▼20.知ったこっちゃない
スパーン、と良い音がした。
「つ、つぐにゃん!?」
慌てる嗣深と、何が起きたのか理解できていないのか、目を丸くしている宇迦之さん。
「あぁ、ごめん」
そんな二人の様子を見て、次に自分の右掌が地味に痛いことに気付いて、自分が何をしたのかを理解して一言謝った。
いけないいけない。思わず宇迦之さんを引っ叩いてしまったようだ。
女の子に手をあげてしまうとは、なんて最低なんだろう。
……まぁいいや。虎次郎くん曰く、ムカついたら男女平等にパンチをかませ、とのことなので平手打ちな僕はまだマシだと思う。虎次郎くんが女の子に手をあげてるところなんて見たことないけど。
「え、あ、え?」
呆然としながら自分の左頬に手を当てる宇迦之さんに、僕はニッコリと笑う。
「ごめんね! ついついイラっとしてやっちゃった!」
「ちょ、つ、つぐにゃん!?」
嗣深がえらい慌てているけれど、知ったこっちゃないです。僕はいつの間にか卓袱台の上に乗り出していた身体を元の位置に戻し、自分の前に置いてあったお茶がこぼれていたので勿体無いなーと思いながら布巾で拭き始めて、そのあたりでようやく宇迦之さんが再起動した。
「なん、な、なんで今、ビンタされたのかな、ボク」
凄い動揺しているのか、若干声が涙声になっていたので、僕は可哀想に思ってちゃんと教えてあげることにする。
「探偵気取りで、友達を勝手に犯人呼ばわりするのはどうかと思うな僕」
「た、探偵気取りって、ボクは君たちのためを思って!」
「そ、そうだよつぐにゃん! せっちゃんは心配して言ってくれてるんだし、イラっとしたとしてもいきなり引っ叩くのはひどいよ! せっちゃん女の子なんだよ!?」
「早苗さんも女の子だよ。なに、目の前にいなけりゃ陰口たたいても構わないっての? あぁそうだね。まぁ本人聴いてないんだし、別にいくら悪口言おうが関係ないだろうね。こっちもはいそうですねって流すのが大人なんだろうけどね。でもね、なんていうかね」
その人がどんな気持ちで、どんな状況にあって、どんな思いで僕に今日、悩み打ち明けてくれたと思ってるのかな、君たちは。
ニコリと笑って言うと、二人は何か言いかけていた口を閉じて、黙り込んだ。
なに、どうしたの? 言いたいことがあるのなら言って良いんだよ?
「……いや、ごめん。ボクが無神経だったね。あやまるよ」
「良いよ別に。僕に謝られても、僕の悪口言われたわけじゃないんだし、相手が違うよ。それに早苗さんもいきなり謝られても意味がわからないだろうから、今の平手で手打ちということで。あぁでも、一発は一発だし、宇迦之さんも僕のこと引っ叩いて良いよ。こっちもカッとなって女の子に手をあげるなんて最低なことしたし」
「いや、君は悪くないよ。ごめん。ボクがちょっと調子に乗りすぎたね。仮定の話だろうと、友人のことを犯罪の片棒を担いだかのような扱いするのは間違ってたよ。ごめん」
心底申し訳なさそうに謝る宇迦之さんに、僕はちょっとだけ溜飲が下がったので良しとするけれど、一発は一発なのでやっぱりやりかえしてもらいたいのだけれど。こっちの気がすまない。
と、そこで丁度良い人材がいることを思い出して嗣深に目を向けると、嗣深は何故かビクっと小さく飛び跳ねたけど、まぁ気にしない。
「嗣深、ちょっと宇迦之さん引っ叩いた分、僕も思いっきり引っ叩いてくれない?」
「えぇ!?」
「え、いや、佐藤くん。そんな必要はないというか、嗣深ちゃんは関係ないんじゃないかな……?」
驚く嗣深と何故か割って入ってくる宇迦之さんに首を傾げつつ、嗣深に迫ると、嗣深は少し迷った様子だったけれど、小さく深呼吸をしてから「オッケー、仕方ないなぁもう」と笑って言うと、仰け反る勢いで右手を振りかぶり、思いっきり僕の左頬をビンタした。
キーン、と左耳に耳鳴りが響き、左頬が物凄い熱を持つ。これは痛い。
「っにゃー!? 痛い!? ビンタした右手が痛いよ!?」
「つ、嗣深ちゃん勢いつけすぎだよ!? ビンタとはいえ、ある程度加減しないと自分の手が痛いだけだからね!?」
若干頭にクラっときた。あまりの痛みに軽く涙目である。これは効く。ありがとう嗣深。あと、殴ったほうも痛いよね。正直ごめん。
「うぅ……わたしもう一生ビンタはしないことにするよ……グーパン一択だよ……」
「いや、あの、グーで殴るのも勢いつけすぎると痛いものだからね、嗣深ちゃん……?」
「ごめんね嗣深。でまぁ、とりあえず早苗さんをバカにした宇迦之さんを僕が引っ叩いて、宇迦之さんを引っ叩いた僕を嗣深が引っ叩くことで、後は次回に嗣深が早苗さんに引っ叩かれれば万事解決ということで、手打ちね」
「まって!? わたしもビンタされるの!? なんで!?」
なんとなくです。
僕の言葉に、嗣深は「理不尽だー!?」と叫んでいた。南無。
そうして、暫く混乱の極みにいた二人が落ち着いた頃には、僕も茹で上がっていた頭が少しは冷えていた。
我ながら、あそこでビンタはいただけなかった。でも、まぁ大事な友達のことバカにされたら、怒っていいよね? 相手もまた大事な友達でも。うん、っていうか宇迦之さん、割と理不尽に引っ叩かれたと思うんだけど、怒らないあたり大人だね。本当ごめんなさい。
内心で冷や汗をかきつつ、話を戻そうとしたら、嗣深がふと真面目な顔になった。
「つぐにゃん。さっき、相手の気持ちとか、色々言ってたけど、せっちゃんの気持ちというか、どんなに頑張ってるかわかってないよね?」
「……うん? 何が?」
急な話の転換に、僕が首を傾げると、嗣深は何やら不敵な笑みを浮かべて、「さぁせっちゃん、今こそ、つぐにゃんを守ってきたヒーローの姿を見せるときがきたよ!」と叫んだ。
そして始まる静寂。
ストーブの火が燃える音が虚しく響く。
「……せっちゃん!? ほら、今こそどれだけ陰で苦労してたか、さぁ見せるときだよ!?」
「え? あ、ごめん。ボクが何?」
君たち、そういう何かやる時は事前の打ち合わせって大事だと思うな、僕。
「狐さんモードだよー! ほら、そうすればつぐにゃんもせっちゃんのことを信じるよ! 間違いないよ!」
「いや、あれは秘密だって言ったじゃないか嗣深ちゃん……」
「まぁまぁ! 熱くなろうよ! そんなじゃだめだよ! さぁせっちゃん! 今こそ真実を教えるときがきたのだよ!」
なに嗣深のこのテンション。
「いや、でもね? こういうのってやっぱり情緒というか……こう、颯爽と現れた時に正体を現すからこそ感動があるんだと思うんだけど……」
「せっちゃん! それをこの場で言っちゃったら後々にそんなチャンスがあっても全部台無しだと思うの!」
「うっ……」
「二人共、なんの話?」
なんだか盛り上がり始めた二人に呆れた視線を向けると、宇迦之さんは暫くうめいた後に溜め息を吐いて立ち上がった。
「そうだね。正直、ちょっとこうも友好的でない視線を佐藤くんに投げかけられるというのも堪えるものがあるし、嗣深ちゃんにはバレてる以上は、仕方ないか」
「うんうん!」
「だから、なんの話?」
トントン、と指で卓袱台をたたきつつジト目をむけるのを無視して、宇迦之さんはお札をどこからともなく取り出して、それを口に咥えるとそのまま何かモゴモゴと呟きながら、何かを描くように何もない中空を手で掻き混ぜるように動かし始める。
「ねえ嗣深、宇迦之さんは頭大丈夫なの?」
「つぐにゃんなんだか凄い辛らつだね!? わたしも変身シーン見るのは初めてだからちょっと間抜けに見えるけどちょっと静かに見てようね!?」
僕たちの散々なコメントに、宇迦之さんが涙目でこっちを見てきている気がするけど気にしない。
そして三十秒くらいそんな謎の行動をしていたと思うと、最後に宇迦之さんが拍手を打つと同時に、宇迦之さんのパーカーとジーンズというラフな姿から、和服……というかいわゆる巫女服へと服装が変わっていき、髪も根元のほうから一気に白く輝きながら黒髪部分を一気に染め上げていく。
そして耳のあたりが微妙に垂れて、白い毛に覆われて髪の毛と一体化して、袴の腰のあたりからは、なにやらもふっと肌触りの良さそうな白い毛並みの狐の尻尾らしきものが生えてきて、そちらに目を奪われる。
――銀髪の宇迦之さんに、一瞬だけ誰かの影が重なり、消えた。
何か、大事なことを思い出しそうになった気がするけれど、すぐにわからなくなってしまった。
……それにしても、まぁなんというか、魔法少女的な人とかがする変身っぽい物を目の前で行われたのだと頭が理解するまでにはちょっと時間がかかったけれど、あまりにも非現実的な光景だったので仕方ないだろう。
あぁ、とにもかくにも、あの夢の中で腕を潰された僕を助けに入ってくれたのは、間違いなくこの人だ。お礼を言わなくてはいけない。
いや、夢の中で助けてくれてありがとうなんてお礼を言うというのも変な話か。いや、待てよ。というかもしかしてアレは夢ではなかったのだろうか?
……まぁ、そこは本人から直接訊いてから判断しよう。それよりもまず言うべきことがある。
隣の嗣深はなにやら感動の面持ちで見ていたけれど、とりあえず僕は一言だけ宇迦之さんに伝えた。
「変身する時って、やっぱり裸になるんだね。もうちょっと人目の無いところでやる癖をつけたほうが良いよ?」
一瞬に近かったけれど、宇迦之さんのまぁその、色々見えてしまったので我ながら少し顔が赤くなってるのを自覚しながらもこれだけは伝えておかねばならない。友人として宇迦之さんが露出狂への道を走らないことを祈るためにも。
「へ?」
「あ、そういえば今一瞬全裸になってたね。服着替える時……って、つぐにゃんストレートに言いすぎだよう!?」
「え? あ、え? 嘘、え?」
嗣深のツッコミに其れは失礼しました、と返していると、白髪というか銀髪に近くなった宇迦之さんは、うろたえた様子で僕と嗣深の顔を交互に見てから、顔を真っ赤にしてその場にへたりこんだ。尻尾と耳も心なしへたった気がする。
「ほ、本当に? 本当に脱げてた……?」
「うん。一瞬程度だったけど……」
どうやら変身するとそうなることを知らなかったらしい。宇迦之さんはかっこよく変身したのに、顔を真っ赤にしたまま涙を流して卓袱台に突っ伏した。
「もう、お嫁にいけない……」
「お、落ち着いてせっちゃん! もし貰い手いなかったらつぐにゃんがもらってくれるから!」
「ボクにも選ぶ権利はあると思うんだ……」
「やめて、ごめん。本当ごめん。見ちゃってごめんなさい。あと、知らんぷりすべきでした。ごめんなさい。あと、僕は選ぶ権利を主張されるほど男性として無しの方向になるほどだと初めて知りましたごめんなさい」
「虎次郎はいつもそんなこと言わなかったのに……!」
「……せっちゃん、ちなみに何か、裸のことには触れなくても何か言ってたりした?」
「眼福やな、とか言ってたかな……」
『今度会ったら虎次郎くん(とらにゃん)引っ叩いておくね、宇迦之さん(せっちゃん)』
虎次郎くんは女の敵である。今ハッキリしました。




