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落月記  作者: tonesa
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遭遇

八月の終わりの蒸し暑い夕方だった。低く掛かった月がやけに大きく見える。

修平はコンビニで買ったスポーツドリンクをラッパ飲みしながら家路を急いでいた。何しろこの暑さである。いくら飲んでも切りがない。

合気道は楽な武道と思われがちだが、うちの道場は師範の方針でフルコン空手顔負けのハードさなのである。とはいえ、まだ17歳の若さであるし、練習がつらいかというとそれほどでもない。

もう黒帯をとってから一年以上を過ぎ、袴も体になじんできている。日増しに自分の力が上がるのが実感できる。稽古が楽しくて仕方がない時期だった。

「おおっ」

ふと見ると道ばたに止まった趣味の悪いスポーツカーからいかにも頭の悪そうな二人組が女の子に声をかけているところだった。一人は車の窓から半身を乗り出し、もう一人が女の子を壁に追い込むようにしながら話しかけている。

ナンパというよりは誘拐か拉致に近い状況である。ちょうど街頭の明かりが逆光になっているので顔はわからないが、小柄で細身の女の子である。ポニーテールにまとめた長い髪のシルエットだけがみえる。気が弱いのか、俯いてじりじりと後ずさりしている。

頭一つ以上大きな男に迫られたのではおびえても無理はない。これはチャンスだ。修平は不謹慎だがそう思った。

何しろ自分の力を試したくて仕方がない時期である。しかも女の子を助けるためという大義名分がある。こんな状況はそうそうあるものではない。もしかしたらその後にいいことがあるかもしれん。

これは助けに入るしかないだろう。そんなことを考えつつ、修平が一歩踏み出したそのとき、じれた男が女の子の左肩に右手を伸ばした。

一瞬だった。

女の子の体がすっと前に出たかと思うと、左足を軸に反転した。男の右手は彼女の左手に払い落とされ、男は体ごと大きくつんのめった。一瞬前まで向かい合っていた二人が肩を並べて同じ方向を向く。

修平はその動きをよく知っていた。体の変更だ。合気道の基本技の一つで、相手の力を流すようにして体勢を崩す動作である。あの女の子も合気道をやっているらしい。なんとはなしに親近感を覚えた修平だったが、その気分はすぐに凍り付いた。

男は体勢を崩し、顔から前につんのめろうとしている。合気道ならここから更に前に崩して起きあがるところを入り身投げあるいは呼吸投げに繋ぐのが一般的な流れだ。

しかし、彼女は、体重を左足にかけたまま逆方向に反転し、なんの躊躇もなく右手の指を男の目に突っ込んだ。声も出せずにのけぞる男の顔面を追いかけるように右手を伸ばし、左手で男の右手を引きつける。男は海老反り、頭から地面に落ちかかる。

入り身投げの変形か。えげつないなあ。

という修平の予想を彼女は更に裏切った。地面に落ちるはずの男の後頭部は地面に達することなく、彼女の左膝に迎撃された。いつの間にか後方に一直線に伸ばしていた左足を全身のバネを使って叩き込んだのだ。

更に右肘がすっと天空に向かって垂直に伸びる。一瞬、肘先が月を隠す。全身のバネが弾ける。斬撃というのがふさわしい一撃が月ごと空を切り裂いた。肘は膝蹴りで跳ね上がった男の顔面を捉え、後頭部から地面に叩き付ける。もんどり打って地面に倒れた男はぴくりとも動かない。

背筋が寒くなるような一撃だった。車にいたもう一人の男もあまりのことに唖然としている。修平も最初の一歩を踏み出しかけた姿勢で固まっていた。そして、戦慄のKO劇を演じた少女は、肩を震わせ...

「き...」

き?

「きゃーーーっ。誰か助けてーーっ」

絹を裂くような悲鳴を上げて走り去った。速い。まるで陸上選手のような安定したフォームである。

おいおいおい。

あとには茫然とした男が二人と、地面に仰向けになった男が一人。先に我に返ったのは車に乗った男だった。

「おいっ。ゲンちゃんっ。おい。返事しろっ」

倒れた男に駆け寄り、がくがくと揺すぶるがなんの反応もない。

あーあ。頭に打撃を受けた人間を揺さぶっちゃいかんなー。自業自得だし、こんな奴らがどうなろうと知ったこっちゃないんだが、このまま死なれても寝覚めが悪いしなー。

「揺さぶるな」

「な、なんだおまえは」

「頭を打った人間の頭を揺さぶると脳内出血があったときに取り返しがつかない。動かさないようにして救急車を呼ぶんだ。」

師匠の受け売りである。あの道場では救急法講座もしばしば行われるのである。考えてみれば変な道場だ。

気道を確保し、横臥させる。バイタルサインは...息はある。意識レベルは...中指一本拳であばらを軽くえぐる。激痛が走るはずであるが、男は一瞬びくりとしただけで、目覚める気配はない。200-Aか。deep comaだな。あまりよくない。

「おい。ゲンちゃん大丈夫か。おい」

すっかりパニックになっている。よく見ると修平と対して変わらない年のようだ。

「何してるんだ。はやく救急車を呼ばないと危ないぞ。」

「え、えーと。救急車は119だな。あ、もしもし!!ダチが大変なんだ!!すぐに救急車をよんでくれっ!!え?場所?名前?えーと、場所は、その、駅の近くの路地で…。え、どこの駅かって?通りの名前?え?え?」

ダメだこりゃ。溜息をついて男から携帯を取り上げる。やけにじゃらじゃらとぶら下がったキーホルダーの群れが重い。

「もしもし。ちょっと取り乱しているようなので代わって説明します。はい、いえ、通りすがりのものです。患者は頭部への強い衝撃で意識不明です。deep comaです。ええ、葛連駅の東口から南下して最初のコンビニで左折して、最初の路地をさらに左です。ええ、かなり狭いですが入れます。はい、ではよろしくお願いします」

重い携帯を閉じて返そうとしたが、ゲンちゃんとやらを呆然と眺めるばかりで埒があかない。修平は男の顔の前で両手の平を打ち合わせた。やっと男がこちらを向いた。

「もうすぐ救急車が来る。念のため、コンビニの角まで出て案内してくれ。」

男は慌てて駆けだした。それにしても蒸し暑い夜だ。修平はすっかりぬるくなってしまったスポーツドリンクを飲み干した。ふと見上げれば月が高い。綺麗で、遠く、怖い。あの女の子のようだ。柄にもなくそんなことを思った。サイレンの音が近づいてきた。

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