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あなたの天使より愛を込めて

 家賃五万五千円の、六畳と四畳半と台所と和式便所と追い炊きの出来る古い風呂の付いた築三十年の四世帯しかない二階建て木造アパート。ここの二階の奥が僕の部屋だ。


 バイトから帰り、簡単に破られそうな頼りない鍵を開け靴を脱ぎ、電気を点けて僕は息を飲んだ。部屋の奥に巨大な生き物が鎮座していたからだ。目が合った。


「遅いやないかい」


 そして喋った。靴を脱ぎかけた脚が四の字になったまま硬直し、瞬きを忘れ呆然とその光景を眺める。そんな僕にお構いなしで、その生き物は喋り続けた。


「どんだけ待たすつもりやねん。もう日付け変わっとるやないかい。腹減ってしゃーないやんけ。何でお前んとこには何もあらへんねん。普通何かしら置いてあるやろ。人参とかキャベツとか。しかも冷蔵庫の中が消費期限の切れた卵とカビの生えたヨーグルトだけってどういうこっちゃ」


 目の前の巨大な生き物には見覚えがある。今世間で大注目の癒し系動物、世界最大の鼠、カピバラだ。


「お、お前、どっから入ってきた?」

「話逸らすんやない。とにかく腹減ってるんや。人参食わせろや。キャベツでもええで」

「何で……カピバラが喋るんだ?」

「カピバラやあらへんがな」


 焦げ茶色の固そうな毛並み、黒くでかい鼻の鎮座するぬぼーっとした愛嬌のある顔、鼠にしては大きすぎるその図体。最近動物番組でも引っ張りだこのこの姿形。どっからどう見てもカピバラだ。


 帰ってきたら部屋の中に飼っているわけでもないカピバラがいる。これだけでも驚愕の事実なのに、更にこいつは人間の言葉を喋るのだ。学校とバイトの毎日で疲れて遂に幻覚が見えるようになったか?


「何なんだお前は一体」

「何だやあれへん。昨日メール送ったったやろ」


 メール? そういえば昨日、知らない相手からメールが来ていたっけ。僕は携帯を開いた。件名は「あなたの天使より愛を込めて」。


 内容は、「明日あなたのお家に遊びに行くから楽しみにしててね」という、文末にハートマークが三つも付いたものだった。どうせ出会い系のいかがわしいメールに決まっていると思い、特に気にすることも無く無視していたのだ。


「写真も送ったはずや」


 よく見ると確かに画像が添付されていた。開いてみるとそこにはどアップのカピバラが写っていた。目の前のカピバラと見比べる。同じ顔のようだ。


「どや。キュウトやろ」


 カピバラなので表情は変わらないが、声は自信たっぷりだ。とにかくまずは状況を整理しなければならない。


「あの、質問していいかな」

「あかん。それより人参が先や。お前だって腹減って死にそうなのにゆっくり会話なんかできんやろ」


 カピバラにお前呼ばわりされて腹が立ったが、とにかく何か食わせないと話が先に進まないようだ。僕は脱ぎかけたスニーカーを再び履くと、近くの二十四時間営業のスーパーへ向かい、一袋三本入りの人参を三袋購入した。ついでに明日の自分の朝食用にコーンマヨネーズパンと午後の紅茶のミルクティも買っておいた。


「おお、これやこれ。やっぱたまらんわ人参。色といい形といいハリといい硬さといい味といい全てが最高や」


 部屋に戻り人参を差し出すと、カピバラは前足で愛でるように人参を撫で回す。人間ならば恍惚の表情を浮かべているといったころだろう。外見に満足すると、よく伸びた前歯を駆使し、威勢よくガシガシと食べ始めた。九本の人参は、瞬く間になくなってしまった。食べ終えるとカピバラは一つ大きくげっぷをして、足を折り曲げて床に寝そべった。


「これでいいか? まず何でカピバラがここにいる?」

「さっきも言うたやろ。ワイはカピバラやあれへん」

「違う種類の似てる動物って事か?」


 確かカピバラとそっくりな姿をしたヌートリアという動物が農作物を荒らして被害が出ている、というニュースをこの間見た気がする。


「ちゃうちゃう。ワイは天使や。メールにも書いてあるやろ」


 天使? 天使ってなんだ?


「何を牛がくしゃみしそうな間抜けぇな顔しとんねん」

「どっからどう見てもカピバラにしか見えないが」

「アホ抜かせ。人間の言葉をこんなに澱みなく操るカピバラがどこにおんねん」


 言われてみればそうだけど。


「これは言わば世を忍ぶ仮の姿や。天使がそのまんま現れてみいや。警察やらマスコミやらが駆けつけてえらい騒ぎになるやないか。そもそもこんな狭い部屋に入り切らんわ。せやから人間の世界に来る時は、怪しまれん姿に変身するのが決まりなんや。ま、お忍びっちゅーやっちゃな」

「でも、何でカピバラ?」

「最近、人間界でモテモテだからや。何や、縫い包みまでぎょうさん出てえらいフィーバーしとるそうやないか。そのぐらいはリサーチ済みや。だからお前が喜ぶ思てカピバラになったんやが……あかんかったか?」


 カピバラ天使は自信なさ気に自分の身体を見回した。これまでのふてぶてしさが鳴りを潜め、弱気になった。


「いや、まあ確かに可愛いけど……ま、まあいいや。じゃあお前が天使だとしてだな」


 するとカピバラはチっと舌打ちをした。


「そのお前ゆうのやめーや。こう見えてお前みたいなガキンチョより遥かに目上なんやで。最近の若いモンはホンマ礼儀知らずやで。腹立つわー。ワイにはれっきとした名前があるんやで」

「何でしょう」

「家康や。どや、カッコええやろ」


 微妙。


「こないだDVD見たんや。『鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』っちゅーてな。えらい感動して泣いてもうたんや。せやから清水さんから飛び降りる覚悟で最近改名したんやで」

「じゃ、じゃあその天使家康が一体僕に何の用だ」

「天使ゆうたら目的は一つに決まっとるがな。恋の成就や」


 コイノ……ジョウジュ?


「お前にも好きな娘の一人くらいおるやろ。どこの誰や、早よ言うてみ」

「え?え? ちょっと待ってよ。恋の成就って……要するに僕に彼女ができるように手伝ってくれるってこと」

「せや。他意はないで」


 えええ!? このカピバラが……


「でも一体どうやって?」

「それは追い追い説明したる。それより早よ教えろや。高校の同級生か? 大学の娘か?バイトの同僚か? はたまた小学校の初恋の娘か?」

「何で僕が大学行ってバイトしてるって知ってるんだ?」

「あんなあ、どこの誰ぞ分からん馬の骨んとこに天使がわざわざ姿変えて来るわけないやろ。こっちかて無償でボランティアやっとんのとちゃうねんで。


 天界にはな、全世界の人間の中で一人もんの名前の載ったリストが毎日送られてくんねんで。ここで言う一人もんちゅーのは結婚してるかどうかではのうて、恋人がいるかどうかって意味やな。ほいでな、そのリストは恋人の出来ない確率の高い順に並んどる訳や」

「僕は……出来ない確率何パーセントなんだ?」

「確率ゆうてもパーセンテージのこっちゃない。相対的なもんや。だから順位は毎日入れ替わる。その日の気分とか行動とか人間関係とか、気温や湿度や風向き、日照時間、花粉の量などなど環境の変化を考慮して結果がはじき出される。まあそれでも上位一万人は強力やからほぼ固定なんやけどな」

「そ、それで僕の順位は……」

「三年間不動のナンバーワンや」


 なっ……僕が……世界中で、六十億人いる人間の中で最もモテない男という事なのか……? 僕はその瞬間、意識が遠のいた。

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