▼46.喫茶店でのひととき
ところ変わって、町の一角の喫茶店。
天井ではシーリングファンが回り、クラシックジャズの曲が流れてモダンな雰囲気漂う、少し趣味の良い喫茶店だ。
貧乏な中学生の身ではこんなところ入ったことは無かったけれど、お父さんに連れられて初めてやってきたこのお店に若干テンションがあがっているのは、僕だけではない。
「つぐにゃん。なんか小説とかにでてきそうなお店だね……!」
「そうだね。僕達の置かれてる環境もまさにそうだしね」
店の雰囲気を壊さないようにか、小声でテンションの高さを伝えてくる嗣深に適当に頷きつつ、対面に座る津軽さんの姿を見る。
神生会の集会所から出た僕達は、ひとまず腰を落ち着けられるところということで、お父さんが案内してくれた比較的近場の喫茶店に入った訳だけれど、津軽さんはそのまま僕達についてきていた。
嗣深を好きにして良い権利があるので、いつでも好きに出来るようそばにいる、との事だったが、真意は不明だ。
「何かしら?」
「ううん。何でも無い」
お店の雰囲気が気に入ったのか、どこか機嫌が良さそうに僕に声をかけてきた津軽さんの顔に思わず見とれそうになって、視線を逸らす。
改めてこうして微笑んでいるところを見ると、正直かなりの美少女さんなので落ち着かない。
「ねぇねぇえりにゃん」
「なにかしら?」
そんな僕に代わって、嗣深が声を上げた。
「えりにゃんって、ご家族はどうしてるの?」
「……さぁね?」
そしてあっさりと会話を切り上げられてしまったが、その反応からして、あまり訊かれたくない話題だったらしい。
どこか機嫌良さげだったさっきまでの様子から打って変わり、少し仏頂面になっている。
「えりにゃん、家族は作らなかったんだ」
「それが何か?」
「じゃあ、家で一緒に暮らさない?」
「「は?」」
何やら物知り顔の嗣深がとんでもない事を言い出したので、僕と津軽さんは同時に声を上げた。
「あのねえ、どこの世界に、同年代の男の子と男親しかいない家に泊まりに行く女子中学生がいるのよ」
「一緒のお家で暮らしたいなー、って」
「……」
当然の反応を返した津軽さんに、嗣深がはにかみながらそんな事を言うものだから、津軽さんは何かを言いかけて押し黙る。
もしかして心揺れていらっしゃられる?
無言になった津軽さんを眺めながらも頼んでいた紅茶が届いたので、とりあえずミルクと砂糖をたっぷり入れて津軽さんの隣に座っている嗣深に差し出すと、良い笑顔で飲み始めたので、自分の分も改めて入れて飲み始める。
うむ。美味である。
津軽さんは黙ったまま、紅茶をストレートで飲み始め、お父さんはコーヒーを静かに飲んで完全に空気と化していた。
そうして、無言のまま暫し経った後、津軽さんは咳払いをしてから僕を見て言った。
「お邪魔じゃないかしら?」
「ウェルカムトゥー我が家!」
ちょっと照れくさそうに言う津軽さんに、嗣深が元気良く応じた。
うん。いや、僕は別にいいんだけど……津軽さん、言動の割に随分チョロくない?
そんな僕の考えを読んだかのように、若干不機嫌そうに津軽さんが僕を睨んだ。
「ダメだったかしら?」
「とんでもございません」
驚きはしたけど、嫌ではないのは確かだ。
ただ、なんというか――。
無邪気に津軽さんに笑いかける嗣深を見ながら、これも≪幸運簒奪者≫とやらの能力の一つなのかな、と少し邪推する。
なんというか、上手くいきすぎではないだろうか。
いや、家の車が壊されたり、僕が死んだりしてるので、決して上手くっているろはどう考えても言えないのではあるけれど。
あぁでも、嗣深の能力による犠牲として僕が死んで、代わりに嗣深の行動が全て上手くいくようになっているのか?
まぁ、なんにしてもそれで上手く行くのなら良いのだけれど。
甘ったるくしたミルクティーをちびちび飲みながら、嬉しそうな嗣深と、その頭を撫でながらクールなフリをしつつ紅茶を飲んでいる津軽さんを眺めて少しホッコリしてから、お父さんのほうを見ると、お父さんも同じような感想を抱いていたのか、微笑ましそうな顔をしていた。
正直、津軽さんの事情とかはよく知らないし、そういうのは知っているっぽい嗣深に全て任せるとして、僕は今後の事に思いを馳せる。
まず、宇迦之さんの説得だが、これは多分、相当難しいだろう。
あそこまで割り切って僕達を殺しに来るレベルでこの世界に依存してるとなると、生半可な説得では、今度こそバッサリ斬り捨てられて全滅すると思う。津軽さんが居るとはいえ、過信は禁物だ。
そもそも斬りあいになったらその時点で僕達の交渉が上手く行っていないということであり、僕達の負けなので、説得に当たるのは最後にすべきだろう。
――と、そこでふと、思いつく。
「ねぇ、津軽さん」
「何かしら?」
「この世界では、誰かに望まれた人は新しく作られるんだよね?」
「そうね。完全に望まれたままではないみたいだけど、凡そは」
「じゃあ、望まれて作られた人が既にいるのに、そのオリジナルがこの世界に来た場合って、どうなるの?」
僕の言葉に、津軽さんは「ふむ」と少し考えこむ。
考えが至っていなかったけれども、宇迦之さんが虎次郎くんを作って、虎次郎くんが宇迦之さんの思いのままに動くように作られてしまってるとしたら、確実にそれは本物ではない。
となると、虎次郎くんの本物がもしこの世界に来た場合は虎次郎くんがもう一人増えるのか、それとも、今いる望まれて作られた虎次郎くんと重なるようにして、一人に統合されるのか。
少し考えていた津軽さんだったけれど「私も実際にどうなるのかは分からないわね」と溜め息を吐いた。
しまった。こんなことなら神様に訊いておけば良かった、と思ったけれども、後の祭りである。
説得するにも、可能なら宇迦之さんの説得には虎次郎くん本人が欲しいのだけれど、どうしたものか、と思ったら嗣深が頭を抱えていた。
「何か忘れてる気がする……」
「何かって?」
「それが分からないから困ってるんだけど。何か、こう、凄い大事なことを忘れてる気がするんだよね、私……」
唸りながら頭を捻る嗣深は珍しく真面目に考え込んでいるようだったけれど、もしかして外の世界からこちらに来るときにそのあたりの事を教えてもらったのだろうか?
だとするなら、その情報は共有しておいてもらいたいのだが。
「うー……ごめんね。何か凄い大事な事な気がするんだけど、思い出せないや……。何か衝撃的なことでも起きたら、パッと思い出すかもしれないけど、今ちょっと思い出そうとした程度じゃ思い出せないみたい」
ごめんね、と謝る嗣深にかまわないよ、と告げる。
戦闘能力皆無な僕に出来ることは、考察と推理だけだから、情報はとにかくどんな物でも集めたい。
断片的な情報でも良いので、それをまとめて、この世界脱出の鍵を手に入れないといけないのだから。
とはいえ、思い出せないものを無理に思い出そうとさせてまでする意味は無いし、思いっきり推理も考察もハズレて赤っ恥をかいたりすることもまたあるかもしれないけれども、ソレはソレ、コレはコレだ。
出来ることからやっていかなくてはならない。
現状の目標は、僕達以外の、この世界にやってきている本物の人間を説得して、嗣深と共に元の世界に帰すことで良いだろう。
人数についての提示は無かった以上、僕達の周りの人間だけでも良いだろうから、そうなると現状分かっている、本物の人間は、嗣深、津軽さん、宇迦之さん、地球さん、この四名で、嗣深に関しては言わずもがな。津軽さんは、他二名の説得が成功したら一緒に帰ってくれると言っていたし、問題はその二名。
ただ、地球さんは少なくとも、あんまり死んだ人に固執するような人というイメージは無い。正直、まだ早苗さんが本物の人間で、地球さんは早苗さんが生み出した幻想体といわれたほうがしっくりくる。
なのにこの世界に地球さんも津軽さんも本物としているということは、思ったよりも早苗さんを失う事が怖かったのかもしれない。
だったら、本物の早苗さんのところへと行きたくないのか、というような論調での説得はどうだろうか。
地球さんに関してはそれでいい気がする。ダメだったらダメだったで考えよう。
宇迦之さんに関しては、虎次郎くんの本物でも来てくれたら一番楽なんだけど、まずそもそも虎次郎くんは死んだ誰かに固執したり、元の世界が嫌で逃げ出してくるようなタイプではないので、望みは薄いだろう。
救出目的でこの世界に来てくれたのなら話は別だけれど、それが可能かどうかも分からないし、仮に救出のために来るとしたらとっくに来ていると思う。
というわけで一番最後に回して、とにかく根を詰めて話し合うしか無いだろう。
後は誰かが救出のために来てくれたらまた違うのだけども……。
「嗣深。この世界に救出に向かってくれそうな人とかはいない感じ?」
「救出かぁ……わたしもお母さんが死んで――あれ?」
さりげなく訊いてみたら、嗣深はまた頭を抱えた。
「ちょっと待って。あれ? わたし、どうしてここに来たんだっけ? そもそも、どうやって?」
「誰かに連れてきてもらったって言ってなかった?」
「うん。そうだね。それは分かってるんだけど……ちょっとまって、記憶が混乱してきた」
もしかして、この世界に順応してきた結果、元の記憶が消えてきてるとかだろうか。
確か、お母さんが死んだのが原因でこっちの世界に連れてきてもらったような事を言っていた気がするのだけど――。
「違う。これ、つぐにゃん。ごめん。やられた。記憶が混濁してる。わたしじゃない」
「え?」
何が、と問いかけようとした途端に、嗣深は頭からテーブルに突っ伏した。
「「「嗣深!?」」」
津軽さんが慌てて嗣深の身体を抱きかかえ、僕は嗣深が飲み残したミルクティーがこぼれたので、慌てて嗣深にかからないよう手拭で拭き始め、お父さんは目を細くして、懐に手を入れて周りを警戒し始める。
「津軽さん、嗣深がどうしたのか、分かる?」
「私も分からないわよ……」
嗣深の髪の毛に跳ねて付いた紅茶を拭きながら、津軽さんが周囲を警戒しているけれど、僕の見る限り、周囲には誰もいない。
「誰かから攻撃を受けた可能性は?」
お父さんは念のためなのかそう問いかけるけれど、津軽さんは首を振る。
視界外からの何かを受けたのなら分からないけれど、そういうのにも対抗できるっぽい津軽さんが分からないなら、攻撃ではないのだろう。
そして気付く。
「あれ? 店員さんは?」
先ほど、僕達に紅茶とコーヒーを出してくれた店員さんの姿まで、店内から消えていた。
僕の言葉に、お父さんは席から立ち上がって拳銃を構えながら、足元においてあったダッフルバックから、サブマシンガンを取り出し、津軽さんは、嗣深から手を離すと右手には銀の刀のような物を構え、左手にはいつの間にか嗣深がもらった筈の拳銃を持って警戒態勢に入る。
とりあえず、僕も貰っていた拳銃を取り出して構えるけれど、安全装置すらはずしていないので完全に形だけだが、下手に素人が拳銃なんて振り回してもろくなことにならないのはわかってるので、むしろこれで良いだろう。
そのまま、店内に流れるクラシックジャズの音だけが響き、そのまま数秒ほどして、お父さんと津軽さんは警戒を解いた。
「義嗣、お父さんは店員さんに声をかけてくるから、津軽さんとは離れないようにね」
サブマシンガンをダッフルバックに戻しながらも、拳銃だけはいつでも取り出せるように懐に手を置いたまま、お父さんは僕にそう告げる。
了解、と返すと微笑んで僕の頭を撫でてカウンターにおいてあったベルを鳴らすお父さんを眺めていると、津軽さんが溜め息を吐いた。
「今度来ようかと思ったけれど、この感じだと、このお店もダメそうね」
何が? と問うまでもなく、その答えはやってきた。
まだ昼間だと言うのに、店の奥から現れたらしいソレは、大きく裂けた口を開けて――お父さんの拳銃で、血肉を散らす。
パン、パン、パン、と乾いた音が鳴り響き、店員さんのエプロンを付けた魚顔の化け物は、大きく開いた下顎を残して頭部を欠損し、そのまま倒れこんだ。
「忠嗣さん。まだいるわよ」
「了解――」
タタン、と一つの音にしか聞こえないほどの連続した音と共に、お父さんの拳銃が火を噴くと、お父さんは静かに身を翻し、一拍遅れて、お父さんがいた場所に魚顔の化け物がもう一体降って来た。
「二発でも大丈夫そうか」
言いながら、拳銃のマガジンを入れ替えるお父さんを見ながら、同胞がヤラレた事に僕は小さく嘆息しなガら、声をかける。
「お疲れ様。お父さん」
「あぁ。義嗣はあまりこちらを見ないようにな」
あまり、子供が見るようなものではないからね、と笑っていうお父さんに、苦笑して返す。
見るようなものでもないも何も、思いっきりその現場を見ちゃってた訳なんですけどね。
とはいえ、お父さんの気持ちも分かるので、良いこぶって頷いて、立ち上がる。
「一度、家に帰ろう」
僕の言葉に、全員が頷くも、「まぁ、車は無いけどね」と苦笑するお父さんに、僕も苦笑するのであった。
実にしまらない。
……?
ふと、何か疑問を抱いたけれど、何に対して抱いたのかすら分からないので、僕は首を傾げながら忘れることにするのだった。




