▼44.神様
入る時は完全に不法侵入だったのだけれど、出る時は堂々と玄関から出る事になった。
出るときに一人だけビクビクしてたのは決しておかしいことじゃないと思いたい。
雲ひとつなく晴れ渡った空から照らすお日様の光はとても温かかったので、外も今日は暖かいのかと思っていたけれど、雲が全部散らされる程度の強風が常時吹いているため、とても寒かった。
迎えと称して乗せられたのは、神生会の黒いワゴン車で、昨夜奪取したものと殆ど同じ型の車だったので、まさかあの車をこんなに早く修理したのかと内心驚いたけれど、高校から移動する際に、自動運転と化した状態で走らせてあったあのボロボロの黒いワゴンが道端の雪に突っ込んだまま放置されていたため、別車両であることが判明。
そんな、どうでも良い天気のことやら周囲の観察をする程度には、車中は暇であった。
根堀葉堀色々聞かれるかと思ったけれど、津軽さんは特に僕達に話しかけてくるでもなく、膝の上に乗せた嗣深の髪の毛をいじくったり、たまにほっぺを引っ張ったりと遊んでいるだけだったので、こちらとしても隣に座るお父さんと何か話をする空気ではなかったので、それはそれは暇であった。
「着いたわよ」
そして、暇な内に神様とやらになんと言ったものかとぼんやり考えていたら津軽さんの声でハッとして外の様子を伺うと、そこは町の消防署の近くにある、神生会の拠点となっている施設の一つだった。
確か、集会所になっているとかいう話を前に聞いたことがあったが、ここに神様がいるにしては、なんというか、あまり箔の無い建物である。
「義嗣、降りようか」
「あ、うん」
外を眺めていたら、お父さんに促されて外へと出る。
日光に少し目を細めて、ついで風の冷たさに身震いしながら、先導し始めていた津軽さんに付いて行く。
ちらりと運転席を見ると、いつぞや誘拐されかけた時に見覚えがあるような男の人が座っていたので、軽く会釈だけした。
パッと見ると、本当にただの人の良さそうな青年にしか見えなかったので、なんとも罰が悪い。
前を歩く津軽さんと、手を握られたまま連行されていくようにしか見えない嗣深を眺めながら、建物に入ると、靴を脱いでスリッパに履き変える。
中は、新興宗教というからもっとこう、オカルトチックな感じかと思ったのだけれど、思ったよりも清潔で、真っ白で綺麗な壁に、時折神生会のイベントのお知らせだの、額縁に飾られた神生会の教えのようなものが飾られているくらいで、おどろおどろしい変な物とかは無い。
いっそ、そういう如何にも悪の組織、みたいなものがゴテゴテと並んでくれてたほうがこっちも気兼ねなく怪しめるのだけれど、と内心考えつつ、時折すれ違う会の人と思われる、白い服を着た人達に会釈して通る。
「ここよ」
そして、案内された先で、津軽さんがそう告げた場所は、お札でビッチリと封印されていた。
いや、正確にはドア部分はお札こそ張ってあるものの、開け閉めできないような感じではなく、ただ張ってある、といった風情だったので、封印されているわけではないみたいだけれど。
「なんか、学校みたい」
嗣深がボソリとそう言ったことで、確かにうちの中学校もこんな風にお札が貼られまくった場所が多かったな、と思う。
高校は一切そんなことも無かったのだけれど……。
「全員、そろってるわね?」
そんな僕達の考えを打ち切るように、津軽さんが億劫そうにそう言うと、僕の後ろについていたらしいお父さんが「大丈夫だよ」と答える。
「じゃ、開けるわね」
ガラリ、とノックすらせずに遠慮なく開けられたドアの向こうは、真っ白な部屋だった。
さっさと部屋に入る津軽さんとそれに引っ張られる嗣深に続いて、僕とお父さんも部屋へと入ると、ドアは勝手に閉まり、ただ真っ白なだけに見えた部屋の輪郭がうっすらと見えるようになる。
壁も床も天井も真っ白で、染み一つ無く、置かれていたベッドやテーブル、椅子の類まで全部真っ白。
そんな部屋に、入室するまでは気付かなかったけれど、真っ白な髪と、真っ白な肌で、真っ白なマグカップを手に持った、中学生くらいの女の子が、椅子にゆったりと座って、そこにいた。
「いらっしゃいませ。佐藤さん」
ふわりと微笑むその姿はとても可憐ではあったけれど、眉毛も睫も、本来なら黒目があるべきところも白いその女の子は、全体で見るとどこか寒々しさを感じさせる。
「お邪魔します!」
「お、お邪魔します」
「お邪魔します」
そんな女の子の言葉に、元気良く返事した嗣深に続いて、僕とお父さんもそう返すと、女の子は手に持っていたマグカップをテーブルへと置く。
「どうぞ、座ってください」
女の子がそう言うと、いつ現れたのか、女の子が座っていたテーブルの対面に、真っ白な椅子が四つほど現れていた。
「失礼します!」
そんな、目の前でちょっとした手品のようなものを見せられたにも関わらず、元気良く欠片も警戒を見せずにその椅子に座る嗣深に脱力しそうになりながら、僕はお父さんと共に椅子に座る。
最後の一席を津軽さんは面倒くさそうに見ていたけれど、テーブルから少し離れた所に椅子を引っ張ると、静かに座り込む。
今にも溜め息でも吐きそうな顔だけれど、そんな顔をするだけで、完全に黙り込んでいる。
「初めまして。この世界の神様をしています、と言えば通じますか?」
ぺこり、と頭を下げてそういう女の子に、僕達はなんと言えば良いのか困ったけれど、ひとまずこちらも名前を名乗り返すと「ご丁寧にありがとうございます」と返される。
「それで、お話があると訊いたのですが。どんなお話ですか?」
言いながら、いつの間にか現れていたマグカップを三つほど、僕達の前へと差し出す自称神様の女の子に、僕達はお礼を言いながらも、それに口をつけることなく、少し迷った末に、僕から話し出した。
「嗣深を、元の世界に返してあげてください」
「つぐにゃん!?」
何やら驚いた様子の嗣深だけれど、僕は元々返してあげるつもりだったし、この世界を平和云々なんてのは、嗣深を安全圏に置けたのを確認してからにしたい。
けれど、僕の言葉に、女の子は少し小首をかしげてから、首を振る。
「残念ながら、ご本人が望んでいないことは私が行うことはできません」
ですので、他の願い事はありませんか? とあっさり返されてしまい、僕はジト目を嗣深に向ける。
「いや、つぐにゃん。この状況で帰りたいなんて思えるわけないじゃない……」
それはそうだけれども、安全圏に逃げてほしいと考える僕としては、さっさと逃げて欲しいと思うわけで。
「じゃあ、僕達は貴方達に敵対するつもりは無いので、もし指名手配などされているようでしたら、取り消してください」
僕の言葉に、再度自称神様は首をかしげてから、「あぁ」と頷いた。
「私から指名手配などはしていませんが、協力者の子がそのような指示を一部の子に出していたみたいですね。では、そちらは私のほうから、取り消しさせていただきますね」
ご迷惑をおかけしたようですいません、とあっさり謝る自称神様に、僕はなんとも言えない顔で「いえ、こちらこそ……」と返すに留める。
なんというか、あまりにも普通すぎて、拍子抜けしてしまう。
もっとこう、上から目線で色々言われたり、交渉が難航するんじゃないかと思っていただけに、こちらの言い分をそのまま通してくれると逆に怪しく思えてしまうのだが。
そんな思いを読んだかのように、自称神様はくすりと笑う。
「大丈夫です。この世界は、いつだって優しい人のためにあるんです。だから、貴方みたいに優しい人の願いも、極力叶って、幸せに暮らせるようにできています。
ここは、平和で優しい世界。誰もが優しくいられる、純真無垢な世界。純粋な人だけが、ここにいられるんですから」
だから安心してください、と微笑む自称神様に、僕は一瞬、声を荒げそうになったけれど、深呼吸をして落ち着く。
「平和じゃありません」
「?」
僕の言葉に、自称神様が小首をかしげる。
その姿だけ見ると言って良いのか迷うけれど、意を決して言う。
「この世界で、僕は既に最低でも二回死んでいます。化け物に襲われたり、友達に襲われたりで」
僕のその言葉に、自称神様は目をパチパチと瞬かせた後、津軽さんに目をやると、津軽さんは面倒くさそうに頷いた。
「……私の観測には、そのようなものは見えていません。報告もありません。その化け物というものについて、情報提供をお願いできますか?」
微笑を消して、真面目な顔でそう継げる自称神様に、神様ならどうして知らないのか、とか、宇迦之さんから報告は無かったのかとか思ったけれど、嘘を言っているようには見えなかったので、僕は知っている事から話し始める。
まず行方不明事件の事から始まり、夜間に突然現れた魚顔の化け物の事や、宇迦之さんが僕を殺した事等。
最初の行方不明事件のあたりから困ったような顔をしていた自称神様は、大きく溜め息を吐くと、マグカップから飲み物を一口飲み、僕の目を見る。
「嘘は言っていないのはわかりました。行方不明事件というのは、ここ最近で世界の人口が減ったりはしていないので少し信じづらいところではありますが……お友達のほうに関しては、私の方から貴方を狙うのは止めるように伝えてきましょう」
行方不明事件に関してが一番大事な部分だと思うのだけれど、と思ったが、そもそもそれに関しては津軽さんも宇迦之さんも知っていた筈なのに伝えていなかったと考えると、行方不明事件云々っていうのは、まさか作り話だったのかもしれない。
そう一瞬思ったけれど、津軽さんもこの世界の人を食べて増えている、という話をしていた事から考えても、やはり犠牲になっている人はいるはずだと考え直す。
ただ、具体的にどこの誰が、というのは僕も知らないし、知っていたら津軽さんだってこの自称神様に伝えているだろう。
ともあれ、これで僕達は宇迦之さんに命を狙われる事も、神生会から狙われる事も無いというわけだ。
あまりにもあっさりと成功した交渉ともいえないような交渉に肩透かしを食らった気分になっていると、背後で突然ドアが開く。
ここの部屋はノックもしないで入るのが常識なのだろうか、と思いつつ、背後を振り返ると、そこには少し禿げかけた頭の、真っ白なスーツを着込んだ中年男性がいた。
「これはこれは、お客人がいらっしゃりましたか。失礼しましたな」
どこか慇懃無礼にそう告げるその禿げかけのおじさんは、どこか嫌らしい笑みを浮かべて僕達を見る。
「今日、ご来客があるなどとはついぞ聞いていなかったもので、大変に失礼しました」
おじさんの後ろに控えていた、白い服を着た無表情の女の子達。
「大司教? 今日こられるとは聞いていませんでしたが」
そんなおじさん達に、自称神様は小首を傾げて言うと、おじさんはどこか大げさに驚いてみせる。
「これは失礼しました。神様にあられましては、我々の起こす行動など全て知っておいでであろうと、てっきり知っているつもりでやってきてしまいました。いや、これは申し訳ない」
明らかに、小馬鹿にしているな、と思わせるその態度に、しかし自称神様は微笑んで言う。
「何度も言っていますが、私も全てを見渡しているわけではありませんから、貴方達が来る事は分かっていても、どうしてくるのかまでは知りませんよ?」
その言葉に、おじさんはほんの一瞬だけ面白くなさそうな顔をして、また笑う。
「おぉ、やはり来る事自体はわかっておいででしたか。しかし、どうして来たのかがわからぬとは、いや、それは流石に神様と言えどもどうかと思われますぞ? 我々がわざわざ神様の下へと来るなど、非常時のみ」
いつのまにか、おじさんの後ろにいた女の子の数が増えている。
皆、無表情でこちらを見詰めているその姿が、どこか人形じみていて、危機感が警鐘を鳴らし始めるが、今動くのは逆に危険だ、と僕は小さく深呼吸する。
「何か、ありましたか?」
自称神様のその言葉に、おじさんはニッコリと笑った。
「はい。今目の前で、神をたぶらかそうとする、異教徒共がおられますな」
言うが早いが、おじさんの後ろに控えていた女の子達が、一斉にこちらに向けて走りだし、全員、勢いよく倒れこむ。
「アンタね、誰が来ているかくらい、ちゃんと確認したら?」
うんざりしたような顔で、いつの間にか椅子から立ち上がっていた津軽さんがそう告げる。
手に持っているのは、銀に輝く、鍔の無い刀のような物。
それで一瞬にして、女の子達の脚を叩き潰したのだ、と理解したのは、津軽さんの台詞の最中に、一拍遅れて部屋の中をものすごい風が舞ってからだった。
女の子達の脚は、皆膝下から奇妙に曲がっていて、それなのに、女の子達は苦悶の表情も、うめき声も出していない。
見た目こそ、普通の女の子達だというのに、その様子は、まさに、人形だった。
「……これはこれは、銀狐殿」
「その呼ばれ方、あの狐とかぶるから辞めろって、前にも言ったわよね?」
いらだたしげにそう言った津軽さんが前傾姿勢をとったところで、何かに押されるようにして椅子へと戻された。
「チッ」
思わず舌打ちする津軽さんに、おじさんは冷や汗をかきながらも嘲笑う。
「助かりました。我らが神よ」
「いえ。人は仲良くしあうべきですから」
ニコリと笑う自称神様は、倒れ伏している女の子達のことなど見もせずにそう告げる。
この自称神様が何かして、津軽さんを椅子に戻したのだとは理解したが、それ以外が何一つ理解できない。
どうしてあの倒れている女の子達は、苦悶の表情もうめき声も上げないのか。
どうして、あのおじさんは僕達にあの女の子をけしかけようとしたのか。
どうして、自称神様は、あの女の子達の脚が壊されるのは黙ってみていたのに、おじさんを襲おうとしたのは止めたのか。
「どうして――」
「はい?」
だから、それを問う。
「どうして、そこの女の子達を助けなかったの? おじさんを攻撃しようとしたのは、止めたのに」
震える僕の声に、自称神様はニコリと笑った。
「だって、そこの子達は人ではありませんから。だから、人を満足させるために、多少酷い目にあってしまったとしても、それは仕方ない事です。確かに見た目は人そっくりですけれど、玩具というのは、人のためにあるものでしょう?」
まるで、至極当然のようにそう告げる自称神様に、僕は唖然としながらも、けれど、そこでようやく、この自称神様が、本当に神様なのだと、実感したのだった。




