▼15.誘拐未遂
泣いたせいで目が赤くなっていた早苗さんを見て、虎次郎くんと嗣深が「なんて勿体無いことを!」と何か勘違いして騒ぐのを早苗さんが誤解を解いてから、暫く待っても吹雪が収まらないのを見て、僕と嗣深は仕方なくこの吹雪の中を帰ることにした。
虎次郎くんが心配して付いていくと言ってくれたけれども、流石にこの吹雪の中、反対方向に家があるのにそれは悪いため断わった。晴れていれば徒歩五分なのだ。いくら吹雪いているとはいえちゃんと歩道を歩くし、迷子になることも無いだろう。虎次郎くんも心配症である。むしろそれよりも、この吹雪の中を女の子一人で帰らせるほうが危ないので、早苗さんを送ってあげるように頼んで別れた。
とはいえ、格好つけて見たものの、一度外に出てみると、もう目測で10メートル先すらまともに見れない状態であることに気付いて、頭の片隅に“遭難”の二文字が横切る。割と洒落にならない。
いや、まぁ流石に大丈夫だろう。近所だし。
朝来た時にはちゃんと除雪されて、くるぶしの辺りまでしか雪が無かった歩道も既に僕の膝下あたりまで雪が積もっていたけれど、雪が少ないからといって車道を歩けば、この視界の悪さでは最悪轢かれることもありえるので我慢して雪中行軍である。
とはいえ長靴を履いてるし、雪かきの時に来ていたスキーウェアで防備は万全のため、せいぜい足が疲れる程度だが。
僕が先行して道を作り、嗣深は僕が作った道をついてくる、という形で少しずつ進行する。
くそう、なんで僕達が帰る方向に帰った人がいないんだ。
「つぐにゃーん!」
「なにー!」
吹雪いているのとフードをすっぽりかぶっているせいで、僕も嗣深も、お互い大声を出さないと聴こえないのが少し不便である。
「しりとりしよー!」
「無駄な体力使わせようとするなー!?」
そんな中でも呑気な嗣深に思わずツッコミを入れながらも、足は止めない。
時折、自転車で走るのよりも遅い速度で通り過ぎる車を横目に見ながらも、黙々と足を進める。
そうして五分か十分か、普段ならばとっくに家に着いているだけの時間を過ぎてもまだ半分も進んでいないことに溜め息を吐き、一度立ち止まって荒れてきた呼吸を整える。
流石に、摺り足のようにして嗣深が歩く道を作りながらの移動は、ほんの数百メートルも進んでいなくても疲れてしまう。雪国ではない人にわかるように説明するとしたら、浅いプールの中で、足に重りのついたリストバンドでもつけて、競歩でもしたら多分この感覚を分かってもらえるだろう。
とにかく、足に負担がかかるのだ。
「嗣深、大丈夫ー!?」
僕が道を作っているので、一応普通に歩いてこれているはずの嗣深は大丈夫だと思うけれど、と背後を振り返って、僕は固まった。
「嗣深?」
後ろに、誰もいないのである。
先行していた僕はかなり鈍足で進んでいたし、はぐれるような場所でもなければ、それほど距離が離れるはずの無い場所なのに、だ。
「嗣深ー!?」
「はーい!」
もしや何かあったのでは、と心配になって大声でもう一度名前を呼んだ瞬間、車道側から声が聴こえてきたので驚いてそちらを見ると、なにやら黒いワゴン車に嗣深が乗っているではないか。
心配して損した。
「……何やってんの、このバカ」
「つぐにゃーん! おうちまで乗せてってくれるってー! おいでおいでー!」
「あぁダメだ聴こえてない」
っていうか、誰の車なの、それ。と呆れながらも乗せてもらえるというのなら乗せてもらおう、と早くも疲れているため誘惑にあっさり負け、少し道を戻り、車道と歩道を塞ぐ雪の壁が無い場所まで戻ると、嗣深を乗せたワゴン車がバックしてきて、横開きのドアが開く。
中には人の良さそうな笑顔を浮かべたお兄さんが運転席に座り、後部座席にはこれまた人の良さげなお姉さんが乗っていた。
僕がそこまで認識した時、後部座席にいたお姉さんの隣にいた嗣深は、ドアを開けると同時に転がるようにしてこちらに飛び出してくると、そのまま僕の手を引っ張る。
「逃げるよ!」
「へ?」
なんで? という疑問を抱くと同時に、慌てた様子でこちらに出てこようとしているお姉さんの姿を見て、何かヤバイ、と悟った僕は手を引かれるまま、嗣深と一緒に歩いてきた道を逆走し始めた。
「待って!」
後ろからお姉さんの声が聴こえるが、無視して走る。
と、嗣深がどこから取り出したのか体育の時などに先生がよく使うホイッスルを鳴らし、怪しい人に声をかけられたら使うように学校から言われて持たされている防犯用のブザーも鳴らし始めた。うるさいけれど威嚇としては充分だろう。今走っているあたりは民家が少ないし、学校から帰る人達の姿も僕達が学校を出る時には無かったので、助けを求めるのにはあまり効果は無いかもしれないが、僕も嗣深同様にカバンについていたブザーを鳴らして走る。
そんな行動を取りながらも、頑張って走ったところでこちとら子供の足である。女性とはいえ、大人に追われたら逃げ切るのは難しいだろう、と思ったら、嗣深が手を離したと思うと、走りながら器用に足元の雪を掬い上げて即席の雪球を作り上げると、お姉さんに向けてジャンプして振り向きざまに投げつけ、投げた勢いのまま、空中でくるりと一回転して綺麗に着地して再度走り出した。
「きゃあ!?」
「ふははー! つぐみん必殺、ローリングスノーブリッドさ!」
「器用なのは分かったけど挑発しないの!」
命中したらしいお姉さんの悲鳴が後ろから聴こえ、なにやらドヤ顔でもしてそうな嗣深にツッコミを入れつつ、僕も同じように雪球を作って後ろ手に投げる。
一体なんで追われてるのか、とか、そもそも自分から乗っただろうに、なんであの人達から逃げるのか、とか、嗣深に言いたいことはあったけれど、今はその疑問を無視して走り、すぐに校門が見えてきたので学校の敷地へと逃げ込むと、そのまま校舎に逃げ込み、後ろからお姉さんが追ってきていないことを確認するとようやく息を吐いた。
「はぁ……疲れたしビックリした。なんだったの、嗣深」
「わ、わかんない。後ろからあの車が来たと思ったら、あのお姉さんが降りてきて、この吹雪の中帰るのは大変だろうから乗せてあげるーって言われて、断わる間も無く手を引かれて乗せられちゃって」
「えー……それ、親切心からじゃないの。普通に」
なんてこった。嗣深のせいで親切なお姉さんに雪球投げてしまったよ。まぁ確かにこちらの返事くらいは待つべきだとは思うけれど。
「違うの。なんかね、掴まれてる手が、逃がさないぞ、って言わんばかりにギュって握られてて、車に乗せられてからも離してくれなかったから、連れ去られちゃう、って思って……」
「む……それが本当ならちょっと怖いね」
というかあからさまに拉致誘拐じゃないか、それ。当直の先生はいるだろうから、報告してきたほうが良いな。
「うん……咄嗟におにいちゃんもちょっと前を歩いてるから、一緒に乗せてあげて、って言ったら警戒解いたみたいで手を離してくれたの。だからつぐにゃんに声をかけて、ドアが開いたら一目散に逃げ出したの」
「ふむ……」
まぁ、この吹雪の中なら子供の一人くらい誘拐してもすぐにはバレないだろうし、身代金目的なのかなんなのかは分からないけど、誘拐の成功確率的には大分高かったことだろう。家の人が心配したところで、この吹雪では迷子になったとか事故に会ったとか考える人はいても、よもや人攫いなどとは思わないだろうし。
……しかし、こんな吹雪があるなんて事前に分かるわけが無いだろうから、事前に計画を良く練った誘拐ではないだろう。突発的な犯行だろうか。なんにしても恐ろしいことだが、あの車に乗っていたお姉さんもお兄さんも、見たことの無い人達だった。
いや、まぁ元々ご近所さんならともかく、町のほうの人とかになると面識無い人のほうが多いからそれもまぁ別に不思議ではないけど、一体どこの人だったのだろうか。
「早苗ちゃんたち大丈夫かな……」
「虎次郎くんがついてるし大丈夫だとは思うけど……」
不安そうに呟く嗣深に、大丈夫だと言いはするものの、言われてみれば僕も少し不安になってきた。
「と、とりあえず当直の先生に言ってこよう。警察に電話は……万が一、本当にただの親切心だったらちょっと可哀想だからアレだけど……」
「うん……あうう。もしそうだったとしたら私ってばとっても悪い子だよ……あの人達こっちのこと知ってたみたいだし……」
「え? こっちのこと知ってた?」
「うん。佐藤さんのところの嗣深ちゃんだよね? って」
「ふむ……」
なんだか余計謎が深まったけれど、なんにしてもまずは先生に報告だ。
と思ったら、職員室へと向おうとしたところで、先生の方から来てくれたのだが、
丁度良かった。僕は嗣深と視線を交わし、まず何よりも優先して訊くべきことを二人で先生に問い掛けた。
『先生、この防犯ブザーってどうやって止めるんですか?』




