▼49.情報共有
嗣深が起きた、と教えてもらった僕は、とりあえず全裸の女の子の件は棚上げすることとし、津軽さんに着替えさせておくようにお願いして、部屋を出た。
隣の部屋からはごそごそと衣擦れの音がすることから、嗣深が着替えているのだろう。
僕はその部屋を素通りして、一階へと降りると、お父さんの書斎へと顔を出す。
そこでは、銃器を分解しているお父さんの姿があった。
こうして見ると、いつもの人が好いお父さんといった風体だったのが、急に百戦錬磨の映画とかに出てくるヒーロー役の俳優さんか何かに見えて、ちょっと格好良い。
「お父さん、嗣深が起きたって」
「そうか……今は着替え中かな?」
「そうだね。着替えてるみたいだった」
「それなら、お父さんは適当な軽食でも作っておくから、義嗣は嗣深が降りてきたら迎えて、そのまま居間で待っていてもらえるかな? そろそろ部屋も暖まっている筈だしね」
「わかった」
言葉通り、分解作業をしていた銃器を手早く組み立ててテーブルの上に置くと、お父さんはそのまま僕の横を通って、台所へと向かったので、僕はドアを閉めて、そのまま居間へと向かう。
お父さんの言うとおり、暖房がいつの間にかつけられていた居間は既に暖まっており、掘りごたつの中もしっかりと温まっていて、いつでもゴロゴロできる状態だった。
……いや、ゴロゴロはしないけれども。
よいしょ、とほりごたつに座り込み、小さく溜め息。
夢の内容も内容だけれど、あの女の子をどうしよう。
そもそも、鍵ってなんだ。あの女の子が鍵だとして、なんの鍵なんだ。
頭を抱えそうになるが、夢の中とはいえ、即答で欲しいと言ったのは僕である。いや、欲しいと言った訳では無いけれど、状況打開の手になるなら助けてほしいなぁとか思ってとくに考えもせずに取引をしてしまったのだけれど。
そもそも、最後の眠りから覚める寸前が若干ぼやけているのだけれど、あのお姉さんが言っていた眷族がどうとかいうのも地味に気になる。
右手を挙げて蛍光灯に照らしてみると、いつもどおりの手がそこにあるけれど、僕がこうして僕でいられる時間もあと少しらしいので、せめて手早く、消える前までになんとかしていきたい。
なんというか、最近、地味に思考にノイズが入ったり、考えていたはずの事が次の瞬間には忘れてしまったりと、多分、偽物である僕が、僕として存在できる限界が近づいているのは何となく察していたので、年内に消えてしまうというのは別に怖くは無い。
ただ、化け物と化して嗣深やお父さん達に襲い掛かってしまうというなら、それはちょっと嫌なので、出来れば消えるなら穏便に、存在を丸々消していただきたい。
……こういう考えって、異常なんだろうな、と右手を降ろしながら思う。
自分が消える事を恐れないというのは、まぁ現実感が無いというのもあるのかもしれないけれど、それにしたって普通は怖いものだろう。
それが、不思議と欠片も恐怖感が湧かないのはなんとも不思議だ。
誰かが望んだ形が僕なのだとしたら、そう言う風に望まれたのか、或いは佐藤義嗣という人間はそういうものだ、とその人が無意識に思って作り出したのか。
まぁ、どっちにしたって僕に出来ることなど殆ど無い。
何をやっても中途半端で、覚悟だけ決めたつもりでも空振っていて、結局誰かに助けてもらわないと何もできなくて。
嫌になるけれど、まぁ、それが僕という存在なのだろう。
自己嫌悪とかではなく、単に現実としてそれを認める。
多分、望まれてそう作られたのではなく、僕はそういうものだと、誰かが考えているんだろう。
こんな役立たずになるように望むような人はいないだろうし、早苗さんのためにと望んで作られた割には、僕は結局早苗さんに何も出来ていないし、望まれて作られた割には、誰かに望まれているような実感も無い。
だから、何者でもなく、佐藤義嗣という人物の偽物でしかない僕に、消えることへの恐怖なんて、無い。
そもそも、存在自体に意味を感じられないのだから。
ドタバタと、階段を降りてくる音が響き、「シュタッ!」と口で効果音を出しながら階段から(三段ほどの高さでしかないが)飛び降りてきた嗣深を生暖かい目で見つつ、そう思う。
多分、僕が何かしなくても、嗣深は勝手に助かるんだろう。
それでも、お兄ちゃんとして、少しでも助けになってあげたいなと思う。その心だけは、多分本物だと思うから。
「つぐみん、復活!」
「はいはい。おこた温まってるから、こっちおいで」
「おこたー!」
ヒャッハーとでも言わんばかりのテンションでこっちに来る嗣深に、変わらないなぁと思いながら眺めていたら、静かに階段を降りてくる音が聞こえてきたので、そちらに目をやると、顔を出したのは、津軽さん一人であった。
あの女の子は起きなかったようだ。
「佐藤くんが連れ込んだ女の子は、随分な眠り姫ちゃんみたいね」
肩を竦めながらそう言った津軽さんも、僕達のほうへとやってきて、掘りごたつへと入る。
「温かいわね」
「お父さんが事前にあっためておいてくれたみたい」
「アンタのお父さん、アンタと違って本当有能よね」
「自慢のお父さんです」
「アンタをディスってんのよ……」
津軽さんがジト目でなんか言ってきたが知らぬ存ぜぬ。お父さんが有能というフレーズだけしか聞こえませぬ。
そして、津軽さんが小さく溜め息を吐いたところで、嗣深が僕の肩を叩いた。
「つぐにゃん。連れ込んだ女の子イズ、何……?」
なんか犯罪者でも見るような目で僕を見上げる嗣深に、僕は「面倒くさいなぁ」と思うのであった。
「面倒くさいって言った!?」
「あ、ごめん。説明がというか、嗣深の態度がね?」
「あれ、私のほうがディスられてるの何で?!」
たまには嗣深の方をイジってみるのも悪くは無かろう。
「女の子なんて大体面倒くさいもんよ、佐藤くん」
「それもそうか」
「なんでえりにゃんまでつぐにゃん側なの!?」
あとえりにゃんも女の子でしょー!? と騒ぐ嗣深を鼻で笑ってやったら、嗣深が僕の背中をぺしぺしと叩いてきた。
「何か問題起こしたっぽいつぐにゃんの方が偉そうなのが、わたし、腹がたちます!」
「何も問題を起こして無いよ? 僕は」
なんか問題のほうから来たっぽいだけで。
遠い目をしつつ、僕はお父さんが軽食を作って持ってきてくれるまで、ダラダラと嗣深の相手をするのであった。
「コホン。ここで、わたしから重要なお話があります……」
お父さんがサンドイッチを作ってきてくれたので、皆でもぐもぐし始めたところで、嗣深が咳払いと共にそんな事を言い出した。
「えー……記憶に未だ混乱が見られるわたしではございますが、このたび、色々大変大事なことを思い出した次第でございまして」
無駄にもったいぶった言い方の嗣深を尻目に、もぐもぐする僕と津軽さん。
お父さんだけは食べる手を止めて見てあげている。紳士。
「食べる手を止めよう!? 大事な話だからね!?」
「それを決めるのは僕達だ」
「大丈夫よ。聞いてるから。あ、これ美味しいわね」
不満げな様子だったけれど、話を進めることにした嗣深は、僕の方を若干申し訳なさそうにちらちらと見ながら「えー、あー、えっとねぇ……」ともったいぶった言い回しをした割に言い辛そうにしているので「言い辛い事なら、とりあえず言い易い事から話したら?」と言ったら、頷いて嗣深は津軽さんの方を向いた。
「ねぇ、えりにゃん」
「ん?」
「えりにゃん、実はこの世界に居たい訳じゃないよね。元から」
その言葉に、津軽さんは一瞬固まったけれど、口に入れていたサンドイッチを飲み込むと、あっさり頷いた。
「そうだけど、それがどうかした?」
……まさかの肯定に、僕としては若干思考停止してしまったが、言われてみれば確かに、多少渋りこそしたものの、嗣深の事を好きにして良い権利なるどうでもいいものであっさりとこちら側についたりしていたが、その割には早苗さんのことを望んでたというだけあって、誕生日会の時は結構なマジギレっぽい感じで僕に絡んできてたりしてたし、仮にこの世界に居たいって思ってるわけではないのなら、この世界は望んだ人だけが来るみたいな最初の条件から外れてしまうのでは無いだろうか。
そう思って嗣深を見ると、嗣深は僕の視線に頷く。
「つぐにゃんが思ってる事は大体分かってるつもりだけど、この世界、そもそも大前提からして間違ってたんだよ」
間違ってた?
「まず。この世界は、この世界に来たいと思った人がやってきてるんじゃないってこと」
「え? 嗣深は、来たいと思った、というか、誰かに誘われて来たんじゃなかったの?」
「それは、確かに間違ってないよ。そこは確か。でも他の人は違うの。殆どの人は、元の世界から逃げ出したいと思った人が、ここに来るの」
「それが、この世界に来たい、っていうことじゃないの?」
「ううん。それだと希望して来る訳だけど、違うよ。実際の所は、そういった、逃げ出したいと思った人の思いを汲み取って、この世界に連れ込んでるの」
その人が逃げ出したいと思った物を排してね、と嗣深は先ほど叩いた場所から、何かをはじき出すように、人差し指をピッと跳ねる。
「その結果、その人が元の世界で欲しいと思った人間関係が、極力、それに近い形で形成されてその人のこの世界での人生がスタートするって形、なのかな? ごめん。そこはちょっと憶測交じりだけど、どう? えりにゃん」
嗣深の言葉に、津軽さんは次のサンドイッチを食べようとしていた手を止めて、頷く。
「概ね正解かしらね? だから、まぁ望んだ人が作られて、望まない人は本来の人間関係に混ざっていた人間であっても存在しなくなる、という意味では、まぁ最初にアンタ達が考えてた設定で大体合ってるとも言えるわね」
そう言って、ハムエッグサンドを若干目を輝かせながら咀嚼する津軽さん。どうやらよほど気に入ったらしい。
「うん。そこでキーになってくるのが、この世界にやってきた人って、元の世界から逃げたい、って思った人ではあるけれど、イコールこの世界に居たい、ってわけではないってことなの。わたしみたいにね」
僕に向けて嗣深が真面目な顔でそう告げる。
何がどう違うのかいまいち分からないが、元の世界が嫌だから逃げてきたのなら、この世界に居たいと思うのではないだろうか?
「うーんとね。まぁ当然、ここが居心地が良くて、戻らなくて良いって思う人もいるだろうけど、人って、逃げたいとは思っても、逃げるのが正解だと思ってるとは限らないでしょ?」
「冬休みの友(友と書いて敵と読む、宿題の山達)とか?」
「ううーん、例えが実に分かりやすいけど若干違うような気もするけど、まぁ大体そんな感じ! それは、逃げたいなって思うし、やりたくないなっては思うけど、でも、やらないといけない事でしょ?」
そうだね、と頷くと、嗣深も頷く。
「だから、逃げたいなって思いはするし、冬休みがずっと続かないかなっても思うけど、冬休みが明けて、学校でまた皆と遊ぶのが楽しみでもあるでしょ?」
「まぁ、そうだね」
中には学校が始まらないと良いなと思ってる人もいそうだけども。
「まぁ、とはいえ、一回入り込んだら、抜け出し方を探す以前に、疑問を抱かない限りは出て行こうとも思えないだろうから、結局はこの世界に順応しちゃうんだろうけども、逆に、疑問や違和感を覚えて、且つこの世界から出たいなって想いを抱く人は一定数、いると思うわけなのだよ
ドヤ顔をする嗣深に、そうだねと頷いて続きを促す。
「そして、その出たいなと思う筆頭は、そう、ズバリ、えりにゃん「ではないわよ?」ではないそうなので、ガっちゃんだと思います!」
言葉の最中に思いっきり否定されたのに、全くめげずにそう告げた嗣深だったが、顔が「あれぇー?」とでも言いそうな顔である。
「まぁ、何がなんでもこの世界に残りたいとも思わないから、そういう意味では消極的ではあるけど、嗣深に付き合っても良いとは思ってるのは確かよ? この世界、オシャレとかに関しても停滞してるし、娯楽が少ないから段々飽きてきてはいるし」
なんというか、とても俗な発言であるが、納得は出来る。
言われてみれば、新作のゲームが出るとかそういう情報を僕はこの世界で聞いた覚えがない。
いや、この世界が閉じているという情報を知るまでは、そういうのもあったような気がしていたけれども、考えたらゲームもそうだし、新聞なんかも全部、この地方についての事しかかかれていなかったし、テレビなんかもなんだか見覚えがあるものばかり見ていた気がする。
最初からそれに気付いていたのだとしたら、代わり映えの無い、ずっと同じものが放送されるテレビも、新刊の出ない漫画も、新作の出ないゲームも、何もかもが無い世界というのは、最初はともかくとして、絶対に暇になってくるだろう。
「まぁ、それで、地球さんは説得簡単だと思うって話?」
「うん。多分?」
とても不安な返答であった。
「で……他に何か言う事があったんじゃない?」
「あ、うん。とりあえず、望まなくても、この世界に来ちゃう人がいるっていうのがまず一つと、もう一つね」
卵のサンドイッチをもぐもぐしながら頷く。
相変わらずお父さんの料理は激ウマやでぇ……。
「えーっとね、この世界が、望まれた人が作られるっていうのは、間違ってないんだけど。逆に、その作られた人と同一人物がこの世界に来た時なんだけど」
「あ、それ気になってた」
忘れていた疑問の答えが提示されそうになった事で、僕も身を乗り出す。
「えーっと……同一化はしないみたい。代わりに、別の立場の人間になるの。比較的、その人の本来の立ち位置に近くて、そして、そのやってきた人が望む人物に。その位置が空いていれば、だけど」
「ふむ……。じゃあ、その望んだ人物の存在も空いてなかったら?」
「そこは分からないんだけど、多分、新しく作られる、のかな? 私もその立場になったことは分からないけど」
「ふむ……」
となると、虎次郎くんあたりが救助に来た場合は、別人になっているのか。
記憶が残っていれば良いけれど、この世界に来て別人になった反動で記憶障害でも起きていたら少々困るな。
「で、後もう一つが、私、記憶がごちゃごちゃになってたんだけど、どうも、別人になると記憶に齟齬が発生するみたいなの。本来持っていた記憶と、その人物が現れた場合における設定の記憶、かな?」
「となると、虎次郎くんが来てたとしても、すぐに助けて貰うっていうのはやはり難しいわけかぁ……」
少なくとも、虎次郎くんの本物であれば、なんでもどうにかしてくれるはず、という認識が僕にはあったのだけれど、これはあまりあてにしないほうが良いのかもしれない。
仮に虎次郎くんがこの世界に来たとしたら、誰に成り代わるのかを想定する必要があるか。
「……ねぇ、嗣深。その言い方だと、アンタ、本人じゃないのよね?」
「えーと……あの、まぁ、うん……」
そして、津軽さんがジト目で言った衝撃発言に対して、嗣深が言葉を濁した。
「え? そうなの?」
「うんと、まぁ、うん。その、えーっと……そう、です」
急に姿勢を良くして、小さくなりながら嗣深が小さくそう答えると、お父さんが少し驚いたのか眉を跳ね上げるのが見えたけれど、反応はそれだけだった。
対して僕としては、少し驚きはしたけれど、そういうものか、としか感想は抱けなかった。
「あれ、つぐにゃんもお父さんも、あんまり驚かない系……?」
「まぁ、仮に元が違う人物だとしても、今目の前にいるのは嗣深なのは間違いないし」
「そう、だね。少なくとも、お父さん達の記憶にある嗣深は君なのだから、お父さんの大事な子供には違いないよ」
僕の肯定意見に、お父さんもかぶせて来ると、嗣深は若干目を潤ませてから、目元をゴシゴシと擦って「ありがとう」と顔を赤くしながら言う。
所謂、中の人が誰なのかは若干気になるけれど、まぁ言い出さないということは、こちらから聞く必要も無いだろう。
津軽さんは、ジト目のままだったけれど、嗣深と僕の顔を何度か見比べてから、大きく溜め息を吐いた。
「まぁ、私は元からそんな気はしてたから良いけど。中身もなんとなく想像はついてるし」
そう言って、ジャムサンドを手にとって食べ始める。
どうやら、少なくとも今は文句を言うつもりは無いらしい。
「うぅぅ。ごめんねえりにゃん。えっと、言いづらい事は、一応ソレだけ、かな。わたしからの報告は、以上」
「ん。わかった。それじゃあ、僕からだけど」
嗣深が安堵の溜め息を吐きながら落ち着いたのを見て、僕はそう声をあげた後、なんと伝えるか少し考えてから、とりあえず事実を告げる事にする。
「朝起きたら、隣に全裸の女の子が寝ていたけど、夢の中で会ったお姉さん曰く、鍵だそうです」
隣に全裸の女の子、というあたりで、お父さんと嗣深が固まった。
しまった。全裸の部分は言う必要無かったのでは。
僕は二人の反応に、やらかした事に気付いて僕自身も固まるのであった。




