その4
◇ ◇ ◇
猫と残されてひとり、慎一郎は途方にくれる。
仔猫は、秋良を真似するようにくあーとあくびをひとつ、食事にもどった彼の膝上に再びよじ登り、彼のすねに山ほどかき傷を作って、まるっと丸まって眠ってしまった。
ぶちが際立つ、三毛の猫。
模様の出方が都を思い出させた。
元々、動物に苦手意識はなかったが、可能な限りシャットアウトするようになったのは、やはり母が入院した翌日に都に死なれてからになる。
ペットと親の死に目、どちらにも会えなかった自分が、生と死の境目をどうしても思い起こすきっかけとなるので、生き物が側にいるのは苦手だった。
すぴすぴと鼻息荒く眠る仔猫の温かさは、自分の人生が変転する直前の、しあわせな時間を、戻らない時間を思い起こさせて辛いのだ。
気儘で愛されるのが当然と、自在に振る舞い、愛を乞う。
都と母は女そのものだった。
僕は、まだ、母の死から立ち直っていないのだろうか……
彼は仔猫を脇に置き、食卓を片付けながら思う。
妻を得、子供がふたり、もうひとりが家族に加わる。
何の不足もない今。
シンクの蛇口から水を出し、しぶきを手に受けて、ふとまわりを見回した。
台所は、父とふたり、母が漬けた最後の漬け物を食べた記憶がある場所だった。
庭の木は都が、家の中の端々には、母が生きていた息吹がある。
子供の成育に合わせて家を増改築した時も、古い建物だから土台から全てやりなおした方が良いと強く勧められながら応じなかった自分は、この家を根幹から失いたくなかった。
けれど、人は生きていく。
両親と共に暮らした年月はたかが15年、16年。
秋良との生活は5年以上を数える。
子供が産まれてから、月日が過ぎるのがとても早くなった、気がついたら両親が共に暮らしていた日々よりも長い年月をここで過ごすことになるのだろう。
僕は……
もう、過去の自分は解放したい。
ちっぽけな猫相手に逃げまくるのも、温もりから逃げるのも、情けない話だ。
僕が、子供たちにできることは。
彼らの友人の両親より、おそらく早くに子供たちと別れることになる自分にできることは何なのだろう。
ダイニング脇に段ボール箱とタオルで簡易ベッドを作り、小さな猫を寝かしつけた慎一郎は書斎へ下がる。
秋良がいみじくも言った、犬の逸話が頭をかすめる。
お前は、僕が教える前に身をもって彼らに見せてくれるのか、生きるという意味を。
どうなのだろうな、と思いながら。
◇ ◇ ◇
子供が出来てから、睡眠時間がまちまちになっている秋良は、ほわほわと温かい感触に誘われて目が覚めた。
時計を見ると丑三つ時、外はまだまだ暗い。
同じ寝台に眠る夫は寝息を立てている。
そして。
あらあら。これは。
秋良は眠い目をこすって吹き出した。
温かいと思った感触は仔猫のもの。
夫と猫は頬を付き合わせて熟睡している。
しかも、枕の大半を猫に取られて、首がかしいでいる姿で、夫はくうくうと寝息を立てているのだ。
彼が猫を連れてきたのか、猫が勝手についてきたのか。さて、どちらかしら。
さあ、慎一郎さんは結論を出せたのかしら、子供たちに説明できるのかしら?
無理っぽいけど。
夫の肩口に布団を掛けて、彼女も猫に倣い夫に寄り添って横になる。
朝、寝違えていなければいいのだけどね、と思いながら。