▼32。妄想と現実の合間
※残酷な描写があります。ご注意ください。
殴られた。蹴られた。木刀で叩かれた。
痛い。痛い。痛い。
首を掴まれて投げられる。二段ベッドの柵の何本かが、衝撃で折れた。
わからない言葉で怒られて、頭を庇って丸まって、蹴られて、頭がぼんやりして、視界の隅で小さな女の子が泣きながら、でも声を出さないように口を自分の手で閉じて、僕に何かを言いたそうにしている。
大丈夫だよ。大丈夫だから。
痛い。痛い。痛い。
気付いたら、ベッドで寝ていた。身体の節々が痛い。
隣には、小さな女の子が居た。泣きつかれたのか、目が腫れぼったい。
かくいう僕も、多分目が泣きすぎて腫れていると思う。だって痛いんだもの。それは泣くしかないもの。
抱きついている女の子を抱きしめる。
小さな女の子だと思ったけれど、僕と同じくらいの体格だった。あるいは、僕が小さいだけなのかもしれないけれど。
お父さんが借金をしていて、お母さんが貯金を切り崩して返していた。
でもそれももう無理になって、離婚した。
お父さんは居なくなって、お母さんと僕と、女の子だけになった。
家は無くなって、僕達はお母さんの実家へと向う。
車はお母さんのがあったから、荷物をまとめて、僕達は車に揺られて、遠くへ向う。
見たことのない場所が一杯で、僕がUFOキャッチャーでとってあげた猫のぬいぐるみを抱きしめた女の子と僕は、無邪気にはしゃいでいて、疲れた顔のお母さんは、けれど優しい笑みを浮かべて僕達を見ていた。
グシャリ、と、多分、そんな音がした。
気付いたら真っ赤だった。世界が真っ赤だった。
背中に何かが刺さっているような気がする。痛い。痛い。痛い。
女の子は僕の下になっている。震えていて、泣いていて、僕も痛くて、怖くて、泣いていたけど、大丈夫だよと声をかける。
熱くて、痛くて、とっても辛くて、ボロボロと涙が出た。
そういえば、お母さんは、お母さんはどうなったのかな。
頭を上げられない僕のところに、何か、冬に石油ストーブの上でゴムが焼けた時みたいな、海苔を炙っていたら焦がしちゃった時みたいな、そんな臭いがした。
お父さんは行方不明らしい。
お母さんのお葬式で、そんなことを聞いた。
お母さんは死んだらしい。死んだってどういうことか、あんまり現実感が無かったけれど、悲しいことだったのだと思う。女の子は僕にべったりとくっついている。
誰かが言った。
「誰が引き取るんだ? あの子達」
心底面倒くさそうに言うおじさんに、まわりの人達も顔をしかめる。
「うちは嫌よ。ただでさえ旦那の給料減らされて火の車なんだから」
「うちも無理よ。子供二人もいるんだし」
「こっちも無理だ。そもそも結婚してないからな。養子は無理だ」
「アンタ最近昇進したんでしょ? 引き取ったら?」
「冗談言うなよ。うちだって子供生まれたばっかりでこれから金がかかるんだぞ。こんな一番金のかかる時期の子供なんて引き取れるわけないだろ」
「大体、娘が亡くなったからってショックであそこの婆さん爺さんがポックリ逝ったりしなけりゃなぁ」
「ちょっと、おばあさんのほうはまだ死んでないわよ」
「寝たきりになったんだろ? 似たようなもんだ。貯金も大してないみたいだし……」
お母さんの知り合いの人達が何か話している。
少し焦げ目のついた猫のぬいぐるみを抱きしめる女の子の頭を、僕は撫でながらぼんやりとそんな様子を眺める。
「やめなさいよ、子供が見てるのに……」
「どうせわかりやしないだろ、まだ小学生なんだろ?」
「それにしても傍迷惑な話よねえ。せめて貯金くらい残してれば、こっちだって引き取ってあげようって思えるのに」
「旦那のほうも借金してるんだろ? 下手に引き取ったら借金とりが来るなんてこと無いだろうな?」
「そこは大丈夫だろう。一応離婚は成立してるみたいだしな」
大事なお話なのだろう。よく分からないけれど、僕は女の子にあげたぬいぐるみを借りて、猫の鳴きまねをして女の子のほっぺや頭にぺたぺたと当てると、女の子がくすぐったそうに笑う。そんな姿が可愛くて、僕も笑った。
「親が死んだのに何かしらね、あの子達は……」
「言ってやるなよ。まだよくわかってないんだろ」
そういえば、この女の子は誰だっただろうか。
「……アンタ等、子供の前でそんな話をして、恥ずかしくないのか」
呻くような、低い声に、僕と女の子はそちらに顔を向ける。
「な、なんだい忠嗣さん。仕方ないだろ? 急を要することなんだし、さっさと決めたほうがこの子らのためでもあるんだから」
「そうだよ。アンタのとこで引き取るっていうなら「わかった引き取ろう」え?」
少し老け顔のおじさんの言葉に、大人の人たちは静かになった。
少しの間を置いて、一人が「すまん忠嗣さん、なんだって?」と訊くと、おじさんはその人に顔を向けると、平然と言う。
「引き取る、と言ったんだ」
「いや、引き取るって忠嗣さん、アンタ結婚してないだろ? 養子縁組は無理だよ」
「結婚していれば良いんでしょう? 問題ありませんな」
「問題ないって、いや、結婚したとして、子供二人も養える余裕あるのかい? うん百万て貯金でもあるなら良いけど、アンタ大して稼いでるわけでもないだろ? 養子取るなら嫁さんは専業主婦じゃないといけないし、アンタ一人の稼ぎで大人一人と子供二人養えるのかい?」
「それは……」
なにを話しているのかはよく分からないので、僕と女の子――あぁ、そうか。これは嗣深か――は一緒に首を傾げて、言葉をにごしたおじさんを見る。
――そこで、おじさんと目が合った。
「……なんとかしま「なら、わたしが女の子のほう引き取っていいー?」す?」
僕達の顔を見て、格好良い顔をして何か言おうとしたおじさんは、突然玄関のほうから聞こえた声に語尾が疑問形になる。
その声の主は――
「アンタの過去に興味はないのよ。さっさと進めるわよ」
顔や姿を確認する前に、どこからか聞こえた声で、目の前の光景は霧散していく。
見知らぬ誰か、見知らぬ教室。
知らない誰か達と談笑するいつも通りのメンバー。
見覚えは無いのに、凄く懐かしい気がする光景に、心がざわついた。
少しずつ、流れる光景の速度が上がっていく。
そして、いつもの町の、いつもの中学校の風景が現れた。
そこには十人と少し程度しか人がいないのに、誰もいない方を向いてしゃべる人たちのなんと多いことか。
僕もまた、誰もいないところに向って何かを喋っていた。
ガイアさんも居て、こちらも僕と一緒に誰も座っていない机に向けて笑う。
虎次郎くんが誰もいないところでパフォーマンスをして、存在しない観客に大げさに頭を下げている。
これは嗣深がいない頃だろうか。
でも、こんな光景に見覚えはない。
そもそも、なにがどうなってこの光景に跳んできたのだろうか。
引越しをしてこちらに来たのは覚えている。今、この学校に通っていることも覚えている。
「やっぱり、そうなのね」
誰かの声が響く。とても嫌そうな、とても疲れたような、そんな声が。
「まぁ、良いわ。見たいのは別の物だから」
場面が変わる。
夜の無人駅のホームで、嗣深を出迎える僕。
怯える嗣深と一緒の布団で寝る僕。
嗣深を学校へと案内し、虎次郎くんたちと話す僕。
山でトてモ楽しい光景を見た僕。
気絶して、宇迦之さんに膝枕をされる僕。
深夜、誰かに赤い目をした誰かに襲われる僕。
いつもの皆と雑談する僕。
まるでたくさんの人がいるかのように、誰もいない場所へと顔を向けて何かをしゃべる嗣深。
場面が変わる。変わる。変わる。
レジで店員さんが困ったように笑っている。
踏み切りで見知らぬおじさんを踏みつける、フードをかぶった男の人がいる。
猫の着ぐるみをかぶった変な女の人がいる。
真っ赤にそまった宇迦之さん。
案内された家で、ナニカを見た。
頭カら血が流れる。
車に乗って、お父さんに連れられ、家へと帰る途中、眠りに落ちて――
誰かを失った時と同じ、酷い衝撃を受けて、身体が宙を浮きそうになり、シートベルトでなんとか身体が跳ね回るのだけは防がれた。
真っ赤なナニカが一杯飛び散って、どこかで嗅いだ変な臭いがして、ぼんやりする頭の中、シートベルトを外して、隣の嗣深を抱きしめ、伏せる。
ドンドン、ガチャガチャ。音が鳴る。
背中に何かが刺さって痛い。ベキ、と身体のどこかで変な音が鳴った。
折られた。噛まれた。食ベられた。
どんどん身体が冷エていく。
どんどん意識が消えてイく。
熱くて寒くて、身体から力が抜けていく。
それでも嗣深の無事を確認して、気付けば無くなっていた痛みに気付く。次いで聴こえる声に、安堵して気が抜けた僕は、そのまま死んだ。
そう、死んだのだ。
――じゃあ、なんで僕はここにいる?
目の前で死んでいく僕を見て、身体が一気に冷えていく。
そう、死んだ。死んだのだ。お父さんの乗っていた車が事故に会って、どこからか、多分ナニカがやってきて、僕を食い殺したのだ。
世界が閉じる。閉じて、消えてしまう。
ぼやけていく世界で、僕を食い荒らしたナニカが、嗣深へと手を伸ばす。
目から光の消えた僕が、何かを口にしようとして、それすら許されず、引きちぎられた身体が車外へと放り出された。
嗣深が僕を見ている。何かを叫んで、僕のもとへと走り出そうとして、ナニカに肩を捕まれ――嗣深の肩をつかんだナニカは、頭が吹き飛ばされた。
あぁ、誰かが助けに来てくれたのだ、と。
凍える身体で、震える身体で、僕は泣きながらありがとうと呟いて――。
「そういうことね」
テレビの電源を切ったかのように、唐突に真っ暗になった世界で、いつの間にか津軽さんが隣に居た。
「何、が?」
今まで目の前に映されていた光景を見たことで震え、乾ききった喉のせいで、妙に上ずった声が出る。
けれど、そんな僕に構わず津軽さんは溜め息を吐いて首を振った。
「別に、大したことじゃないわ。まぁ、アレよ。私この世界って結構気に入ってるから、壊されたくないってだけ。別にアンタがどうなっていようが仲良し五人組、いや、今は六人組ね。その一人ってポジションでずっといてくれたら私はどうでも良い」
だから早苗のことも思い出してもらうわよ、と。
津軽さんが告げると同時、頭に激痛が走り、泣き黒子が特徴的な、女の子の姿が、その声が、その表情が、その子との記憶があふれてくる。
頭を抱えて蹲る僕を、津軽さんが嗤った。
「幻想の中で幸せに暮らすって、そんなに悪いことじゃないわよ? 死さえも存在せず、理想の誰か達だけがいる世界だなんて、素晴らしいじゃない」
少なくとも私は、それなりに幸せだわ、と。
寂しそうな声で言うその声を最後に、疲弊しきった僕は意識を手放した。手放した。
次話は試験的EXになっております。
転生傍観者のほうもアップしました。




