▼5.忘却
何か、とても綺麗な夢を見ていた気がする。
ぼんやりと覚醒してきた意識の中、ペチペチと顔を叩かれている感覚に、僕はうっすらと目を開けた。
「あ、良かった。起きたよ」
「お、ほんまか。良かったわ。ヨッシー、貧血かなんかか? 体調悪いなら無理したらあかんで?」
「そうだよー。心配したんだからー!」
……なにやら寝起きには騒がしい声に顔を顰めつつ、なんで寝起きでこの人たちがいるのかと考えたところで、澄み渡った空と、宇迦之さんの苦笑した顔、というか上半身が目の前にあって、頭の下がなにやら柔らかいのに気付いた僕は状況を把握して叫んだ。
「膝枕されてる!?」
「あ、驚くのまずそこなんだ!?」
慌てて起き上がろうとする僕に、驚きながらも僕の頭に手を置いて膝枕を続けようとする宇迦之さんによって、僕の頭は再び柔らか膝枕の上に乗る。
「ヨッシー、倒れてたんやさかい、そない勢い良く起き上がろうとしたらあかんて。またぶっ倒れるで?」
「そうだね。起きるにしても、まずはゆっくりとだよ。まず現時点で眩暈とかはあるかい?」
「え、あ、え、えーっと、眩暈とかは、無い、かな?」
心配そうに言う虎次郎くんと宇迦之さんにひとまずそう返して、僕は若干混乱する頭をクールダウンさせる。
そもそも、なんで僕は膝枕されてるんだろうか。
あと、ここはどこだろうか。
……あぁ、そうだ。神社だった。それで、暇つぶしに社の裏手に回ったところで――。
――回ったところで、なんだっけか。
「大丈夫かい? 顔色良くないけど」
「あ、うん。大丈夫。余裕余裕」
「つぐにゃん、無理しちゃダメだよ?」
「せやで。とりあえず今日は一度帰ろか。アレや、時間も早いし、せっかくやからヨッシーの家で遊ばへん?」
「お、いいねいいね虎にゃん!」
「あ、いや、本当大丈夫だよ? 山菜とかすぐにでも取りに行っても全然オッケーだよ?」
「いや、そんなぐったりした声で言われても説得力無いからね? 佐藤くん」
ぐぬ、そんなに顔色悪いのか、今の僕。
皆が心配するほど体調が悪いわけではないのだけれど……。
しかし、そうか。僕は気絶していたのか。なんで気絶してたのかとか全然分からないけど、とりあえず貧血ではないはず。確かに僕はあまり血が多いほうではないらしいけど、何もしてないのに唐突に貧血になるほどではない。そもそも体調不良の日ならともかく、今日は普通に元気だったのだけれど。
とりあえず、まぁ気絶していた理由が何にせよ、起き上がろう。
と思って起きようとする度に、宇迦之さんが妨害してきて膝枕状態を継続させられるので起き上がれない。ぐぬぬ。
「つぐにゃん、良かったね。美少女の膝枕イベントだよ! 君は今喜んでいいのだよ!」
「せやな。コレがギャルゲなら、刹那ルート解放やで」
「ごめん僕には二人が何言ってるのかちょっとわからないかな」
「ごめん、ちょっと理解できる程度には虎次郎に毒されてきてるみたいだよボク……」
二人が膝枕されている僕に阿呆なこと言っているので呆れると、宇迦之さんはちょっと遠い目をしてそんなことを言った。
うん、君はアレだよね。虎次郎くんがこういうことばっかり言うから、意味とか調べちゃったんだよね? ごめん。実は僕もちょっと意味を理解してきているんだ。でもそれは見ないフリをしたいんだ。
あと、そろそろ膝枕から解放してくれないかな。確かに気持ち良いというか、中々に落ち着くんだけど、ちょっと気恥ずかしい。それに僕は体重軽いとはいえ、正座で僕の頭をふとももに乗せていて足が痛くならないのかい、宇迦之さん。
「で、で、つぐにゃん。美少女の膝枕の感想はいかが!」
「とても気持ち良いです」
正直このまま寝たいです。
「つぐにゃんがデレたで、刹那! おめっとさん!」
「あはは、それは良かったよ。虎次郎が言ってたら殴ってたけど」
「なんでや!?」
「多分、そこに邪気があるか無いかの違いだと思うの虎にゃん!」
そうだね嗣深。いつだったか、僕と宇迦之さんを目の前に、「死ぬ時はたたみの上で大往生して美少女に囲まれて別れを惜しまれながら死にたいと思うんやけど、どう思う?」とか熱く語っていた君は本当、邪気にあふれていると思うよ、虎次郎くん。
あの時の宇迦之さんの、笑顔で「死ねばいいんじゃないかな」って言った時の迫力ときたら無かったね。僕も「多分、虎次郎くんは畳の上で大往生ではなく、背中から刺されて死ぬと思う」って言ってあげたね。
あれ、なんの話してたんだっけ。
「まぁ、それはさておきや。とりあえずヨッシーと刹那の荷物はワイが持つから、刹那はヨッシー抱っこしたってや」
「そうだね。荷物のほうが佐藤くんより重そうだし、お願いするよ」
「待って、僕そこまで軽くないからね?」
いくらペットボトルや缶詰がいくつか入ってるとはいえ、流石に僕の体重よりは軽いから、そのリュックサック。
「いやまぁ、体感の問題だよ、佐藤くん。それにリュック三個と比べたら、背中に小さい子背負ってるほうが楽だしね」
「待って、小さい子って言わないで!?」
言葉のナイフが僕の胸をえぐるから!
「虎にゃん、わたしがつぐにゃんの荷物持つよ! 一人で三個は辛いと思うの!」
「いやいや、大丈夫やって、つぐみん。女の子に荷物持ちさせるほど腐っとらんて」
「ひゅー! 虎にゃんったらおっとこ前ー!」
「ハッハッハッ、ええぞ! もっと褒めてや!」
「はいはい、虎次郎は凄いね。さて、それじゃあ佐藤くん、背中に乗ってくれるかな」
「いやいやいや、待って待って、アレだよ。それならせめてご飯だけでも食べてからで良いよ。せっかく来たのにお弁当も食べないまま帰るのも勿体無いし」
なんかもう完全に帰る空気になっている三人に、なんとかそれだけ言うけれど、虎次郎くんが「せやかて、まだ十時ちょいやし、朝飯も食ってきたからそこまで腹減っとらんからなぁ」と言われて、二人も同意してたので、結局下山することになった。
皆して随分と過保護だと思うけれど、まぁ心配してくれてるのは嬉しいし、いつも山に登ってからやることと言えば散策と山菜採りなんかがメインなので、確かに気絶してた人を残して楽しんでくるというのも難しいだろう。これで倒れたのが僕ではなく宇迦之さんとか嗣深だったら僕も同じこと言ってるだろうし。
しかし、なんで僕は気絶してたのだろうか。それが心底分からない。
下山する前、倒れていた場所――社の裏手で倒れていたらしい――をちょっとだけ覗いてみたけれど、特に何かがあるわけでもなかった。
すべって転んだ、というにも転ぶような物も落ちていないし、本当になんだったのだろうか。
その後、別に体調も悪くないので自分で歩くという意見を却下されたため、結局僕は宇迦之さんに背負われて下山するのであった。