機動部隊の壊滅 小沢の決断
6月20日の戦い。
機動部隊が壊滅した。
そこで小沢がある決断をする。果たして戦いの行方は。
6月20日 小沢艦隊は20日の夜明け前から活動を再開し、4時40分に索敵機を発進させせた。
「どこにいるんだ機動部隊は」偵察員の吉岡は言う。丹念に探したがついに見つからなかった。
12時、小沢中将は旗艦を羽黒から瑞鶴に移した。
15時40分 米第58任務部隊は日本機動部隊を発見し、16時過ぎになってその戦力を確認、マーク・ミッチャー中将は日本機動部隊までの距離が米艦載機の航続可能範囲の限界付近であることや、帰還が夜になってしまうことを覚悟の上で216機(F6F戦闘機85機、SB2C急降下爆撃機51機、SBD急降下爆撃機26機、TBF雷撃機54機)の攻撃隊を出撃させた。その攻撃隊の爆音は勇ましく聞こえた。
16時15分 日本軍側も米艦隊を発見し、17時25分に甲部隊、唯一の空母瑞鶴から7機の雷撃機を発進させ、前衛の栗田中将に夜戦のため東進を命じた。
17時30分 米第58任務部隊から発進した攻撃隊が来襲した。
これに対しギューンとはぎれのいい音を出し銀翼を並べ零戦が迎撃しに向かった。
「この栗丘が落としてくれるわ」と栗丘は新米パイロット混じって迎撃に向かった。
しばらくし敵の編成部隊が見えた。
そして乱戦が始まった。栗丘は前にいた敵を追った。しかし水平ではF6Fに追いつけないどころか、後ろから敵が襲ってきた。なんとか交わし7,7ミリ弾を目の前の敵に打ち込んだ。しかしさすが2000馬力のエンジンを搭載し、防弾装甲を備えているF6Fは落ちない。そのとき栗丘はハッとなってレバーを蹴り飛ばした。
上から敵戦闘機が襲ってきた。オレンジ色の閃光が目の前に広がった。
これはアメリカが考えた戦法である。2機がで水平で攻撃を集中させ、1機が上から12,7ミリ機銃を乱射しながら急降下し、1発でしとめるのだ。
上から狙ってきたF6Fはすこしずつ速度を落とし、その内上昇してくるだろう。
”だろう”というのはそんなものを確認する暇が無いからだ。
栗丘は後ろから攻撃してきた機に狙いを定め、左旋回をした。零戦の防弾を犠牲にした 分軽くなっている。その抜群の機動性で敵の背後にくるりと回りこんだ。
7,7ミリ弾の赤い閃光が2丁の機銃から出て敵のコックピットに刺さりこむ。赤い液体が風防に染み付く。そこまでした栗丘はまたもレバーを蹴り飛ばした。後ろから敵が全速力でくるのを確認したのだ。そして後ろの敵に向かってまたも敵に向かっていった。栗丘は結果的にこの戦いで3機を撃墜するのだが、新米パイロットが多すぎる。攻撃部隊を攻撃する前に新米パイロットは次々撃墜されてしまう。
そして敵攻撃部隊は日本空母に襲い掛かってきた。
飛鷹にアベンチャー雷撃機(TBFのこと)が襲い掛かった。対空砲がうなる。航空機の爆音にまけじと大きな音を立て、重い弾が銃口から吐き出される。そしてそれが1機のアベンチャー雷撃機が落ちた。恐らくフラップをやられたのだろう。
「左舷に魚雷です!!」と見張り員が、報告すると「面舵いっぱーい」と艦長の横井俊之 大佐が言う魚雷と並行するように艦がクルリと方向変換した。
そしてこの後も1機撃墜。魚雷を3本回避した
しかし善戦(といっても2機撃墜と魚雷4本回避だが)もここまでだった。
「右舷後部に魚雷です。よけれません!!」横井大佐は「総員何かにつかまれ」と怒鳴った。直後水柱が立った。機関科兵は全員脱出したが、連動して左舷の機械も止まって航行不能となる。同時に、注排水指揮所が有毒ガスで全滅した。
そしてまたも衝撃音が轟いた。「被害を知らせよ」と艦長が言う。といっても艦橋からは良く見える。「艦橋後部マストに命中し、断片で航海長を含む見張所・飛行指揮所の艦橋要員に多数の死傷者が出た模様です」なんということだ。
そして爆弾がまたも命中。艦橋が完膚なきまでに破壊された。そして魚雷が右に2本命中。もはや助かるはずがない。
しかし乗組員は最後まで望みを捨てなかった。消化ホースを振りかざし、必死に排水作業をつづけた。が、「だめだ爆発するぞ」誰かが叫んだ。轟!!その爆発はいったい何が爆発したのか解らない。
艦長は爆弾の命中により死亡していた。乗組員は全員船と共に死んだ。
結果として迎撃した零戦は21機が撃墜され 空母 瑞鶴 隼鷹 千代田も損傷してしまった。米攻撃隊は23機が撃墜され、帰還した機のうちの70余機が着艦に失敗した。
小沢中将は残存空母を率いて夜戦のため東進を続けたが、小型艦艇では燃料不足が懸念されはじめた。
19時40分頃 連合艦隊長官豊田副武大将から離脱が命じられ、21日 小沢中将は「あ号作戦」を中止し撤退を命じられた。「しかし前線の戦艦部隊はどうなるのです」小沢が食い下がった。
「きまっておろう撤退だ」豊田大将は言う。そこで神大佐から豊田にこのような文が届いていた。
「第1機動部隊ヲ 突入サセルベキ 敵ノ艦隊ヲ撃滅デキル可能性ハ 極メテ 大ナリ」
根拠はなんなんだろうか?豊田は急に疑問にとらわれた。
そしてその後10分に及ぶ3人のやり取りが続いた。
そして今空母部隊は撤退している。しかし戦艦部隊は同行していない。どういうことか?
その時サイパン島に向かい日本艦隊が驀進していた。俺、只一は胸をドキドキさせながら、友人の竹浜。そして機銃員の人たちを心をおどろさせていた。
「大和ホテル 武蔵旅館などとして呼ばれ、このままくさらせてよいのでしょうか?」この言葉は神大佐が言ったものだ。
そして豊田は第2艦隊の突入のみを認めた。小型艦艇は撤退する空母から燃料を譲り受けたものだ。
この補給中が1番危ないのだ。しかし幸いにも襲われることは無かった。
前衛艦隊は米機動部隊と水上戦闘を行うべく東進していた。
さて無理があったかもしれませんが、神大佐が唱えた艦隊決戦により、第2艦隊が突入します。果たして戦いの行き先がはどうなるのか。
今回もごらん頂ありがとうございます。
次回 第2艦隊突入ス です。
ご期待ください。