比島日米戦
大学入試のため未完結のまま10月まで延期の可能性もあります。
日本軍は既に気息奄々の状態になりつつあった。B-29による爆撃は軍事施設を執拗に狙ってきたため機体の作成すらままならなかった。
それでも新型機を作ってはフィリピンに送り続けた。
零戦43型用に地下格納庫を比島では一生懸命作った。雨が降れば泥水のたまり場となり、それをバケツで出し終え、コンクリートで固め作ればまた他の場所の作成に追われた。
陸軍兵士達はこんなことをするためにきたんじゃいとでも言いたそうな表情で黙々と作業を続けていた。敵機が飛んできて機銃掃射をかけてくることもあった。また最近はB-29が頻繁に姿を見せては穴を作っていった。
米軍は予定の航空機より若干少ないが3700機が用意された。他の艦艇は予定通り出撃可能だった。
「すばらしい光景だ」サイパン島でマッカーサーはつぶやいた。見渡すところ航空機が配備され海上には輸送船が海を埋め尽くすほど用意されていた。
戦闘部隊はチェスター・ニミッツやスプルーアンス、リー等が率いる。オルデンドルフは残念ながら他のところにまわされた。彼は戦闘するタイプではなかったのかもしれない。
米軍の作戦はサイパン島の航空隊を波状で攻撃し機動部隊で敵艦隊を撃退し上陸することはもう言った。
ただ日本側は違っていた。あの潜水艦伊400型を使用することとした。新たに伊407を加えてハワイの艦隊を奇襲することとしている。
一方トラック地方の航空隊は今出撃の準備をしていた。トラック島の日本航空隊はラバウルの搭乗員もいる。ラバウル航空隊の搭乗員と言えば猛者である。さらにトラック島にいる連中も生半可な練度を持ったものであは無い。
使用しているのは零戦22型、21型などの旧式機であうが数は200機もある。出撃場所はグアム島である。
グアム島は日本軍の防衛により米軍もかなりの損害をだした激戦区である。読者の皆様も知ってのとおり海上でもすごい戦いがあった。これにより米軍の戦艦部隊と機動部隊が大損害を被った。
そしてそのグアム島に戦闘機部隊で攻撃、爆撃するのだ。さらに大型機も有る。1式陸上攻撃機が12機だ。内8機は爆弾を積んでいるが、残りの4機は爆弾でも魚雷でもなく、"特別挺身隊"と呼ばれた陸軍兵士計36名だ。
〇三〇〇 爆音はいつもどおり快調に鳴っている。煙がバンバン出て搭乗員の操作を待っていた。整備兵は残された最後の燃料を全て入れて滑走路沿いにきれいに整列していた。
やがて1番機がゆっくりと前に進みだす。続けて2番機、3番機が速度を上げながら進む、次々と進み行く航空機はやがてエンジン音を上空にとどろかせて機首をぐんと上げる。
整備兵は帽子が裂けるかのように振った。整備兵の何人かは気がつけば叫んでいた。
「帰って来いよ!!返ってきて次に飛べなくてもおまえらは死んだら駄目だ!」空に叫んだ言葉は黒い空に吸い込まれるかのごとく消えた。
陸上攻撃機で送り込められた36人の着陸方法は陸攻が島の滑走路に着陸すると言う方法である。
距離はおよそ1000キロメートルで零戦は落下型燃料タンクをつければ全速30分+2500キロ以上飛べる。60キロ爆弾をつんでいたがそれでも30分の空戦の後返れる距離ではあった。もっとも爆弾を積んだのは130機で70機が空中戦闘を行うのだ。
〇七〇〇 朝が来た。最もレーダーを装備している米軍は接近している来たに気づいていた。しっかり見方でないことを確認しグアムの米軍機はあわただしく出撃した。
P-38/40、F6Fが迎撃してくる。いや振ってきた。しかしあえて低空での巴戦を望もうとしている搭乗員達はこの攻撃を避けた。しかし4時間にも及ぶ疲労はきつく10機がバタバタ落とされた。
戦闘フラップを巧みに使いクルクルと零戦が回りだした。しかし米軍機は相手にもせず高速で攻撃しすばやく上昇した。数機がまた火を噴く。ただ巴戦で挑むやつがいてそいつらは零戦に追われて20ミリで1連射され撃墜された。
爆撃装備の零戦も狙われてバンバン落とされた。機動性が劣悪になりすぎである。巡洋艦や駆逐艦もいたため機銃が乱射された。さらに地上砲火もすごいものだった。
それでも零戦部隊は爆弾を落とした。30キロ爆弾2つが1機に装備されている。実に30機が爆弾の投下に成功した。
幾百の爆弾が地上に吸い込まれた。さらには陸上攻撃機が800キロ爆弾を落し地上はまたたくまに大混乱して、そこに3機が着陸しようとした。
そこで1機がクルリと滑らせ機体を一回転して12人中7人が死亡・重症した。
巴戦で落とした機体は総数40機である。こちらは100機が撃墜された。ただしこちらは地上攻撃で人員300名と爆弾倉庫が爆発、機体が9機破壊、13機が損傷、燃料タンク1部炎上させ5分の1が失わせるという戦果を挙げた。
しかしアメリカ軍にとってこの攻撃によって受けた損害は戦況にはさして影響を与えれなかった。
そして1週間後。
連合艦隊が最終決戦するために海へと進んでいった。