沈みゆく戦友
只一知る武蔵最後の姿。
1963年7月 硫黄島で只一はあることを感じた。
〇四五〇 落雷でもしたかのように15m測距儀が真っ二つに裂けて甲板上に落下し始めた。日本の持てる光学技術をひとつの形として出来たそれが今破壊され甲板上に落下を始めた。真っ赤に燃え盛る艦橋上部は潰れていた。15m測距儀は第1副砲に命中し眩い火花を散らしてお互いを破壊した。さらにほかの破片が甲板上に降り注いできた。高角砲や機銃座にそれが降り注いだ。ほとんどがシールドを装備していたためよかったがそれでも負傷者が出たらしく喉が潰れそうな悲鳴の声が周囲の音とともに聞こえた。運ぶ弾倉がもう少ししかない。それを運ぶのが自分の任務である。炎がところどころ見える甲板を駆け巡り機銃座に弾倉を渡した。
上空では緊急発進した零戦や烈風などが爆撃機を攻撃しようとするが、敵戦闘機と交戦をせねばならず中々爆撃機を攻撃できない。それどころかエンジンがまだ温まっておらず最大の力を発揮できない。
武蔵の450m前方に硫黄島が見える。既に武蔵の防水区画は限界を迎え損壊していた。艦内はいたる所で浸水が起こり、何トンという大量の水が隔壁を突き破り機関室にまで浸水し始めた。リンガ泊地で完全な修理ができれば良いのだが応急手当てしか行っていないため塞がれていた穴が再び大きく開いた。
「1番に缶室に浸水」武蔵は既にこの時左舷に10度傾いていた。右舷の注水区画は既に限界を迎えている。それはこれ以上の角度修正が不可能であることを意味していた。
機銃音や高角砲の発射音、ロケット弾や爆弾の被弾音が化け物の咆哮にさえ聞こえる。再びここでズドンと鈍い音と共に転倒するような衝撃を感じた。反対側から火柱が艦橋より高く上がり全身に冷や汗が吹き出た。幸い固い甲板装甲に阻まれこれは致命的な傷にならなかったようだ。
「1機撃墜!」一時的に沈黙していた噴進砲が発砲し黒煙の跡をつけながら数千メートル向こう側に吹き飛びオレンジ色の壁を作り上げ1機を撃墜したようだ。この時後方部より敵機が接近してきていた。それに対する有効な対処ができなかった。後部副砲が咆哮するも役目を果たすことなく時限信管が作動したときは既に爆撃機郡は武蔵に対し爆撃体制になっていた。主砲はその煙で視界を妨げる等の前に武蔵のこの斜角で主砲を撃つことは不可能なのだ。
1機,2機,3機と爆撃機は暗闇からシルエットを確かなものとし近づいてきた。そしてエンジンが焦げそうなほどにまで速度を上げて翼下の爆弾を投下した。爆撃機は急激に重量が軽くなり高度を一気に上げた。
その爆弾は左舷をかすめて海中に落下した。その瞬間武蔵は空中に投げ出されたかのように揺れに揺れ動いた。6万トンを超える船体がこんなにも揺れるものだと理解して俺は自分の体が甲板を滑っているのに気づいた。「うわぁぁ」俺は自分が叫んでいることにも気づいた。見れば数人がズルズルと甲板を滑り落ちていた。武蔵はこの時角度を15度にまで傾けた。形が変形し途中途中が断切されてはいたが手すりがあったためつかまった。がこれに4人がつかまってきた。200キロを超えるような総重量に耐えれるてすりでないのが誰もが見ても分かる。根元から鈍い音が聞こえる・・・それが何を意味するかなどわかったが俺にはそれにつかまるしかなかった。だが無情にも手すりは根元から外れ俺たちは絶望の元海中に投げ落とされた。
白い水柱が5つ直立した。俺を含め一緒に落ちた面々は海中に引きずり込まれるように真っ暗な世界に送られた。どちらが水面かわからなかった。ただ武蔵が作り出す波にもみくちゃにさればがらその舷側に巨大な亀裂が生じているのが見えた。少しして炎が見えたためそれに向かい必死に泳ぐ。衣服が重いのだが必死に足や手を動かしなんとかその方向に向かうと海面に出た。
「フハァ、ゲホッ」息を思いっきり肺に吸い込む。口の中に海水が入り込んでいたのか何かを飲み込んだのを感じ思いっきりむせた。
周りを見ると先ほど落ちた4人と思われる水兵がいた。・・・いやその奥にもいた。先ほどの爆撃の衝撃で落とされたのは俺たちだけでなかったらしい。まあ〝落とされた〝とは限らないが。船は自らの意思でも降りれる。
各々の水兵が木片や何かしらの浮遊物につかまった。俺のところには幸い甲板の一部らしきものがとんできていたためそれにつかまった。少し落ち着いて武蔵がどこに行ったか視界を回し探す。真後ろを向いたときサーチライトの束で上空を照らす武蔵を発見していた。そのサーチライトに照らされるのは斜角をきつくしている武蔵の姿と崖から崩れ落ちる小さな石のような戦友達の姿であった。
航空戦とサーチライトによってなのか目が慣れた、もしくはその両方によって海面からポツポツと頭を出している仲間の姿が見える。中には死んだようにぐったりとして木片にしがみついているもの。手足をばたつかせ何か浮かぶものを必死に模索している姿。2人か3人で固まっているもの・・・。その黒い影が急に照らされたかと思えば上空から紅蓮の炎をまとった日の丸が描かれた緑色の塗装をされた機体が落下した。
海面が急に照らされそれが落下した海面からは熱湯となった水が周辺に飛び散る。4人くらいの絶叫にも聞こえる悲鳴が聞こえた。暑い暑いと苦しむ声だ。墜落機の直撃を受けた兵士は恐らく焼かれたか、もしくは四肢五叉が裂けてしまっただろう。船乗りが船で死ねず海で味方機の下敷きになって死ぬとは悔やみきれない想いがあるだろう。
硫黄島まで400m前後である。泳げるものは泳げるだろうが衣服は水を吸い込みまるで体が鉛になってしまったかのように重く今にも木片とともに海の底に消えてしまいそうである。必死になってしがみついてる俺を尻目に体力に余裕があるものは足を動かし岸に近づこうと必死に泳ぎ始めた。しかし上空には味方機の総数を凌駕する敵機がいることが何よりの問題であった。カタカタ・・・軽やかな銃撃音が海に響いた。それは先ほど泳ぎ始めた彼らの頭上にいくつも降り注がれた。サーチライトが当てられない部分は漆黒の闇に覆われている。その暗闇の中でいきなり爆音と共にコックピットの明かりが見えると次の瞬間には赤い火線が自分をめがけ飛翔してくるのである。そのためいくつも見えた彼らの姿は消え周囲にはスイカが割れたような姿になってしまった頭部や無残に引き裂かれた胴体、もしくわ手足が浮かんでいた。中には浮遊物が破壊され溺れたものもいるだろう。この時間内でどれほどの損害が出たのだろう。左舷側の機銃員や俺と同じ職の仲間たちが半数程度落ちたと考えれば数百名は海に落下しているとも考えれる。俺は死んだように木片にしがみついて動かなかった。ここで動けば殺されるという現実が目の前に広がったからである。
その中で武蔵を探してみる。幾分か小さくなっているが島にはまだたどり着いていない模様である。27ノットを超える速度は今やなく輸送船にも追い抜かれそうな速度で動いている。
それから数分がたった・・・。残骸が増え航空機燃料の匂いが鼻をつく。体は動かず首より上だけが働いているような感じである。たった約400m超えれるか否かで死ぬか死なないかが変わるとは脆いもんあだなと少し冷たい海水につかりながら考えていた。
空はいまだけたたましい唸り声を上げるエンジンと機銃音に包まれている。しかし後1時間もすれば静かになり救助が来るだろう。その時俺は急激に近くに殺気を帯びた物が爆音とともに飛来してくるのを感じ取った。数秒後には俺の体はライトに捉えられた。声を出す間もなくそれは俺に機銃弾を急に撃ち込んできた。遠くから聞けばカラカラといったような音だったが近くで聞けばそれは高角砲のような力強い音のように聞こえ絶叫という行為を忘れさせるほどのものであった。バリッという音が聞こえると木片は裂け、俺は機銃弾と共に海中に投げ落とされた。
また海中に突き落とされた俺はもう駄目だと諦めかけたのだが体は俺の感情を無視しもがいた。水面から顔を出し酸素を吸い込むとまた俺は海中へと吸い込まれた。そしてまた海面に出るという行為が繰り返し無意識に行われた。いや途中からは正気となり無我夢中で水をかいた。とはいえ水の抵抗が強く体力の消耗は著しい。その時4,5人の人間が丸太につかまっているのが見えた。俺が行こうとしたときその声は聞こえた。
「他の所にいけ」罵声が聞こえてきた。俺にではない端っこにつかまっていた兵士が足を激しく動かしていた。するとそこから別の兵士がむせながら必死にその丸太にしがみつくのだが無情にもその兵士はその集まりから外される。その理由を俺は理解することが出来た。簡単だ浮力の問題によりあれ以上あの丸太に兵士がつかまると全員沈んでしまうのだ。そのためあのような酷い行為が行われているのだ。その時に俺は怖いとか助けようという意思は無く、自分は助かりたいという考えになっているということに気づいた。つまり俺も端っこの兵士と似たような状況なのだろう。違うのはむこうは生き残る事を許され、こちらは彼らから見ればどうでもいいとされている者であるということだ。俺があっちに行ったら同じく蹴り飛ばされるのだろう。
絶望的な光景を見た俺のもとに幸運が流れ着いてきた。それは自分と背と変わらぬほどの材木だった。まさかただの材木がこんなにも心強いものだと思わなかった。空での戦いは終盤を迎え火の玉が硫黄島上空から落ちてくることはこの時刻を最後になかった。
〇五〇〇 一方の武蔵は戦闘どころか航行すらままならぬ絶望的な状況のままただ前へと這い進んだ。浸水多量で速力がガクリと落ちた武蔵は左舷の対空射撃も不能なまま攻撃を受けるがまま受けていた。左舷から侵入すればほとんど攻撃を受けずに済む。おまけに中口径や大口径砲は角度的な問題で使えない。味方の航空機の援護で一時攻撃を受けなかったが数は向こうの方が多く何十機かはこちらの攻撃に来るに決まっている。この頃になると艦橋は故障を示す赤いランプだけがついており煙突側面からのサーチライトも点かなくなってしまっている。後は真っ暗だ。他の計器も懐中電灯を使わなくては読み取れない。
しかし艦長は冷静だった。「機械異常あるか」返ってきた返事は「異常ありません」という意外な返答だった。今艦橋で赤く光ってるのは機械故障を知らせるランプである。つまりランプの方が故障してしまっていたのだ。速力4ノット、分速にして120mと少し。武蔵は後硫黄島まで300mなのだ。爆撃機の執拗なる爆撃は熾烈さを極めたがようやく終了した。が、今度は戦闘機のロケット弾が降り注いできた。12,7ミリ弾のおまけ付きである。木甲板は殆ど焼けたりはげ落ちたりし鋼板が剥き出しとなっている。艦内ではさらに浸水が激しくなっていた。機関室は死に物狂いの排水作業と機関作業を行った。
これが武蔵最後の戦闘である事は全員が察していた。海面のオレンジ色の炎が武蔵を照らし神々しささえ感じさせる。駆逐艦の雪風は武蔵に攻撃が集中したため大きな損傷は受けずに済んだ。1m,2mと大きく左に傾いた武蔵が動き続ける。終わらない排水作業が繰り返されている。ロケット弾が最後に貫いたのは露天艦橋であった。貫いたといってもガラスは既に粉々に砕けていたため艦橋内を破壊し尽くした。艦橋内は血の池となり━━━━。
武蔵は遂に浅瀬に乗り上げ擱座した。完全な不沈艦となった。共にそれは航海が今後できないという意味とともに。
駆逐艦雪風がしばらくして救出に来た。朦朧たる意識の中駆逐艦が近くに来たのを確認した俺は太ももをつねった。太い縄を垂らしてきたため力を振り絞り俺は昇った。医務室注射を打たれた。
俺が島に着いたときは空が明るくなり始めていた。しかし心は明るくなれなかった。ただ生き残ったという何とも言えない安堵の気持ちに包まれた。武蔵は最終的に約2400名中約1200名が助かった。生存率は半分ほどだ。そして海に落下した人物は400名近くもいるらしい。そして海に沈んだ戦友は300名以上だという。健太は「何もできなかった」と言っていた。彼が動こうとしたときは斜角がひどく甲板に出ても海に落ちるだけだったのだ。竹浜ともその後顔を合わせ安心した。例の優しい下士官とも合うかと思ったのだがまだ合わない。数々の戦場を駆け抜けてきた武蔵は硫黄島でその船体を陸に任せた。しばらくし俺たちは内地に復帰し別の役職に回された。
━━━━ 1944年 6月 17日 武蔵擱座
━━━━ 1944年 9月 3日 呉奇襲事件
━━━━ 1945年 12月〜翌1945年1月 疾風第1号〜第3号作戦
━━━━ 1945年 2月 終戦
1963年7月 静かな海の中に激戦があったことを残す印となったその戦艦はもう動かない。海に沈んだ戦友や鉄の雨に打たれたり爆風に焼かれた戦友は今の日本の礎となっている。波の音はある日の歌に聞こえる。
暑苦しい日差しを浮かべる青い空の中で涼しい風が吹いている。そこには何ら変哲もない海がそこにあるだけだったが只一はそれがとても嬉しかったが、その涼しい風はどこか不安を感じさせた。
本編は終了させていただきます。
回収しきれてない伏線的な何かや挿入できなかった副エピソードは外伝という形で編成しますので、それも読んでいただけましたら幸いです。
以上で艦首の菊の紋の本編終了となります。
外伝につきましては諸事情により2月の中旬より書きます。