千飛んで二十六や
「な、何やて……ちょい待ちーや、いくら天使でも堕天使の正体までは見破れんはずやで」
とっくに正体がバレた家康は、もはや佐倉に対して普通に話しかけている。
「実はな、オレは人間界にはびこる堕天使を捕まえるために特別に降りて来たんだ。いわゆる特殊任務ってやつだ。確かに天使のオレにこいつら堕天使の正体は分からない。でも怪しい奴は何となく分かる。ある程度の予測は付くという事だ。
その予測を基に特定の奴をマークする。里美はその普段の行動から、オレの中ではほぼ堕天使で間違いなかった。そして家康が現れた途端、松岡に近づいた事で予想は確信に変わったんだ」
「そんな、佐倉お前……じゃあ僕の事を好きだって言ったのは嘘なのか? 天使が人間を好きになるなんて有り得ないんだろ? 天使なのに嘘ついていいのか?」
僕をこんな気持ちにさせておいて、実は天使だったなんてそんな話、認めない。
「嘘じゃない。最初オレは任務のために松岡に急激に近付いた。お前が里美に落とされてしまってからでは手遅れだからな。しかし、松岡と会う内に、オレは次第にお前に惹かれていったのも事実だ」
「そんなんおかしいやないかい。秀吉を阻止するために佐倉が雅史を惚れさせてしもうたら、今度はお前が堕とされてしまうやないかい」
家康が歯を剥きだした。
「そうだよ。天使は人間の姿になって人間に恋をさせたらいけないんだろ? 僕はもう佐倉の事が……」
本気で好きなんだ、そう言おうとした時、部屋の入り口に小さな影が動く気配を感じた。見ると、そこには白と茶色の斑模様の猫が座っていた。その姿はどことなく気品を感じさせる。
「もう遥子さんたら、いい加減にしなさい」
そして猫が喋った。唖然とする僕と家康をよそに、猫は話を続けた。
「そんな真顔で冗談を言っても冗談に聞こえないって何度言ったら分かるの? 雅史さんが本気にしてるじゃない」
え? どういう事だ? 佐倉を見ると、あらぬ方向に目をやり、しれっと舌を出している。この猫は誰なんだ?
「ごめんなさいねえ、雅史さん。今遥子さんが言った事は冗談だから。気にしないで」
状況が飲み込めないが、とりあえず佐倉を見ると、
「すまん、本気にすると思わなかったから」
と言って悪びれるでもなく軽く頭を下げた。そして家康の様子がおかしい。身体がぶるぶる震えているし、目には涙が溜まっている。
「ど、どうしたんだ家康」
「ば……」
「ば?」
「婆ちゃん!」
「ばあちゃん!?」
僕と佐倉が同時に叫ぶ。これにはさすがの佐倉も驚いたようだ。家康は猫に駆け寄った。猫より遥かに大きな鼠が、その小さな身体に抱きついて泣いていた。
「これこれ家康、男の子が人様の前で泣くんじゃありませんよ」
「アラスカは寒かったやろ?」
ようやく家康は震える声を出した。
「アラスカ……? アラスカっていえば家康の前の上司が飛ばされたところだよな?」
僕は家康がここへ来てすぐの時、上司に対する不満をぶちまけていた話を思い出した。
「せや。婆ちゃんが前の上司や」
「ええっ!? じゃあ家康のお婆さんが大天使長ってこと!?」
僕は首を傾げて僕を見詰める愛らしい猫を見た。この猫が元日本代表なのか……
「婆ちゃん風邪引かんかったか? 少し痩せたんやないか、ちゃんと食うてたか?」
「あらあら心配してくれてたのねえ。家康は本当に優しい子」
猫大天使長は、昔からこの子はお婆ちゃん子でねえ、と誰に言うともなく呟きながら、前脚で寝そべる家康の頭を撫でた。何かもう、訳分からん。
「あの、アラスカにはどのくらいいたんですか?」
猫だけど偉い方のようなので思わず敬語になる。
「百年よ」
「百年て……ちょっと待て。家康お前、上司が変わったのって最近の話じゃなかったのか?」
「せやで、たった百年前や。何かおかしいか?」
「おかしいだろ! 百年のどこが最近なんだよ!」
「何を怒っとんねん。確かにお前ら人間にしたら長いかも知らんけどな、ワイらにしたらそない昔でもないんや」
薄々感じてはいたが、天使と人間では時間の感覚がだいぶ違うようだ。僕は前から気になっていたことを聞いてみた。
「家康、お前一体何歳なんだ?」
「千飛んで二十六や」
「1026歳!? そんなデーモン閣下じゃあるまいし……じゃ、じゃあお婆さんは?」
「あら雅史さん、駄目よ、レディに気安く歳の事を聞いちゃ」
天使なのに教えてくれないのかよ。
「そういえば松岡は真っ先にオレの歳聞いたよな」
ぼそっと呟いた佐倉の視線が刺さる。いいじゃないか、気になってたんだから。