天使を肴に酒飲むなんてええ度胸しとるな
「ただいま……」
次の日僕は、いつになく重い足取りで部屋に戻った。
「何やえらい辛気臭い顔して。何かあったんかい」
「いや、その逆。何もなかった」
「里美には会えたんか」
「ああ。今日もバイトで一緒だった。でも、何にも言われなかった」
「ほれ見てみい。だから言うたやろ」
「まさかあのサッちゃんが表面上の社交辞令メールを送ってくるだなんて」
「お前なあ、そんなことでいちいち落ち込まんといてくれるか? せっかく味おうて食うた人参が消化不良起こすわ。そもそも今まで好きでも何でもなかったんやろ? メールのやり取りがあっただけでも進歩したと思わんかい」
家康に「文面通り受け取るな」と釘を刺されていたにも拘らず、昨日のメールなどまるで最初からなかったかのように僕に接するサッちゃんを目の当たりにすると、僕の、熟れた桃のようにヤワな心は少なからず傷付いた。
「さてどうする? このまま里美を攻めるかそれとも他の娘にターゲットを変えるか。ワイはどっちでもええで」
僕も別にどっちでもいい……あ。
「そう言えば今日学校で、みんなが家康に会いたいって言い出したんだけど。ほら、バーベキューに行った連中も家康の事を周りの友達に話したりしてるみたいだし、昨日のメールもあって、僕の部屋に本当にカピバラがいるって事が分かったみたいで」
「お、良かったやないかい。ようやくカピバラの面目躍如やな」
「うん。それでカピバラ見学ツアーをやるって」
「何や大袈裟になって来よったな」
「二十人くらいで来るって。明日」
「二十人てお前アホちゃうか!? こんな狭い部屋にそんなに入るわけないやろ。床抜けるがな」
「部屋に呼ぶわけないだろ。近くに公園があるからそこでみんなで花見ならぬカピバラ見でもやろうってことになったんだ」
「天使を肴に酒飲むなんてええ度胸しとるな。これだから最近の若いモンは……まあええ。お前の恋のためにピエロになったるわ。まさかまたムサい男だけゆうことないやろな」
「大丈夫だって。今度はちゃんと女の子も来るから」
そして楽しい「カピバラ見」が無事終わって。
「お前らな~大概にせえよ。ワイが注目されとったのなんか最初の五分間だけやないかい。初っ端からガンガン飲んで酔っ払いやがって。しかもこいつら何やねん。酒臭うてかなわんわ」
家康は部屋の狭い廊下に寝転がっている二人の男女を鼻先で小突いた。
男は杉田徹、女は佐倉遥子で、どちらも学校では毎日のように顔を合わせている友人だ。調子に乗って飲んで潰れてしまったので、外に放って置くわけにもいかず、僕の部屋まで引っ張って来たのだった。二人とも眉間に皺を寄せ、時折うーんと苦しそうに呻く。
「しょうがないだろ。とても帰れる状態じゃないんだから。取り敢えず回復するまでここで休ませる」
「なあなあこいつらアベックか?」
アベックって。
「いや。違うと思うよ」
少なくともそういう情報は僕の耳には届いていない。
「ふーん。じゃあこの娘はどうや」
家康は右前脚で、チビT、ヘソ出し、デニムのかなり短いショートパンツ姿の女の子、即ち佐倉遥子を指して言った。元々色白だが、酔ってほんのり桜色に染まった長い生脚が艶かしい。
「佐倉かあ……佐倉ねえ」
「何や、あかんのんかい。よく見たら酔っ払いを差し引いても結構エエオンナやないか。スタイルもええし」
「まあ見た目はね」
「中身は? ストロング金剛か?」
「誰だよそれ。性格は悪くはないんだけど、言葉遣いが完全に男だし、行動もだいぶ飛んでるんだよね」
「何やそんなことかいな。ええやないかい。若気の至りや。それもまた楽しい思い出になるんちゃうか。連れて来たゆうことはお前も満更やないんやろ? ん?ん?」
家康がぐいぐいと額を押し付けてくる。
「いやだから潰れてたから運んだだけで特に深い意味は……」
「まあええわ。じっくり考え。ワイ風呂入ってくるで」
家康は頭にタオルを引っ掛け、すたすたと風呂場へ向かった。
「あ、まだ沸かしてないけど?」
「構へん構へん。こんぐらいの気候やったら水風呂で充分や」
家康が水浴びする音を聞きながら、僕はベッドで横になった。そしていつの間にか眠ってしまった。
窓の外が明るい。時計を見るとまだ六時。廊下を見たが二人の姿はなかった。玄関に靴もない。目が覚めて勝手に帰ったのだろう。僕は昨日風呂に入らずに寝てしまったので、身体に纏わり付いた汗を流すためシャワーを浴びる事にした。
風呂場に行き、浴槽を見て度肝を抜かれた。毛だらけである。水面には焦げ茶色の毛が一面に浮いていた。僕はゴミ箱を取りに戻り、知らん顔で眠る家康を睨み付ける。手の平で掬えるだけ掬って捨てると、後は栓を抜いて流した。
毎回こんなに抜けるのだろうか。よく考えたら家康がこの家に来てから風呂に入ったのは昨日が初めてだ。これからは夏場だからシャワーだけでもいいけど、寒くなってきたら先に入らせるわけにはいかないな……などと考えつつ頭と身体を洗い流して上がり、バスタオルで頭を拭いていると生き物の気配がした。
何だ、家康も起きたのか、と顔を横に向けるとそこには女が立っていた。