2人のエース
歴史にうもれた1ページ。本編で語られなかった呉奇襲事件。その戦いの中には2人のエースがいた。
外伝〝呉大航空戦〝の第1話!!
勉強がはかどったので調子に乗って投稿します。
米海軍エースパイロットのアレキサンダーは2機編成を好み、2機目においしいところをとらせたり、危なくなったら電光石火の勢いで救助するというスタンスであった。だがそれを壊した男がいた。日本機動部隊エースパイロットの栗丘である。2人の技量はほぼ互角でありお互いによもや自分が狙った獲物を落とせないことはないとしていた。それは虚勢ではない。自分の体が戦闘機と一体化しているかのように自由自在に愛機を動かすのだ。
2人がお互いの技量を認めたのはフィリピンでのを巡る海戦真っ只中で起きた空戦であった。アレキサンダーはようやく実戦に馴れつつあったシュダーナーというパイロットに獲物を1匹とらせてやるほどの意気込みで空に駆け上った。何しろこの時どう考えても米軍が優勢であったからである。
だがフィリピンから日本が隠蔽していた戦闘機軍が一斉に蜂起し栗丘達を含む機動部隊と共に米軍の航空隊と接触した時は米軍の絶対優勢はなかった。
シュダーナーは栗丘に狙われた。アレキサンダーが救助に入った時には既に機体には大きな破口が空いていた。しかし相変わらず頑丈な機体でありパイロットも同じくらい頑丈であり戦意は下がってなかった。
そしてアレキサンダーと栗丘の機体が空中で乱舞しお互いの機体で死闘を演じた。栗丘の零戦には皺がよった。いくら防御力をあげたといっても元は零戦である。機体構造に全く問題がないわけではない。一方のアレキサンダーも零戦の軽やかな動きに必死に対抗していた。F6Fは戦闘機では最大の翼面積を持ち2000馬力のパワーに物を言わせて動いているとは言え零戦43型の1,7倍もの重量があるのである。栗丘は機体に何度か衝撃を受けたが致命的な箇所ではなく、急旋回で最小限に被害をとどめた。対するアレキサンダーも何度か攻撃を受けたが全て7,7ミリ弾であった。栗丘はここぞという時にのみ20ミリ弾を使用する。
そんな最中シュダーナーはアレキサンダーの機体に必死に追尾していたがアレキサンダーはこの時シュダーナーの機位を喪失していた。つまり戦闘しながら探していたのだが見つかるわけがない。シュダーナーが一定空域で待っているならいざ知らず向こうも探しているのだから見つかるはずがない。迷子になった子供が親を探し、親も子供を探すため動き何度もすれ違っているようなものである。おまけに親は重たい荷物があるという状況だ。
栗丘は機体高度を一気に引き上げた。アレキサンダーもそれに追尾する。メーターの針がグングン動いている。アレキサンダーはいつまで上げるのか推測していると零戦は急に角度を180度変えたように見えた。急降下に入った。馬鹿なとアレキサンダーは考えた。なにしろ〝タイプ0”(零戦)はそんな降下に耐えれる訳がなかったからだ。だが実際この時機体は地面と平行に進んでいるときの角度を0度とすると下向きに機体を30度傾けた角度であった。零戦43型の安全域ギリギリとも言える角度である。速度は600キロにも突入しようとしていた。栗丘の眼前にはシュダーナーの機体があったのだ。
━━━━刹那。発射ボタンを壊れるほどの力で押し込むと20ミリ弾が勢いよく目の前のシュダーナーの機体に吸い込まれた。そのF6Fは真っ二つにへし折れたかと思うと右翼がちぢれ飛び四散した。白い花が咲けばぱいろっとが脱出したという合図だが結果は海に重油の膜を咲かせるというものであり、それは死の花であった。
アレキサンダーは絶叫しそうになった!怒りというか自分の不甲斐なさが機体を操っていた。その13ミリ弾は栗丘の無線機を破壊しその4m後方に2発命中させた。しかし機体は落ずそこで弾切れとなった。栗丘も20ミリ弾は残っていたが7,7ミリ弾は30発もなかった。20ミリも残っているとはいったものの40発しか残っていない。2機を相手にした中でいちばん弾薬を使ったと栗丘は後に語った。
さて長くなったが以上がレイテ沖海戦で栗丘とアレキサンダーという2人のパイロットが始めて会敵した時の話である。
次から語る物語は大いに活躍し大本営でもその戦果は華々しく語られた戦艦武蔵が擱座した後の話である。
━━━━ 1944年 9月 3日 呉奇襲事件
この記録は呉大航空戦とも語られる。米軍の機動部隊が最後に攻撃を仕掛けた海戦である。(呉とはここでは呉軍港のみを指すこととする)
すでに1944年8月日本はレイテで大勝利したといってもその戦いで失ったものも決して少なくなかった。おまけにフィリピンに送られている物資をすべて国内に戻す力などなかった。精鋭の陸軍や航空機や機銃、火砲はそのまま置き去りである。いざ眼前の脅威が消え去ると何かしらの失態がそこにあるのである。ただこうでもしなければフィリピンは今頃屍の山が積み上がってできた大山でも築き上げていることだろう。話を戻すと国内ではとにかく物資が不足していた。1番が生活必需品である。軍隊はいざとなれば大陸から頭数だけなら引き抜ける(日中戦争が回避されているので)が、生活必需品は各所で不足していた。というよりその必需品を軍が使用していた。元々軍はシーレーンから来る物資を頼りにしていたのだが最近はそれもままならない。まだ住民は食っていけるだけの配給はあったが最近では空襲も散発的にある。国内では迎撃戦闘機の開発が行われているがどうも技術的な問題で高性能機が作れないでいた。仮に出来たとしても量産まで出来たかどうかは疑問符がつく。
アメリカはというと大量の兵士死傷に加え真珠湾を凌駕する損害である。惨敗とも言える。国内では厭戦気分が高まっていた。元々ヨーロッパの火花を消し止めるために日本を挑発させておきながらヨーロッパだけに目を貼っていると、日本がとんでもない勢いで火事を広げたために現在この有様である。そもそも米軍は一回壊滅的被害を被っている。一時期ミッドウェーで敗北し上陸された挙句その時点で空母保有0だったのだ。 ここで講和しようとしたところを完膚なきまで米国を叩き潰すなどと世迷いごとを言い出す強硬派により阻止されて今の状況があることは皆さんご存知のとおりである。
米軍としては日本海軍を壊滅させる必要性があった。つまり大きな港を1つでも潰せばそれだけで大被害である。そして選ばれたのが呉だったのだ。
かくして米軍は今までにない護衛空母を大量に使い爆撃することを決行した。途中でソ連なども港で燃料の補給などもしてくれる。クラッシュ・クレ・アンド・ジャパン!(呉と日本を潰す!)というキャチフレーズもできた。あたかも日本と呉が別々に扱われているようにしているのが特徴である。それほど呉を潰すということを重点においたのだろう。ビッグ・アンド・ヘビースター・ミッション(重たく大きい星の作戦)という作戦ネームを参加する兵士たちが言ったらしい。米軍では正規式なものがあったが何故かこちらのほうが有名なのだ。しかしわけのわからない作戦ネームである。中学生でもつけたのではないだろうか。正式ネームはネイビー・スターである。
かくして戦いは既に始まりの兆しを見せ始めていた。
そして「あいつめ今度あったら叩き落としてやる。いや必ず合うはずだ」F8Fベアキャットに左手を使い体重をかけて立っているエースであるアレキサンダーは言った。
一方日本でも「この戦争で絶対にあいつとは戦うことになる」烈風改の点検をみずから行うエース、そう栗丘がそこにはいた。
奇しくも2人の予想は現実のものとなる。
という訳で2月10日には次号更新しますのでそれまでどうかお待ちを。