▼28.第三種接近遭遇的なナニカ
※若干のホラー要素を含みます。
感想覧を見て、「うふふ。楽しんでもらえてるなぁ。頑張ろう」と感想を頂いていることをありがたく思いつつも、返信をまったくしていないことにちょっとだけ罪悪感を抱きつつこんばんは。
そんなわけで、いつも皆さん感想ありがとうございます。いやもう、本当いつも感想見てニヤニヤして、それが原動力になってますので、助かってます。返信出来てないので、せめてここでだけでも謝意を……。
そんなわけで、前回の宣言どおり、転生傍観者のほうも更新してきました。引き続き、義嗣のモブポジ物語をお楽しみください。
ブチブチ、或いはジュブジュブ。
なんともいえない音をたてて、刃物が身体を真っ二つにした。
重い音を立てて倒れるナニカ。まわりには赤黒い液体が撒き散らされて、嗣深を庇った僕にも降り注ぐ。
「危なかったね。大丈夫かい?」
赤い光を街灯に反射させる、ナニカの身体を真っ二つにした刃物を持った白狐巫女姿の宇迦之さんが、僕達に微笑む。
助けてくれてありがとうと云うべきなのだけれど、口は動いてくれず、僕は胸に抱いた嗣深の身体をいっそう強く抱きしめる。
――さっきの不審人物と不良の人との出会いから神社への到着は、ほんの3~4分である。そんな短時間に何かあるわけがないとそう思っていたけれど、神社の鳥居をくぐった瞬間に僕達は何かに襲われかけていた。
宇迦之さんに電話が通じなかったものの、宇迦之さんがいなくても宇迦之さんのお父さんとは顔程度はお互いに知っているし一時間くらいならお邪魔させてもらえるだろうと判断してやってきたのがいけなかったのかなんなのか。
鳥居をくぐるまでは気付かなかったけれど、神社の境内には無数の何かの死骸が砂利道を真っ黒に染め上げ、それが何であるかを理解する前にすぐ目の前に立っていた人型のナニカが襲い掛かってきたので、僕は慌てて嗣深を抱き絞めてナニカから守ろうとしたところで、宇迦之さんがナニカを切り伏せたという次第だ。
そして改めて周囲を見渡すと、見渡す限りのナニカの死体と血の海。それだけで日常では絶対に見られない、見たくもないような惨状があったことをまざまざと知らせてくれる。人間が死んでいないだけ、良いのかもしれないけれど。
「あはは……参ったね。あんまりこういうところは見せたくなかったんだけど……怖がらせちゃったかな」
宇迦之さんは苦笑して、刀を一振りしてついていた赤い血糊を飛ばすと、懐から札を取り出して刀を拭って鞘におさめる。札はポイ捨てされ、空中で発火して消えた。
「つぐにゃん、苦しいよー」
「あ、ご、ごめん」
胸の中の嗣深の言葉にようやく我に返り、僕は慌てて嗣深を解放して、そこで自分の髪にかかった血らしき液体が垂れて目にかかりそうになっていたのに気付き、慌てて拭く。
あう、ちょっと目に入った。痛い。
「うあ……なに……これ……?」
「あ……」
嗣深の愕然とした声に失敗を悟る。
男の子の僕ですら気持ち悪いと思うこんな光景を、嗣深が見て平気なわけが無い。
すぐに嗣深をまた抱き絞め、その光景が目に入らないようにして震える嗣深の背中をとんとんと優しく叩く。大丈夫。大丈夫だから。何も怖いものなんて無いから。
「あぁ……そうだよね。この光景はちょっと目に毒か。ごめん。すぐ消すから」
困ったように笑って、宇迦之さんがお札を口に咥えて何事かを唱えると、ナニカの死体や血の痕が徐々に薄れていき、終いにはまるでそんなものが無かったかのように全ての痕跡が消えていた。
髪にかかっていた、血らしき液体の不快な感触も目の痛みも無くなっていて、まるで狐にでも化かされた気分である。
宇迦之さんは狐だからある意味では正しくその通りなのかもしれないけれども。とりあえずあまり見るべきではない光景が消えたことで、僕が改めて嗣深を解放すると、少しおどおどしながら周囲を見渡していた嗣深はそこに何も無いのを確認して溜め息を吐いた。
「びっくりしたよー……」
嗣深の言葉に、僕も小さく溜め息を吐いて頷く。むしろびっくりした、で済ませられる嗣深は凄いなと思う。人によってはトラウマレベルの光景だった。アレは。
「あはは、まぁ、それはこっちの台詞でもあるんだけどね。君達、なんでこんな時間にここにいるんだい?」
感想をのんびりと言い合う僕達に、宇迦之さんが声に少しばかりの険を込めてそう言った。
……どうやら怒っているようである。なんで怒っているのだろうか、と考えてから、確かに事前連絡なしでの来客というのはあまり歓迎されるものではないな、と思い至り、すぐに謝る。
一応、連絡をしようとしたとは言っても、来る寸前に、来ることを決めてからな上に、結局通じなかったから宇迦之さんは知らなかったわけだし、不躾な訪問に思うところがあっても仕方ないだろう。
そう思い、嗣深にも伝えて二人で謝ると、宇迦之さんは眉間に右手を添えて軽く揉み解しながら溜め息を吐いた。
「いや、別に遊びに来るのは全然構わないんだけどね。確かに今みたいなことに巻き込んでしまう可能性もある以上、事前連絡は欲しいけど。ただね、ボクが怒ってるのはそれに対してじゃないよ。あのね、君達、つい先日誘拐されかけたって分かってる? 家に襲撃だってあったわけだし。それなのにこんな夜の誰も歩いてない時間帯に二人で出歩いてるなんて何考えてるんだい?」
ぐうの音も出ないとはこのことである。なるほど、確かに言われてみれば無用心にもほどがある。
いや一応、用心はしてるつもりだったし、それにどっちにしても買い物自体はしなくてはいけなかったわけで、いや、まぁ玉子以外は別段すぐさま必須な物なんて無かったわけだけれど、やっぱり誕生日くらいちょっとした物食べたいなーなんて思っちゃったりなんかしちゃったりして。
うん、つまるところ今のこの状況は自業自得です。すいませんでした。
二人で平身低頭謝ると、宇迦之さんはもう一度溜め息を吐いてから「とりあえず家に入ろう。ここは寒いしね」と言って背を向けて歩き始めたので、僕達は慌てて後を追い始める。
神社の境内にはもうあの惨状の様子は欠片も見てとれないけれども、鳥居や案内の札、手や口を清める場所やなんかに大量のお札が貼ってあるのを横目に眺めて、どことなく気持ち悪いものを感じながら、僕達は宇迦之さんの家へとお邪魔することになった。
宇迦之さんの家は神社の家系らしくと云うべきか、ちょっとしたお屋敷である。
僕の家も田舎特有のそれなりに大きな家であると自負しているけれども、宇迦之さんの家はその倍近い大きさを誇る。
二階建てで、塀に囲まれ、玄関へ入る前に門があり、門を抜けると砂利道が玄関と、敷地内にある道場へと続いている。ちなみに車庫は塀の外にあって、確か三台くらい車が入っているとか。
そんなお宅へと、お邪魔します、と嗣深と一緒に声をあげて上がらせてもらう。
宇迦之さん以外からの返事は無く、家への電話が留守電だったことからも、多分宇迦之さんのお父さんは出かけているのだろう。宇迦之さんが留守でもお父さんのほうはいるかな、なんて思って来ただけに、両方いなかったら今頃えらい目に会っていたのは確実なので、今更ながら嫌な汗が出る。
「それで、こんな夜更けに一体どんな用事だい?」
階段を上がり、二階にある宇迦之さんの部屋に着くとザブトンを差し出され、対面するように三人で座ると、暖房を入れた宇迦之さんが若干面倒くさそうに言って来た。
もしかしなくてもコレは歓迎されていないのでは、と思ったけれども、まぁ当たり前かもしれない。僕だってアポなしで夜中にいきなり友達が遊びに来たら困る。
「えーっと、いや、その」
ただ、こうまで歓迎してませんムードを出されると、こちらとしてもお父さんが迎えに来るまで居させてください、というだけのことすら言い出しにくい。
とりあえずここは買ってきたお寿司でも食べることを提案して、場を繋ぐべきだろうか。そう考えていたら、嗣深が元気良く手を挙げた。
「はい! 終電乗り過ごしたから、お父さん迎えに来るまで居させてせっちゃん!」
この子は本当に遠慮というものを知らない。
宇迦之さんは「ふむ」と呟いて暫し考え込んだ後に、頷く。
「まぁ、そういうことなら良いよ。次からは気をつけてね」
「はーい!」
「うん。本当ご迷惑おかけします……」
謝る僕に、宇迦之さんは苦笑して「気にしなくて良いよ。お茶でも入れてくるからくつろいでて」と言って部屋を出て行き、僕は小さく溜め息を吐いた。
「あはは……あんまり歓迎されてないねー」
それに合わせたように、嗣深もちょっと困ったような顔でそんなことを言う。まぁ流石に嗣深でもそれくらいは察せるよね、と思いながら頷く。
「あー……まぁ、うん。こんな時間に突然だし、仕方ないと思うよ」
「そうなんだけど……やっぱり電話通じなかった時点で別の場所にしようって言うべきだったかなぁって……」
「まぁ、来ちゃった以上は仕方ない。お父さんが早く到着するのを祈りつつお邪魔させてもらおう?」
宇迦之さんがあまり歓迎していないとはいえ、こちらも来てしまった以上は今更やっぱり別のところに、というのもあげてもらった以上宇迦之さんにも失礼だろうし、一時間ちょっとすれば来るはずなのでここは鋼の心で迎えを待つ他ない。
僕の言葉に嗣深も渋々頷いてみせる。まぁ、今更言っても仕方の無いことなのは確かだし、宇迦之さんにはお世話になりっぱなしなので何かしらの形で今度おかえしすることにしよう。
「ただいま。ほうじ茶だけど問題なかったよね?」
「あ、うん。大丈夫だよ。ありがとう」
「ありがとうせっちゃん!」
戻ってきた宇迦之さんが出してくれたお茶を二人で受け取り、まだ夕飯を食べていないという宇迦之さんにもお寿司をオススメし、三人で食べる。その間喋っているのは主に嗣深一人で、僕も宇迦之さんもその話に適当に相槌を打つだけだ。
いつもなら話の内容に合わせて、ちょっとした薀蓄を語る宇迦之さんだけれど、今日は特にそういうことも無く妙に静かである。
やはり僕らの急な訪問のせいで機嫌が悪いのだろうか、と思っていると、宇迦之さんはネギトロのお寿司に伸ばしていた箸を止めて溜め息を吐くと立ち上がった。
「どうかしたの? せっちゃん」
「あぁいやね……また来たみたいだから」
「またって、何が――」
何が来たのか、と訊こうとしたところで、木の札同士がぶつかるような軽くて硬い音が部屋の中に響き渡る。
「いつもなら、一回撃退すれば三日は来ないんだけど……まぁ良いか」
いつになく面倒くさそうにそう言って、ちょっと行ってくるよ、と言うやいなや、宇迦之さんはカーテンを開け、窓を開けるとそこから飛び降りた。
『えええ!?』
ここが二階とはいえ、上着も羽織らず、靴も履かずにこの雪が降る寒空の中を飛び降りるというのはいくらなんでも非常識にも程がある。
僕と嗣深は同時に叫ぶと慌てて窓へと駆け寄り、眼下で宇迦之さんが怪我してやいないかと慌てたけれども、白い影が神社の鳥居があるほうへと走っていくのを見て、そういえばあの人は魔法少女的な何かだったと思い出して胸をなでおろす。
とりあえず宇迦之さんが戻ってきたらまたここから入れるように窓はあけておくべきか、それとも寒いしやはり閉めるべきか、と迷ったものの、暖房も勿体無いので窓を閉めておく。カーテンは閉めていないし、鍵さえかけなければ大丈夫だろう。
それにしても、また来たというけれど、何が来たのだろう。やはりあれだけ急いで行ったということは先ほど斬り伏せていたナニカ達だろうか。
怪我とかもしていなかったし、あまり苦戦しているようには思えなかったのだけれど、苦戦はしなくても戦闘自体が面倒なのかもしれない。機嫌が微妙に悪いように感じたのは、その戦闘をした後だったせいだと思いたい。
まぁそれはともかく、なんにしてもこうして家で待たせてもらっていれば安全だろうから、ゆっくり待たせてもらおう。
「巫女さんもお仕事大変だねえ……」
「世間一般での巫女さんのお仕事に戦闘なんて無いと思うけど、まぁそうだね」
嗣深がほうじ茶を啜りながら呟いた言葉に、一応ツッコミを入れながらも同意する。
宇迦之さんはもはや巫女というよりは俗に言う陰陽師とか、ああいう類のだと思う。巫女、という部分をあの衣装やらでことさら強調しているけれども、陰陽師とは何が違うのかが分からない。符術とか言ってたし、陰陽術とはまた違うのだろうか。
まぁ、陰陽師なんて漫画とか小説のイメージでしか知らないからそもそもそれを引き合いに出すのがおかしいとかいう可能性もあるけれど。それに陰陽術よりは神社の歴史のほうが長いだろうから、「元祖はこっちだ!」とか言い出されたら「なるほどそうなのか」としか返せない。
そんなことを考えながら嗣深と雑談しつつ、のんびりと宇迦之さんの帰りを待つ。
――が、三十分以上経っても帰って来る気配が無かった。
時間を見ると、もう九時半を過ぎている。お父さんが来るのは十時頃の予定だからまだ時間はあるものの、さっきのナニカがまだ居る状態でお父さんがここに来ようとして巻き込まれたら一大事である。
先ほどの様子からして、よもや宇迦之さんが負けたなんてことは無いと思うけれど、もしかして結構手間取っているのだろうか。
「せっちゃん遅いねー」
「そうだねえ……」
お茶も無くなったので、共に手持ち無沙汰なまま待つというのも中々に苦痛だ。
流石に普段から一緒にいるので雑談の種もそこまであるというわけではない。テレビでもあれば点けて時間を潰せるだろうけれど、宇迦之さんは自室にはテレビが無いようなのでそれも駄目だ。家の人が誰もいないのに、勝手に居間へとお邪魔してテレビを見るわけにもいかない。
「よし、しりとりしよう!」
「よしきた」
普段なら適当に流すところだけれど、ここまで暇だとしりとりも暇つぶしにはもってこいの遊びである。
「りす!」
「すいか」
「カスタネット!」
「とら」
「ランドセル!」
「ルビー」
「ねえ、ルビーってビ? それとも、イ?」
「あー、そのへんアレだよね。ローカルルール的なのがあったりするよね。この場合はイ、で良いんじゃない?」
「はーい。じゃあ、インコ!」
「コアラ」
「ラッコ!」
「コーラ」
「ラー油!」
「由良」
「由良って何?」
「昔の船の名前」
名前の由来は由良川だそうです。
僕のしれっとした言葉に、嗣深は暫し上を向いて、むーと唸ってからこちらに指を指して叫んだ。
「つぐにゃん! そういうのはずるいと思うの! 完全にわたしにラ縛りいれるつもりでしょ!」
「うん。だってしりとりってそうでもしないと永遠に終わらないじゃない」
「普通にやってても割と終わるものだよー! そういう、人名とか船の名前とかは禁止!」
むむ、せっかくラで終わる物を色々考え始めてたのに、駄目か。
「国の名前は?」
「有名なのだけ!」
「チェコスロバキアは?」
「ギリギリセーフ!」
「でもあそこ、今はチェコとスロバキアで別の国だよ?」
「そうなの?」
「うん。前に宇迦之さんに教えてもらった」
「ほへー。銃で有名な所だから覚えてたんだけど、なんで別々になったの?」
「そこは宇迦之さんに訊かないと僕も分からないかなぁ」
割かし結構前というか、むしろなんでチェコスロバキアを知っていてチェコとスロバキアが分裂していることを知らないのか、と宇迦之さんには首を捻られた覚えがある。
「でも、つぐにゃんがチェコスロバキア知ってたのは意外かも。地理ってあんまり得意じゃなかったよね? つぐにゃん」
「あぁほら、お父さんが銃好きでモデルガンとかエアガンを部屋に飾ってるでしょ? アレで、たまにその銃の由来とかどこで作られた銃だ、とか教えてくれるから」
僕も男の子なので銃には浪漫を感じるので嫌いじゃないです。あと、お父さんは銃の話をする時は子供みたいに笑いながらしゃべるので、とってもキュンキュンです。
「むむむ、流石はわたし達のお父さんだね! そっかそっか、そういえばスコーピオンのエアガンも置いてあったもんね」
「うん。あの拳銃みたいに小さい奴だよね」
「そうそう! ゲームとかでもアレが使える奴だと威力は低いけど反動少なくて命中精度良いから使いやすくてね! まぁちゃんとヘッドショット決められないと大体威力で負けてるから正面からの撃ち合いだとやられちゃうんだけど!」
どうやら嗣深の中で何かのスイッチが入ったらしい。なにやらFPSのゲームについての話を嬉々として話しだしたので、僕は適当に相槌を打ちつつ聞き流しておく。
最近は嗣深のゲーム機で僕もやらせてもらっているので大体は分かるけれども、僕はエイム(敵に狙いをつける動作)はヘタクソなので、専ら機銃で面制圧をかけて援護するか、ショットガンやナイフで特攻を仕掛けるか、或いは乗り物にのっての戦闘がメインなので「スナイパーもね、燃えるんだよね! まぁ篭ってると芋砂(芋のように篭ったまま動かず、狙撃するスナイパーのこと)って言われてバカにされるんだけど、突砂(突撃するスナイパーのこと)は現実的に考えたらおかしいよね! 良いじゃない芋砂! 相手にやられるとファッキン! ってなるけど! でもでも、大人数でやる場合は役割分担大事だよね! 戦争のゲームなんだし!」とやたら熱く語られても「うん、そうだね」としか言えない。
ああいうゲームは、戦争のシミュレーションとして捉えるか射撃の腕を競い合うスポーツとして捉えるかでとにかく意見が別れるみたいなので僕はノーコメントとさせていただく。
ところで、僕らがしてるのって、しりとりじゃなかったっけ。なんで銃とかゲームの話になってるの。
「あとね、最近のゾンビゲーはアレだよね。スタイリッシュになっちゃって、こう和ホラーちっくな、こう、いつくるか分からない恐怖みたいな、ああいうのが無いよね」
「あー、うん。そうだね。なんかやたら早く走ってくるゾンビとかもいるし」
まぁ、時間潰しになればなんでも良いので、嗣深が楽しそうな分には全然構わないのだけれど。
「やっぱりアレだよねー。こう、窓をいきなり腕が突き破ってきて――」
嗣深の台詞の途中で、バン、と大きな音がした。
音がしたほう――窓へと、僕と嗣深はほぼ同時に視線を向けて、そこに真っ赤な手形がついているのを見てお互いに固まる。
そして、またバン、と大きな音をたてて、手形が増えた。
「あぁ、ま、窓に! 窓に! つぐにゃん窓にー!」
にゃー、と叫んで僕にしがみついてきた嗣深を受け止めて落ち着くように言い聞かせると、僕は小さく深呼吸をして窓のほうへと歩み寄る。嗣深が「危ないよつぐにゃん!」としがみついたまま引っ張るけれども、放置するわけにはいかないだろう。
また、大きな音をたてて窓に新しい手形が増えた。
「宇迦之さん? 宇迦之さんなの? 鍵なら開いてるよ……?」
宇迦之さんなら、こんなことをせずに普通に開けて入ってくるだろうことは自明の理であるけれども、そうであってほしいと思う心が、そんなことを言わせた。
そして、僕の言葉に反応するかのように、窓の向こうに真っ赤な目をした気持ちの悪いナニカが顔を見せた。
『――ッ!?』
嗣深も僕も、声にならない悲鳴をあげてその場から飛び退り、しりもちをつく。
ギョロリ、とナニカが赤い手形のついた窓の向こうからこちらを見ている。
真っ赤で大きな目。濡れているのか、窓から漏れる明りに照らされたその顔は鈍く光っていて、鼻は低く、口は頬のあたりまで裂けている。
その裂けた口からは、牙のように尖った、赤いナニカが付着した歯が覗いていて――僕達を確認するかのようにギョロギョロと動いていた目が僕らのほうへと固定された瞬間に、その裂けた口が、笑った。
ぞくり、と背中に寒気が走る。そして、僕はハッとして力が抜けそうになる足腰に無理矢理力を込めて、窓に駆け寄ると鍵をかける。
窓を挟んだ先にある、至近距離にあるナニカの顔が、狂喜しているように見えた。
それを脳が認識する前に、僕はカーテンを勢い良く閉めて、まだしりもちをついたまま窓の方を見て震えている嗣深を抱きしめる。
「大丈夫。大丈夫だから」
もし、あのナニカが僕達を襲うつもりだったのなら、ただのガラスでしかない窓程度の障害物はすぐに破られていただろう。それが叩かれても手形が付くだけで割れたりしなかったということは、多分ガラスを破れないよう宇迦之さんによって何か細工がされていると見て良いはずだ。
窓の鍵が開いていることに気付かれたら開けられておしまいだったかもしれないけれども、幸い、相手はこちらの鍵は開いているという言葉を理解できなかったのか、或いは窓の開け方を知らないだけなのか、開けられることは無かった。とはいえ何度も叩かれていたら、振動で少し開いて、そこから手を入れられでもしたら一環の終わりなのは違いない。だから、気付いてすぐに閉めたのは我ながら英断だったと言えるだろう。
もし、自分の読みが丸々外れていて、あっさりと窓が破られてしまったら、もうどうしようもないけれど、その時はその時だ。時間さえ稼げばきっと宇迦之さんが来てくれるだろうし、もし入ってこられたら、嗣深だけでも逃がさなければ。
そう心に決めて、けれどもそうはならないことを祈りながら嗣深を抱き絞める。
あれが何であるのかなどは今はどうでも良い。ともかくアレは良くないものだ。宇迦之さんが倒してくれるのを、僕達は騒がずに待っているべきだろう。
ドン、ドン、と窓を叩く音がする。先ほどまでの平手ではなく、今度は拳を作って殴っているのかもしれない。音が先ほどよりも低い音だ。
正直、今すぐにでも悲鳴をあげて布団にでも潜りたい気分だけれど、それはできない。
震える嗣深をしっかりと抱き絞めて背中を優しく叩きながら、恐怖に震える嗣深をカワイイな、などと場違いなことを思いながら僕達は助けが来るのを、じっと待ち続けた。




