翌日
翌日の夕方に電話があった。幸い殴られたゲンという男は命を取り留めたそうだ。硬膜外血腫で一時は危ない状況だったが、手当が早かったためすでに意識は戻っており、後遺症が残ることもないらしい。
ただ、頸椎を痛めたらしく、しばらくは首にギプスを嵌めているそうだ。
間抜けな姿っすよ、と電話してきた男は笑っていた。
昨夜は電話してきた男に泣きつかれ、一緒に救急車に乗って病院にまで付き合ったのだ。病院の待合室で徒然なるままに話したところでは、男の名はコージ、入院した男はゲンという名で、二人とも近所の工場で働く工員だそうだ。週末はよくつるんでナンパをしているらしい。
コージは昨夜の修平の助けにいたく感謝しているようで、もう二十歳過ぎのくせに十七歳の修平をアニキ呼ばわりである。落ち着かないことはなはだしい。
そのうちゲンともども挨拶にうかがうっす、と言って電話は切れた。
「というようなことがあったんですよ」
合気道の稽古が終わって、汗を拭きながら修平は師範に昨夜のあらましを語っていた。
「人助けをしたな。たぶん放置したら危なかったぞ」
そう言った師範の磐田勲は50代前半くらい、背はそれほど高くないが、引き締まった体格に角刈りのごま塩頭で、軍人を思わせる精悍な風貌の男である。
本人ははっきりしたことを言わないが、稽古中に洩らす言葉の端々から、ナイフや銃を相手の実戦経験が伺われる。
指導方針も実戦重視で、突き蹴りへの対応は当たり前、銃はともかくナイフや木刀くらいは相手できて当然というものである。
ぬるい攻撃での技が磨けるか、ということで、ナイフや木刀の扱いに始まり、空手道場かと思うような突き蹴りや、レスリングのようなタックルの練習もたっぷりと行う。特に初心者は攻撃重視の稽古が続く。
稽古の締めは組手である。受け手は鍛え上げた突き蹴りタックルに隠し持った武器まで何でもありの攻撃を全力で叩き付けてくる。仕手はこれを躱し、捌き、打ち、投げ、固め、止めを刺す。知らない人が見たら喧嘩かと思うような稽古である。
修平は合気道のなんたるかを全く知らずにこの道場に入ったので特に疑問もなく稽古を続けられたが、合気道の華麗な技にあこがれて入った生徒はその多くが辞めていく。お陰で道場生は常に少ない。今日の稽古も参加者はわずか五人である。すでにみな帰宅して、修平が最後の一人だった。
「それにしても、鮮やかなものでした。こう、入り身投げから後頭部に膝蹴り、顔面に肘打ちで地面に叩き付けてました。入り身投げも目に指が入ってましたし」
「ほう」
と磐田は目を細めた。
「なかなか面白い技を使うな。こうきて、こうか。なるほど」
さっそく修平に入り身投げを掛けて膝蹴り、肘打ちを試している。この男はこの年になってもこういう好奇心というか探求心が全く衰えないのだ。
「なるほど、膝蹴りまでは合気道でも隠し技として型に含まれているが、さらに肘打ちを加えて、相手が地面に落ちる前に完全にとどめを刺しているわけだ。地面に固めて止めを刺すよりも速いし、隙を生じない。多人数相手の高速戦向きか。回転投げでも使えそうだな。この技にはどうだろう?」
などとぶつぶつ言いながら修平をモルモットにいろいろな技を試し始めた。
「ちょ、ちょっと待って下さい、師範!!な、何ですかその技、痛い、痛いですって!!」
次々と、有段者の修平でも未だに見たことのない技まで繰り出されて、ぼろ雑巾のようになる。
「ひどい目にあいました」
「すまんすまん。つい、興に乗ってしまった」
そう言いながらも、ちっとも済まなそうな顔はしていない。
「ま、今回の経験から二つ大事なことが学べるな」
別人のように鋭い視線で修平の目を射る。
「路上での戦いは簡単に死に繋がりかねないこと。殺される可能性もあれば殺す可能性もある。喧嘩なんかもしてみたい年頃だろうが、決して安易に考えないことだ」
ここで磐田はふっと緊張を解いて笑顔を見せた。
「もう一つは女は怖いってことだな。うちにも怖いのが一人いる。さ、あがろうか」