▼4.遭遇
ここ数日ですっかりクラスに馴染み、部活も同じ卓球部に入ってきて自由奔放明朗活発元気一杯に大騒ぎする嗣深のせいで僕の存在感がより薄くなったため、嗣深に自分の居場所が取られるような気がして若干怖かったものの、よくよく考えたら虎次郎くんと宇迦之さん以外とは大して親しい友人がいない時点で、この二人の態度が変わらないなら全く問題ないな、と先日教室で二人とご飯を食べながら思う次第である、
そんなことを思ったりする日々を過ごしている内にやってきた土曜日、外は雲ひとつ無い快晴で少し強めの風が吹いている。そのお陰で12月だということを考えれば比較的暖かい気温のため、過ごしやすい日だ。
朝から兄妹揃って一緒にお弁当を作ってピクニックの準備を終えた僕達は、そんな快晴な空に感謝を捧げつつ、軽い登山装備で家にやってきた虎次郎くんと宇迦之さんと挨拶を交わしていた。
「ウィーッス。ヨッシー、つぐみーん、来たでー」
「おはよう、二人共」
「おはよー虎くんにせっちゃん!」
「おはよ、虎次郎くん、宇迦之さん」
二人の装備だが、虎次郎くんは大阪の野球チームの帽子に青いブルゾンと暗い色のジーンズ。宇迦之さんはトレイルハット(登山用の帽子)に、フードのついた白いブルゾン、下は真っ黒なジーンズ姿だ。
そしてピクニック気分とはいえ、あくまで登山装備らしく非常食や水、懐中電灯、コンパス、着替えなどが入っているリュックを背負っている。ステッキは流石に持ってきていないようだけれど。
ちなみに僕は迷彩柄の野球帽に赤いパーカー付きのジャケットと黒いジーンズ、嗣深は猫耳フード付きの白いもこもこ付きポンチョと黒いジーンズ(なんか伸びる素材らしくて便利そうなので今度僕も同じ物を買おうと思う)に、二人と同じように非常食などの入ったリュックを装備中だ。
宇迦之さんの白いブルゾンは汚れたら目立ちそうだけれど、あの人白いの好きだから仕方ない。
そして嗣深だけなんだか山登りには不似合いなお洒落してる感じがするけれども、まぁ今回は山登りとは名ばかりのピクニックなので良いだろう。二人共、白いから汚したら洗うのが大変そうだけれど。
「つぐみん、忘れ物はあらへんか?」
「大丈夫だよ。僕のと同じ物用意したから」
「だそうです!」
「ほんなら大丈夫か」
「嗣深ちゃん、そのポンチョ随分可愛いね。どこで買ったの?」
「自作だよ!」
「自作!?」
服のことに言及されたら、何やら胸を張って嗣深がした発言により宇迦之さんが驚いている。まぁ僕もそれ聞いた時に驚いたから気持ちは分かるけど。
「え、コレ自作!?」
「うん! 型紙から作りました!」
「つぐみん器用やなー」
「ふはははは! 褒めたまえ崇めたまえ!」
「凄いね……市販品で普通に通用するよコレは」
料理と裁縫という家庭的かつ女の子らしい趣味を持つ宇迦之さんが嗣深のポンチョを触ると縫い目などに心底感心したらしく、唸りながら嗣深の服をジロジロ見ているが、デザイン的には一般受けはしまい、と僕は思う。いくらなんでも外着で猫耳は無いと思う。あざとすぎる。
……猫耳パジャマを着ているお前が言うなと誰かにツッコミをくらった気がするけど気のせいだよね。
「何故か、フードに猫耳付きという謎要素があるけどね」
「なんですとー!? 最近はこういうちょっと奇をてらった服も別に珍しくないんだよー!?」
「確かに、猫耳は、うん。でも可愛いし良いんじゃないかな? デザイン的にもミスマッチな感じはしないし」
「まぁ、つぐみんらしくてええんちゃうか?」
僕と宇迦之さんのツッコミに対して虎次郎くんのフォローが入ったが、それって結局は猫耳フードは一般的におかしいというのを否定しないということである。
とりあえず、なんでもかんでも猫耳をつければいいというものではなかろうという案件は賛成3、反対1で可決となった。
「まったくもう! これ猫耳部分が一番大変だったのにわかってないねチミたちは!」
「猫耳にする必要はどこにあったんだろうか……」
そんな馬鹿話をしながら僕たちは家を出て、徒歩で目的の山へと向かう。
本当は行けるところまではいつも自転車で行っていたのだが、嗣深が自前の自転車を持っていないし、二人乗りは山登りの装備している状態では重過ぎて大変――何より、自転車の二人乗りは禁止されているし――なので素直に徒歩となったのである。
とはいえ団地の奥の山というのは僕の家からさほど距離も無いため、そこまで問題は無い。むしろ徒歩だからこそのんびり皆でおしゃべりしながらいけるというのは良い事だ。
「そこでわたしは言ったのですよ。おいおいジョニー、お前さんは戦場の泥水よりもママのおっぱいでも吸ってる方が似合ってるぜ? ってね!」
「HAHAHA,そいつぁ間違いねぇぜつぐみん! これやから尻の青いガキは困るやな!」
「佐藤くん、あの二人は一度病院に連れて行ったほうがいいんじゃないかなと思うんだけど、どうだろう」
「宇迦之さん、気持ちは分かるけど、それは口にしてはいけないよ。彼らが自身のアレ具合に気付いて自殺したらどうするの?」
「そうだね。例えどんなにアレな人達でも、生きる権利くらいはあったね。ボクが間違っていたよ佐藤くん」
「うん、分かればいいんだよ。本当、どうしようも無いくらいあの人達はアレだけど、ゴキブリにだって生きる権利くらいはあるんだよ」
『二人が冷たい!』
通行人がいないとはいえ、往来で外人さんごっこを大声でやっている君達が悪い、と宇迦之さんと二人でツッコミを入れた頃には団地を通り過ぎていた。
もう少し奥の方へ行くと舗装されていない道になるが、どうやら近くの畑で農道として使っているのか、軽自動車くらいながらギリギリ通れる程度の幅のある道がある。
「しっあわっせなっら手っをたったこ♪」
「しっあわっせなっら態度ーでしーめそーおやー♪」
『さーぁみーんなーで手ーをたーたこ♪』
「佐藤くん、今度はスペイン民謡の替え歌を歌い出したよ」
「宇迦之さん、僕としては二人が歌い始めたこと以上に元がスペイン民謡だということを知っている宇迦之さんにツッコミを入れたいよ」
「? コレくらいは一般常識じゃないか」
「いや、普通は知らないから」
少なくとも僕は知らなかったから、と首を傾げる宇迦之さんにツッコミを入れたところで、ふと周囲の光景に違和感を覚えて立ち止まる。
目の前には目的の山の入り口とでも言うべきか、それまであった田んぼが途切れて木々が生い茂る林に変わり、道には多少雑草が生い茂ってはいるものの、時折来ている人がいるのかタイヤの跡が雑草をなぎ倒して奥へと歩きやすい道を作ってある。
おかげで登りやすそうなのは助かると思うのだけれど……。
何か違和感を感じて首を傾げるが、周囲を見渡してみても特におかしな点はない。
「どったの? つぐにゃん」
「なんか見っけたんか?」
「何か忘れ物でもした?」
「あぁいや、なんでもないよ」
皆の声に、僕は首を振って違和感を振り払う。まぁ何がおかしいのかわからないような違和感なら、大したことではないだろう。
「そか? あ、つぐみん、もうこの時期なら居らんと思うけど、念のため藪の方とか行く時は蛇出ることもあるから気ぃつけや?」
「おぉう、把握だよ虎くん。蛇さんに噛まれたら痛いもんね!」
「痛いで済めばマシだけどね」
「まぁこのあたりの蛇なんてアオダイショウとかヤマカガシくらいしか見たことないし、こちらから刺激しない限りはそうそう襲われたりしないと思うけど、一応は足元に注意しておいてね嗣深ちゃん」
「ちなみにアオダイショウは無毒だけど、ヤマカガシは毒蛇だから覚えておいてね」
見分け方は僕もいまいち分かってないのだけれど、一応嗣深に教えておく。
「はーい。アオダイショウってなんか凄い名前だね。青いの? 大将なの?」
「せやで。なんと氷を操る能力を持っとるんや」
「マジで!?」
「虎次郎くんその話題は色々危ない」
あと嘘を教えてはいけない。アオダイショウはそんなファンタジーな蛇じゃないから。
「嗣深ちゃん。そんなファンタジーな蛇はいないから、安心して。まぁ、臆病な蛇だから近づくと逃げるしアオダイショウについてはそこまで危険視しなくても大丈夫だよ。最悪噛まれても痛いだけで済むし。ヤマカガシは危ないけど、目的地までのルートで藪に入るところなんかは無いから多分大丈夫だと思う」
ちなみにアオダイショウは縦縞褐色がかっている模様から、ニホンマムシと間違えられることもあるんだよ、と宇迦之さんが補足したけれど、ごめんなさいアオダイショウもヤマカガシも何度か見たことあるけど全く見分けとか分かりません。
「あとはクマ避けの鈴も全員出しとるかー? よし、大丈夫やな。そんじゃあ皆、行くでー」
「「「おー!」」」
虎次郎くんの号令一下、僕らは山へと入っていく。
秋口には綺麗だった紅葉もすっかりただの枯葉と化して散っており、木々は寒々しい姿を晒している。そのお陰で日が遮られないため、比較的暖かいといえば暖かいものの、やはり顔に当たる風は寒い。
これで本当の登山コースだとそんな寒さも忘れるほどに汗をかくのだけれど、今回は本当にハイキングコース程度のため、のんびりと緩やかな傾斜を登りつつ、虎次郎くんや嗣深が歌を歌ったり、宇迦之さんが雑学を語ったりと、実に平和にのんびりと歩いていると、三十分もせずに目的の廃神社とやらにたどり着いた。
結局道の傾斜はずっと緩やかなままだったし、途中で足を止めたりしてもこの程度しかかかっていないあたり、本当にただのピクニックである。
「やー、しかしほんま、こんだけ緩い山登るっちゅうんは久々やな」
「確かにそうだね。まあ、この廃神社より上になってくると、ちょっとずつ傾斜もきつくなってくるらしいけど」
「まぁ、今回はこの廃神社が目的なんだし、初参加の嗣深もいるから良いんじゃないかな」
「その初参加のつぐみんはえらい元気に駆けまわっとるけどな」
「うん、まぁ。意外と体力はあるみたいだね……」
「つぐにゃーん! なんか幽霊さんでも出そうなくらいボロボロだよここー! 早くおいでー!」
僕らがのんびりと赤い塗装が殆ど剥げて、木目が見える状態で今にも折れそうなほどボロボロな鳥居の前に来たところで、突然、嗣深は何かを叫びながら神社境内へと突撃し、社のところでキャッキャと騒いでいた。
一体何が楽しいのだろうか。いや、気の置けない友人とこうして行動するのは楽しいのは違いないけれども、あんなにはしゃぐような要素があの社にあるのだろうか?
ちょろちょろ動きまわって「おぉ、おみくじの箱発見! 中身無いけど!」とか騒いでいる嗣深に苦笑しつつ、僕らも境内へと足を踏み入れる。
まあ、境内と言っても鳥居と社に看板らしきものが残っているくらいで、手入れなんてまったくされていないからそれらの建造物もボロボロな上に、地面も砂利ではなく雑草だらけになっていて、どこからどこまでが境内なのかすら分からないけれども。
そんなことを考えていたら、虎次郎くんも鳥居をくぐった瞬間に奇声をあげて嗣深のもとへと突撃していった。この二人は実に元気である。
「ふむ……」
突撃していった虎次郎くんに嗣深が「バン!」と言って指で鉄砲の形を作って指差したら、虎次郎くんが「ぐわー!」とか言いながらわざとらしく倒れこむのを眺めていると、宇迦之さんがなにやら殆ど字の消えた看板を眺めながら呻いていたので声をかけた。
「宇迦之さん? どうかした?」
「ん? あぁいや、ここもうちの神社の系列だったのかなと思ってね」
「ふぅん?」
そうなのか、と僕も宇迦之さんの隣に行って看板を覗きこむと、確かに宇迦之の文字がうっすらとだけれども残っていた。
「宇迦之ってことは、宇迦之さんの親戚?」
「あぁ、違う違う。宇迦之っていうのはそもそも宇迦之御霊神、穀物の神様からとっている苗字なだけだから、この看板の宇迦之、も宇迦之御霊神のことだよ。恐らくね」
「ほほー」
なるほど、神様の名前だったのか。
神社の神主さんの苗字が神様と同じってまた随分と畏れ多いことしてるなぁとも思うけれども、普通なのだろうか。それにしても初めて聴く名前の神様だ。
「多分わかってないだろうから補足すると、一般的には御稲荷様として知られているね」
「あぁ。狐の神様!」
「いや、一般的に狐のイメージが確かにあるけどね。別に狐の神様なわけじゃないよ?」
「あぁ、うん。ごめん。つい思わず」
「いや、良いけどね。ちなみに、お稲荷様の稲荷だけど、本来は稲が生る、で稲生りというのが稲荷、に変化した物で神社によっては稲生や稲成って表記してるところもあるよ。あと、狐のイメージがあるのは、多分真言密教における荼枳尼天、インドの女神であるダーキニーを稲荷神と習合させて真言宗が全国に布教して、荼枳尼天の概念を混ぜ込んだ稲荷信仰が全国に広まることとなったのがキッカケだね。
荼枳尼天は人の心臓を食らう夜叉の一種で、中世には霊狐と同一の存在とみなされていたから。その名残で狐のイメージがついてるんだろうね」
「へえー」
ごめん、そこまで語らなくて良いよ宇迦之さん……!!
僕の記憶容量は小さいので、一度にそんな語られても、とりあえずお稲荷様は穀物の神様で元々は狐さんじゃないんだけど狐さんに進化なったのだということしかわからないよ! Bボタンキャンセルを誰もしなかったのだね!
「それと、稲荷寿司の稲荷というのは、このお稲荷様に捧げる物が油揚げだったことから、油揚げを使った料理を稲荷と呼ぶようになってるんだ。恐らくは昔からある狐は稲荷(油揚げ)が好き、という話は、これの連想なんだと思うよ。実際は狐って肉食だから油揚げを好むわけでは無いんだけど。
あと、そうそう。荼枳尼天のこともあって、一応祟り神としての側面もあるね」
なるほど、宇迦之さんは狐っ娘だったのか。
宇迦之さんによるまるでウィキペディアのような説明略してウカペディア或いはセツペディアを聞き流しながらそんな失礼なことを考えていると、宇迦之さんは語りながら何かの考察を始め出したので一言断りを入れてから境内を一人で散策することにした。
一緒にいたら、ずっと小難しい話を聴かされそうなので避難したとも言う。
……とはいえ、先に抱いた感想どおり、まったくもって見るようなところは無い。社はボロボロで、入ろうと思えば中に入れそうだけれど、罰当たりな気がするし、何より入りたいと思えない程度には小汚いし、先ほど嗣深が発見したおみくじというのも、中身が無いのではこれまた意味が無いし。
絵馬でも残っているなら、それに書かれていることでも眺める、という暇つぶしもできるのだろうが、絵馬をかけておくような場所も無いので、元から無いのか、或いは撤去されてしまったのかしたのだろう。
そんなことを考えながら、二人で騒いでいる嗣深と虎次郎くんを尻目に、なんとはなしに社の裏側にまわってみて、変な臭いに気付いた僕はその臭いの場所――社の裏手側の壁を見て、そのまま凍りついた。
――死体だ。
ぞわり、と背筋に怖気が走り、思わず自分の肩を抱いた僕はその光景に背を向けるところまでは動けたものの、逃げ出すことも出来ずにそのまま立ちすくんだ。
死体。死体だ。死体があった。
いや、まぁ、人間の死体ではないが。猫の死体だ。多分、猫の。
猫の死体くらいなら、道路で轢かれている物を何度か見たことはある。当然見ていて気持ち良いものではないし、見たいとも思わない。けれど、決して始めて見るわけでは無いのだから、ここまで怯える必要は無いのかもしれない。けれども、それがただの猫の死体では無かったのだから、僕が怖がるのも仕方ない。
猫は、お腹を切開されて、木造の壁に磔にされていた。
内臓のような物が見えた気がするし、血だまりも凄かった。一瞬だけとはいえ、アレは見れば分かる。誰かがここで、あの猫を殺したのだ。
クマ等に襲われた、というのは考えられない。野生動物ならば、獲物として狩ったのなら肉を食べていくだろうし、大体あんな綺麗にお腹を捌いたり出来ないだろうし、そもそもあのように壁に磔にするなんて芸当できるはずが――。
「うぷ……」
思考するほどに、目を逸らしたはずの光景がまざまざと甦ってきて、吐き気がこみ上げてくる程に気持ち悪くなったため、慌てて戻ろうとした僕だったけれど、それが直ぐに叶うことはなかった。
後頭部に鈍い衝撃を感じた、と思った次の瞬間には、気を失ったからである。