▼37.お父さんって凄い
ゆっくりと、意識が覚醒する。
視界に入るのは、誰かのコートを着た胸元。
誰かに抱っこされているのだな、と考えながら、視線を上へと上げると、そこには真剣な顔をしたお父さんの顔があった。
少し無精ひげが生え、いつもは優しげで、少しだけ頼りなさそうなお父さんの姿はそこにはなく、凛々しくて、まさに頼れるお父さんといった風情の顔。
それを見ただけで、何も怖くないと思えてしまうくらいには、僕はファザコンであった。
「お父、さん」
「あぁ、おきたか、義嗣」
「つぐにゃん起きた!?」
声をかければ、安心したといった表情で僕を見詰めるお父さん。そのお父さんの後ろから、覗き込むように顔を出してきた嗣深を見て、僕は今、お姫様だっこをされていて、嗣深はお父さんの背中に背負われているのだということに気付いた。
「お父さん、普通は嗣深がお姫様だっこじゃない?」
「義嗣あ起きてたらそれでも良かったんだけどね」
苦笑するお父さんに「なら仕方ないね」と笑って返す。
僕は何をしようとしていただろうか。
僕は何をするべきだっただろうか。
ちょっとずつ回り始めた頭の中で、記憶を整理していくと、宇迦之さんに殺されたところまでを思い出して、目を細める。
確実に殺されたし、何故かよく分からないけれど、首が切り落とされた後の僕の身体は化け物へと変貌していた。
その状況下で、化け物となった僕は、嗣深も殺そうとしていた宇迦之さんを押し留めて、嗣深共々お父さんのところまで逃げ延びた、という事だろうか。
そこまで考えて、それはないな、と思い直す。
いくら化け物みたいな姿になったところで、先日すでにそんな化け物の群れを宇迦之さんは切り捨てている。
それが、僕みたいなちびっこの身体が化け物になったところで勝てるわけがない。
となると、他に考えられるのは、今僕を抱っこしているお父さんが助けてくれたということになるが――。
いつもとは違って、どこか凛々しさが前面に押し出されているお父さんの顔を見ると、それもあながち間違いではないように思える。
「お父さん」
「なんだい?」
「お父さんが助けてくれたの?」
「あぁ、そうだよ」
だからもう心配はいらない、と頭を撫でてくれるその手のひらの温かさに、僕は目を瞑ってもう一度眠りそうになってしまうが、慌てて目を開ける。
「お父さん」
「なんだい?」
「宇迦之さんは……どうしたの?」
「なんとか、逃げられたよ」
「そっか……」
あんなスプラッタ系な世界観溢れる化け物をまとめて倒しちゃうような魔法少女(仮)の宇迦之さんからどうやって僕達を助けて逃げられたのか大変に興味があるが、まぁ、今は良いだろう。
それよりも大事なことがある。
「お父さん。助けてほしい事があるんだ」
「もちろん助けるさ」
なにせ、私は義嗣たちのお父さんなんだからね、と笑顔でそう言うお父さんに、僕は苦笑する。
例えここが別の世界だったとしても、お父さんだけは、変わらないなぁ、と。
「嗣深、お父さんには事情は?」
「宇迦之さんと会ったあたりから、通話をオンにしてあったから、全部知ってると思う」
「そうだね。運転中というのもあって、少し聞き取りづらかったから、全部が全部聞こえていたわけではないけれど、おおよそは理解したよ」
「そっか」
突拍子も無いことを聞いて、悪戯だとは思わないのかな、と思ったけれど、お父さんはそんな僕の考えを読んだかのように、優しく笑って僕の頭を撫でる。
「お父さんも、少しは違和感があったからね。流石に自分も昨日死んでるとは思わなかったけど」
「あぁ、やっぱりお父さんもあの時、死んじゃったんだ」
「うん。わたしの目の前で、二人とも死んじゃったよ。お父さんは見えない位置だったけど、首に噛み付かれてるように見えたし、つぐにゃんは、食べられちゃった」
そう告げる嗣深は悲しそうだったけれど、まぁ、今生きているのだから良いだろう。
例え僕が本物でなかったとしても。
「まぁ、とりあえずそれは置いておこう。お父さん、嗣深」
「そうだね」
「あれ、そんなあっさり置いておける事だっけ今の話!?」
嗣深がなにやら驚愕しているけれども、実際いまさら考えても仕方ないことについては、後回しである。
「本当は、お父さんが主導して全部解決できれば良いんだけれど情報が不足しているからね、基本的には義嗣と嗣深のしたいことに合わせるよ」
「ありがとう。お父さん」
まこと、僕らなどには過ぎた素晴らしいお父さんに頭が上がらないばかりである。
「それはそうと、今どこにいるの、僕達」
「あー、具体的にどことは言えないが、まぁ家の方角には向かっているよ。大分遠回りだけどね。あの車道を見てごらん。見覚えがあるだろう?」
お父さんに言われて、指差された方角を見ると、確かに眼下には車道があるのが見える。
街灯も殆ど存在しない、山道の車道のため、月明かりで薄ボンヤリと見える程度だけれど。
そして、今歩いているのが山の林道であることにも今気付いた。
「お父さん、どうしてこんな山道歩いてるの?」
「少しでも発見される確率を下げるためだね。ほら、また来たみたいだ」
お父さんはそういうと、そっと近くにあった木の陰にしゃがむ。
先ほど指差された車道では、ヘッドライトの眩しい光と共に、黒いワゴン車が一台ずいぶんとゆっくり徐行運転で走っていくのが見えた。
「神世会で使ってる車だよ」
あの車がどうしたのか、という僕の疑問を読んだかのように、そう告げるお父さんに、静かに頷いてみせる。
なるほど。角度が違うせいでわからなかったけれど、そういえばどこかで見覚えがある車であった。
「誘拐未遂の時の車か……」
「義嗣、それは初耳なんだけど?」
「……あの車に、誘拐されそうになった時が、ありました」
お父さんの咎めるような口調に、思わず首をすくめながらそう言うと、お父さんは溜め息を吐いて立ち上がり、再度歩き出す。
「まぁ、今は良いだろう。さて、それじゃあこれからについてだけど、二人はどうするつもりなのかな?」
「とりあえず、家に帰ってからゆっくり考えようかなって……」
僕がそう言うと、お父さんは苦笑した。
「義嗣、家には確かに一度戻るけれど、もう家でのんびり出来るのは今回で最後と思ってくれるかい?」
「え、なんで?」
「つぐにゃん。そりゃあ、神生会と敵対したのがせっちゃん経由でバレちゃったんだし、家にいたらつかまるだけだと思うよ……」
嗣深に若干呆れたような声で言われて、僕は唸った。
まぁ、言われてみればそうでしたね。
しかしそうなるとどうしたものか。
拠点が無いのはちょっと苦しい。ただでさえ、協力者にしようと思っていた宇迦之さんがアレだった上に、その宇迦之さんに手を借りて協力を頼もうと思っていた虎次郎くんも、協力要請は不可能であるというのが判明した以上、少し考える時間が欲しい。
他に手を貸してくれそうで、この世界から脱出したいと思ってそうな人は、誰かいるだろうか?
そもそも、手を貸してもらえるとして、戦闘能力がある人とかでもないと厳しそうだけれど、誰かそれに当たりそうな人は――。
虎次郎くん、却下。宇迦之さん側。
宇迦之さん、却下。完全に敵対。
早苗さん、却下。巻き込みたくない。
猪俣さん、保留。敵対はしないだろうけど、巻き込んでいいものか分からない。
津軽さん、保留。宇迦之さんと協力する約束だったみたいなので、敵かもしれないけれど、害を与えようとはしてきていないので、敵ではないのかもしれないが、慎重に行くべき。
……すぐに思いつく範囲のメンバー、五人中三人が却下である上に、保留二名という時点でお察しである。
どうしたものか。
「お父さん、家の武器は?」
「ん? あぁ、とりあえず今持ち歩いてる分を除いでも、まぁそこそこはあるが」
「わたしたちでも使える?」
「……あまり、子供に持たせるようなものではないんだがなぁ」
やはり戦闘力もあるっぽい津軽さんから説得するために動くべきか、とか考えていたら、嗣深とお父さんがなにやら不穏な話をし始めた。
「お父さん、武器って?」
「ん? あぁ、義嗣も見たことがあるだろう? お父さんの部屋にあるモデルガン」
「うん」
……え? もしかして、お父さんの部屋にあるモデルガンとかエアガンって、本物なの!?
「あれな、あれ自体は確かにモデルガンなんだが、棚が動かせるようになってて、その裏に本物かくしてあるんだ」
「嘘でしょ!?」
え、お父さんってまさかテロリスト予備軍とか、ヤの付く稼業の方だったの!?
考え事の内容が全部ぶっ飛んでしまうような内容の話に、思わず声を荒げる僕だったけれど、お父さんは僕の口に人差し指を当てて「しー」と言うと、嗣深が僕の懸念に答えてくれる。
「つぐにゃん。ヤクザでもテロリストでも無いから安心して良いよ。お父さん、予備役なのと、国からちょっと密命帯びてるエージェントっていうだけだから」
「別方面でどっちにしてもビックリだよ!?」
嘘でしょ!? うちのお父さん、そんなどっかの小説とか漫画で出てくるようなハイスペックなスパイ映画の主人公みたいな人だったの!?
「二人とも、他の人には内緒だぞ?」
「わ、わかったよ……」
「もちろんだよ!」
むしろ言ったところで信じないと思うけれど。
「あと、二人ともちょいちょい声張り上げてるけど、見つかると困るからもう少し声のボリュームを抑えてくれるかい?」
「「はーい……」」
今後どうしようとか、そういう考えが全部ぶっ飛んでしまったけれど、え、ちょっと待って。それならとりあえず武力面の問題は解決なのコレ?
「ち、ちなみにお父さんって、何か戦闘関係の資格みたいなのは……」
「空手と剣道が二段、合気道と柔道が三段、猟銃の保持許可もあるし、自衛隊の時に近接格闘訓練とか捕縛術に関しても実地訓練しているから、安心してお父さんに戦いは任せなさい」
これでも、中東に派遣された時に鉄火場くぐる羽目になったこともあるからね、と笑うお父さんがあまりにも心強すぎて、血縁とか性別を乗り越えてとってもドキドキします。
なんだこの男前で素敵なお父さん……!!
「わたし、将来は絶対おとうさんと結婚するんだ……」
嗣深が目を輝かせてそんなことを言っているけれども、さもありなん、僕も女の子だったらそう思う。むしろ男の子の今ですらそう思ってしまう。
そして、よく見たら嗣深はお父さんに後ろから抱き着いて背負ってもらっているが、右手に明らかにリボルバータイプの拳銃らしき物を持っていた。
嗣深が持ってもあまり大きく感じないので、おそらく女性が護身用に使ったりするような拳銃だろう。
どうやら、僕の家は僕が知らないだけで、結構とんでもない家だったようである。
僕は遠い目をしながら、とりあえず家に着くまで今後の方針を考えるから、と告げて押し黙るのであった。




