった。
「そういうものなの。 彼らにとって魔術も、戦闘も日常からかけ離れたものだわ。必要があるから重宝されるけれど、できれば関わりたくない…冒険者も魔術師も錬金術士も、そういう存在なのよ」
(…そっか。これが『機械的連帯』とか、『ゲマインシャフト』とかいうものか)
イチノセは、釈然としない思いを持て余したが、心の片隅で、頷くところもあった。
ここの村人ほとんどは、同じ仕事、牧畜と農業を行っている。そして、経済が、ほとんど村落自体で完結している。
同質的な人間だけで暮らすコミュニティは、必然的に、異質なものに対する忌避感を感じるものだ。
ましてや、この国では、田舎の人間には、非常に限られた教育機会しかない。
無学な人間にとって、世界は『理解の出来ぬこと』、すなわち恐ろしいことであふれている。
畢竟、彼らの行動原理は、「異質なものや、得体のしれないものには近づくな」というものになる。
彼らにとって、私達は、異質な…得体のしれない怖いものなのだろう。
***
宴もお開きとなり、イレーネとイチノセは、村長が用意してくれた部屋に戻った。夜も遅く、もう一泊することになったからだ。
部屋には、寝台が二組ある。イチノセとイレーネは、割り当てられたベッドに腰掛けた。
「ちょっと、酔っぱらっちゃいましたね~」
上機嫌で、イチノセは言った。
いつもの白磁のごとき肌は、酒精の影響で、うっすらと桜色になっている。
村人たちが、近寄ってこない理由を知った後、それならということで、イチノセは、自分の武勇伝を、多少の誇張を含めて話したのである。
すると村人たちも大いに喜び、イチノセの杯に、我先にと酒を注いだのだった。その結果が、この酩酊というわけである。
銀髪の少女は、編みこみ靴を脱ぎ捨て、脚絆を解いていく。露わになった足は、すらりとしていて美しい。
イレーネはさりげなく、目線を外した。
イレーネにとっての恋愛対象は女性なのだ。誰でもいいというわけではないが、それでも、このように、無防備にされると、うろたえてしまう。
ましてや、イチノセは可憐と言っていいほどの乙女なのだ。
「師匠。私の足を見てください、これをどう思います?」
「えぇっ、どうって…」
「すごい、綺麗だと思いませんか?」
イチノセは、足を撫ぜながら、そんなことを言った。
「ええ、そうね…」
答えながらも、イレーネはどぎまぎしている。まさか、私の女性好きを知られている訳でもないだろうに……。
「それで、お願いがあるんですけど、師匠~」
酔っぱらい特有の間延びした声で、イチノセが言う。
「私の体、見てください~」
突如、イチノセは、上着の紐を解き始めた。
「な、ちょ、ちょっと何してるの!?」
「別に、女同士だしぃ、気にしませんよー」
「まずは、訳を言いなさい。訳を!」
上着を脱ごうとするイチノセを、必死に押さえつけつつ、イレーネは叫んだ。わけがわからなかった。人前で脱ごうとするなんて……。
「村の人達にはごまかしたけど、実は私、山賊に襲われちゃったんですよね」
(男に襲われた!? 男が心の傷になってしまったということ?)
「それで撃退はできたんですけど、跡が残っちゃって~」
(…まさか、私に慰めてもらいたい? そうなの? そういうことなの?)
「足の甲の怪我も、綺麗に治してくれましたし、この火傷痕もなんとかならないかなぁ~って」
「あ、あぁ…」
見れば、こぶし大ぐらいの火傷痕が、胸元にある。
「そういうことね。わかってたわ。うん、わかってた」
かつてイレーネは、イチノセの足の怪我を、自身の魔法薬と魔術で、綺麗に直したことがある。今回も同じく、火傷が出来たので治療できないか、そういうことだろう。
重ねて言うが、イレーネは女性が恋愛対象である。
相手は自分が性的対象だとは思っていないからこそ、安心して身を預けている。そのことに若干のやましさを覚えたが、火傷は素早く処置する必要があった。
なるべく、不埒な気分にならないように注意しながら、予備の魔法薬を用いて、手早く治療を行う。
ふと気づくと、いつのまにか規則正しい呼吸音が聞こえてきた。酔いと疲れのせいで、イチノセは眠ってしまったらしい。
そのしどけない寝顔を眺めながら、イレーネは、自分の性嗜好について話すべきか、迷い始めていた。
***
「うーん、この距離で見ると、ただの人間が死んでいるようにしか見えないなぁ」
イチノセは、渓谷を覗きこんでいた。渓谷の下にあるのは、人喰い鬼の死体だ。
「ちゃんと分かるわよ。肌の色が灰色だし、体中に剛毛が生えているもの」
あくる日の昼前のことである。山賊事件の検分のために、イチノセと、魔女イレーネは、落とされた橋のたもとに来ていた。
物見高い村人たちも、オーガの死体を見に一緒に来ていたが、しばらく眺めると、日々の仕事に戻っていった。
村長親子は、オーガよりも吊り橋が落ちていることを残念がっていたが、イレーネが修理の手助けをすると約束すると、心配の種が減ったという顔をして、やはり戻っていった。
当然ながら、イレーネとイチノセは残っている。わざわざ物見遊山に来たわけではない。
『銀色の髪の乙女』と『岩塩窟の襲撃』の手がかりを、探りに来たのだった。
イレーネは渓谷の底にあるオーガの死体を確認すると、イチノセに向き直って言った。
「それじゃあ、これから《飛翔の翼》の魔法陣を教えるわね」
「え? いいんですか? 師匠って、魔術を教えるのを、結構渋ってた気がするんですけど」
「『いいんですか?』じゃないでしょ。 私が教えたのは、《念動》と《光明》の他は、細々とした操作のための魔術文字だけよ。 それなのに、《火炎》や、一度しか見せたことのない《加重》の魔術まで、使いこなしているんだから!」
「あぁ…」
(……世界が世界だから『教わろうとするんじゃない、盗め』って事かと思ってました)
「……まぁ、今回は、それで助かったけれど、魔術には、扱いに気を使うものもあるの。これから教える《飛翔の翼》もそうだからね」
そういって、イレーネは魔法陣を描いてみせた。
「これは、結界のシジル。これ自体は、範囲を指定するシジルね。主に、自分の体全体を覆うものよ。《飛翔の翼》の魔術を行うには、絶対に必要なものになるの。何故だか分かる?」
「えぇと、風よけとか…障害物よけとか…」
イチノセが飛行機の風防を思い描きながら答えと、師匠は頷いた。
「それもあるわ。でも、もっと大きな理由は、高めた魔力を一緒に持っていくためなの。私達が使う魔術の源は、大気中にあるマナよ。結界を張らないと、せっかく励起したマナが流れていってしまうのよ」
「なるほど」
イチノセは頷きつつ、一つ思いつくことがあった。
「私がオーガの檻を開けた時の話ですけど、あの時《念動》を時間差で発動するようにしたんです。……でも、時間を空けすぎると魔力が霧散してしまって、《念動》が発動できなかった。もし、魔力を閉じ込めておけば、もっと時間を伸ばすことが出来たんでしょうか?」
「うーん。難しいところね…。《マナの結界》で、励起したマナを閉じ込められるけれど、その結界の維持自体に魔力が必要だから……風のない屋内じゃあ、むしろ逆効果である場合が多いと思うわ」
「結果的には、最善手だったのかな」
イチノセには、オーガ戦の恐怖はないらしい。あくまで淡々と、先だっての戦いを分析していた。
山賊にさらわれ、オーガと死闘をしたのだ。普通、狼狽したり、虚勢を張ったりするだろうに、イチノセには、それがない。
(……まだ現実感を伴って、認識できていないのかしら)
それなら、恐怖に陥るときが遠からず来るはずだ。そうなったら、うまく力添えをしてあげようと心に決めながら、イレーネは、魔術の講義を進める。
「ちなみに、これに《風》のシジルなどを組み合わせると、《風巻く繭》になるわ。風の膜を自身の周囲に作って、音を遮断したり、矢を逸らせたり出来る第四位階の魔術よ。私が描いてみせるから、同じく魔法陣を作って見せて」
イチノセは、魔力を高め、《風巻く繭》の魔法陣を構築した。かすかな風の音が聞こえ、結界が張られたことがわかった。
師匠は、足元の砂を放ってみせる。砂は吹き飛ばされ、イチノセ本人に当たることはなかった。さらに師匠が何かを言っているようだが、それも聞こえない。こちらから聞き返したが、聞こえないようだ。
(なるほど、風の壁で、双方の音が聞こえないのか……それに、維持する魔力が、常に必要になるのも注意しないと)
イチノセは結界を解いた。
「これって、維持するのに、魔力がけっこう消費されますね」
「そうね、それがポイントよ。結界は維持するのに、魔力をずっと消費する。だから、空飛んでいるときに、魔力が切れたら、どうなると思う?」
「地面へ真っ逆さまです」
「その通り。だから、最初は地面の近くで練習した方がいいの。より理想的には、落ちても大丈夫な海のそばで練習することね」
イレーネは、新たに、空中に魔法陣を描き出した。
「これが、翼の形状をした力場を作るための《力場》のシジル。この操作も難しいから、要練習ね。…で、今まで教えたシジルを組み合わせると…《飛翔の翼》の魔法陣になるのよ。じゃあ、向こう岸に行きましょうか」
「って、練習しないと危ないって、言われたばかりなんですけど…」
「そうよ。だから、こうするの」
そういうと、ひょいとイチノセを抱えて、イレーネは滑るように渓谷の向こう側へと飛翔した。
・機械的連帯
…同質性・類似性によるグループ。
砕けて言えば「仲良しグループ」のこと。互いに同じであることを重要視する。
そのため、グループを離れたり、違ったことをしようとすると、グループ内部でのいじめや、グループメンバーからの無視が行われたりする。
デュルケーム『社会分業論』による用語。
近代以降の社会的分業による「有機的連帯」と対立する概念である。
この機会的連帯は、近代以前の社会に顕著に見られ、村社会と一般に呼ばれるものも、この機械的連帯の要素が大きい。
この8話での村も、また同質性を重要視しているため、外部の人間である魔術師イチノセは忌避の対象となった。
・有機的連帯
…ある目的のもとに社会的分業を行うグループ。
砕けて言えば、「会社の同僚」のような、それぞれが役割を果たすことを求められるグループ。
「自分の得意な仕事しかやらない部長」は、その得意な仕事では有能であっても、部長としての役割を果たしていないので、皆に恨まれることになる。
一方で、部長が何の趣味を持っていようと(つまり異質であろうと)、それが仕事に差し支えないならば、非難されることはない。
近代以降の社会は、この有機的連帯を基本とする。
・ゲマインシャフト…地縁・血縁などの人間関係を重視したコミュニティ。
・ゲゼルシャフト…利害や役割で結びついた機能的なコミュニティ。